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第五章 きみはうつくしい
君の隣でいつまでも
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十二月の中旬、高校二年の冬休み前に行われる二者面談。
窓の外は殆ど夜と言っていいくらいの暗さで、一部熱心な運動部による気合の入った掛け声がやけに大きく聞こえている。
今まで面談は取り調べや拷問の類縁だと思っていたが、今日は心穏やかに挑めている。
目の前の担任は、机に並べた俺の成績や進路希望調査票を順番に指さしてから上機嫌に言った。
「中間から成績は順調に上がってるし、進路も固まって、受験生としての自覚が芽生えたみたいで先生安心したよ。聞く限り映画も自制しているみたいだし、ここまで意識が変わるなんて、正直驚いたぞ」
「まぁ、色々ありまして。本当に色々」
思い返せば黒江との初めての会話は九月の面談のときだった。あれからほんの三か月しか経っていないのが信じられないほど濃密な日々だった。
「うん。なんだか顔つきも大人っぽくなったな。文化祭でも率先して——って雑談になっちゃうな。もう遅いし、質問とか無ければ終わりにするが」
「あ、それじゃあ数学の参考書でおすすめって——」
*
「さぶい……」
ありがたいことだが、軽い質問のつもりが先生の教育魂に火をつけてしまったようで結局長く話し込んでしまった。
幸いだったのは今日は後の人が居なかったことだ。ただ、そのせいでこんな寒空の中帰らされているとも言える。
キンと冷えた頭には“受験生としての自覚”、という言葉が何度もリフレインしていた。
「三学期から、受験勉強本格化するよな。黒江も」
今はまだ週三回の映画鑑賞会を続けられている——期末テストのときはまた勉強会になった——が、近いうちに会を続けることは難しくなるだろう。
お互いの事を考えるならすぐにでも止めるべきなのだろうが、その踏ん切りは付けられないでいる。
自分の将来設計、黒江との関係。
最近は寝ても覚めてもこのことばかり考えている。
考え込んで唸りながら歩いていると、いつの間にか例の橋が目の前に現れた。
未だにここを一人で通るときは黒江の姿が在りはしないかと神経を尖らせてしまう。まぁ実際に居るわけはな——。
「え」
居る。橋の中腹、街灯の下。黒江ナナが佇み、川を見下ろしている。
俺が見間違えるはずがない。飛び降りようとする彼女の姿を思い出さなかった日は無いのだから。
また考えるよりも早く駆け出していた。全身がカッと熱くなって嫌な汗が湧き出す。
「黒江!」
その背中に向けて呼びかけた。
走っている間、いくつもの思考が浮かんでは消えた。俺が無自覚に傷つけてしまった? また絵梨さんと何かトラブルが? それとも——考えても仕方がないと分かっていても勝手に脳は働き続ける。
そして、振り向きかけている彼女の手を掴んだところであの日との大きな違いに気が付いた。彼女は欄干の内側立っていたのだ。
「わっ、びっくりした。どうしたの? そんな慌てて」
彼女は驚きつつも、柔らかな笑顔をたたえていた。
呑気なその声や顔から生き死にの葛藤のようなものは感じ取れない。要するに、ただの杞憂だったのである。
それが分かった途端、強張っていた全身が脱力して、危うく膝から崩れ落ちそうになってしまった。身体を支えるために手を付いた欄干はあり得ないくらい冷たかった。
「——なんでこんなとこいるんだよ」
「えっと、話したい事あったから慎を待ってたんだけど……なんか怒ってる? やっぱり事前に連絡しておくべきだったかな」
「そう、か……いや、ごめん。ちょっと早とちりした」
「早とちり? あっ、そういうこと、か」
黒江は、俺の異常な様子に最初は戸惑っていたが、その言葉でようやく全てを察したらしい。
彼女は一瞬視線を斜め下に、川の方に落としてから、再びこちらの目を真っ直ぐに見て言った。
「神崎君の中で私はまだ“今にも死んじゃいそう”に見える?」
「そうは、見えないけどさ。少なくとも普段は」
