上 下
10 / 506

10

しおりを挟む
ファルコールの館には予定日の昼過ぎに到着。研究員達は勿論出払っていたが、館の世話人が出迎えてくれたのだった。世話人は二人で、年の頃は四十代前半くらいの夫婦。薫の本来の年齢に近い二人に、つい親近感が湧いてしまったのはしょうがない。

「では、早速こちらを守る私兵のお二人を紹介しますね」
「私兵の方もこちらにお住まいなのですか?」
侯爵から聞いていなかっただけで、他にも住人がいるのかと薫は世話人に確認をしたのだった。

「いえ、彼らは当番制でこちらに駐在しています。研究所とその大切な資料や家畜を守るのが仕事です。これからは、スカーレットお嬢様の為に人数が増えるかもしれませんが」
薫が移り住むことで、迷惑を掛けるのは避けたいところ。後になって言うよりも、こういうことは先に伝えておかないと面倒なことになる。

「当番の私兵の方は今まで通りの人数で大丈夫よ。元々ファルコールは治安の良いところだもの。それに、私兵の方達の宿舎はここに来る前に通過してきたけれど、大して離れていないわ。そもそもあそこを通過しないとここに来ることは出来ないでしょ」

流石は騎士団を管轄するキャスト―ル侯爵。研究内容と侯爵家の建物を守る為に、私兵の詰め所と宿舎を絶妙に配置している。
薫はたまたまファルコールという場所に惹かれ選んだが、この立地条件があったから侯爵は送り出してくれたのかもしれない。そしてそれは、侯爵がどれほどスカーレットを愛しているかの現れでもあるだろう。
だからこそ、薫はここでスカーレットとして幸せな日々を送らなくてはいけないと心に誓ったのだった。

でもそれは侯爵家のお嬢様として、のんびり暮らすことではない。まずは、スカーレットが愛する父が治める領と領民の為に出来ることを始めなくては。

当番私兵の紹介が終わると、薫は早速ナーサ達へと同じお願いをすることにした。そう、スカーレットお嬢様ではなくキャロルと呼んで欲しいと。まるで数日前のやり直しのように、それを初めて聞いた四人は顔を顰めた。それでも薫は譲らない。
「これからわたしがここで始めることの為にも、どうしてもキャロルと呼んで欲しいの。この場所でスカーレットお嬢様と呼ばれたら動き辛いもの」
「スカーレットお嬢様、始めることとは?」
「ここに来るまでに皆で考えたことがあるの。それを少しでも実現する為に、侯爵家のお嬢様スカーレットではなく、ただのキャロルとして過ごしたい。だから、お願い、スカーレットとは呼ばないで」

最終的には貴族学院で色々あったからこそ、このファルコールで違う名前でスタートしたいと薫は押し切った。そして、その日の当番私兵だったレイとショーンは王都でのことを聞くと怒りの表情を堪えるかのようにしながらキャロルと呼ぶことを納得してくれたのだった。
ナーサの悔しさで今にも涙が落ちそうな顔が加勢してくれたことは言うまでもない。

「出来れば貴族学院でのことはもう話したくないの。レイとショーンには申し訳ないのだけれど、他の方達へもわたしの呼び方と事情を伝えてもらえるかしら」
何回も同じ遣り取りを避けるべく、薫は悲しそうな顔で二人へお願いした。本当は話すのが嫌ではなく、面倒を回避したいのと、こういうことは人伝のほうが効果的だと考えたからだ。

「分かりました、キャロルさん」
伝言を引き受けてくれた二人を見ながら薫は思った。自分は死んでしまったというのに、この世界で楽しくやって行けそうだと胸が高鳴るなんて不思議でしょうがないと。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

婚約者のいる側近と婚約させられた私は悪の聖女と呼ばれています。

鈴木べにこ
恋愛
 幼い頃から一緒に育ってきた婚約者の王子ギルフォードから婚約破棄を言い渡された聖女マリーベル。  突然の出来事に困惑するマリーベルをよそに、王子は自身の代わりに側近である宰相の息子ロイドとマリーベルを王命で強制的に婚約させたと言い出したのであった。  ロイドに愛する婚約者がいるの事を知っていたマリーベルはギルフォードに王命を取り下げるように訴えるが聞いてもらえず・・・。 カクヨム、小説家になろうでも連載中。 ※最初の数話はイジメ表現のようなキツイ描写が出てくるので注意。 初投稿です。 勢いで書いてるので誤字脱字や変な表現が多いし、余裕で気付かないの時があるのでお気軽に教えてくださるとありがたいです٩( 'ω' )و 気分転換もかねて、他の作品と同時連載をしています。 【書庫の幽霊王妃は、貴方を愛することができない。】 という作品も同時に書いているので、この作品が気に入りましたら是非読んでみてください。

(完結)(R15)婚約者様。従姉妹がそんなにお好きならそちらでどうぞお幸せに!

