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眼鏡で覗いた俺の嫁

俺の嫁に毒

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 ユニコ専属秘書になってから初めてマリヨニーナに挨拶した時のことだ。

「本日より宜しくお願いします。マリヨニーナ様」

「あ、アンソニーが……秘書…………!!」
(ぷわあああ眼鏡秘書だ眼鏡秘書だアンソニーめっちゃ似合う眼鏡秘書ーーっ!!)

 相変わらず脳内ドーパミン溢れているらしいマリヨニーナの心の声。俺は自然と笑いが漏れるのに、必死で堪えていた。
 見た目は無表情なのに脳内コレだからなあ。余計に面白い。

 そしてマリヨニーナの口から俺の名前が出たことが、心を弾ませる。
『YESロリータNOタッチ』のスキルを授かってから、物理的に距離が空いていたここ数年間で、もしかしたら忘れられているかもしれないと思っていたから。

「俺の名前、覚えていて下さったのですね。これからは御当主のユニコ様に仕えさせていただきますが、マリヨニーナ様の御用もお聞きしますので、気軽に呼んでくださいませ」

 秘書らしく真面目ぶって敬語で話してみる。

「はい……、よろしく……」
(まぢ秘書! 秘書って御用聞きってするもんだっけ? ま、いっか。なんせ秘書! 真面目インテリ眼鏡秘書しかも美形が身近に拝めるなんてこれ誰得!? 私しか萌えないよ! 何これご褒美? 神様ありがとーう!)

 神に感謝って……ここで?
 俺が近くにいるというだけで、ここまで喜んでくれるなんて、これは脈アリなのだろうか。
 婚約者に選んでくれたとロナン卿から聞いてはいたが、ユニコから聞いたマリヨニーナの普段の様子では、婚約者の話題は一切なく気にかけているそぶりもないということだ。
 その辺の気持ちを聞き出したい。気持ちを確かめたい。

 出来ることならその先も……。
 俺はマリヨニーナの方へと、足を一歩踏み出したのだが――――。

「――――っ!?」

 俺の意思とは反対に、足が勝手に後ろへと動いた。前に進むどころか真逆へ。
 まるで呪いのようなスキル『YESロリータNOタッチ』が、俺の邪な想いを感知して、後ろへと、身を引かせたらしい。物理的に。

 ……この程度も駄目なのか。

 この日は渋々引き下がったが、機会があれば俺はマリヨニーナに声をかけ、意識させようと試みた。

 マリヨニーナが近くにいると、浮ついた気分になる。
 あの日、彼女が俺の嫁だと感じたあの日と、同じ高揚感に浮かされる。

 ユニコの秘書としての職務を果たしながらも、マリヨニーナのご機嫌うかがいするのを、やめられない。
 少しでも邪な気持ちで手を出そうとすれば、強制的にこの身がバックする。
 酷いと背後の壁にバシンッッと貼りつけられること数回。
 蛙の轢死体のような無様な格好で、背中から壁に貼りついた俺の姿を目撃したユニコは、「どうしたんだ?!」と、最初は心配してくれたが、スキルの強制力だと理由を話したら蛆虫を見るような目を向けてきた。さもありなん。

 俺だって十も年下の少女に懸想してハァハァしている20代前半成人男性なんてキモイと思う。
 ……だからそれ俺のことだって。

 反省も後悔もしないんだぜ。
 俺は自分のスキルと戦い続けた。
 途中で、何と戦ってるんだと思ったけど気にしたら負けだ。


 一年程が過ぎて――――。


 秘書仕事の休憩中、何気なく目についたメイドがワゴンを押す姿。
 訊けばマリヨニーナに持って行くティーセットだという。
 ワゴンの上部には、確かに彼女の好きな銘柄の紅茶。
 俺も一緒に飲むからと、戸惑うメイドを尻目にマリヨニーナの部屋へと入る。

「アンソニー……」

 椅子に座って読書をしていたマリヨニーナが顔を上げる。
 マリヨニーナは、いつでもこの部屋にいる。
 伯爵邸の別棟で厳重に保護された特別な部屋。

 南向きで明るい日差しが入ってくるからか、左壁一面の本棚には日焼けを防ぐカーテンが引いてある。
 カーテンの向こうには数多くの蔵書が眠っていて、その全てがマリヨニーナの妄想の産物だと知っているのは俺だけだ。
 マリヨニーナはもう一つの個人スキル『妄想具現化』を、誰かに見せるつもりは無いらしい。家族にすら詳しいことは内緒にしている。だが俺は知っている。

『感情読心』で垣間見た、マリヨニーナのもう一つの世界。
 彼女が転生者だと女神レリィミウの神託で告げられた時は、いまいち理解できなかったが、こうしてマリヨニーナの世界をスキルで読んでいると、前世とやらの世界が少しづつ分かるようになり、異世界の知識が増えていく。

 どうやらマリヨニーナのような思考を持つ乙女を『腐女子』というらしい。
 マリヨニーナが今読んでいる何だか薄っぺらい本は、腐女子という人種が描いた、漫画という絵がたくさんついている絵本を具現化したものらしい。

 二次創作? 作者が神?

(同人誌を異世界で布教したいけど具現化は違法ダウンロードと同義だよねこれ。私だけがハァハァしるお得具現化! セルフハァハァ!)