「そうでしょ? 私、誰かさんのおかげで今すごく楽しいから、ね。どこにもいかないよ」
その声はどこか慈愛を感じるものだった。今まであまり聞いたことがない声だ。
さっきの勘違いのせいもあって、その言葉一つ一つが涙腺を刺激してくる。
「後悔とか不安もあるけど、あのときみたいにそれが全部じゃない。多分それって、すごく普通の事だと思うんだ」
「普通か。それは……凄いことだな」
「うん。大躍進」
彼女はそう言って自慢げにピースサインを突き出してきた。
思わず漏れた笑いと共に、一筋だけ涙が頬を伝った。彼女はそれを指摘することなくただ一緒に笑ってくれた。
俺が涙を拭うと、彼女はまた口を開いた。
「——私ね、『ファルコン・レイク』に凄く共感したんだけど、ラストシーンで一つ吞み込めないところがあってさ」
「急だな。どのへん?」
本当に唐突の話題転換だが、半ば反射的に俺の脳裏にはあのラストシーンがぼんやりと浮かんだ。
湖の幽霊になったバスティアンがクロエの「独りじゃない」という言葉を真実にする。クロエがその存在に気が付いたのか否かは観客に委ねられて終わる。
解釈は色々あるが、居住地や年齢など“一緒に居られない理由”を全て取っ払う手段が幽霊になることだった、というのが俺達の出した結論だった。
黒江もそのときは特に気になった点などは言っていなかったはずだが……等、巡る思考は身体に伝わる軽い衝撃によって中断された。
「えい」
「あの、黒江さん……なぜ抱きつくのでしょうか」
「………」
何もかも急すぎて理解が追い付かないが、彼女が抱きついてきた。こんな往来で、それも力強く、背中に回された腕は鈍い痛みが走るくらい全力で、だ。
戸惑いはあるが、嬉しさや多幸感もまた湧いてくる。複雑な感情を体現したように行き場に惑った両手を彼女の肩に伸ばそうとしたそのとき、胸に顔を埋めたまま彼女は続きを話し始めた。
「死んじゃったらこの温もりも伝わらないでしょ。心の繋がりって言えば綺麗だけど、その乖離はかえって寂しくなると思う。好きな人と一緒に居るのに触れられないなんて——今の私はそれに耐えられないだろうなって」
「黒江、それは」
「うん、私は慎が好きだよ。大好き。ほんとに……ごめんね。本当は伝えるつもりなかったんだけど、色々溢れちゃった」
それは紛れもなく愛の告白だった。
理解した途端、心臓がバクバクと音を立てて拍動を強めた。それも全て彼女に筒抜けだというのに。
本当に驚いてしまってどう反応すればいいのか、今自分がどんな感情になっているのか何も分からない。
当然嬉しい。ただ、彼女に“謝らせてしまった”ことへの自責の念が喜びと同じくらい膨らんでいた。
「私に生きる理由をくれたアナタと、ずっとじゃなくていいから、一緒に居たいの。私なんか迷惑かもしれないけど」
彼女は今にも泣きそうな尻すぼみになる声で、苦し気に続けた。それに合わせて腕の力もどんどん弱まっていった。その細い肩はかすかに震えている。
その声で、その姿を見て、ようやく覚悟が決まった。
両手を彼女の肩に置き、出来る限り優しく彼女を引き離した。その不安そうな顔から目を逸らさず、カラカラに乾いた喉から言葉を絞り出した。
「俺はずっと一緒がいい」
「……死んじゃ嫌だよ?」
「いやそうじゃなくて……ちゃんと言葉にするから、ちょっと待って」
やはり俺はどこまでいってもダサい奴だ。ここぞという時でも締まらない。
でもダサいなりに、せめて心を尽くして彼女への想いを伝えるんだ。
「最初は偶然と使命感だったけど、段々黒江と居る時間が大切になってた。一緒に映画を観るのも、感想語り合うのも、ただ遊んだり喋ったりするだけでも、いや隣にいるだけでどうしようもなく幸せで……黒江も楽しそうだと、その何倍も嬉しくなるんだ」
黒江と過ごした日々の思い出と一緒に、ずっと秘めていた想いが湧き上がってくる。溢れすぎて上手くまとまらない——黒江もこんな感じだったのだろうか。
俺は何が言いたい。どうしたい。もっと真っ直ぐに彼女への想いを伝えられる言葉はなんだ。映画の主人公たちはこういう時どうしていた?
