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第一章 大迷宮クレバス

24話 黒鉄の牛頭人

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 豪華絢爛なシャンデリアの輝きが牛頭人の黒い肌に反射する。

「逃げろ! ファイクっ!!」

 轟速で牛頭人から振り下ろされる鉞を『焔剣イフガルド』で受け止めるマネギル。その表情からは余裕なんてものは存在せず、必死そのものだ。

「お前にこんなことを頼むのは間違ってるのは分かってる! それでも頼む! アイツらを運んでここから逃げてくれっ!!」

 一瞬、後ろで倒れているロウドとロールを一瞥すると奴はそう叫ぶ。

 大迷宮クレバス最終50階層。最終層兼ターニングポイントとなる大理石で造られた大広間で待ち受けていたのは複雑な迷路や突破困難なトラップなどではなく、25階層のターニングポイントで戦った『グレータータウロス』に酷似した黒いボスモンスターのみだった。

 状況は絶望的。
 ロウドとロールは全身から大量に出血をしており瀕死の状態、ハロルドはその二人よりは被弾が少ないのかまだボスモンスターと対峙しているが長くは持たないだろう。その証拠に彼の自慢の大盾は今にも崩壊しそうだった。

『獰猛なる牙』の取材をすると言って同行していたベレー帽の記者は、ボスモンスターの驚異に怖気付いたのか入口付近で尻もちを着いて呆然としているばかり。

 今まさに牛頭人と打ち合っているマネギルも、他の奴らと比べれば動けてる分まだマシに見えるが、この中で一番厳しいのはアイツだろう。纏った真紅の鎧は既にボロボロに砕け、ロウドやロール、ハロルド以上の疲労と出血をしている。前線を張って牛頭人の攻撃を受け止めてはいるがそれ以上の発展はない、ただ攻撃を受け止めるのみ。それしかできないのだ。いつもの余裕気な様子は無く、軽く叩いただけで崩れ落ちそうな程で、動けてるのが不思議なぐらいだ。

「マネギル、交代だ! ワシがあのデカ牛の攻撃を受け持つぞい!!」

 マネギルが何とか牛頭人の鉞を上に弾いたと同時に、ハロルドが大盾を構えて前に出る。

「何してるハロルド!? お前も早く逃げろ!!」

「何を言うとるか、ワシはまだ全然いけるぞい? いいからさっさと下がって大技の準備をせい! 終わらせるぞ!!」

「くっ……死ぬなのよ!」

「おうさ!」

 マネギルは後ろに下がり『焔剣イフガルド』に魔力を流し始める。

「ぐぬぅ……なんて馬鹿力だこの牛……!!」

 前線に出て牛頭人の攻撃を引き受けたハロルドは苦々しく口にする。

 長くは持たない。
 牛頭人の鉞を受け止めるために大盾はその身を崩されていく。あと三合と打ち合えば確実に駄目になるだろう。

 状況は絶望的だ。
 だから悠長にアイツらの戦闘を眺めている暇なんてない。

「……アイリス。ハイポーションってまだ持ってる?」

「はい。あと3つ程は予備がありますが……?」

 俺の質問にアイリスは不思議そうに答える。

 一つ足りないが仕方がない。誰か一人にはポーションで我慢してもらおう。

「その……後でハイポーションのお金払うからさ、瀕死のロウドとロール、それからハロルドかマネギルのどっちかにハイポーションを使ってやってくれないかな?」

「……いいのですか?」

 俺のお願いにアイリスは質問で返す。

「俺が聞いてるんだけどなあ……」

「……」

 その意味深な質問にから笑いをして誤魔化したつもりだったが、アイリスはまだ返答を待っている。

「……色々と思うところがあるけど死なれるのは気分が悪い。だから助ける……いや、助けたい。頼むよ」

 コイツらの事は嫌いだ。正直関わりたくないし、どこで死のうが死ぬまいがどっちでもいい。
 ……だが死ぬなら俺の知らないところで勝手に死んで欲しい。

 目の前であからさまに死にそうだと言うのに助けない、という考えは俺の良心には存在しない。探索者のモットーは『死んでも生きて帰ること』だ。なら俺はそのモットーに則り、アイツらを見捨てない。

