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世界のおわり
第43話 降臨、する
しおりを挟む混戦を極める人間の王国ソピアの王都で、必死に戦う仲間たちを見ながら、杏葉は心が折れそうになっていた。
ただの女子大生だった自分が、いきなりファンタジーの世界に来て、戦いの中に放り込まれている。
今まで、ただただ、がむしゃらに進んできた。
目の前のことに対応して、何とかしたいという思いだけで。
「こわい……やだ……こわい……」
ジャスパーが張ってくれているシールドの中は、今は安全だ。
魔獣が入って来られないように、ダンやジャスパー、ネロやブランカが戦ってくれている。
アンディは常に隣に寄り添い、声を掛けてくれている。
だが、目の前で繰り広げられる戦いは、時間を追うごとに苛烈になってきている。
目をふさぎたくなる。耳もふさぎたい。
今や、なんで私が? という思いしかない。
「……もう、やだ……」
杏葉の気持ちの糸が、切れかけていた。
「こんな、こんなのって……やだよ……」
剣戟の音、肉や骨が砕ける音、飛び散る何か。
見たこともない惨劇、聞いたことのない悲鳴。
傷ついていく人々。目の前で倒れていく人々。
――ここにあるのは、リアルな戦場だ。
「ああああ……やだよおおおーーーーー!」
「あじゅっ! そうだよなっ! こわいよなっ」
「アズハ、だいじょうぶだ。守るから」
「ちがう、ちがう! 私だけじゃいやだあああ、みんな、みんなっ、ああああああああ」
ついに、杏葉は頭を抱え込んで座ってしまった。
「アズハ!」
「やだぁ、やだよぉ……みんな、みんなをっ……」
「アズハさん! しっかり!」
アンディやブランカが声を掛けるが、杏葉は頭をイヤイヤと振るしかできない。
「こんなん、残酷だもんなぁ」
ジャスパーは思わず、杖を下して棒立ちになる。
目の前の風景は、戦い慣れた彼にすら残酷に映る。
魔獣たちに吹き飛ばされ、おもちゃのように宙を舞う騎士や、斬られて崩れ去る巨体にとどめとばかりに剣を突き立てる騎士。
「見なくていい、アズハ。俺の背中に隠れていればいい」
ダンが優しい言葉を投げかける。が――
「立ってくれ、天使」
ネロは違った。
「世界を終わらせたくないんだ。頼む」
汗みどろで翻る彼の鮮やかな赤髪は、血のようだ。
「こうなったらもう、覚悟決めるしかねんだよ! 戦うしか!」
「……」
「じゃなきゃ、ゴフッ」
血のよう、ではなかった。血だった。
「みんな、死んじまう」
「ネロ!」
「ネロッ」
「ヒール!」
ジャスパーの回復魔法で、倒れかけたネロは血をベッと吐き出し、また剣を構える。
「っ、まだまだあああああ!」
「ネロさ……ああ……憎い……」
ゆうらり、と杏葉は立ち上がる。
「なんで、こんな……魔王!」
のそり、と一歩踏み出す。
「だいっきらい……いや……」
広場の向こうで魔王と相対していたレーウとガウルの背筋を、突如として強烈な悪寒が襲った。
【!?】
【あんだあ!?】
【アズハが……変にゃっ!】
叫びながらリリが身を翻し、ジャスパーのフィールドへ向かって走るが、あらゆる場所で騎士たちが魔獣と交戦中。とてもまっすぐには進めない。
そこでリリは、全速力で魔獣の頭や胴体の上に飛び乗りつつ、蹴り飛ばしつつ、杏葉のもとへと走った。本能で。
『……っ』
『ラン! あの子、様子がおかしいぞ』
『ランッ! 精霊たちもおかしい!』
エルフたちもその気配を察知して動揺する。
建物の上で構えていた大弓を下ろし、ランヴァイリーは天を仰いだ。
『長……っ!』
杏葉の親指で光る、シュナの与えた指輪が今――大きな光を発する。
王都上空の暗雲が、真っ白な光に覆われていく。
もっとも驚いているのは、魔王であるマードックだ。
「なんだ、あれは……」
杏葉の体全体が白い光に包まれ、宙に浮いていく。
