毒吐き蛇侯爵の、甘い呪縛

卯崎瑛珠

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もっと甘い呪縛

番外編 甘くて特別な日に

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 バレンタインデーにちなんでの、甘い番外編です。



 ◇

 
 
「うーん。って分離して……すりつぶしてミルクと砂糖を加えて……わーこりゃ、大変だ」

 私は、キッチンで奮闘していた。

「こんなに大変なのに、一枚百円とかで食べてたの!? ありえない~」

 大きな独り言も許していただきたい。
 それほどまでに大変で細かい調整をしつつ魔力を使う経験は、椿油を精製して以来なのだ。

「でもこれができたら、革命かもしれない!!」

 部屋には独特の香ばしさが充満している。すると、ゴン! と荒々しい音が鳴った。

「おくさまあ~~~~」

 白いコックコート姿のノエルが、大きな木製のボウルを作業台の天板に置いた音だ。
 手を止めてそれを覗きこむと、中には茶色い豆のようなものが山盛りになっている。

「ふひー。これで、全部ですだ!」

 汗だくになりつつ、ノエルが笑顔できびきびと動いてくれるのがありがたい。

「すごい! がんばったね! ありがと!」
「子どもたちのお陰ですだ」
「うんうん! これも、孤児院の良い商品になったらいいね」
「はいですだ!」

 私が作っているのはなんと、この世界初の『チョコレート』だ。
 獣人王国の南部でカカオ豆が採れる(一部のサル族さんたちが好んで食べているらしい)ことを聞いて、ディーデ経由でおすそ分けをしてもらった。
 といっても大きな麻袋が十以上あるのがディーデのすごいところ。何を作るの? とキラキラした目で聞かれたので、とりあえず成功したら教える、と言ってある。

「奥様は、物知りですだな~」
「それがね、たまたまなのよね……」

 アロマセラピストスクールで出会った女性が誘ってくれた、チョコレート作り体験のワークショップ。
 焙煎したカカオ豆の殻を剥いて、家庭用ミルですり潰して、砂糖とミルクを混ぜて固める――ディーデが珍しいんだよとカカオ豆を持ってきてくれ、匂いを嗅いだ時に、ビビッと思い出したのだ。

「匂いと記憶って、すごく結びついているみたい」
「?」
「ふふ。ごめん、独り言」
 
 ミルのような便利な物はなかったので、鍛冶職人さんにお願いしたら、私の下手な絵と口での説明だけで作ってくれた。職人ってすごい。
 
 孤児院の子どもたちが頑張って殻をたくさん剥いて、中身を取り出してくれたものを、ノエルが運んでくれた。
 それらを、ひたすらミル! ふるい器でふるって。ミル! ふるって。ミル! の繰り返し。
 そうしてある程度細かくなったら、すり鉢でゴリゴリする。これはもう、魔法でやっている。

「さすが奥様ですだ。魔法がなかったらもっと大変ですだな~」
「ノエルのお陰よ。ありがと」
「とんでもないですだよ。オラ、なにか作るのって好きですだ。楽しいですだよ」
 
 本当に楽しそうに話してくれるノエルの、そばかすの散った鼻頭に、カカオの粉が付いている。
 私が笑いながら指で拭うと、真っ赤になった。

「はわわ! 旦那様に、怒られるだ!」
「ええ!?」
「そやって、男に簡単に触ったらダメですだ!」
「だって、ノエルだし?」
「ふぬー。オラこれでも、奥様より年上ですだよ」
「え!」
「……マージ様と同い年ですだ……」
「うっそおおおおおおおおお!!」
 
 いやもう、衝撃の事実! 思わずカカオマスを混ぜる手が止まっちゃった!

「うそじゃないですだよぉ。最近、子どもたちにも子ども扱いされるだ……大人の威厳って、どうやったら出せるだか? 旦那様みたくなりたいですだねぇ」
「えーっと。あ、ノエルって好きな人とかいないの? ほら、大切な人のためだったら、男らしくなれたりしないかなーなんて」
 
 するとノエルは、困り顔で肩をすくめた。

「変なこと聞いてすみませんでしただ。オラがいきなり頑張ったところで、変わらないですだね」

 自嘲の笑みのようなものを浮かべ、彼は手を動かし粘り気の出てきた素材を淡々と練り続ける。

「……オラは、オラですから」
 
 私はその練られたものを受け取って湯煎でテンパリングし、ゆるくなったものを型枠に流し込む。それらが冷えて固まったら、できあがりだ。
 ノエルとはもう、指示が不要な流れ作業になっている。
 
