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甘い呪縛
毒吐き蛇侯爵の、甘い呪縛
しおりを挟むそれから私は、鱗を隠すのをやめた。
ユリシーズと、堂々と生きようと思ったから。
私を『強欲』と嘲笑ったヒルダは、案の定婚約を解消され、一家ごと過疎地へ引っ越しさせられたそうだ。ユリシーズが
「カールソンは、本当に恐ろしい戦略家だ。これで、獣人王国を貶めた者は罰せられる、という前例作りもできたことになる」
と真顔で言っていた。
確かに……パパってそんな怖い人だったの……
ヒルダ自身は、「王子の婚約者は偉い」「獣人なら蔑んでも良い」「エイナルは、自分を優先する」、だから自分は悪くない! と泣いていたらしい。それを聞いたエイナルは
「私と彼女の身分は違う」
と心底理解できない、という顔をしていたというのだから、本物の王族だなぁと思った。
そんな王子様が『世辞ではなく、本当に良い品だ』と絶賛したことによって、アロマキャンドルがにわかに脚光を浴び、大変なことになった。商流は、ユリシーズが魔石をゴニョゴニョしている商会を使ったからいいけれど、とにかく人手が足りない。
ならばと、ノエルの伝手で働きに来てくれる人はいないかな? と募集したら、びっくりするぐらいたくさん集まった。孤児院出身では職が見つからない、ありがたい、とガリガリで垢まみれの身体を引きずって……私は彼らを見て涙が止まらず、ユリシーズに「これが王国の現状だ」と静かに言われて初めて、父や彼が焦る理由を実感した。
使っていなかった建物を寮として整え、衣服に食事……と手配しているうちにあっという間に時が過ぎていく。
働き手たちが落ち着いたところで、正式な慈善事業として孤児院も設立した。
教師や世話人を雇って、子供たちには文字やマナーを教え、年齢が上の子たちはさらに、メイドや従僕として別の家に送り出せるように教育する環境を作る。私は元日本人だから『義務教育』の概念がある。けれどこの世界にはない、というのを痛感したから、やってみている。
子供たちを連れて、月に一度湖のほとりでピクニックをするのだけれど、たくさん歌った次の日に、ミンケと一緒に青晶石を取るのがルーチンになった。私はそこで『声のおまじない』をするのだ。
「ミンケが、水の中でも自由に泳げますように」
「ありがとうございます、奥様」
「無理しないでね!」
子供たちも、すっかり覚えたセレーナ・ヒットメドレーを一緒に歌ってくれるんだよ、可愛いでしょ。
「ねえリス。あの子たちが将来、いろんな孤児院で教える立場になったら良いよね」
ユリシーズはそんな私の言葉を聞いて
「知識は、何人たりとも奪えない個人の財産だからな。さすが俺の嫁だ」
とうなじを撫でて褒めてくれるんだ。えへへ。
ユリシーズはユリシーズで、『枷』の外れた大魔法使いを再度封じ込めようとする、王宮魔術師たちを実力で蹴散らす日々。領への侵入はもちろん、王都に行く度に喧嘩を吹っ掛けられてめんどくせぇ、と溜息を吐いている。
今さら『魔法持ちが優秀』だとかいう思想は古い、閉じ込める方が鬱屈するぞと、まさに吐いた毒で脅したりしているけれど、長年の凝り固まった価値観は覆らないんだって。頑固だね!
それならと、私財で『魔法学校エーデル分校』を設立しようとしたら、今度は役人の妨害に遭った。性格悪いよね!
