上 下
33 / 54
世界のおわり

第33話 想いは制約されない

しおりを挟む


【ブランカ嬢……何を言っているのか分かっているのか】

 マルセロは、わなわなと震える身体を隠そうともしない。

【分かっております】
【婚約は、契約事項だ。フォーサイスは、デルガド家の支援から手を引くことになるぞ】
【あら、おじさま。世界の終焉に、家の存続などと……それこそ滑稽こっけいですわ】
【な、にを言っている!】
【セル・ノアに何を言われたのです? フォーサイスだけは残すとでも? そんなの、嘘に決まっていますよ】

 ブランカが冷え冷えとした声で語り掛けると、キーンと耳鳴りがし、それを合図にしたかのようにマルセロは苦痛に顔を歪ませた。
 
【っ】

 このブランカの発言には、当然この場の全員が凍り付き――最も反応を見せたのは、やはりガウルだ。

【グアルルルルル! どういうことだっ!】

 親ですら食い殺しそうな勢いの銀狼を、慌てて後ろから羽交い絞めで止めるのはクロッツだ。
 アクイラはそのクロッツを補助しようと動き、ウネグは呆然とした顔のまま動けないでいる。
 
【団長! 落ち着いて!】
【落ち着いていられるかっ! まさか、セル・ノアに加担しているのではあるまいな!】
【……黙れガウル。既に騎士団長でない貴様が何を言っても無駄だ。ブランカ嬢も、世迷言よまいごとはやめなさい。とにかくそういうことであれば、デルガド家とは金輪際こんりんざい関わらぬし、投資からも手を引かせてもらう】

 ブランカは、それでも凛として引かない。
 
【伯爵。この世界は、このままでは終わりますよ。それでも良いのですか?】
【そんなはずはない。魔王など、おとぎ話だ】
【違います! この危機を止めるためにも、あの】
【っ部外者どもが! 何を言っても無駄だ! 去れっ!】
 
 顔を歪めながらも、彼女の主張をその咆哮で無理やり封じるマルセロは、鬼気迫る様子だ。
 
 それを見たガウルが
【なるほどな……セル・ノアが俺を解任しようとしたのは、父と決別させるためか。これでフォーサイスは、デルガドも失ってバラバラになった】
 と静かに唸ると、杏葉は眉尻を下げて溜息と共に
「黒豹は、いつだって狼をおとしめたいのだ」
 遠い目で言う。
「変わらぬなあ。獅子の前で虎は肉を喰らうだけだが、豹は名誉を欲する。狼が孤高に駆けていくだけで、誰もが信望し付いていくのが羨ましいのだと」
【アズハ……】

 杏葉は目に力を入れて、マルセロを見返す。
 
「だがその狼もまた富を喰らうようになったのなら、獣人王国は真に滅んでしまうぞ。目を覚ませ伯爵」
【グルル……精霊の子などとはよく言ったもの。怪しげな存在を連れて来て、ブランカ嬢まで巻き込んで……帰れ!】
「なるほど。自身だけはノアの舟に乗るか伯爵。滑稽だな」
【黙れ。セル・ノアは獣人のために動いているのだ!】

 牙を見せて威嚇するマルセロに、今度はランヴァイリーが言葉を投げかける。
 
【聞き捨てならないナァ、伯爵】
 
 指先をパチン、パチン、と鳴らす度に、光が散る。
 それを見てハッと我に返った杏葉がまぶたを閉じると、共通語がもう一度ダン達の耳に入ってきた。――密かに、ダンとジャスパーは肩の力を抜く。彼らの魔力をもってしても、やはりほとんど聞き取れていなかったからだ。

「それってサ、エルフや人間は死んでもいいってコト?」

 杏葉の言語フィールドが復活したということは、杏葉の自我も戻ってきたということか、と密かにランヴァイリーはダン達とアイコンタクトを交わす。
 
「……黙れエルフ!」
「種族で呼ぶのって暴言ダヨ。醜いネエ」
「ああーっと! はい! そこまでにしましょっ!」
 
 今にもマルセロに戦いを挑みそうなランヴァイリーの前に、勢いよく飛び出したのはジャスパーだ。
 
「伯爵!」

 見ろ、と言わんばかりにリリを顎で指すと、何度も頷きながら『分かった』とハンドサインを出していた。サリタがそれを察し、硬い表情のままマルセロの腕から手を下ろすと――なんと、肘から下が血で染まっている。
 絶句する全員を見渡し、ジャスパーは唇に人差し指を当てながら目配せをして、喋らせない。さらに、リリが片手をあげて手のひらを見せ、親指だけ中に入れるハンドサイン『危険』に変えた。パーティメンバー全員がそれを視認し、頷く。
 