「分かりました。それではまず先にあそこで倒れている二人にハイポーションを使用してきます。……ファイクさんは?」

「俺はまだ戦ってる二人と交代して前線に出る。後ろに下げた二人にもポーションを使ったら直ぐに加勢してくれ。アイリスがいないとあの牛野郎を倒せるビジョンが見えない」

 アイリスの疑問に簡単に答えて潜影剣を構える。

「了解致しました。可及的速やかに回復を終わらせてお傍に参ります」

「頼んだ」

 簡単に打ち合わせを終える。

 身体の中の魔力を熾し、戦闘態勢に入る。ハロルドもそろそろ限界のようだ。

「よし。行きますか──」

「──ファイクさん」

 全身に魔力が巡った事を確認して牛頭人の方へと向かおうとした瞬間、アイリスに呼び止められる。

「ん? どうした?」

 何か今言ったことで変なところがあったのだろうか?

 首を傾げながら彼女の次の言葉を待つ。

「お金は払わなくて大丈夫です」

 しかしアイリスから出てきた言葉は俺の予想とは少し違ったものだった。

「…………ははっ」

 予想外なその言葉に思わず笑ってしまう。

「そいつは助かるよ。正直、ハイポーション三つ分を払えるほどの蓄えがなくてどうしようかと思ってたんだ──」

 マイペースと言うかなんと言うか……それを言うのは後でも大丈夫だと思うのだがこの『静剣』様は……。

「──無茶言ってごめんなアイリス」

「謝らないでください。私もファイクさんと同じことを考えていました」

 そうだな今彼女に言うべきなのは謝罪なんかでは無い。
 もっと先に言うべきことがある。

「……ありがとうアイリス。何度も俺の我儘を聞いてくれて本当にありがとう」

「ファイクさんのそれは我儘なんかじゃなくて、ごく普通の考え方だと思います。それに貴方が進むのなら私はそれについて行くだけです。当たり前のことです」

「そっか……」

「はい」

 それ以上の言葉を交わすことは無い。
 お互い目的のために別々の方向へと走り出す。

 不思議と体が軽く感じる。先程まで感じていた緊張や恐れも今は薄れている。今の短いやり取りで不規則に乱されていた感覚が戻ってきた。

 本当に感謝しかないな。

 現在強く胸中に渦巻くのはアイリスへの感謝。本当に彼女がいなければ俺はここまで来れなかった。

 "気を抜くなよ。間違いなく今までで一番の獲物だぞ"

「勝てるか?」

 牛頭人目掛けて走る中、聞こえてきた嗄れた声に聞いてみる。

 "俺がやれば余裕だが、お前一人では無理だ。あの女が来るまで無傷で耐えて見せろ、それが今日の課題だ"