——いや、違う。誰かの借り物じゃない。何にも依らない俺の心から出る言葉を伝えなければ。
「だから、要するに……」
そのとき、自問自答でぐちゃぐちゃになった脳内で、誰かに鼓舞されたような気がした。
『ガンバレ』
俺の頭の中にもかかわらず、それはいくつもの誰かの声が混ざった温かい声だった。
同時に、一つの言葉がハッキリと浮かんで、視界が開けた感じがした。
きっとあの声は都合のいい妄想だ。だがその後押しのおかげでちゃんと伝えられる。この部不相応なわがままを。
「愛してる」
「——ッ!」
「黒江ナナさん。結婚を前提に、俺と恋人になってくれませんか」
彼女は目を見開き、しばらく放心状態になった。
一秒毎に心臓の拍動は大きく、胸中の不安は増す。努めてそれを表に出さないように抑え込んでいると、黒江の口がゆっくりと開いた。
「……ちょっと飛躍し過ぎじゃない?」
「やっぱり、ダメかな」
「ふふっ、私も同じ気持ちだから、ダメなわけない。ただ、後悔してももう遅いからねっ」
彼女は無邪気に笑うと両手を素早く俺の首元に回してぐいと引き寄せ、自らの唇を俺の口に軽く押し当てた。
「なっ……!」
「誓いのキス、必要でしょ?」
黒江は硬直する俺からスルリと抜け出して「ちょっと歩こー」と言って跳ねるように歩き出してしまった。
ああ、俺は一生この人に敵わないんだろうな、と苦笑しながらその背中を追いかける。
雲一つない高く広い星空の夜だった。
・エピローグ
「あっ……! 本題忘れてた」
黒江の家の方へ歩いていると、彼女がハッと足を止めた。繋いでいた手が引っ張られてよろけそうになる。
そういえば話があってあそこで俺を待っていたと言っていた。
「こんな寒い中わざわざ待ってしたかったんだから、大事な話だよな」
「うん、凄く大事。それこそ映画鑑賞会の話なんだけどね」
彼女はそう前置きして、少し言いにくそうに喋り出した。
「私達、これから忙しくなるでしょ? だからその、せっかく恋人にもなったのに本当に惜しいんだけどさ」
なんとなく察していたが、やはり鑑賞会は終わりか。仕方がないとはいえやはり悲しい。
だが、最初の役目は十分に果たしただろう。また落ち着いたらそのときに——。
「頻度、下げない? 週に一回とか」
「えっ……週一、いいの? 無くすんじゃなくて?」
想定外の折衷案に思わず聞き返してしまう。
「もっと受験が近づいたらそうした方が良いだろうけど、息抜きも必要じゃない? それにその、私は純粋にあの時間が好きなんだけど、慎はそうでもなかった?」
「いやいやそんな訳ない! 黒江さえ良いなら、いくらでも続けたいよ」
「良いに決まってるでしょ。むしろ、ここまで染めておいて放り出されても困る。まだあるでしょ? “死ぬ前に観て欲しい映画”」
「当然。どんどん作品は増えていくし、一生無くならないぞ」
黒江は「そっか」と、はにかんで笑って心底楽しそうに言う。
「じゃあ、次は何観ようか?」
窓の外は殆ど夜と言っていいくらいの暗さで、一部熱心な運動部による気合の入った掛け声がやけに大きく聞こえている。
今まで面談は取り調べや拷問の類縁だと思っていたが、今日は心穏やかに挑めている。
目の前の担任は、机に並べた俺の成績や進路希望調査票を順番に指さしてから上機嫌に言った。
「中間から成績は順調に上がってるし、進路も固まって、受験生としての自覚が芽生えたみたいで先生安心したよ。聞く限り映画も自制しているみたいだし、ここまで意識が変わるなんて、正直驚いたぞ」
「まぁ、色々ありまして。本当に色々」
