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第4章 疑惑
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しおりを挟むその後、理人の撮影スタジオから魂が抜けたようにフラフラと家に帰りつき、ぼーっとしながら夕飯を作っていた。藍が由利を好きな気持ちは本気なのだろうなと感じていたが、確かになにが彼にとってのゴールなのか分からないままだ。理人との会話で気がついたように『結婚』や『子供』が藍の中でのゴールだとしたら、ビッチングさせたい理由にも納得ができる。
「………オメガになってた?兄さん」
「うぁっ!?」
藍は朝から夜まで仕事が詰まっていると言っていたのでまだ帰ってこないだろうと思っていたのだが、キッチンに立っていた由利は後ろからぎゅっと抱きしめられた。外から帰ってきたばかりなのか冷たい手が包丁を握る由利の手に触れて、つけていたイヤホンも外される。音楽を聴きながら料理をしていたので、帰ってきたことに気付かなかったのだ。
「ちょ、なに…っ!」
「今日病院だったんでしょ?オメガになってた?」
「……そんなわけないだろ」
「じゃあ、やっぱりうなじを噛まないとダメかな」
藍がやわやわとうなじを食んでキスしてくる。担当医の話が頭をよぎり、藍のペースに巻き込まれる前に彼の拘束を振り解いた。
「包丁持ってるから近づくな」
「兄さん、ちゃんと自炊して偉いよね」
「そりゃ…モデルは体が資本だから」
「僕の体の健康管理もお願い」
「なんで俺がそんなことしなくちゃなんないの」
「一緒に住んで分かったと思うけど、僕、生活力皆無なんだよね」
「……堂々と言うことじゃない」
本人の言う通り、藍は全くと言っていいほど家事ができない。できそうに見えるのに包丁を握ったこともなければ洗濯や掃除もしたことがないなんて。思い返してみれば確かに、学生時代に一緒に使っていた部屋は由利が掃除していた気がするし、掃除や洗濯、それに料理を手伝っている姿を見たことがないなと初めて気がついた。
「藍ってもしかして、これまでも一人暮らしじゃなかった?」
「なんで?」
「なんか、ヒモっぽいなと思って……」
もちろん冗談だったのだが、由利の耳元で小さく笑う声がした。そして藍は由利の肩に顎を乗せ「やっぱり兄さんには敵わないね」と言ったのだから、聞いた張本人である由利のほうが驚いた。
「何人か養ってくれたおねーさんがいたよ」
「……は?」
「アルファの人もいたし、ベータも。あぁ、ここに越してくる前に養ってくれてた人はオメガだったかな。今日も夜ご飯食べにくる?って言われてて」
後ろからスマホの画面を見せられる。そこに表示されていたのは『椿』という名前の人と藍がやり取りしているメッセージ画面で、言葉遣いから察するに『椿』という人は女性だ。その画面には確かに『時間があるなら食べにきたら?今の人作ってくれないんでしょ?』というメッセージが表示されている。
作っていないわけじゃなく、お互いに時間が合うと思っているのがそもそもおかしいのだ。それに由利は藍を『養う』つもりもないし、そういう話で藍がここに引っ越してきたわけでもない。これを見せてくる藍にもイラついたし、相手の『椿』にもなんだか言いようのない怒りが湧いてきた。
「……じゃあ、行けばいいんじゃない?俺は自分の分しか作ってないし、藍が食べるものはないから」
そう言いながら藍の腕を振り払い、料理の続きを再開する。野菜を切る包丁に普段より力が入っている気がしたが、気付かないフリをした。
「嫉妬してるんだ、由利」
藍の言葉に、今度は包丁をまな板に叩きつける。藍の顔を見ていないけれど彼が笑っているのが分かって、そんな態度に思わず由利は感情をむき出しにしてしまった。ここで怒ると藍の思うツボなのは分かっているけれど、自分の怒りをコントロールできなかったのだ。
「自分に都合がいいように解釈するな。俺はお前の過去の恋愛とかどうでもいいし、誘ってくれる人がいるならそっちにいったらいいってだけ。俺をからかうためだけにここにいるより、椿さんのところに帰ったらいいんじゃない?」
これは決して嫉妬ではない。面倒くさい弟を追い出すのにちょうどいい理由だなと思っただけだ。由利は切った野菜を乱暴に皿に盛り付け、解凍していた鶏の胸肉を蒸したものをバラバラと適当に乗せてリビングへと移動する。どかっと音を立てながらソファに座ると、藍も隣に腰を下ろした。
「ごめん、兄さん。そんなに怒ると思ってなかったから」
「別に怒ってない。お前が邪魔だからああ言っただけ。本当に、まじで、いつでも出ていっていいし正直いますぐにでも出ていってほしい」
「そんなこと言わないでよ……頼れるのは兄さんしかいないんだよ、僕」
サラダを食べながらテレビを見ている由利に藍は甘えるように抱きついてくる。頭をぐりぐり押し付けられながら「お願い、ごめんなさい」と甘えてくる藍をとことん無視した。その間も藍のスマホはメッセージを受信していて、更にイラつきが増した。
「……待ってるんじゃないの?椿さん」
「どうでもいいよ」
「どうでもいいって…お世話になった人なんだろ?そういう適当な感じはよくないと思うけど」
「由利より大事な人はいないから」
「もういいから、そういうの」
どうしてこんなにイライラしているのか自分でもよく分からない。イライラしすぎて頭も痛くなって気がする。食べていたサラダを放置して、眉間に寄っている皺を撫でながら重くため息をつくと勢いよく腕を掴まれた。
「なっ、なに!?」
「……今日って病院だけ行ってきた?」
「は!?」
「由利、これ誰の匂い?」
「匂い……?」
先程までしおらしく反省していた藍は獣のような目をして、由利の細い腕をグッと掴んでいる。突然なにかに怒った藍が不機嫌そうに低い声を出したかと思えば、次の瞬間にはソファに押し倒されていた。
「他の男の匂いがする」
「え…あ、あぁ……」
「あぁって、男と会ってきたんだ?病院って嘘ついたの?」
「いや、そういうわけじゃな……あ゛ッ!?」
弁解するより先に、機嫌が悪い藍に首元を噛まれる。傷や痕をつけないようにと言っていたからかそんなに強くは噛まれなかったけれど、突然の出来事に不意をつかれ派手に声を上げてしまった。藍はそんな由利の声になんの反応もなく、噛んだところを舐めながらやわやわと食み、由利の体をきつく抱きしめる。自分の体を擦り付けるように由利を抱きしめてきて、身を捩ってみたが更にぎゅっと抱き込まれた。
「やめ、ちょっと、藍……っ!」
「どれだけ近くにいたら匂いが移るの?僕に病院だって嘘ついて、誰に会ってた?」
「病院は本当に行ったって!その後にただ理人さんのスタジオに行っただけで…!」
「理人…?この前のカメラマンか……やっぱりあの人と寝てんの?元彼?それとも不倫とか?」
「違う!理人さんは藍みたいに手早くないし!」
「手早くないってことは知ってんだ?」
「だから…っ!なんでそういう話になるかな!?」
理人の匂いがするという由利の体に自分の匂いを移そうとしているのか、嫌だと抵抗してもなかなか藍が離してくれない。それどころか、絶対に離さないという強い意思さえ感じた。
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