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第2章 辺境伯領平定戦
第53.5話 ヴィルヘルミナの独白 その漆【前編】
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「城内の様子を見て参る。お主らはここを動いてはならんぞ?」
数名の家臣を引き連れ、シンクローは城内の見回りへ向かった。
後には、私、ヤチヨ殿、カヤノ様の三人が残される。
「また何処かへ行ってしまったわ……」
カヤノ様は残念そうに呟くと、宙に浮いたまま寝そべる様な姿勢を取って目を閉じてしまった。
まるで不貞寝でもしているようだ。
「お寂しゅうござりますか? ミナ様?」
ヤチヨ殿が微笑を浮かべて尋ねる。
質問の意味が分からず、思わず「え?」と口からこぼれた。
「まあ……ご自分ではお気付きではござりませんでしたか?」
「何の事だ?」
「若が行ってしまわれる時、お名残惜しそうに若のお姿を目で追っておられましたよ?」
「馬鹿な! な、名残惜しいなど……ある訳がない!」
「左様でござりますか? 斯様に心細そうなお顔をしておいでなのに……」
ヤチヨ殿は「うふふふ……」と笑いながら、ごく自然な動作で私の頬に手を添え、顔を寄せた。
「ご安心を。若はおられませんが、八千代が付いております」
そう言いつつ、優しい手付きで頬を撫でる。
なんだか急に顔が熱くなり、頭に血が上る感覚を覚えた。
「あら? お顔が赤うござりますね?」
「うっ……。その……」
「はい?」
「も、もう止めて欲しい……」
「頬を撫でられるのは、好まれませぬか?」
「い、いや……。おかしな事を言うかもしれないが……」
「はい」
「……む、胸が高鳴って……苦しいんだ!」
「あら……」
「同性のあなたにこんな事を思ってしまうなんて……。た、他意はないんだ! ヤチヨ殿は私から見ても美しい女性だ。変に意識してしまったのだろうか……? 申し訳ない……」
「……いえ、謝るのはこちらの方です」
ヤチヨ殿は言いながら、再び頬を優しく撫でた。
すると不思議な事に、高鳴っていた胸は落ち着きを取り戻し、顔の熱もいつの間にか何処かへと去ってしまった。
不思議な感覚に目を白黒させていると、ヤチヨ殿は頬から手を放した。
名残惜しさのあまり、ヤチヨ殿の手を掴んでしまう。
シンクローが何処かへ行ってしまった時よりも、なお切実に名残惜しさを感じたのだ。
「……ミナ様は感の豊かなお方なのでしょうね。術が効き過ぎたようです」
「術?」
「視線や動作を通じて、相手の感情に働き掛けるのです。極めれば、相手を安堵させるも、恐怖させることも、思いのままにござります」
ヤチヨ殿が口にしたのは恐ろしい話だ。
他人の感情を思いのままに操ると言うのだからな。
普通なら怒りを露わにしてもおかしくはないのだが……。
何故か怒りの念は湧かず、代わりに、何か事情があったのだろうとヤチヨ殿を慮る感情が湧き出す。
これも『術』の効果なのだろうか?
「ど、どうしてそんなものを私に使った?」
「ミナ様は地震を恐れておいでだと、若から聞かされております。若が発たれた後は、不安が募っておられる様にお見受けしました」
「それは……否定出来ないな……」
「お心を鎮めようと術を使ったのですが……おかしな方向に効き過ぎてしまったようです。わたくしも精進が足りませんね。申し訳ござりません……」
ヤチヨ殿は頭を下げようとしたが、止めた。
「私の為を想ってくれたのだろう? 悪用した訳ではないのだから……」
「お許し下さるのですか?」
「もちろんだ」
「有難うござります……」
頭を下げる代わりに笑顔を浮かべるヤチヨ殿。
笑顔に心臓を鷲掴みされそうになる。
これも『術』なのか?
それとも自然に抱いた感情なのか?