 ……と、なんだかまだよく理解できない単語もあるなあ。

 薄い本を棚に戻し、マリヨニーナが振り向いた。
 ふわり 中空で舞った長い銀髪が、陽光に映えていて美しい。
 思わず眩しいものを見てしまったかのように、俺は両目を細めた。

「一緒にお茶をしてもいいですか? お嬢さん」

 こくり、と頷くマリヨニーナの頬がわずかに紅潮している。
 それが薄い本を読み興奮した影響だというのは今の俺なら分かる。
 BLとやらの、男子たちの恋愛模様がいたくお気に入りのようなのだ。俺の嫁は。

 メイドに紅茶の用意をさせる。
 急遽、俺が増えても予備のカップは用意してあるようで、同じ模様のティーカップにメイドは慣れた手つきで紅茶を淹れ始めた。

 俺はマリヨニーナの手を取りエスコートし、彼女を長椅子に座らせた。
 邪な想いを抱かないエスコートは『YESロリータNOタッチ』の判定外らしい。
 これぐらいならもう、体が後ろに引かれることはない。

 このスキルの発動条件は実に曖昧模糊だ。
 なんとなく、去年に比べて規制が緩くなっている気はする。実際に彼女が成長するに従って、距離を詰めていけている気がするのだ。

 紅茶の配膳が為され、メイドが背を向けたのを見計らって、俺は「お先にいただきますね」とマリヨニーナの前に置かれた紅茶を手前に寄せて飲んだ。
 俺の方にあった紅茶は彼女の前に置いた。二人の目前にあった紅茶を入れ替えたかたちだ。
 マリヨニーナは不思議そうな顔をしたが、入れ替えた紅茶を素直に飲んだ。

 それを見届けてから、メイドに声をかける。

「もう下がっていいよ。後は俺がしとくから。あ、そうだ。これ、ユニコに渡してくれるかな」

 半分に折った一枚の魔法紙をメイドに手渡す。
 メイドが一礼して部屋を出て行く。

 パタンと扉が閉まるや否や、俺は神聖魔法『治癒』を発動させた。
 自分に向かって――――。

「え? アンソニー……?」
「ごめん、お嬢さん。危険を承知で巻き込んだ」

 マリヨニーナから動揺が伝わってくる。
 胸を抑えながら神聖魔法を使っている俺の奇妙な行動に、狼狽えるのも無理はない。

(アンソニーどうしたの?! なんだか苦しそう。これって神聖魔法? 神聖魔法って治癒の魔法だっけなんだっけ? 白魔法みたいなもんだっけ? それ使ってるってことはなんか病気か怪我? あああわかんないどうしたらいいのこの世界の常識もっと学んどけばよかった何があったのアンソニー!?)

 むしろ白魔法って何だろうと思いつつ、口端が愉悦に歪む。
 彼女に心配されてるというのが、毒にやられたという厳しい状況なのに、なんだか嬉しい。

 毒が――――あの、見たこともないメイドがティーカップに塗った毒だ。

 マリヨニーナだけを狙った犯行のおかげか、イレギュラーである俺のカップには毒が仕込んでいなかったようで、助かった。
 カップを入れ替えれば、マリヨニーナは苦しまずに済む。

 ……おそらく、ものの数分で神経を鈍らせ呼吸困難に陥らせる毒だ。
 か弱いお嬢さんなら即死亡していただろう。俺も危ないけど神聖魔法があるから、まあ、なんとか。魔法を使う隙も無いくらいの猛毒だったらヤバかったけど。

 もしマリヨニーナが毒で死んだら、第一発見者にでもなるつもりだったのだろうか、あのメイド。
 今頃、マリヨニーナが毒に倒れ、俺がオロオロしている姿でも想像してほくそ笑んでいるのだろうか、あのメイド。

 残念だったな。マリヨニーナは無事だ。

 メイドに持たせた魔法紙は一見白紙だが、ユニコなら魔力キーを流して浮き上がるドクロマークを見つけることが出来るだろう。
 予め、こういった事態を予測しての魔法紙なのだ。
 ドクロマークは毒。他にも剣のマークや動物のマーク、矢印のマークなんかも用意してある。
 マークの意味はそれぞれの危険を知らせたり方向を指示するものだ。
 どんな危険があって、それはどの方向で起こっているか。本来なら探索任務中に、居場所なんかを知らせるのに使う騎士隊内での連絡マークだ。

「アンソニー、大丈夫……?」
「…………お嬢さん」

 マリヨニーナが、胸を抑えている方の俺の腕を、掴んできた。
 え、積極的……! ドキンって、喜んでる場合じゃない。だってマリヨニーナの心は泣いている。

(うええええんん私何もできないアンソニー苦しそうなのに私、私、どうしたら……っ)

 彼女の潤んだ瞳が俺を見上げる。
 その瞳は純粋すぎて俺の目眩みそう。心臓ドキドキする。

「大丈夫ですよ。俺よりも……お嬢さんは、どこも痛くありませんか?」

 ふるふる首振るマリヨニーナが可愛い。
 こんな時じゃなきゃ邪な想いを抱いてしまったかもしれない。
 13歳になった彼女は、少女のあどけない容貌や扁平な体から徐々に脱却し始めている。具体的にいうと、胸が膨らみ始めて色気が出てきたということだ。
 俺の理性よ、がんばれ。

 とりあえず、お嬢さんからのスキンシップは『YESロリータNOタッチ』に引っかからないとみた。セーフ。
 そしてお嬢さんは毒に犯されていないみたいだ。良かった。守れた。

「良かった……」

 口にも出したことで、俺は心の底からの安堵を自覚する。

 息を吐いたところで神聖魔法を終えた。
 若干、呼吸が乱れているが正常範囲内だ。

 勿体無いが、マリヨニーナから触れてくれた手を外して立ち上がり、「お嬢さんは部屋に居て下さいね」と言い残し、メイドの後始末をつけに行った。
 まあ、言い残さなくても彼女は、この部屋に引きこもっていてくれるだろうが。
 念のため。
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