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考えることが、俺は嫌いだ。

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────かっこよかった。そうやって堂々と胸を張れる少年が。羨ましかった。何事にも恐れを抱かないその心が。

……ずっと昔に、俺が無くした「純粋さ」それを彼は持っていた。

「んー? なんだよ、この俺のかっこよさに見とれちまったかー?」
「気持ち悪いこと言うんじゃねぇ!」

 ニヤニヤと笑いながら、俺を怪しい目で見るヤジロウ。だが、本当にそうかもしれない。見とれていたのかもしれない。それでも、それを本人から突かれるのはいい気分じゃない。
 すると、ヤジロウは俺の前にスイカを持ってくる。全く傷がついていない、大玉スイカ。普通に食べるには、包丁で割ることが必要だ。ここでは食べることができないが、ヤジロウのことだ……無茶なことを言ってくるに違いない。

「さーて、光輝。今からこのスイカを手で割ってもらいまーす!」
「はぁ!? スイカなんか、包丁で切るもんだろ。野蛮だな!」

 スイカ割があるぐらいだ、棒で叩き割るくらいなら聞いたことがある。しかし、手で……これはもはや不可能だ。空手の達人なら、まだいけそうな気もするが……俺にそんな力はない。

「ふんふん……お前は力で何か言うやつじゃないんだなぁ」

 そんな俺を見て、ヤジロウは何か納得したようにうなづく……その次の瞬間だった。

────瞬きもできないほどの速さで、振り下ろされたヤジロウの手。それは、もはや漫画の一コマだった。

「あ……スイカが……」

 俺の声がようやく追いつく。その頃には、スイカはバラバラに砕け散っていた。スイカ割りをした後の、ぐちゃぐちゃなスイカ。しかしそれを棒ではなく、彼は片手でやってのけた。

「ほら、食うぞ。何ボケっとしてんだ」
「いやいや! 普通こんなのおかしいから! お前、小学生だろ?」

 普通はあり得ない。だがそれを、彼は平然とやってのける。彼としては普通なようで、特に自慢するようでもなかった。ガツガツとスイカにかぶり付き、顔を真っ赤な汁で汚しながら食べていく。

「いやっはぁ、うめぇなぁ! ほら、光輝もがっついて食べて見ろ、うまいぞ!」
「そんな……子供でもあるまいし」
「何言ってんだ、お前はまだ子供だろ。大人ぶるんじゃねぇやい」

────いつから俺は子供じゃないと思っていたんだろう。こんな大人のようで、子供のような、宙ぶらりんの年齢だからこそ錯覚する。

「俺は子供……」
「未成年は子供! 大人だろうといつだって子供に帰れるんだよ。お前は若さを捨てるのが早いわけ」

……えぇい、何を迷っている。俺はまだ子供だ、いくらだって子供っぽいことしてやる! ここには、こんな俺を蔑むやつなんていないんだから!
 ぐちゃぐちゃのスイカを手に取って、まじまじと見つめる。そして、一思いにかじりついた。

「いけいけ光輝ー! もっとワイルドにー!」
「言われなくても……お前より早く食ってやるよ!」
「ほぉ、早食いか? 俺は負けねぇからな! よーし!」

 俺はそこから、今までにないくらい、スイカにかじりついた。服が汚れるのも気にせず、種を吐き出すことなく飲み込み、顔を汚しながらどこまでも汚く食っていく。
 全力で食べるスイカは美味しかった。都会で買った、サイコロ状に切られたスイカより遥かに美味しい。ここまで大きいスイカなら、がっついて食べることが醍醐味なんだろう。
……一生懸命に食べていたら、瞬く間に無くなってしまった。周辺に残ったのは、きれいに食べられたスイカの皮と、飛び散った汁だった。