「俺だけじゃあ無理ってか……まあ分かってたけどさっ!!」

 全身に巡らせた魔力をさらに活性化させる。この程度の魔力量ではあの牛頭人など太刀打ちできない。もっと大量の魔力が必要となる。

 あと4秒で奴の間合いに入る。
 それまでに仕込んでいた魔法に最後の仕上げをする。もうハロルドも限界のようだ。

 牛頭人の鉞とハロルドの大盾が何度目かの衝突をする。その打ち合いの瞬間、今まで何とか牛頭人の攻撃を受け止めていたハロルドの大盾は完全に壊れる。

「くっ……ここまでか!」

 苦痛な表情と共にそのままハロルドは勢い止まらぬ鉞に切り伏せられるかと恐怖に目を瞑る。

「不落なるは魔城の障壁ッ!!」

 しかしハロルドが鉞に真っ二つにされる未来は魔城の障壁によって訪れない。

 予め準備していた影魔法によって大盾が壊れた瞬間にハロルド向けて影を飛ばし、防御壁を張ることに成功した。

 込めた魔力、安定した心像イメージにより強度は十分。『グレータータウロス』の数倍以上の強さを誇る目の前の牛頭人の渾身の斬撃でもあと3~4回程なら防げる。

 その間に前線の交代を終わらせる。

「ハロルド一旦下がって回復しろ!前線は俺が張るッ!」

「む? ファイクか! 『荷物運び』のお前に何ができる引っ込んでいろ!!」

 俺の方に気づいたハロルドは変な意地を張って前線から退こうとしない。

 ……このクソドワーフ、この期に及んでまだそんなことを言いやがるか。

 自分の置かれている状況を理解しているとは到底思えないその発言に苛立ちを覚える。

「ッチ……そんなこと言ってる場合じゃないだろうが! 大盾無しでどうやって戦うんだ!? 死にたくねぇなら言うこと聞けアホドワーフ!!」

「む、むう……忌々しいが『荷物運び』の言う通りか……。分かった、一旦この場はお前に預けよう。くれぐれもマネギルの足は引っ張るなよ」

 俺の最もとな言葉に反論できないハロルドは最後まで上から目線でそう言うと、やっと後退を始める。

「たくっ……いちいち俺を馬鹿にしないと行動に移せないのかよ」

「ファイク……どうして……それに今の魔法……」

 発言の割にはそそくさとその場から後退するハロルドを横目に独り言ちていると、少し後ろでまだ魔導武器マジックウェポンに魔力を込めて大魔法の準備をしていたマネギルが唖然とした様子でこっちを見てくる。

「悪いなマネギル。俺はお前らと違って誰かを見捨てて助かろうとは思わないんだ」

「っ……そうか……」

 俺の言葉にマネギルはバツが悪そうに表情を曇らせる。が、知ったことではない。

「だから全員助ける。お前もその無駄に構築に時間のかかる魔法を使い終わったら一旦下がれ。魔力消費やら出血やらでお前も立ってるのがやっとだろ?」

「っ!! ファイク……!」

 言いたいことは言ったので再び牛頭人の方を見やる。そろそろ防御壁が破壊される頃だ。

「グォオオオオオッ!!」

 雄叫びと共に防御壁の砕け散る音が大広間に反響する。
 牛頭人はその黄金の瞳をこっちに向けると一直線に走り出す。

 さて……次はどうしたもんか……マネギルはまだもう少し魔導武器に魔力を込めるのに時間がかかりそうだ。
 アイリスもまだもう少し時間がかかる。まだ耐えなければ……。

「おいマネギル! 魔法の準備が終わったら言え! それまで時間は稼いでやる!」

「分かったっ!」

 マネギルの返事が聞こえたと同時に再び走り出す。

 無闇に正面から斬り合っても、相手は『グレータータウロス』の数倍の破壊力を持っている。まともに打ち合えば『グレータータウロス』の時のように両腕を持っていかれて二の舞だ。いや腕を折られるぐらいで済めばいいか……。

 とりあえず一定の距離を保って、常に影魔法で奴を拘束して動きを遅延ディレイさせよう。そうすれば奴の攻撃を避けやすくなるし、最悪迎え撃つ事になっても簡単に骨は持っていかれないだろう。

 "お前にしては悪くない案だ"