分からなくなってしまい、この感情を振り払おうと慌てて話題を逸らせた。
「い、異世界には魔法はないと聞かされていたが……まるで催眠魔法や幻覚魔法の様だな……」
「まあ……魔法でも同じことが出来るのですか?」
「可能ではある。だが、人間の感情に作用する魔法は操作が難しい。使いこなせる者などほとんどいない。ヤチヨ殿のものは、術……と言ったか?」
「はい。忍びの術にござります」
「『シノビ』? そう言えば、モチヅキ殿は『シノビシュー』の頭領をしていると……ちょっと待て。シ、『シノビ』とはスパイ――間諜の事ではなかったか!?」
「左様にござります。わたくしが忍びであること、ご存じありませんでしたか?」
「初耳だ!」
「若や兄上がお話ししたものと思うておりました」
「聞いていないぞ! てっきりミドリ殿の侍女だと……」
「わたくしは侍女ではありませぬ。忍びとして主家の皆様方をお守りする事がお役目。『侍女は他におります』と申し上げたでしょう?」
「え? …………あっ!」
思い出した!
ネッカーで『クビジッケン』が終わった直後、ヤチヨ殿が現れ、私達の世話をすると話した時の事だ!
激しく拒否したクリスが、ヤチヨ殿はオーサカ屋敷にいた方が良いと言い出した時、ヤチヨ殿は確かにそう言っていた!
『侍女は他におりますので』――――と!
『他にもいる』ではなく『他にいる』と言ったのだ!
ヤチヨ殿自身が侍女の内に入っていない!
自分は侍女ではないと、こんな所で宣言していたのだ!
『も』の有る無しでここまで意味が違ってくるとは……!
「分かりにくいぞ!?」
「そうでしたか?」
ヤチヨ殿は楽しそうに「クスクス」と笑う。
そして、静かに私の手を握った。
今度は胸が高鳴る様な事はなかったものの、ヤチヨ殿の意図が分からず訝しむ。
「それはさて置き、八千代はとても嬉しゅうござります」
「嬉しい? 一体何が……?」
「ミナ様が若をお慕い下さっている事、とてもよく分かりましたから」
「なっ! し、慕うだって!? どうしてそんな事を!?」
「辺境伯様と奥方様から、ミナ様は大変に奥手なお方だと伺いました」
「お父様とお母様が!?」
他家の方に何て事を仰るのです!?
心の中で激しく抗議する間もヤチヨ殿の話は止まらない。
「奥手なミナ様が、地震を恐れたりとは申せ、あのように可愛らしい悲鳴を上げて若へ縋り付かれるなんて……。好いておらねば出来ぬ事でござりましょう?」
「なっ……なっ……」
「大名の縁組は好いた惚れたで事が成るものではありませぬ。ですが、好いた者同士、惚れた者同士が相手であれば、それに越したことはありませぬ」
「その言い方だとシンクローが私に好いている、惚れていると聞こえるぞ!?」
「左様に申しております」
「そ、それは違うのではないか? シンクローが男女間の好意など――――」
「ご案じ召される事はござりません。若もミナ様を憎からず思っておられます。八千代には分かります」
力強い口調でグイグイと押し込んで来るヤチヨ殿。
感極まるものでもあったのか、うっすらと涙ぐんでさえいる。
「豊臣の奉行衆の邪魔立てで、若の縁組は遅々として進んでおりませんでした。石田治部少輔めを闇討ちしてやろうと思うた事も、一度や二度ではござりません。ですが、これでようやく若の縁組が……。御正室をお迎えする事が出来るのですね……。感無量にござります……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ヤチヨ殿の言葉が途切れた瞬間、ようやく声を上げることが出来た。
「わ、私などよりヤチヨ殿の方がよっぽどシンクローを慕っているのではないか!?」
「……はい?」