「王都の連中をどうやって黙らせるか……」
とユリシーズが毎日唸っているものだから
「見せ場がないからリスに絡んでくるんだよ。『倒せた俺すげぇだろ』ってやりたいんでしょ。ハリーみたいに、分校対抗試合しようぜって言ってみたら?」
なんて提案したら、だからハリーって誰だよと笑いつつ
「ぐだぐだ言ってねぇで、どっちが上か毎年勝負しようぜ。俺様を負かしてみろや!」
でまさかの採用。現在、絶賛校舎建設中。
ク〇ディッチは「だから、ほうきじゃ飛べねぇよ」て笑って却下されちゃったけど。
その代わり、建物はあんな感じにしてもらったよ! ワクワクするよねっ。
そんなこんなで半年経った、カールソン侯爵家当主アウリスの執務室。
私はユリシーズとふたり、ソファに並んで座っていた。向かいに渋い顔で腰かけるのは、私の父アウリス・カールソン侯爵だ。
「……はあ。ご高名が王都に鳴り響いているよ、エーデルブラート卿」
「光栄だな、カールソン侯爵閣下」
「まさか、ここまでになろうとは」
苦笑している父は、ソファの向かい側でしきりに口ひげを触っている。
「で。ふたりは、本気なんだね?」
「ああ」
「はい。本気です」
テーブルの上には、一枚の紙。
カールソン侯爵はふたりの返事と眼差しを確認してから、その紙の右下にサラサラと署名をした。
「ん。おめでとう」
「ありがとう」
「ありがたく存じますわ」
「やれやれ。また忙しくなるな」
微笑む父の背後で、メイド長のサマンサが大号泣している。
「結婚式は、身内だけで挙げたいのです」
「セラの希望通りにするつもりだ」
「……そうか。それがいい」
私の左手薬指には、大粒エメラルドの指輪が光っている。
カールソン侯爵家とエーデルブラート侯爵家で結ばれていた『白い結婚』の契約は、たった今破棄された。
ここまで時間がかかったのは、心配性な私の父が「ふたりでしっかりと生きていける生活基盤を見せろ」と難題を言ったから。
特にユリシーズは、『王国に翻意あり』とみなされた場合、即刻処刑されてしまう危うさがある。騎士団全勢力をもってすれば、さすがの大魔法使いでも抵抗しきれないだろう、という親心でもってのことだ。
万が一のことがあった場合、『白い結婚』であったと証明されれば、私は離縁してすぐ別の家に嫁ぐこともできる――そんな保険を破棄させるのだからな、と脅迫もされた。
「はあ。良かった。容赦ないなぁアウリス」
「はは。伊達に長年侯爵をやっていないよ、ユリシーズ」
やっと肩の荷が下りた、娘を頼むよ、と笑う父の隣に移動して、私はその首元に思いっきり抱き着いた。
◇ ◇ ◇
「もうすぐ、ぼくのお誕生日パーティがあるんだ」
その、翌々日の朝。
自宅に戻った私が、中庭でいつも通りハーブの手入れをしていたら、のしのしとディーデがやってきた。
「これ、招待状!」
「まあ、ありがとう、ディー」
私はパンパンと手の土を払い、立ち上がってディーデと向かい合う。
獣人王国を、この目で見てみたい。
そんな純粋な好奇心で封筒を受け取ると、彼は切なそうな声を出した。
「ぼく、セラのこと……諦めてないよ」
太陽の下でサファイヤブルーの瞳が、キラっと光る。
「わたくしは、ユリシーズの妻ですわ」
「ぐるる。ぼくの国に来たら、そんなの関係ない」
白い虎が獰猛な顔をして見せるけれど、私の心は揺るがない。しかし、相手は王子だ。どう答えようかと逡巡していたら
「おいこら」
「「!」」
鋭い声に、同時に振り返るディーデと私。
「人の妻を勝手に口説くのが、ナートゥラのやり方か?」
ユリシーズが、鬼の形相でざくざくと歩いてくる。その背後、遠く離れた場所でミンケが深く頭を下げていた。この会話を聞いて心配し、伝えてくれたのだろう。大魔法使いの負のオーラがどす黒く出ている。鬼じゃないな、悪魔だな。
「あーあ。メイドちゃん、容赦ないね」
ぐる、と喉を鳴らすホワイトタイガーは、無意識に王族の片鱗を見せつける。
「ディー、あの」
「パーティで会えるのを楽しみにしてるよ」
ディーデは背を向けたかと思うと、一瞬で走り去った。とんでもなく速くて、驚きすぎて声も出ない。
「ったく……すまんセラ。あいつには昔、命を救われた恩があってな。強く言えねえんだ」
「そうだったの……」
困ったように眉根を寄せるユリシーズが、私を見下ろす。
「わたくしの気持ちは……」
絶対変わらないって自信がある。
だって――
私のやりたいようにやればいい、と背中を押してくれて。
毎日くだらないおしゃべりをして。
落ち込んだら寄り添って。
心配して、怒って、笑って――抱きしめて。
甘い甘い毎日を当たり前にくれる、最高の人なんだもの。
「……っきゃ!」
なんて考えていたら、ユリシーズは土だらけの作業服も気にせず、私をいきなりお姫様抱っこした。
青空の下で煌めく、エメラルドのような瞳がとても綺麗で、吸い込まれそう。
「しゃあねえ。パーティで、ちゃんとあいつに返事してやってくれ。半年も頑張ったってのに、まーたお預けだけどよ」
「どうせなら結婚式まで我慢しよう、なんて言ってたのはどこのどなたでしたっけ?」
ふはっと笑うユリシーズが可愛くて、私はその首にしがみついて、彼の鼻の頭に自分の鼻の頭をくっつけた。
「俺だな! 全部片づけてスッキリしてから、一生をかけてじっくり喰らいつくしてやるよ。俺の可愛いカエルちゃん」
私は
「ゲコゲコ!」
と元気よく鳴いてから、返事代わりにちゅーをした。
蛇侯爵に、体中をぐるぐる巻きにされた気分――なんて、甘い呪縛なんだろう。幸せ!
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お読み頂き、ありがとうございました。
第一部、これにて一旦完結です。
番外編を挟んで、第二部に続きます!
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