閉じている目、祈るように合わされている両手。
ひと際明るい光がまるで翼のように、杏葉の背中から生えている。
【アズハ……?】
ガウルが瞠目する。
【グルル……まるで、白い魔王だな……】
レーウの言葉が、まさにそれを現していたからだ。
【アズハさん……】
呆然と立ち尽くすブランカをかばって、ダンはその拳を振るう。
「! ち、言葉がっ」
「あじゅーっ!」
ジャスパーが叫んでみるが、杏葉に届いた様子はない。
【真実を……打ち明ける時が来たのかもしれないわ……】
ブランカの両眼から、涙が溢れた。
彼女が密かに持ち出した、ミラルバ・デルガドの手記。
――それは今、彼女の手の中にある。
◇ ◇ ◇
牙を剥き出し、暴れる子の顔や肌は人間のものだが、黒い耳としっぽがある。理性はまるで感じられず、鋭い牙と爪で威嚇を繰り返すその様はケモノそのものだった。
【……!】
【だから止めたのだよ、ミラ。そして獅子王よ】
細められるエメラルドグリーンの目には感情などなく、ただただその子を鉄の頑丈な檻越しに冷たく眺めるのは――黒豹の獣人だ。
暗くじめりとした地下牢で、その子が吼える声は、何も意味をなさない。
――グルルルルッガウウウウウウ!
黒豹が柵の隙間から放り投げる生肉に、その子はかぶりついた。
むさぼりつく様から、ミラルバは思わず目をそらす。
【獣人と人間の子は、必ずこうなる】
冷酷な声が、白狼令嬢の心から、全てを奪った。
――理性も、愛情も、希望も。
【ミラ……!】
【ああ陛下……わたくしは……なんて罪を……】
ミラルバは、自身のお腹を抱えて蹲った。
【しっかりしろっ】
【あああぁ……】
――ガウウウウウ
黒豹のその嘘が、その世界の未来を決定づけることになった。
ミラルバ・デルガドの精神は、やがて壊れてしまった。獅子王は、獣人を守るために人間と袂を分かつことを決める。そして、慈悲の心でもって、ミラルバに死を与えた。
そしてそれを、夫たる人間の王は、知らなかった。
◇ ◇ ◇
【空が……おかしい】
舟から降りたクロッツは、人間の王国ソピアの王都の方角を見て足を止めた。
【ああ。あそこが王都だ……急ごう】
バザンはマントのフードを深くかぶり直し、足を進める。
ウネグも、他の二人も黙ってそれに従った。
【目的地は、一緒かもねえ】
クロッツは鼻先をふんふんと揺らし、ぼそりと言う。
独特の香りは、明らかに王都の方角へ向かっていると思われるからだ。
【……あの、バザンさん】
ウネグが、意を決した様子で、ポケットからあるものを取り出した。
【これ。バザンさんに渡した方が良いかなって】
【?】
戸惑いながらもバザンは、その大きな手のひらで受け取り、そして息を呑む。
【これ……は!】
黒い霧のようなものが中で渦巻く、水晶玉だ。
【閣下……セル・ノアが持っていたものです】
【うわあ、ウネグすごいね!? あの混乱の中で持ってきたの!】
【咄嗟に……はい】
クロッツがわしわしとウネグの両頬を鷲掴みに撫でていると、バザンが唸った。
【これにも、古の魔法の力を感じるが……何かは分からん】
【バザンが、持ってなよ】
【……いいのか? 男爵】
【なんかそんな予感するんだよね~】
【分かった】
全員で、走り出す。
豹に追いつくには、全速力で走らねばならない。
【ひぃ~馬欲し~!】
【これだけ魔獣がいたら、無理ですね】
【情けないな、獣人のくせに】
バザンが煽りながら、棍棒を抜く。
パワー系で撲殺なんて熊らしいな、とクロッツは耳をぴるるん、と揺らした。
【んもー! 負けないよ!】
熊も狐も、移動の速さと距離は驚異的な生き物だが、クロッツも負けてはいない。
躍動するドーベルマンの全身の筋肉が――その強さを物語っていた。
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