「お褒めいただきどーも……」

 スカーに勝手に考えを読まれて複雑な気分になりながらも走るのは止めない。

 常に複数の心像イメージを想起する。そうすることであらゆる状況への対処ができる。

 余力など残していては先に潰される。相手は数段も格上の相手だ、今まで学んできたこと、できる事を全てこの瞬間に集約させて昇華させる。

「──顕現するは奈落へ引きずり込む巨人の魔手ッ!!」

 言葉を糧に全身の魔力はふつふつと煮え滾る。足元の影は蠢くと無数の影の魔手を顕現させて牛頭人の方へと襲いかかる。

「───ッ!!!」

 殺す標的を俺へと変えた牛頭人は影の足止めに一瞬、難色を示すが直ぐに影の拘束を破壊してこちらへと接近してくる。

 だが知ったことではない。際限なく影からは魔手が飛び出し、牛頭人の動きを少しでも止めようとする。

「マジかよ……」

 それでも足りない。
 牛頭人は影の魔手の拘束が増えるにつれてこちらに向かってくる速さが上がっていく。

 "ジリ貧だ。迎え撃つしかないぞ"

「分かってる!」

 これ以上の逃亡は無意味。

 そう判断して潜影剣を構えて牛頭人の方へと身体の正面を向ける。依然として足元の影から魔手を出し続ける。

「アカシヲ……シメセ……!!」

「なっ……喋った!?」

 奴の間合いへと入り、互いに得物を振りかぶる。その瞬間、低く唸る声が鼓膜を震わせる。

 それにより意表を突かれ反応が遅れた。

「……っく!」

 何とか轟速で襲い来る血塗れた鉞を潜影剣で受け流すが、不完全なものとなり左の肩口に浅い裂傷ができる。

 影の拘束による遅延ディレイのおかげで致命傷は避けたが、それでもそう何度も得物を交えるべきでは無い。これは『グレータータウロス』との比にならない強さだ。

 いやそれよりもだ……。

「今こいつ喋ったよな……」

 肩の傷よりも目の前の牛頭人が喋ったことの方が気になる。

 モンスターも生き物だ、それなりに知能はある。だがあると言っても自分の意思を言葉で発せれるほどでは無い。基本的に奴らにある知能とは『仲間意識』だとか『殺す』とか『食べる』とか簡単なものしかない。

 しかしこの牛頭人は人間にも理解出来る言葉を拙くはあるがハッキリと喋っていた。

「スカーは喋るモンスターとか知ってるか?」

 "知らんな。俺が生きていた時代でも喋るモンスターはいなかった。……ん? 魔族や獣人はモンスターの扱いでいいのか? もしいいなら見たことあるぞ"

「……色々と問題発言やめろ。人種差別だぞそれ……」

 爆弾発言をしたスカーの発言にそれ以上触れず、俺は目の前の牛頭人に集中する。

「アカシヲシメセッ!!」

 さっきよりもハッキリと牛頭人は言葉を発すると、体に巻き付いている影の魔手を引きちぎりながら突進してくる。

 連続での剣戟は避けたい。
 目の前に魔城の障壁を展開して、距離を取るための時間を稼ぐ。

 防御壁の展開と同時に走り出すが直ぐに何かが砕け散る音が響く。

 牛頭人は俺の展開した防御壁をいとも簡単に突進で破壊する。もちろん十分な距離なんて取れるはずもなく、血塗れた鉞がすぐそこまで迫ってくる。

「アカシ、シメセッ!!」

「今度は1発で壊された!? てかアカシってなんだよ! あかし……って証? わっかんねぇ! そんなん示して何になるんだよ!!」

 降り掛かって来る鉞から逃げるため必死に走りながら、何度も繰り返される牛頭人の言葉に俺はキレ気味に聞き返す。が、答えなど帰ってくるはずなく謎は深まるばかりである。

「待たせてすまんファイク、準備ができた! 魔法を放つから離れてくれ!!」

 するとそこでやっとマネギルの魔法の準備が整う。

「───?」

 マネギルの溜め込んだその異様な魔力量に牛頭人も気がついたのか、こっちの注意が逸れて一瞬の隙が生まれる。

「やっとか……さっさと撃て!」

 それを見逃す道理もなく、一気に魔法の射程外であろう場所まで駆け抜ける。

「いくぞ牛野郎……これでも喰らって死ね──」

 マネギルは俺の一時離脱を確認すると、丁寧に『焔剣イフガルド』に込めていた魔力を解放する。

 振り上げられた大剣は溜め込んだその魔力を拡散していく。魔力が大気中の空気に感染して淡く緋色に輝く。以前使ったていた魔法『焔火鳳来』とは比べ物にならない魔力量。今マネギルが放とうとしている魔法は間違いなく『焔剣イフガルド』が使える魔法の中で最強のものだ。