「っぐ」

 苦痛に顔をゆがめるマルセロの袖をサリタが無言でそっとまくると、複雑な紋章の腕輪が深く食い込んでいた。そこから、血がしたたっている。

「ガウルさん! 話し合いはあきらめて、帰りましょう!」
 ジャスパーの必死の訴えに、ガウルは
「……わかった」
 と様々な言葉を飲み込んだと分かる、苦々しい顔で返事をした。

 ブランカもランヴァイリーも、マルセロの尋常ではない様子を悟り、ジャスパーと目を合わせて無言で頷く。
 
「ふん。分かればいい」

 マルセロはそう吐き出すと、脂汗の浮いた顔で離れた場所に立つリリへと目をやった。
 たちまち耳としっぽがびん! と立ち上がる彼女に対して
「――交渉は決裂だ。オウィス! 
 と強い口調で指示を出したかと思うと、背を向ける。
 全員が立ち尽くす中、マルセロはサリタに付き添われ、ガゼボを出て屋敷へと歩き出す。その額には脂汗がびっしりと浮かび、足取りには力がない。
 
 リリは、口を引き結んでその背中に礼をしてから、執事に両手を差し出した。

「お見送りの握手にゃね!」
「っ……」

 オウィスは、涙を浮かべながらそれに応える。

「リリ様。ご立派になられて」
「にゃー……オウィス」
「はい」
「アタイ、オウィスのこと食べにゃいよ」
「っ、はい」

 深々とお辞儀をする執事を残し、リリは皆に屋敷の外に出るよう促す。
 それぞれの馬を引き取って敷地の外に出たのを確かめ、さらに無言で『ついてこい』とハンドサインで指示を出した。
 素直に従う面々に加え、ブランカもまた、クロッツのエスコートで追従していた。



 ◇ ◇ ◇



「ふむ、ここなら大丈夫にゃね」

 リリの声で、ようやく全員が深く呼吸をした。
 
 フォーサイス伯爵邸から少し離れた、小川のほとり。リリが率先して周囲を索敵し、『大丈夫』のハンドサインを出す。
 自然豊かな森の入口、といったところだろうか。
 足元には草が生い茂り、遠くに鳥や小さな獣の気配が感じられた。
 
 杏葉はガウルの操る馬上で、記憶も取り戻したままであることに混乱していた。膨大な知識と記憶が流れ込み、頭痛と目眩、吐き気がする。

 一方で、ブランカと共乗りしていたクロッツが、馬から降りるや気を利かせて草むらの上にブランケットを敷く。女性陣へそこに座るよう促すのを見ながら、ようやくランヴァイリーが口火をきった。
 
「あーあ……セル・ノアって奴、ずいぶんひどいことスルネ」
「ラン! あの親父の腕輪は、いったいなんだというのだ!」

 ガウルが感情を抑えきれないのも、無理はなかった。
 ランヴァイリーはいつもの飄々ひょうひょうとした口調ではなく、低く慎重な声でガウルに向き直る。

「制約の腕輪。――呪いの一種だネ。ジャスやリリが声を出すなって言ったところを見るに、会話も聞かれてたのかもネ?」
「!」
「なんてことっ」

 叫ぶような悲鳴を上げるブランカに対して、頷くリリやジャスパー。ガウルが、ブランカに詰め寄る。
 
「ブランカ! まさか、セル・ノアが」
「……ええ。一週間前に突然来たそうよ。ガウルたちが怪しげな人間を連れてくるだろうから、拘束しろと言ってきたと」
「っ!」
「おじさまは抵抗されたと、おばさまからはお聞きしていたわ。だから、今日の態度はわたくしも途中からおかしいと思ってた」
 
 リリが、小さな声で言う。
「伯爵、最初からアタイに気を付けろってで言ってたのにゃ……」
 ジャスパーが、そんなリリの背を撫でながら、付け加える。
「うん、それをハンドサインでリリから教えてもらったから、俺も一緒に様子見てたんすよ……そしたら、冒険者ギルドで使ってる通信魔道具の起動音がしたんす。キーンて、耳鳴りしませんでした?」

 全員が、ごくりと唾を飲み込んだ。
 それでもまだ、耳鳴りがしているかのようだ。

「くそ……どうする……」

 苦悩のガウルがウロウロ歩くのを、杏葉はブランケットの上に座ったまま、ぼうっと眺める。

「大丈夫にゃ。これがあるにゃ」

 リリが、皆の前に出した手のひらには、革の小袋。中からは、真鍮の小さな鍵が出てきた。

「オウィスが、こっそりくれたのにゃ」
「リリ、それは……!」

 ガウルの目が輝き、しっぽが太く膨らんだ。

「裏庭の、門扉もんぴの鍵だな!」
「そうにゃ! 橋、使えるにゃっ」
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