「先程の耳掻き、あたかも長年連れ添った夫婦の如しだ! あんなにだらしが無いシンクローの姿は初めて見たぞ!」
「……」
「シンクローが好いているのはヤチヨ殿に違いない! わ、私のは……その……そうだ! からかって楽しんでいるだけだ! きっとそうだ! 正室にはヤチヨ殿が相応しい!」
私の言葉に、ヤチヨ殿は首を横に振った。
数名の家臣を引き連れ、シンクローは城内の見回りへ向かった。
後には、私、ヤチヨ殿、カヤノ様の三人が残される。
「また何処かへ行ってしまったわ……」
カヤノ様は残念そうに呟くと、宙に浮いたまま寝そべる様な姿勢を取って目を閉じてしまった。
まるで不貞寝でもしているようだ。
「お寂しゅうござりますか? ミナ様?」
ヤチヨ殿が微笑を浮かべて尋ねる。
質問の意味が分からず、思わず「え?」と口からこぼれた。
「まあ……ご自分ではお気付きではござりませんでしたか?」
「何の事だ?」
「若が行ってしまわれる時、お名残惜しそうに若のお姿を目で追っておられましたよ?」
「馬鹿な! な、名残惜しいなど……ある訳がない!」
「左様でござりますか? 斯様に心細そうなお顔をしておいでなのに……」
ヤチヨ殿は「うふふふ……」と笑いながら、ごく自然な動作で私の頬に手を添え、顔を寄せた。
「ご安心を。若はおられませんが、八千代が付いております」
そう言いつつ、優しい手付きで頬を撫でる。
なんだか急に顔が熱くなり、頭に血が上る感覚を覚えた。
「あら? お顔が赤うござりますね?」
「うっ……。その……」
「はい?」
「も、もう止めて欲しい……」
「頬を撫でられるのは、好まれませぬか?」
「い、いや……。おかしな事を言うかもしれないが……」
「はい」
「……む、胸が高鳴って……苦しいんだ!」
「あら……」
「同性のあなたにこんな事を思ってしまうなんて……。た、他意はないんだ! ヤチヨ殿は私から見ても美しい女性だ。変に意識してしまったのだろうか……? 申し訳ない……」
「……いえ、謝るのはこちらの方です」
ヤチヨ殿は言いながら、再び頬を優しく撫でた。
すると不思議な事に、高鳴っていた胸は落ち着きを取り戻し、顔の熱もいつの間にか何処かへと去ってしまった。
不思議な感覚に目を白黒させていると、ヤチヨ殿は頬から手を放した。
名残惜しさのあまり、ヤチヨ殿の手を掴んでしまう。
シンクローが何処かへ行ってしまった時よりも、なお切実に名残惜しさを感じたのだ。
「……ミナ様は感の豊かなお方なのでしょうね。術が効き過ぎたようです」
「術?」
「視線や動作を通じて、相手の感情に働き掛けるのです。極めれば、相手を安堵させるも、恐怖させることも、思いのままにござります」
ヤチヨ殿が口にしたのは恐ろしい話だ。
他人の感情を思いのままに操ると言うのだからな。
普通なら怒りを露わにしてもおかしくはないのだが……。
何故か怒りの念は湧かず、代わりに、何か事情があったのだろうとヤチヨ殿を慮る感情が湧き出す。
これも『術』の効果なのだろうか?
「ど、どうしてそんなものを私に使った?」
「ミナ様は地震を恐れておいでだと、若から聞かされております。若が発たれた後は、不安が募っておられる様にお見受けしました」
「それは……否定出来ないな……」
「お心を鎮めようと術を使ったのですが……おかしな方向に効き過ぎてしまったようです。わたくしも精進が足りませんね。申し訳ござりません……」
ヤチヨ殿は頭を下げようとしたが、止めた。
「私の為を想ってくれたのだろう? 悪用した訳ではないのだから……」
「お許し下さるのですか?」
「もちろんだ」
「有難うござります……」
頭を下げる代わりに笑顔を浮かべるヤチヨ殿。
笑顔に心臓を鷲掴みされそうになる。
これも『術』なのか?
それとも自然に抱いた感情なのか?