「はぁー食った食った! しかし光輝、これじゃあどっちが多く食べたかわからないなぁ」
「し……しんどい、腹いっぱい」

 満腹感に俺は思わず寝転がる。河原の石で、まったく寝心地は良くないのだが、気持ちはどこかすっきりしていた。
────俺にだって、こんな子供っぽいところあったんだ。

「お前が腹いっぱいなら、俺はまだまだ全然! じゃあ俺の勝ちでー」
「卑怯だぞ、ヤジロウ」

 ヤジロウはいたずらっ子のように、下をべっと出して挑発する。ここまで来たら、どこまでもつきやってやろうじゃないか。

「そんなに挑発しやがって……次は何するんだ、ヤジロウ」
「ノッてきたなぁ、じゃあ次は釣り勝負だ!」

 釣り……? 確かにここは滝からできた川だが……釣り竿もないし、そもそも魚なんているのか?

「釣り竿はないぞ、どうすんだ?」
「おいおい、誰が釣り竿で釣るなんて言ったんだよ」
「……は?」

「それって釣りじゃねぇじゃん!」

 釣りはあくまで釣り竿を使うから「釣り」なのであって、手づかみは釣りって言わない! バカなのかこいつは!

「やり方を教えとくぞ、失敗しないようにな。まずは川に静かに入るんだ」

 そうは言っても、先に進んでいくヤジロウに後れを取るわけにはいかない。俺もゆっくりと、彼の後についていく。

「岩とかの影で休んでいる魚、これがねらい目なんだ」
「要するに止まっているやつを狙うと」
「そうだな。そして、下から手を伸ばして……こう!」

 そう言ったヤジロウの手には、魚がしっかり握られていた。ヤジロウはそれだけ見せると、すぐにそれを陸地にあげた。陸地にはいつのまにか、バケツが用意してあり、その中へ魚を放す。

「そのバケツ……いつの間に?」
「こうなることは予想済み! すべては準備済みってことよ! さぁ、魚取るぞー!」

 まさか、とは思う。こうなったのはすべて、ヤジロウの計画じゃないかって。ヤジロウはすべてお見通しなうえで、俺と遊んでいるんじゃないかって。でもそれは、否定したかった。だって、まず俺はここに来るのは初めてだし、そもそも、こうやってヤジロウと出会える保証なんてどこにもなかった。
……なのに、ヤジロウの思う通りに、事は進んでいる。きっとそうだ、ヤジロウは俺を知っているのかもしれない。初対面ではありえないほどに。

「あっ……」

 そんなことを考えていたら、魚に逃げられてしまった。

「無心になれよー。おっ、また一匹捕まえたぜ!」

 ヤジロウはどんどん魚を捕まえていく。ここは彼の庭なんだろう。彼にとってこの自然は手に取るように簡単なんだ。それが、ただの田舎育ちでここまでなるのか。まず、こんなにも魔法のように何もかもうまくいくのだろうか。そんな疑問も浮かんだが、今は考えないことにする。

「よしっ! 捕まえた!」
「いいぞ光輝、滑るからな。しっかりつかんでバケツへリリース!」

 初めて捕まえた魚は、水を張ったバケツの中で生き生きとしている。今はいいんだ、ヤジロウが何者かなんて。こうして俺が生き生きできる場所があるならば、それでいい。

「すごいな光輝! 大きい魚捕まえたんだな!」
「あぁ、初めてにしては……だな」

 ヤジロウが俺の隣にやってきて、キラキラした瞳でバケツをのぞき込む。純粋に俺を褒めてくれている……それは決してバカになんてしてない。彼に年上も年下も関係ないんだと、彼の笑顔を見て確信する。

「ヤジロウは、心がきれいなんだな。こんなことを褒めるなんてさ」

 するとヤジロウは俺のほっぺをつねる。それは上に引っ張り上げるようだった。

「ほらほら、もっと笑いながら言えよ。それに、すごいものをすごいっていうのは当たり前だろ?」
「当たり前なのか? そんなに褒められたことなんてないからさ」
「なら、お前は素直に「すごい」って言えるようになれよ。そのほうが、人生楽しいぜ?」