「──焔帝ッッッ!!」

 絶叫を引き金にその魔法は顕現する。

 大剣を牛頭人目掛けて振り下ろした瞬間、奴の足元を中心にして巨大な一本の炎の柱が生える。耳を劈くような爆発音、全身を焦がし尽くすのではと錯覚するほどの火花と熱量。

 規模が違いすぎた。
 牛頭人の大きな体躯を悠々と包み込み、それでは終わらず部屋の3分の1を炎柱が占める。天高く吊るされた複数のシャンデリア迄も貫いて、一瞬だけ『焔帝』で造られた炎柱だけで部屋が照らされる。

 時間にして30秒。そんな光景が続いたかと思えば、魔力を使い果たしたのか炎の柱はゆっくりと静かに収まっていく。

「どうだ……!!」

 祈りの籠ったマネギルのそんな声が聞こえた。

 巨大な炎柱は消えたが、視界は炎柱によって発生した大量の黒煙で塞がれており、牛頭人がどうなったのかよく分からない。

 徐々に煙は収まっていき視界が明瞭になって行く。見つめる先にはうっすらと牛頭人と思われる姿が見えてきた。

「グォォオオオオオオオオオッッッ!!」

 瞬間、大理石で造られた大広間に咆哮が響き渡る。

「「ッ!!」」

 咄嗟に耳を塞ぐがそれでも鼓膜を突き破らんとする咆哮に顔を顰める。

 死んでいない……まだ終わっていない。
 あの牛頭人は生きている。

 脳は無意識にそう判断する。

 視界はまだ少し煙が覆う、耳は今の咆哮で上手く効かない。そんな中、煙の切れ目から一陣の風が吹く。

「………え?」

 そんな気の抜けた声が出る。

 吹いた風は俺の横を通り過ぎると、後ろにいたマネギルの方へと迫っていく。

「オマエ、アカシ、ソレ、チガウ……!」

 依然として上手く聞こえない耳は確かにそう聞き取った。

「ぁ──────ッッッ!!!」

 次に聞こえたのはそんな悲痛な声と、マネギルが大理石の壁に打ち付けられる衝撃音だった。

「マネギルッ!?」

 音のした方を見た時には、何者かによって吹き飛ばされたマネギルが全身から血を吹き出して崩れ落ちていた。

 誰がしたかなんて分かりきっている。
 先程までマネギルが立っていた場所には、マネギルの必殺の一撃を喰らって平然とした様子の牛頭人の姿があった。

「アレで駄目なら何がいいんだ……」

 奴のその健在ぶりに思わず弱音が吐いてでる。

 マネギルの一撃は確かに直撃した。その証拠に牛頭人の全身は少し焦げており、煙も立っている。だがそれだけで済んでいた。皮膚が無くなるでもなく、どこか四肢を欠損するでもなく、少し焦げているだけだった。

「アカシヲ……シメセ……」

「ッ!!」

 黄金に煌めく牛頭人の瞳が俺の姿を見つめる。

「アカシヲ……シメセ……」

 牛頭人はゆっくりと俺の方に歩いてくる。

「………」

 次の標的は俺だ。

 理解はできる。
 しかし、身体は一向に動き出そうとしない。

「アカシヲ……シメセ……」

 眼前まで来た牛頭人はそう繰り返すのみ。

 "何をしている! 死にたいのか!?"