分からなくなってしまい、この感情を振り払おうと慌てて話題を逸らせた。
「い、異世界には魔法はないと聞かされていたが……まるで催眠魔法や幻覚魔法の様だな……」
「まあ……魔法でも同じことが出来るのですか?」
「可能ではある。だが、人間の感情に作用する魔法は操作が難しい。使いこなせる者などほとんどいない。ヤチヨ殿のものは、術……と言ったか?」
「はい。忍びの術にござります」
「『シノビ』? そう言えば、モチヅキ殿は『シノビシュー』の頭領をしていると……ちょっと待て。シ、『シノビ』とはスパイ――間諜の事ではなかったか!?」
「左様にござります。わたくしが忍びであること、ご存じありませんでしたか?」
「初耳だ!」
「若や兄上がお話ししたものと思うておりました」
「聞いていないぞ! てっきりミドリ殿の侍女だと……」
「わたくしは侍女ではありませぬ。忍びとして主家の皆様方をお守りする事がお役目。『侍女は他におります』と申し上げたでしょう?」
「え? …………あっ!」
思い出した!
ネッカーで『クビジッケン』が終わった直後、ヤチヨ殿が現れ、私達の世話をすると話した時の事だ!
激しく拒否したクリスが、ヤチヨ殿はオーサカ屋敷にいた方が良いと言い出した時、ヤチヨ殿は確かにそう言っていた!
『侍女は他におりますので』――――と!
『他にもいる』ではなく『他にいる』と言ったのだ!
ヤチヨ殿自身が侍女の内に入っていない!
自分は侍女ではないと、こんな所で宣言していたのだ!
『も』の有る無しでここまで意味が違ってくるとは……!
「分かりにくいぞ!?」
「そうでしたか?」
ヤチヨ殿は楽しそうに「クスクス」と笑う。
そして、静かに私の手を握った。
今度は胸が高鳴る様な事はなかったものの、ヤチヨ殿の意図が分からず訝しむ。
「それはさて置き、八千代はとても嬉しゅうござります」
「嬉しい? 一体何が……?」
「ミナ様が若をお慕い下さっている事、とてもよく分かりましたから」
「なっ! し、慕うだって!? どうしてそんな事を!?」
「辺境伯様と奥方様から、ミナ様は大変に奥手なお方だと伺いました」
「お父様とお母様が!?」
他家の方に何て事を仰るのです!?
心の中で激しく抗議する間もヤチヨ殿の話は止まらない。
「奥手なミナ様が、地震を恐れたりとは申せ、あのように可愛らしい悲鳴を上げて若へ縋り付かれるなんて……。好いておらねば出来ぬ事でござりましょう?」
「なっ……なっ……」
「大名の縁組は好いた惚れたで事が成るものではありませぬ。ですが、好いた者同士、惚れた者同士が相手であれば、それに越したことはありませぬ」
「その言い方だとシンクローが私に好いている、惚れていると聞こえるぞ!?」
「左様に申しております」
「そ、それは違うのではないか? シンクローが男女間の好意など――――」
「ご案じ召される事はござりません。若もミナ様を憎からず思っておられます。八千代には分かります」
力強い口調でグイグイと押し込んで来るヤチヨ殿。
感極まるものでもあったのか、うっすらと涙ぐんでさえいる。
「豊臣の奉行衆の邪魔立てで、若の縁組は遅々として進んでおりませんでした。石田治部少輔めを闇討ちしてやろうと思うた事も、一度や二度ではござりません。ですが、これでようやく若の縁組が……。御正室をお迎えする事が出来るのですね……。感無量にござります……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
ヤチヨ殿の言葉が途切れた瞬間、ようやく声を上げることが出来た。
「わ、私などよりヤチヨ殿の方がよっぽどシンクローを慕っているのではないか!?」
「……はい?」
「先程の耳掻き、あたかも長年連れ添った夫婦の如しだ! あんなにだらしが無いシンクローの姿は初めて見たぞ!」
「……」
「シンクローが好いているのはヤチヨ殿に違いない! わ、私のは……その……そうだ! からかって楽しんでいるだけだ! きっとそうだ! 正室にはヤチヨ殿が相応しい!」
私の言葉に、ヤチヨ殿は首を横に振った。
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