「あの……もしかして、大事な人がいるのね?」
「あは。オラにはそんなの贅沢ですだよ。とりあえず旦那様みたいにムキムキになりたいですだね~」
「ええー?」
「カッコイイですだ!」

 結局、軽く誤魔化されちゃったなとしょんぼりしていたら、いつの間にか背後に立っていたのは――
 
「ノエル」
「びゃっ」
「また裏門の鍵掛け、甘かったわよ」
「ひえええ悪かっただ」
 
 ミンケだ。私が知る限り、尻尾がピーンと立っているのは怒っている証拠なのだけれど、表情はいつも通り。

「ミンケ。私がノエルにいっぱい用事頼んじゃったの」
「それは理由になりません。防犯上、気を付けないといけませんから」
「ですだね……オラまたやっちまっただ」
 
 ぽりぽり頭をかくノエルに、ミンケが歩み寄ったかと思えば
「働きすぎ。休みなさい」
 ドン! と肩で押しのけるようにして道具を奪った。
 
「ほわっ!?」

 当然、ノエルは何事かと動揺している。
 
「奥様。この下僕げぼくは早朝から孤児院で働きまくった後、こちらに来ているのです」
「ええ!?」

 ――今、下僕って言った!?

「この作業はあたしでもできそうなので、代わります」
「うん、お願い!」
「ええぇ? オラだいじょぶですだよ」
「うるさい。夜の仕込みまで仮眠しなさい。起こすから」
「そうして? ノエル」
「ひえ~……わかっただよ」

 渋々といった態度でペコリとお辞儀をして、去っていく後姿を横目で見るミンケは、ようやくホッと気を抜く。
 ノエルを下がらせるために、わざと強くあたったのだと私にも分かった。

「ねえ、ミンケ」
「なんですか奥様。にやけ顔やめてください」

 憎まれ口は照れ隠し、てもう知ってるもんね!
 
「前世ではね、今日は大切な人にチョコを渡す特別な日なの。感謝とか、大好きって気持ちをこめて渡すのよ」

 また尻尾がぴーん! と伸びた後で、ゆらゆら揺れ出した。

「だから、ミンケ?」
「……はい」
「おいしいの、作ろうね!」
「! ……はい」

 可愛くて素直じゃない私のメイドが、少しだけ頬を染めて瞳を潤ませる。
 時々だけど、こうして本心を見せてくれて、とても嬉しい。
 
 
 
 ◇


 
 ディナーの後、寝室で小さな箱に緑のリボンを掛けたものを渡すと、ユリシーズが首を傾げた。
 かなり寒いので、暖炉には赤々と火が灯っている。ユリシーズはいつものようにホットワインの入ったグラスをローテーブルに置いて、カウチソファの背もたれに右肘を乗せるようにして隣の私の肩を抱く。左手には、箱を持ったまま。
 
「セラ……これはなんだ?」
「チョコレート。前世で大人気だったおやつなの」
「ほう」
「ワインにも合うんだよ!」

 リボンをほどくように促されたので――あくまでも私の肩を抱いたままでいるらしい――密着したままいそいそとリボンをほどいて、箱のふたを開けて見せた。

「?」
 
 中には、ハートの型で、上にナッツをトッピングした少しビターなチョコレートがひとつある。
 
「変わった形だな?」
「あ! これはハートといって。前世では愛の形……」
「これが愛の形? 不思議だな」
「心臓の形ってことで」
「心臓?」
「ここの、バクバクしてるやつ!」

 トン、とユリシーズの胸を人差し指で押すと、途端にくすぐったそうな顔をされた。

「あれ、弱点発見!?」

 調子に乗ってツンツンしたら、
「おいこら」
 肩を抱いていた片腕にぐっと力が入り、胸の中に引き込まれた。


 ――しまった、やりすぎた。頭頂に顎を乗せられて、身動きが取れない。これこそユリシーズ縛り。胸筋ふかふか。幸せ確保!
 