 嗄れたスカーの声が聞こえるが、俺は真上に振りかぶられた新鮮な血で塗れた鉞をただ見つめることしかできない。

 瞳孔の無い奇妙な瞳に睨まれてから、身体は動こうとしない。血塗れた鉞が綺麗な弧を描いて俺に襲いかかってくる。

 駄目だ……死んだ。

 そう思った瞬間だった。

「風神疾走ッ!!」

 一陣の風が再び吹く。

「───ッ!!!」

 その吹き荒れる風により目の前にいた牛頭人は横に吹っ飛ばされる。

「大丈夫ですかファイクさんっ!!」

「……っ!!」

 聞き慣れた良く通る綺麗な声音で身体の硬直が解かれる。

 牛頭人と入れ替わるようにして俺の前に現れたのは、煌めく白金の長髪を風に揺らして俺を呼ぶアイリスの姿だった。

「すまんっ! 助かったアイリス!」

 彼女の姿を見た瞬間に一気に冷静さを取り戻していく。

「遅くなってしまいすみません! 本当に大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。本当に助かったよ、ありがとう」

 依然としてこちらを心配してくれるアイリスにそう答え、牛頭人の方に視線をやる。

 アイリスの『風神疾走』によって吹っ飛ばされた牛頭人は30m程の辺りまで吹き飛ばされていた。しかしその姿には大したダメージは見受けられない。

 ……アイリスの攻撃を無防備の状態で喰らっても軽いかすり傷程度……どんな硬さしてやがるんだ。

「殺すつもりで放った魔法だったのですが、今のでも無理ですか……」

 同じく視線を牛頭人の方にやっていたアイリスは苦々しく表情を曇らせる。

 勝てる未来が見えない。
 アイリスが来れば何とかなると思っていたが、敵はますます力を強めていく。

「どうするか……」

「アカシ、チガウ……」

 牛頭人は既に体勢を立て直し、こちらを見据えている。

 逃げることは無理だ、背中を向けた瞬間に斬り殺される。かと言って正面から斬り合ってもあの強靭な攻撃力と鉄壁の防御力をどう対処して切り崩せばいいのか分からない。

 何か策がないか思考を巡らせるが、そんな悠長にしている時間はない。とりあえずこのまま突っ立ているのは自殺行為だ、動き出さなければ……。

 そう結論づけた次だった。

「オマエノソレ、アカシ、チガウ……!!」

「え?」

 気づくと、先程まで少し先にいたはずの牛頭人はいつの間にか俺たちの真横まで来て低い声でそう唸った。

「ファイクさ───!!!」

 真横からアイリスの叫んだ声と風の吹く音がした。
 視線を牛頭人から真横の方へと向ける。そこには、今までいたアイリスの姿はない。

「………………は?」

 遅れて真後ろから何かが叩きつけられる音がする。自然と視線はその音のした方向を辿る。

 そこには大理石の壁にめり込み、全身から出血したアイリスの無惨な姿があった。

「アカシヲ、シメセ……」

 牛頭人は同じことを繰り返すのみ。

「……………ざけんな───」

 何かが切れる音がした。

 身体の中の魔力が溶鉱炉のように燃えたぎり、吹き出て暴れ回る。

 足元の影は激しく蠢き、その大きさを広げていく。

 この部屋全ての影を飲み込んでいく。

「──────ふざけんじゃねぇっ!!!」

 喉が擦り切れんばかりの怒号を牛頭人に向け、出鱈目に握った潜影剣で斬り掛かる。

 牛頭人は防御する素振りを見せず、無防備に攻撃を喰らう。
 しかし、俺の攻撃は牛頭人を傷つけることは叶わない。

 それでも斬り続ける。

 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、出鱈目に、我武者羅に剣を振る。

 それでも牛頭人を倒すことはできない。

 "止めろ! それ以上魔力を使うな! 死ぬぞ!!"