思い返せば黒江との初めての会話は九月の面談のときだった。あれからほんの三か月しか経っていないのが信じられないほど濃密な日々だった。
「うん。なんだか顔つきも大人っぽくなったな。文化祭でも率先して——って雑談になっちゃうな。もう遅いし、質問とか無ければ終わりにするが」
「あ、それじゃあ数学の参考書でおすすめって——」
*
「さぶい……」
ありがたいことだが、軽い質問のつもりが先生の教育魂に火をつけてしまったようで結局長く話し込んでしまった。
幸いだったのは今日は後の人が居なかったことだ。ただ、そのせいでこんな寒空の中帰らされているとも言える。
キンと冷えた頭には“受験生としての自覚”、という言葉が何度もリフレインしていた。
「三学期から、受験勉強本格化するよな。黒江も」
今はまだ週三回の映画鑑賞会を続けられている——期末テストのときはまた勉強会になった——が、近いうちに会を続けることは難しくなるだろう。
お互いの事を考えるならすぐにでも止めるべきなのだろうが、その踏ん切りは付けられないでいる。
自分の将来設計、黒江との関係。
最近は寝ても覚めてもこのことばかり考えている。
考え込んで唸りながら歩いていると、いつの間にか例の橋が目の前に現れた。
未だにここを一人で通るときは黒江の姿が在りはしないかと神経を尖らせてしまう。まぁ実際に居るわけはな——。
「え」
居る。橋の中腹、街灯の下。黒江ナナが佇み、川を見下ろしている。
俺が見間違えるはずがない。飛び降りようとする彼女の姿を思い出さなかった日は無いのだから。
また考えるよりも早く駆け出していた。全身がカッと熱くなって嫌な汗が湧き出す。
「黒江!」
その背中に向けて呼びかけた。
走っている間、いくつもの思考が浮かんでは消えた。俺が無自覚に傷つけてしまった? また絵梨さんと何かトラブルが? それとも——考えても仕方がないと分かっていても勝手に脳は働き続ける。
そして、振り向きかけている彼女の手を掴んだところであの日との大きな違いに気が付いた。彼女は欄干の内側立っていたのだ。
「わっ、びっくりした。どうしたの? そんな慌てて」
彼女は驚きつつも、柔らかな笑顔をたたえていた。
呑気なその声や顔から生き死にの葛藤のようなものは感じ取れない。要するに、ただの杞憂だったのである。
それが分かった途端、強張っていた全身が脱力して、危うく膝から崩れ落ちそうになってしまった。身体を支えるために手を付いた欄干はあり得ないくらい冷たかった。
「——なんでこんなとこいるんだよ」
「えっと、話したい事あったから慎を待ってたんだけど……なんか怒ってる? やっぱり事前に連絡しておくべきだったかな」
「そう、か……いや、ごめん。ちょっと早とちりした」
「早とちり? あっ、そういうこと、か」
黒江は、俺の異常な様子に最初は戸惑っていたが、その言葉でようやく全てを察したらしい。
彼女は一瞬視線を斜め下に、川の方に落としてから、再びこちらの目を真っ直ぐに見て言った。
「神崎君の中で私はまだ“今にも死んじゃいそう”に見える?」
「そうは、見えないけどさ。少なくとも普段は」
「そうでしょ? 私、誰かさんのおかげで今すごく楽しいから、ね。どこにもいかないよ」
その声はどこか慈愛を感じるものだった。今まであまり聞いたことがない声だ。
さっきの勘違いのせいもあって、その言葉一つ一つが涙腺を刺激してくる。
「後悔とか不安もあるけど、あのときみたいにそれが全部じゃない。多分それって、すごく普通の事だと思うんだ」
「普通か。それは……凄いことだな」
「うん。大躍進」
彼女はそう言って自慢げにピースサインを突き出してきた。