 そう言って歯を見せて笑うヤジロウは、本当に楽しそうだった。人生を楽しんでいる、今という時を心から楽しんでいる。そんな彼が、俺は羨ましかった。

「さーて、そろそろ日暮れだなぁ」

 そう言われて気づく。空はオレンジ色に染まり始めていた。気づけば、一日がこんなにも簡単に終わってしまっていた。子供は、もう帰る時間だ……俺だって、もう帰らなきゃいけない。
 夢が覚めるようだ。もっと遊んでいたかった、もっとヤジロウと一緒にいたかった。

「なんだよ、そんな残念そうな顔すんなって! 明日は、お前の家に行くからさ! 明日の8時ね」

 ヤジロウは、魚がいっぱい入ったバケツを、俺に持たせる。

「それは、お前の親父さんへのお土産。じゃあ、家まで競争しよーぜ!」
「はぁ!? バケツ持たせておいてそれはないぞ!」
「まぁまぁ、ゆっくり走るからよぉ」

 だがヤジロウの言葉は嘘だった。ヤジロウは山の中の道にどんどん入っていく。俺を待つなんてしない。なんて慈悲の無いやつだ。
 時折見える、ヤジロウの青いマントを追いかけて、俺はひたすら山道を走っていく。ヤジロウの姿は見えない、声だって聞こえない。

「待てよ、ヤジロウ!」

 返事はない。ただ時折見える青いマントを追いかける。曲がり角や坂道、次第に暗くなっていく中で、そのマントを頼りに走っていく。
────あれ、俺は……何のために走ってるんだ?
ふとそれに気づいたころ、俺はいつの間にか山道を抜けていた。遠くだが、俺の家の明かりも見える。

「帰って、きたんだ……」

 俺は手元のバケツを見て、ようやく記憶を思い出す。さっきまで一緒に遊んでいた、ヤジロウの存在を。なんで俺は、一瞬忘れかけていたんだ?
 いつの間にか、ヤジロウの姿はなくなっていた。まるで神隠しにでもあったかのようだ。

「探さなきゃ……あんな小さな子供、山の中で迷ったら!」

 俺はすぐに家に入る。電話を取って、消防に連絡する……はずだった。

「あ、光輝。おかえりー」
「父さん、のんきに言ってる場合じゃないんだ。山の中でヤジロウが……小さな男の子が!」
「あぁ、そんなに服を汚して……ヤジロウ君と遊んだんだね。心配いらないよ」
「え?」

 父さんは俺が持っていたバケツを取ると、そのまま台所まで持って行ってしまった。俺も靴を脱ぎ、すぐに父さんの後を追う。

「ヤジロウ君はね、夕方になるとすぐに帰っちゃうんだ。だから、ヤジロウ君がいなくなっても心配いらないよ。明日にはまた遊べるんだから」
「……父さんも、知ってるの? この地域じゃ有名?」
「まぁね、有名だよ。とっても……ね」

 そう言ったお父さんの顔は、どこか切なかった。だが、それもほんの一瞬で、すぐに魚を見て笑顔になった。そしてバケツの横を見ると、父さんは嬉しそうにため息をついて笑いだした。

「はぁーははっ……それにしても、ヤジロウ君。うちの家のバケツを取っていったなぁ」
「え、それ、うちのバケツなの?」
「ほら、ここに父さんの名前が書いてあるだろ」

 よく見ていなかったが、よく見ると小さく幼い字で「あとうみつお」と書いてあった。

「これ、父さんの4歳の頃のバケツ。こんなに大きかったっけ。懐かしいなぁ……さて、ヤジロウ君のお土産だ。これで今日は晩御飯作ろうか!」
「あ……あぁ、父さん」

 父さんは嬉しそうに、料理を始める。俺は、こんなに嬉しそうな父さんを見たことがなかった。同時に、あんな切ない顔も、懐かしむ顔も、見たことなんてなかった。
 だからそれが、どうしてなのかもわからない。なんでヤジロウを知っているのかも知らない。それでも、目の前にいる父さんが幸せそうなら、それでいいんだろう。

────きっと今はまだ、知らなくっていいんだろう。
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