 嗄れた声が聞こえる。

 死ぬ?
 別に死んだって構わない。
 どうせこのまま何もしなくても死ぬんだ。それなら好き勝手に、気の済むまでこの牛に魔力をぶつけて死んだ方がマシだ。

 駄目だった。
 死なせてしまった。
 思い上がりだった。
 届かなかった。

 所詮俺なんかには大迷宮の完全攻略は大逸れた夢に過ぎなかった。

「アカシヲ、シメセ……」

 牛頭人は繰り返すばかりである。

 さっきから証、証、証……って、なんだよ証って?
 お前がそんなに求めている証ってのはどんなモノで、どんな存在なんだよ。

「さっきからずっと同じことばっか言ってんじゃねえッ!!!」

 ふつふつと滾る魔力は力へと消化していく。

 全身の感覚が無くなっていく。
 頭が軋むように痛い。
 意識なんて有って無いようなものだ。

「アカシヲ、シメセ……」

「煩せえッ!!!」

 そこで視界が暗転する。

 暗く沈んでいく意識の中。
 滑稽な死に方だと、無様な死に方だと、自分でそう思った。

 結局何もできなかった。

 ・
 ・
 ・

「煩せえッ!!!」

 そこで奴の意識は完全に途切れる。

 騒がしい声が大広間に反響するなか、再び身体の支配権を奪えることが分かる。

 普通ならば喜ぶことなのかもしれない。

 あの忌々しいクソガキが死んで、この身体は晴れて俺のモノになるのだ。これ程待ち望んでいたことは無い。

「………」

 しかし気分は晴れない、寧ろ最高に最悪な気分だった。

「すまなかった……」

 心からの謝罪であった。

 今回ばかりは申し訳ないことをした。

 静観をしすぎた。
 これは師匠である俺の失態だ。

「安心しろ、必ず生きて帰す」

 脈はまだある、それにアイツの意識も微かであるが存在する。

「アカシヲ、シメセ……」

「少し黙って待っていろ。俺は今機嫌が悪い」

 影で目の前の牛を拘束する。
 それで牛は完全に身動きが取れなくなる。

「うむ。だいぶ馴染んできている。俺の予想以上に使いこなしているな。それなのにこの結果とは……師匠の無能さが伺えるな」

 自虐的に言って笑う。
 だが他に笑ってくれる人間なんてのは居ない。

 ……いや、居るには居るがそれどころではないと言ったところだな。

 地面一蹴りでその人間の元まで行く。

「おいそこのベレー帽」

「ひいぃっ!? 何ですか!! 終わりましたか!?」

 階段の入口付近に隠れていたベレー帽を被った小柄な男は情けない声を上げる。

 それに少なからずの怒りを覚えるが、今はそれどころではない。

「お前、ポーションは持っているか?」

「へっ? ぽ、ポーション? えっと……普通のポーションが10個、ハイポーションが2個ありますけど……それが?」

「出せ」

「え?」

「早く出せ」

「は、はいぃっ!」

 いちいち行動の遅い男に我慢できず、潜影剣を奴の首元に向けて脅す。

「よし。嘘は着いてなかったようだな……そのハイポーション2つを今すぐ金髪男とアイリスとやらに使え」

 しっかりと目的の物が出てきたことを確認して、男に指示を出す。

「えっ……どうして私用のハイポーションを他の人に使わないといけないんですか……」

「今すぐ死にたいんだな?」

「すっ、直ぐに使いますっ!!」

 難色を示した男に影で首を締め上げると、男は直ぐに手のひら返しでそう言う。

「……さっさとしろ」

「は、はいっ!」

 急いで指示した二人にハイポーションを飲ませるベレー帽の男に、俺の怒りは限界値を超えそうになるが何とか耐える。

「の、飲ませました!!」

 ハイポーションを飲ませ終わると男は走って俺の元まで来る。

