エデンの住処

社菘

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第3章 逢引

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藍は由利が笑ったことに気をよくしたのか、それから食事の間はずっと機嫌がよかった。あとはもうタクシーを捕まえて帰るだけだったのに、由利の知り合いと偶然出会ってしまったのだ。

「由利?」

タクシーを捕まえようと道路の脇に立っていると後ろから声をかけられ、由利が振り向くと同時にぎゅっと抱きしめられる。隣にいた藍がぎょっとしていたが、ふわりと香ってきたタバコとバニラが混ざった匂いにその人が誰なのか分かった。

「り、理人さん!?」
「そうだよ!久しぶりだなぁ!」
「う、わぁ……!まさかこんなところで偶然会うなんて…!」

突然由利に抱きついてきたのは、藍と同じカメラマンの英理人はなぶさりひとだった。由利より7歳年上の34歳で、ちょうど藍の10個上になる。理人は昔からファッション誌を専門にしていたカメラマンで、今はフランスのパリに移住して活躍中の売れっ子カメラマンだ。

「元気にしてたか?」
「はい、もちろん。理人さんもお元気そうですね」
「あぁ。実は昨日帰国したんだよ」
「そうだったんですか?連絡してくれたらよかったのに」
「色々立て込んでてな。っと、新人モデルか?」

なにも言わず由利と理人のやりとりを見ていた藍に気がつき、理人が藍を上から下まで眺める。知らない人から見れば藍はモデルに見えるのは仕方ないだろう。背も高いし、マスクや帽子で隠していてもオーラが滲み出ている。ここで藍のことをなんと紹介したらいいのか迷っていると、藍のほうから名刺を差し出した。

「カメラマンをやってるYURIといいます」
「YURI?あぁ、今超話題の売れっ子か!」
「それほどでも……」
「俺もカメラマンの端くれなんだよ。一応ファッションカメラマンをやってて、今はフランスにいるんだ」
「英理人さん……僕の師匠が英さんのことを絶賛されてました」
「師匠?」
蓮水紫はすみゆかりです。ご存知ですか?」
「蓮水紫!?」
「知ってるも何も、超有名な天才カメラマンじゃん……!」

モデルしている人なら誰もが一度は撮ってほしいと思う、そんなカメラマンが蓮水紫だろう。同じカメラマンからも一目置かれているような人だし、この業界で知らない人はいないんじゃないだろうか。ただ、数年前からファッション業界から映像制作の監督にシフトチェンジしたようで、今ではレジェンド的な存在になっている。まさか藍がそんなにすごい人の弟子なんて思ってもいなかった。

「今由利は一緒に仕事を?」
「そうなんです。Camelliaの専属モデルになって…YURIさんは専属カメラマンで」
「あぁ、浅沙さんのか。よかったな」
「はい。頑張るしかないです」
「あっちでも由利の名前を聞くことがあるよ。着実にステージは上がってるからこれからも頑張れ」
「ありがとうございます」

理人からわしゃわしゃ髪をかき回されていると、いつの間にかタクシーを捕まえた藍が「タクシー来ましたよ」と言ったので、名残惜しいが理人とはそこで別れることになった。

「……英さんとどういう知り合い?」

タクシーで家まで帰ってきて、玄関を入ってから1オクターブ低い声で藍がそう聞いてきた。由利はコートを脱ぎながら衣装部屋まで歩みを進めると、その後ろを藍が律儀についてくる。理人との関係を話さない限りしつこく聞いてくるのだろうなというのが分かった。

「どういう知り合いって……ただのモデルとカメラマン。でも理人さんが特別なのは、俺を初めて撮ってくれた人ってことかな」
「兄さんの初めて……」
「……おい、言い方に語弊があるって。バイト感覚でモデルを始めて、才能があるよって言ってくれたのが理人さんだったんだよ」
「ふうん……」
「それから何度か一緒に仕事したくらい。もちろん食事にも行ったし、普通に仲がいい程度かな」

コートをクローゼットにかけて部屋を出ようとするが、ドアの前に藍が立っていて通してくれない。藍が聞きたいことには答えたのだから早く解放してほしいという意味も込めて彼の腕を叩いてみたが、逆に彼から腕を掴まれた。

「い……っ!?」

腕を掴まれたまま藍に引きずられていった先は寝室で、ぼふりとベッドに押し倒される。お互い酔うほどお酒は飲んでいないはずだが、藍が真顔で見下ろしてきたのでどくどくと心臓が早鐘のように脈打った。

「寝てないよね?」
「はぁっ!?」
「英さんとは寝てないかって聞いてるんだけど」
「あ、っるわけないだろ、バカ!俺がそんな手で仕事取ってると思うな、失礼にもほどがあるだろ!」
「そういうわけじゃない。ただ、性的に好意を抱いてたことがないかどうかを知りたいだけ」
「は……」

藍が聞きたいのは、由利と理人が過去に恋人関係だったか、ということだろう。由利の過去の恋愛を気にするくらい『本気』なのかと思うと、ようやく現実味が増してきた。

「……藍。俺がアルファだって、知ってるよね?」
「それが?」
「理人さんもアルファなんだよ。だから、お互いに恋愛対象じゃない」
「じゃあ、どうして僕たちはあんなことしたの?しかもアルファの由利のほうから……アルファ同士の恋愛が"あり得ない"なんてあり得ないよ」
「それは!あの時はまだ藍がアルファだって知らなかったから……!」
「だとしても。由利はその時"アルファ"だったのに、僕を受け入れたんだよ。言ってることが矛盾してるよね、由利?」

そうだ、言ってることが矛盾しているのは分かっている。

藍がとうとうその事実に気づいてしまったことも、アルファ同士の恋愛があり得なくないことも彼は分かっているから、由利の前に現れたのだ。子供を産めようが産めまいが関係なく、ただただ『由利』のことを欲して。

「番になれるとかなれないとか、子供を産めるとか産めないとか関係ない。僕は由利が欲しいからここに来た」

藍は、どこまでも真っ直ぐな瞳をしている。目的のためにただ真っ直ぐ進んでいる彼の恐ろしいほどの純粋さに、由利は本当に逃げ場がないなと感じた。どこに逃げても、世界の果てまでも、藍は追いかけてくるのだろう。人はそれを執着と言うが、ここまで完璧な『愛』があるだろうか?


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