異世界に転生した社畜は調合師としてのんびりと生きていく。~ただの生産職だと思っていたら、結構ヤバい職でした~

夢宮
ファンタジー
台風が接近していて避難勧告が出されているにも関わらず出勤させられていた社畜──渡部与一《わたべよいち》。 雨で視界が悪いなか、信号無視をした車との接触事故で命を落としてしまう。 女神に即断即決で異世界転生を決められ、パパっと送り出されてしまうのだが、幸いなことに女神の気遣いによって職業とスキルを手に入れる──生産職の『調合師』という職業とそのスキルを。 異世界に転生してからふたりの少女に助けられ、港町へと向かい、物語は動き始める。 調合師としての立場を知り、それを利用しようとする者に悩まされながらも生きていく。 そんな与一ののんびりしたくてものんびりできない異世界生活が今、始まる。 ※2話から登場人物の描写に入りますので、のんびりと読んでいただけたらなと思います。 ※サブタイトル追加しました。

S級冒険者の子どもが進む道

干支猫
ファンタジー
【12/26完結】 とある小さな村、元冒険者の両親の下に生まれた子、ヨハン。 父親譲りの剣の才能に母親譲りの魔法の才能は両親の想定の遥か上をいく。 そうして王都の冒険者学校に入学を決め、出会った仲間と様々な学生生活を送っていった。 その中で魔族の存在にエルフの歴史を知る。そして魔王の復活を聞いた。 魔王とはいったい? ※感想に盛大なネタバレがあるので閲覧の際はご注意ください。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

捨て子の僕が公爵家の跡取り⁉~喋る聖剣とモフモフに助けられて波乱の人生を生きてます~

伽羅
ファンタジー
 物心がついた頃から孤児院で育った僕は高熱を出して寝込んだ後で自分が転生者だと思い出した。そして10歳の時に孤児院で火事に遭遇する。もう駄目だ! と思った時に助けてくれたのは、不思議な聖剣だった。その聖剣が言うにはどうやら僕は公爵家の跡取りらしい。孤児院を逃げ出した僕は聖剣とモフモフに助けられながら生家を目指す。

【完結】異世界で小料理屋さんを自由気ままに営業する〜おっかなびっくり魔物ジビエ料理の数々〜

櫛田こころ
ファンタジー
料理人の人生を絶たれた。 和食料理人である女性の秋吉宏香(あきよしひろか)は、ひき逃げ事故に遭ったのだ。 命には関わらなかったが、生き甲斐となっていた料理人にとって大事な利き腕の神経が切れてしまい、不随までの重傷を負う。 さすがに勤め先を続けるわけにもいかず、辞めて公園で途方に暮れていると……女神に請われ、異世界転移をすることに。 腕の障害をリセットされたため、新たな料理人としての人生をスタートさせようとした時に、尾が二又に別れた猫が……ジビエに似た魔物を狩っていたところに遭遇。 料理人としての再スタートの機会を得た女性と、猟りの腕前はプロ級の猫又ぽい魔物との飯テロスローライフが始まる!! おっかなびっくり料理の小料理屋さんの料理を召し上がれ?

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~

一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。 しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。 流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。 その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。 右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。 この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。 数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。 元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。 根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね? そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。 色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。 ……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!

異世界転生~チート魔法でスローライフ

リョンコ
ファンタジー
【あらすじ⠀】都会で産まれ育ち、学生時代を過ごし 社会人になって早20年。 43歳になった主人公。趣味はアニメや漫画、スポーツ等 多岐に渡る。 その中でも最近嵌ってるのは「ソロキャンプ」 大型連休を利用して、 穴場スポットへやってきた! テントを建て、BBQコンロに テーブル等用意して……。 近くの川まで散歩しに来たら、 何やら動物か?の気配が…… 木の影からこっそり覗くとそこには…… キラキラと光注ぐように発光した 「え!オオカミ!」 3メートルはありそうな巨大なオオカミが!! 急いでテントまで戻ってくると 「え!ここどこだ??」 都会の生活に疲れた主人公が、 異世界へ転生して 冒険者になって 魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。 恋愛は多分ありません。 基本スローライフを目指してます(笑) ※挿絵有りますが、自作です。 無断転載はしてません。 イラストは、あくまで私のイメージです ※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが 少し趣向を変えて、 若干ですが恋愛有りになります。 ※カクヨム、なろうでも公開しています

処理中です...