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キャリントン侯爵家10

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『わたし、テレンスが描く絵が大好き!』
子供の頃のスカーレットが満面の笑みでテレンスに掛けた言葉。それは魔法の言葉だった。

可愛らしくもあり美しくもある当時のスカーレットは、女神の幼少期と言われても何の不思議もない少女だった。
けれど、魔法使いではない女神の幼少期姿のスカーレットに、テレンスは言葉で魔法に掛けられたのだ。

『絵が描けても、アルの側近としては役に立たない』
『そんなことない!テレンスの絵は皆と違う感じの絵で、皆を楽しい気持ちにする!それって凄いことだわ。見る人が多ければ多い程、沢山の人を楽しい気持ちに出来るのよ』

確かに当時のテレンスの絵は、他の子供達の描写と大きく違っていた。それに対しスカーレットは皆と違う絵というレッテルを貼らずに、良い点を挙げて褒めてくれた。それからテレンスは時間がある時には絵を描くことを楽しんだ。皆と同じような絵を描く為の練習をすることなく、独自のタッチで自由な世界を。
その時間はとても楽しいもので、テレンスは鳥になったような気分で空から見えるだろう世界を自分の目というフィルターを通して描いていたった。絵を描く時間を少しでも多く持つ為に、気付けばテレンスは他の勉強を集中し効率良く行うようになっていたのだ。

スカーレットの十三歳の誕生日、テレンスは少しでも楽しい気分になってもらえればと心を込めて描いた絵を贈った。様々な色のアネモネのような花が咲き乱れる絵。『王子妃教育が大変な時にスカーレットを励ませられますように』とメッセージを添えたカードと共に。

しかし、メッセージカードを見たスカーレットが今にも落としそうな涙を目に貯めた。

『この花嫌いだった?』
『ううん、とっても可愛い』
『じゃあ、どうして泣きそうなの』
『嬉しくて。ありがとうテレンス。一つ一つのお花がわたしに言葉を掛けてくれているみたい。明日から、また頑張れそう、ありがとう』

テレンスは側近教育をジョイスと共に受けている。けれど、スカーレットは妃教育を一人でやりきらなければならない。それはどんなに大変なことなのだろうかとテレンスは思った。描かれた何本もの花が、スカーレットにはそれぞれ何かを囁き力付けてくれているように見えたのだとテレンスは直感的に理解したのだ。現実で花が人に話し掛けることなどない。でも、絵にはその力がある。

絵を描くことを好きにしてくれたスカーレットの魔法の言葉。そして、絵は何もしゃべれないというのに、見る人にメッセージを送るという魔法が使えるとテレンスはその時悟った。

だというのに、テレンスは貴族学院に入学した頃から絵を描く時間を持たなくなってしまっていた。魔法を御伽話の世界のものとして自分から完全に切り離してしまったのだ。

『スカーレット、どうかもう一度、俺が魔法を使えるように…』
テレンスは心の中でスカーレットへの言葉を唱えると、あの頃の優しい思い出を頭に思い浮かべた。

『この鳥さんはテレンス?じゃあ、わたしはどこ?』
『スカーレットはこの星だよ。この夜の鳥は星の輝きに照らされて、毎晩羽が光るんだ』
どんな暗闇でもスカーレットは輝き、テレンス達の進む道を照らそうとしてくれていたのに。

スカーレットがあの状況でも国の為にと頑張り続けたように、テレンスも与えられた役割を全うしなくてはいけないと思った。キャリントン侯爵家から切り離されたくないが故に婿入りを果たすのではなく、国のことを想い前へ進まなくては。
そしてテレンスは気付いた、これこそが政略結婚なのだと。けれど、今から書く手紙は婿入りを熱望する為の決意表明ではない。
テレンスは文字を書く代わりに、便箋にいきなり絵を描き始めたのだった。
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