青空一夏
恋愛
 私はオリーブ・ハーパー。大きな商会を経営するハーパー家の娘だ。私には初恋の相手がおり、それはシュナイダー伯爵令息だった。  彼は銀髪アメジストの瞳のとても美しい男の子だった。ハーパー家のパーティに来る彼に見とれるけれど挨拶しかできない私は、パーティが苦手で引っ込み事案の気が弱い性格。  私にはお兄様がいていつも守ってくれたのだけれど、バートランド国のノヴォトニー学園に留学してしまい、それからはパーティではいつも独りぼっちだ。私は積極的に友人を作るのが苦手なのだ。  招待客には貴族の子供達も来て、そのなかには意地悪な女の子達がいて・・・・・・守ってくれるお兄様がいなくなった途端その子達に囲まれて、私は酷い言葉を言われる。  悔しくて泣いてしまったけれど、あの男の子が助けに来てくれた。  彼はとても物知りで本が大好きだった。彼の美しさはもちろん好きだけれど、私はそれ以上に彼の穏やかな口調と優しい瞳、思いやりのある性格が大好きになった。彼に会えるのなら苦手なパーティだって楽しみ。  けれど、お父様がトリーフォノ国に新しく商会をつくるというので、私はこのアンバサ国を離れることになった。ちなみにアンバサ国はバートランド国とトリーフォノ国に挟まれている。  私はそれから5年後アンバサ国に戻り、初恋の彼の婚約者になることができた。でも彼は以前と違って・・・・・・ ※異世界のお話で、作者のご都合主義で展開します。 ※ざまぁはR15です。 ※あくまで予定でありタグの変更・追加や軌道修正がはいる場合があります。 ※表紙はフリー画像(pixabay)を使用しています。

悪役令嬢の役割は終えました(別視点)

月椿
恋愛
この作品は「悪役令嬢の役割は終えました」のヴォルフ視点のお話になります。 本編を読んでない方にはネタバレになりますので、ご注意下さい。 母親が亡くなった日、ヴォルフは一人の騎士に保護された。 そこから、ヴォルフの日常は変わっていく。 これは保護してくれた人の背に憧れて騎士となったヴォルフと、悪役令嬢の役割を終えた彼女とのお話。

【完結】寝盗られて離縁しましたが、王子様の婚約者(仮)として溺愛されています!

五月ふう
恋愛
天涯孤独のルネアは、一年前、同僚のリーブスと結婚した。ルネアは国で唯一の女騎士。"女のくせに野蛮だ"と言われ続けたルネアを愛してくれたリーブス。 だが、結婚一周年記念の日。それが全て幻なのだと気付かされた。部屋のドアを開けるとリーブスが美しい女性と裸で抱き合っていて・・・。 「これは浮気では無い。これは"正しい"恋愛だ。むしろ、君に求婚したときの僕がどうかしていたんだ。」 リーブスは悪びれもなく、ルネアに言い放った。ルネアはリーブスを愛していた。悲しみと諦めの感情がルネアを襲う。 「もう君をこれ以上愛するふりはできない!さっさとこの家を出ていってくれ!!」 最小限の荷物を持ち、ルネアは家を出た。だが孤児のルネアには帰る場所どころか頼る宛もない。 職場である騎士団事務所で寝泊りできないかと、城に戻ったルネア。泣きつかれて眠ってしまったルネアは偶然、第二王子ルカと出会う。 黙ってその場を立ち去ろうとするルネアに、ルカは驚きの提案をした。 「婚約者のふりをして、俺を守ってくれないか?」 そうして、女騎士ルネアは第二王子ルカの婚約者(仮)として、日々を過ごすことになったのだ。

後悔はなんだった?

木嶋うめ香
恋愛
目が覚めたら私は、妙な懐かしさを感じる部屋にいた。 「お嬢様、目を覚まされたのですねっ!」 怠い体を起こそうとしたのに力が上手く入らない。 何とか顔を動かそうとした瞬間、大きな声が部屋に響いた。 お嬢様? 私がそう呼ばれていたのは、遥か昔の筈。 結婚前、スフィール侯爵令嬢と呼ばれていた頃だ。 私はスフィール侯爵の長女として生まれ、亡くなった兄の代わりに婿をとりスフィール侯爵夫人となった。 その筈なのにどうしてあなたは私をお嬢様と呼ぶの? 疑問に感じながら、声の主を見ればそれは記憶よりもだいぶ若い侍女だった。 主人公三歳から始まりますので、恋愛話になるまで少し時間があります。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

私を「ウザイ」と言った婚約者。ならば、婚約破棄しましょう。

夢草 蝶
恋愛
 子爵令嬢のエレインにはライという婚約者がいる。  しかし、ライからは疎んじられ、その取り巻きの少女たちからは嫌がらせを受ける日々。  心がすり減っていくエレインは、ある日思った。  ──もう、いいのではないでしょうか。  とうとう限界を迎えたエレインは、とある決心をする。

処理中です...