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第7章 過去
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しおりを挟む衣都の突然のヒートにスタジオ内は慌ただしくなり、ひとまず藍と衣都を引き離そうとスタッフが試みているが、藍の手をしっかり握る衣都が離さないと泣き叫んでいた。
「なんで僕たちを引き離そうとするんですか!?見て分からないの!?僕とYURIさんは運命の番なんですよ……!?」
藍のアシスタントたちも衣都のマネージャーと思わしき男性も一旦冷静になろうと言っていたが、運命の番を目の前にしたオメガの衣都はなりふり構っていられないといったように喚いている。噂程度にしか聞いたことはなかったが、運命の番は認識した途端にお互いのことが欲しくて堪らなくなるらしい。だから今の衣都は藍に抱かれたくて、彼の子供を産みたいと本能的に思っていて、藍の手を離さないのだろう。
帽子とマスクのせいもあるかもしれないが、強烈なオメガのフェロモンに微動だにせず耐えている彼の表情がよく見えない。いつもの藍なら衣都の腕を振り払うくらいしそうだが、それができないのは『運命の番』の本能に引っ張られているのだろう。
義兄弟のアルファ同士で結ばれた自分たちこそ『運命』だと思っていたのだが、どうやら考えが甘かったようだ。彼には彼の、本物の運命があったのだから。
「――離してください、鈴香さん」
「な、どうしてですかぁ……っ!僕たち、運命の番なのに!」
「真剣に付き合ってる人がいるんです。僕は今日初めて会った運命より、その人との運命を信じているので」
藍の声だけがクリアに聞こえて、いまだに藍の腕を掴んでいる衣都に彼の『恋人』として違う意味で由利はラットが起ころうとしていた。自分のアルファに手を出すなと今にでも大声で喚きたいほどの怒りが湧き上がってきたが、冷静になるためにブンブン頭を振りたくった。
「……っ俺は同じアルファなので、YURIさんに抑制剤を飲ませてきます」
衣都が掴んでいる藍の腕を無理やり奪い、由利は自分の控え室に藍を連れ去った。はぁはぁと荒い息が二人分静かな廊下に響き、お互いに何か言葉を交わす余裕もない。掴んでいる藍の腕から火傷しそうなほど熱い体温が伝わってきて、オメガのフェロモンよりもぞわりと興奮が走ってしまった。
「とりあえず俺の持ってるやつで悪いけど、飲まないよりマシでしょ」
控え室の鍵をかけ、由利は自分のバッグの中身を漁る。人間、焦っている時に限って全然探し物が見つからないのは神様に悪戯されているからだろう。抑制剤を入れているポーチが見当たらず焦っていると、後ろからぎゅうっと抱きしめられた。
「………ゆうり…ッ」
耳元で囁かれた声にどくんっと心臓が跳ねる。抑制剤を探していた手が止まってしまい、由利の体に藍の大きな手が這う感覚が生々しくて熱い息が漏れた。まるであの夏の日、同じベッドで眠っていた由利の体を抱きしめながら自慰をしていた藍のことを思い出し、由利の体が一瞬で藍に支配された。
このアルファに、体を暴かれたい。
このアルファの『番』は、俺なんだ。
うなじを噛まれてビッチングされたわけではないのに、由利の頭の中はそんな思考で渦巻いていた。今どうにかしないとあのオメガに藍が取られてしまうような、そんな不安が由利の小さい胸をいっぱいにする。
でもここで、藍を取られたくないという感情だけで動くのは危険だと、良識のある大人である自分が警報を鳴らしているのも分かっていた。今すぐここでうなじを噛んで欲しいと懇願するのは簡単だが、その後を考えると紙一枚の薄さで残っている理性が耐えるべきだと訴えている。
今までどうして自分はアルファに生まれたんだろうとか、オメガとして生まれなかったのだろうと考えたことはなかったけれど、27年生きてきて初めて、自分が藍と同じアルファであることを恨んだ。
「お願いだから耐えて、藍……っ」
「分かってる、分かってるけど、薬を飲んでも効きそうにない……」
由利の肩口に顔を埋めながら、服の上から肌に食い込んでしまうのではと思うくらい強い力で抱きしめられ、藍が『運命の番』との繋がりに苦しんでいるのが分かって由利の胸も苦しかった。通常のオメガのフェロモンであれば抑制剤を飲めばある程度落ち着くが、運命で結ばれた相手のフェロモンを浴びるとそう簡単に冷静には戻れなさそうだと藍の本能が言っているらしい。
それでもなんとか落ち着かせたくて、由利は振り向いて藍のマスクをはぎ取って両頬を掴んだ。
「お前は、俺のアルファだから」
頬を掴んだ藍に顔を近づけ、抑制剤を無理やり口移しで飲ませた。藍は驚きに目を丸くしていたが、由利の意思を汲んでされるがまま口付けられ、強く由利を抱きしめていた腕の力がだんだん抜けていく。藍がこくりと嚥下したのは分かっていたがお互いに唇が離せなくて、一人がけの椅子に腰掛けた藍の膝に乗って彼の唇を貪った。
「"運命だから仕方ない"なんて言葉では片付けられないよ、藍……っ。俺のほうがお前の運命なのに!」
本当は分かっている。
これはきっと神様からの罰なのだ、と。
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