思わず漏れた笑いと共に、一筋だけ涙が頬を伝った。彼女はそれを指摘することなくただ一緒に笑ってくれた。
俺が涙を拭うと、彼女はまた口を開いた。
「——私ね、『ファルコン・レイク』に凄く共感したんだけど、ラストシーンで一つ吞み込めないところがあってさ」
「急だな。どのへん?」
本当に唐突の話題転換だが、半ば反射的に俺の脳裏にはあのラストシーンがぼんやりと浮かんだ。
湖の幽霊になったバスティアンがクロエの「独りじゃない」という言葉を真実にする。クロエがその存在に気が付いたのか否かは観客に委ねられて終わる。
解釈は色々あるが、居住地や年齢など“一緒に居られない理由”を全て取っ払う手段が幽霊になることだった、というのが俺達の出した結論だった。
黒江もそのときは特に気になった点などは言っていなかったはずだが……等、巡る思考は身体に伝わる軽い衝撃によって中断された。
「えい」
「あの、黒江さん……なぜ抱きつくのでしょうか」
「………」
何もかも急すぎて理解が追い付かないが、彼女が抱きついてきた。こんな往来で、それも力強く、背中に回された腕は鈍い痛みが走るくらい全力で、だ。
戸惑いはあるが、嬉しさや多幸感もまた湧いてくる。複雑な感情を体現したように行き場に惑った両手を彼女の肩に伸ばそうとしたそのとき、胸に顔を埋めたまま彼女は続きを話し始めた。
「死んじゃったらこの温もりも伝わらないでしょ。心の繋がりって言えば綺麗だけど、その乖離はかえって寂しくなると思う。好きな人と一緒に居るのに触れられないなんて——今の私はそれに耐えられないだろうなって」
「黒江、それは」
「うん、私は慎が好きだよ。大好き。ほんとに……ごめんね。本当は伝えるつもりなかったんだけど、色々溢れちゃった」
それは紛れもなく愛の告白だった。
理解した途端、心臓がバクバクと音を立てて拍動を強めた。それも全て彼女に筒抜けだというのに。
本当に驚いてしまってどう反応すればいいのか、今自分がどんな感情になっているのか何も分からない。
当然嬉しい。ただ、彼女に“謝らせてしまった”ことへの自責の念が喜びと同じくらい膨らんでいた。
「私に生きる理由をくれたアナタと、ずっとじゃなくていいから、一緒に居たいの。私なんか迷惑かもしれないけど」
彼女は今にも泣きそうな尻すぼみになる声で、苦し気に続けた。それに合わせて腕の力もどんどん弱まっていった。その細い肩はかすかに震えている。
その声で、その姿を見て、ようやく覚悟が決まった。
両手を彼女の肩に置き、出来る限り優しく彼女を引き離した。その不安そうな顔から目を逸らさず、カラカラに乾いた喉から言葉を絞り出した。
「俺はずっと一緒がいい」
「……死んじゃ嫌だよ?」
「いやそうじゃなくて……ちゃんと言葉にするから、ちょっと待って」
やはり俺はどこまでいってもダサい奴だ。ここぞという時でも締まらない。
でもダサいなりに、せめて心を尽くして彼女への想いを伝えるんだ。
「最初は偶然と使命感だったけど、段々黒江と居る時間が大切になってた。一緒に映画を観るのも、感想語り合うのも、ただ遊んだり喋ったりするだけでも、いや隣にいるだけでどうしようもなく幸せで……黒江も楽しそうだと、その何倍も嬉しくなるんだ」
黒江と過ごした日々の思い出と一緒に、ずっと秘めていた想いが湧き上がってくる。溢れすぎて上手くまとまらない——黒江もこんな感じだったのだろうか。
俺は何が言いたい。どうしたい。もっと真っ直ぐに彼女への想いを伝えられる言葉はなんだ。映画の主人公たちはこういう時どうしていた?