「それじゃああとはソイツらが目を覚ますまで看病をしてやれ。いいな?」

「は、はい! 仰せのままに!!」

 やっと学習してきたのか男は素直に頷く。

 しかし──。

「いいか? 途中で俺の指示を放棄して一人で上に戻れば俺はお前のことを地の果てまで追い掛けて殺しに行くからな。努努、忘れるなよ?」

 ──この手のタイプは簡単に信用しては行けないので再び首元を締め上げて脅す。

「わっ、わがりまじだッ!!」

「よろしい。そんな素直なお前にいいものを見せてやろう」

 涙目に何度も頷く男に満足し、俺は締め上げていた男を投げ捨て牛頭人の方に足を向ける。

「い、いいもの……?」

 俺の言葉に男は尻もちをつきながら首を傾げる。

「今から何をしても勝てなかったあの牛を殺してやろう。有難く思え、俺の戦闘アソビを実際にこの目で見れるなんて賢者たち以外なら数える程しかいないからな」

「あ、あの牛を!?」

 俺の発言を信じられないと言うように男は疑いの眼差しを向ける。

「む、無理だ! 『獰猛なる牙』にあの『静剣』がいても歯が立たなかったんだ! この前まで『荷物運び』だったあんた一人で勝てっこない! 実際、駄目だっただろ!?」

「ッチ……黙れ、お前に発言権はない。そこで静かに見ていろ。分かったな?」

 騒がしく喚く男を再び影で締め上げて黙らせる。

「はっ、はいぃッ!」

 素直に返事をしたところで俺は牛頭人の方へと一瞬で向かう。

「待たせたな」

「アカシヲ、シメセ……!」

「またそれか……」

 影に縛り付けた牛頭人に声をかけてみるが、返ってくる返事は同じ言葉ばかり、いい加減ウザったくなってきた。

「言葉を喋るからどれほどの知能かと思えば所詮はモンスターか。もういい、お前の程度は知れた。死ね」

 魔力はまだある。

 てっきり急激な魔力枯渇で意識を完全に失ったのかと思っていたが、また想定外の魔力操作に耐えきれずに意識を失ったようだ。

 十分にこの牛を殺すぐらいの魔力はあって安心した。

「影遊──」

 魔力を熾し、身体を賦活させる。
 同時に俺の影とこの大広間に存在する影を共有し、支配率を上げる。

 瞬く間に足元の影はその支配領域を円形に広げていく。

 そして3秒でこの階層全ての影を支配する。

「ッ!!」

 そこで牛頭人は目を見開き、初めて感情らしい感情を発露させる。

「──さてどう死にたい?」

「アカシ……オマチシテオリマシタ──」

 俺の問いかけに牛頭人はやっと違う言葉を話す。が、噛み合いはしない。

 何を言ってるんだこの牛は?

「──カゲノケンジャ……スカー・ヴェンデマンサマ……!!」

 疑問が湧いて出るが、それは続けて放たれた牛頭人の言葉で解消する。

「……ッチ。そういう事か……」

 全くもって忌々しい。証とはそういう事か……。

「ドウゾ、サキへオススミクダサイ。ワガアルジガ、オマチデス……」

 俺の事など無視して続ける牛頭人。それが無性に腹立たしく感じる。

「黙れ。そして死ね」

「イッテラッシャ──」

 牛頭人が喋る中、俺は全領域を支配した影で創った無数の潜影剣で全身を突き刺し絶命させる。

 それと同時に真暗な足元に淡い光で魔法陣が浮かび上がる。

「ッチ……しっかりと起動するか。覚えてろよリイヴのやつ……」

 むしゃくしゃしながら懐かしい名前を呼ぶ。

 そのまま俺は魔法陣の激しくなっていく光に包まれていく。

 さて、俺が実際に動くのは本当にここまでだ。

 後はお前次第だファイク。

 安心しろ。もう今回のような失態はしない。お前を最強にしてやる──────。
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