「おやつ、ということは食べられるんだな? この茶色いのが」
「うん。食べてみて!」
「……色的にはかなりこう、なんだ、その」

 胸の中から解放されて見上げてみると、眉間に深いしわが刻まれている。確かにこの濃い茶色は、食べ物としてはあまりない色かもしれない。
 
「とにかく、かじってみて!」
「はあ。わかった」

 箱から取り出したハートを、恐る恐る一口かじるユリシーズ。

「!!」
「どう!?」
「……美味い」
「あは! よかった!」
「苦味があるのに、甘い。これは確かにワインに合う」
「うれしい!」
「あのただ渋いだけの実がこんな風になるとは。大変に手間がかかっただろう。ありがとう」
「ううん。今日はね、バレンタインデーだから」
「バレ……?」
「えっと。前世の世界ではね。こうやって手間をかけて愛の形のチョコを作って、愛する人に渡す日なの」

 私は、ユリシーズをじっと見つめながら、改めて言う。

「愛してる。リス。大好きよ」
「……俺もだ。はあ、なんて素晴らしい日なんだ」

 ユリシーズが私を愛おしそうに見つめ、それからうなじの鱗を撫でたかと思うと後頭部を支えるようにしてグイッと引き寄せ、何度もキスをする。
 
「チョコの味がする~!」
「はは。甘いな」

 くすくす笑いながら、ふたりでこの特別で甘い夜を楽しく過ごした。



 ◇

 
 
 翌朝。毛糸で編んだケープを羽織って、いつも通り中庭のハーブの様子を見ていると、雪かきをしているノエルに会った。
 

「ちょ、ノエル!? どうしたの、そのほっぺた! 怪我してるっ」
「あー」
「よく見たら肩にも血!」
「え! どうりで動かしたら痛いですだね」
「手当しないと!」
「大丈夫ですだよ~。幸せの傷ですだ」

 頬には深そうな切り傷が三本走っているし、白いコックコートの肩に血がにじんでいるぐらいなのに、大丈夫とは一体!? と私がパニックになっていると、執事のリニがやってきた。朝食に呼びに来たのは分かったが、いつもならそれはミンケの役目だ。
 
「リニ? ミンケは?」
「ええと……ノエルが暴走したようで。お休みです」
「へ!?」

 振り返ると、ノエルが両手に人参を持って、白い息を吐きながらニコニコウットリしている。
 
 その表情で、私は全てを悟った。

「リニ」
「……メイドの部屋に奥様が行くというのは、少々はばかられますが」

 うおっほん、と咳ばらいをした後で、リニは恭しく頭を下げた。

「その、女性でないと分からない部分もありますでしょう。本日のみお許しを旦那様からいただいてございます」
「ありがと」


 そうして足早にお見舞いへと向かうと、珍しくベッドに寝転がったままのメイドがいた。
 
 私の顔を見るなり申し訳なさそうに謝るけれど、とにかく安静にしてと伝えたら、顔を真っ赤にした。


「奥様……あの、こんなに立てないものなんですか……」
「うん、うん! あちこち痛いよね! 後で痛み止めの薬湯持ってくるからね!」
「すみません……」
 
 よくよく考えたら、ノエルってば笑顔のままで野菜がたっぷり入った木箱、軽々と持ち運ぶ男だもんね!
 

「あのバカ力の下僕げぼくには、力加減について説教しとくからね!」
「にゃあ……」


 ――にゃあ、だと……?

 
 真っ赤な顔のままシーツをかぶるミンケが可愛すぎて、ちょっと鼻血が出るかと思ったよね。


 そうしてその翌日、元気になったミンケがまたノエルのことを怒鳴っていたけど、尻尾がくるりとノエルの手首に絡まっていたのを見て胸を撫で下ろした。

 
「ねえリス……あのふたりの式、ガーデンパーティとかどうかな?」
「はは。暖かくなったら、やろう。孤児院のやつらも集めよう」
「うん!」

 
 エーデルブラート領に、そうしてまた『家族』が増えていくのだ。




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 お読みいただき、ありがとうございました! 
 
 ミンケとノエルは、前々から考えていたふたりです。
 物怖じしなくて心優しいノエル(脱いだらすごい、細マッチョ)と、臆病で素直じゃないミンケ。
 結構お似合いだと思っていますが、いかがでしたでしょうか。
 少しでも楽しんでいただけていたら、嬉しいです。

 次は魔法学校の一日を書こうと思っていますので、お楽しみに!
(すっごい怖い校長先生……)
 
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