——いや、違う。誰かの借り物じゃない。何にも依らない俺の心から出る言葉を伝えなければ。
「だから、要するに……」
そのとき、自問自答でぐちゃぐちゃになった脳内で、誰かに鼓舞されたような気がした。
『ガンバレ』
俺の頭の中にもかかわらず、それはいくつもの誰かの声が混ざった温かい声だった。
同時に、一つの言葉がハッキリと浮かんで、視界が開けた感じがした。
きっとあの声は都合のいい妄想だ。だがその後押しのおかげでちゃんと伝えられる。この部不相応なわがままを。
「愛してる」
「——ッ!」
「黒江ナナさん。結婚を前提に、俺と恋人になってくれませんか」
彼女は目を見開き、しばらく放心状態になった。
一秒毎に心臓の拍動は大きく、胸中の不安は増す。努めてそれを表に出さないように抑え込んでいると、黒江の口がゆっくりと開いた。
「……ちょっと飛躍し過ぎじゃない?」
「やっぱり、ダメかな」
「ふふっ、私も同じ気持ちだから、ダメなわけない。ただ、後悔してももう遅いからねっ」
彼女は無邪気に笑うと両手を素早く俺の首元に回してぐいと引き寄せ、自らの唇を俺の口に軽く押し当てた。
「なっ……!」
「誓いのキス、必要でしょ?」
黒江は硬直する俺からスルリと抜け出して「ちょっと歩こー」と言って跳ねるように歩き出してしまった。
ああ、俺は一生この人に敵わないんだろうな、と苦笑しながらその背中を追いかける。
雲一つない高く広い星空の夜だった。
・エピローグ
「あっ……! 本題忘れてた」
黒江の家の方へ歩いていると、彼女がハッと足を止めた。繋いでいた手が引っ張られてよろけそうになる。
そういえば話があってあそこで俺を待っていたと言っていた。
「こんな寒い中わざわざ待ってしたかったんだから、大事な話だよな」
「うん、凄く大事。それこそ映画鑑賞会の話なんだけどね」
彼女はそう前置きして、少し言いにくそうに喋り出した。
「私達、これから忙しくなるでしょ? だからその、せっかく恋人にもなったのに本当に惜しいんだけどさ」
なんとなく察していたが、やはり鑑賞会は終わりか。仕方がないとはいえやはり悲しい。
だが、最初の役目は十分に果たしただろう。また落ち着いたらそのときに——。
「頻度、下げない? 週に一回とか」
「えっ……週一、いいの? 無くすんじゃなくて?」
想定外の折衷案に思わず聞き返してしまう。
「もっと受験が近づいたらそうした方が良いだろうけど、息抜きも必要じゃない? それにその、私は純粋にあの時間が好きなんだけど、慎はそうでもなかった?」
「いやいやそんな訳ない! 黒江さえ良いなら、いくらでも続けたいよ」
「良いに決まってるでしょ。むしろ、ここまで染めておいて放り出されても困る。まだあるでしょ? “死ぬ前に観て欲しい映画”」
「当然。どんどん作品は増えていくし、一生無くならないぞ」
黒江は「そっか」と、はにかんで笑って心底楽しそうに言う。
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