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第3部 私達でなければならない

龍との対話

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 もしもあの時に余計なことをしなかったら、とジーナは階段を昇りながら考える。

 あのまま黙って見過ごしていれば龍が現れたのでは? そうしたら私はこの剣で以って龍を討ち……そうだ討った!

 ジーナは叫ぶも、声はあたりには虚しく響いて消えた。あの日からそれ以上のことが考えられない。

 それ以上どころかその間のことすら考えることができない。

 龍が現れたら討つしかないというのに……ジーナはヘイムの左右の顔を思い浮かべながら階段をまた登り出した。

 中央に到着後、もうあの龍は表に現れている、と思うとジーナの眼の奥は熱くなるも同時に不可解さも湧き出て来る。

 何故自分を近くに侍らせているのか? 気づいていないはずがなく分からないということでは、ない。あれはこの私が誰であるということを知っている。

 他の誰よりも世界で唯一知っている。それはこちらがあれが何であるのかをこの世で唯一知っていることと同じである。

 そうであるのに追放はされずこのように帯刀すら禁じられていない。龍の騎士と同様に特別に許可されている。

 まさか私に気付いていない? そんなことはない。

 私達は何度も目を合わせ、意思のやり取りをしている。お前はそうであり、私がそうである、と。

 間違えるはずがない、もう間違えない。龍身とは、毒龍であることを。

 あれが本来の姿を現し自分がこの剣で討てば全てが終わり西へと帰ることができる。

 なら、どうして、それを分かっていながら、あの時にお前は……発作的にジーナは剣を抜き、空を切る。

 自分は龍を斬れる、とジーナは自分に言いきかせる。確実に斬れる。いついかなる時であろうと。

「私はジーナであるからだ」

 剣を収めながら呟き、また登り出していく。

 この時間はまだ冷えるな、とジーナは夜が明け薄暗さがもう消えた朝の空を見上げながら思った。

「こんなに空が青いというのに」

 儀式のため早朝に来るように、との手紙が届いたのは昨日の夕刻であった。

 だったら帰り際に伝えておけばいいもののと不満を口にするもジーナは律儀に階段を昇っていく。

 そう自分は協力をしなければならない。龍がこの世に現れることに対して。

 私は……龍と会わなければならないのだ。

 ジーナは龍の休息所にようやく登り切り前を見る、瞬間的にジーナは、龍を討つものは剣を抜いた。いや抜いていた。

 前方の机に龍は、いない。あの龍の姿はどこにも無く、いるのはただいつものように机の真ん中に座るあの人の姿が。

「剣を抜いて、どうするつもりだ?」

 声は同じであり口調もそうであるのにこの圧倒的な違和感。ジーナは納刀せずにそのまま前に歩き出した。

 その視線はずっとその右側であり、いつもは見ることのない角度の、あの半身の龍身の口元が歪んでいるのが目に入った。

 嘲笑しているのだろう、だが何に対して?

 こんなところを誰かに見られてら、という心配はジーナには無かった。

 早朝はヘイム一人で行う儀式のために立ち入りは厳禁となる。

 特別なことを除いて女官どころかシオンすらおらず今朝入ることを門衛に告げると驚くほどであった。

 ここにはいまは二人しかない。この私とそしてあの……ジーナは剣を振るうと、剣先が龍身の首筋に触れずに止まった。

 そうであるのに龍身は眉ひとつ動かさずにジーナの方を薄く笑いながら首を傾けると、剣は反射的に引かれ離れた。

「どうした龍を討つものよ。妾の首を取りに来たのではなったのか、えっ? せっかくこうして自分から斬られにいってやったのに……案外遠慮深い男なのだな」

 ジーナは息を荒げ見下ろすことしかできずにただその言葉を聞いていた。

「そんなに見つめてからに。その顔はさては妾に会いたかったか?」

 声だけ聴くことだけに集中をすれば考えずに済むし混乱は避けられる。

「言葉を交わしたくはないのか? そういえば初めて話すのか。いつも横にいたというのにな」

 独り言を続けるもその声は嬉し気でどこか虐げる快感に浸っている響きすらあった。

 それでもその声を聴く間は自分自身には向き合わなくて済んだ。それをいまやっては、駄目だと。

「人目がある故に今までそなたその会話は避けておったが、今日はようやくその時が来たな。そなたは嬉しいか? 嬉しいだろうな。妾に会うためにお前は数限りなく戦い続けたのだからな。妾も嬉しいしお前を心の底から感謝をしておるぞ」

 ジーナは剣を持った手を、止めた。動くのを止めそれは斬ることを留めるための限りない力によるものであったが、龍身はそのことを見極めていたのか、また歪んだ笑みを顔に浮かべながら悲鳴をあげる。

「おお怖い! なんという殺気がこもった眼だ。だがなぁいまの挑発であってお前は怒号と共に斬るところではないのか? こんな細い首を落すのになんの苦労もなかろうに。どうして妾をここで斬らぬ?」

 手を強く握りしめていることに痛みさえ感じ出すも、緩めることはできなかった。もしも動いてしまったら、動いたとしたらそれは。

「ソグにいた頃もお前は妾を斬れたな。いつもお前は妾を斬れた。いやこう言おうべきか。斬れなかったのではない、斬らなかったのだ。どうしてだ。ここにいる妾はなお前のよく知るように」

「私を朝一番に呼んだのはこのためか? なら帰らせてもらう。こんな下らない挑発を聞く義理などない」

 堪え切れなくなり口を開くと龍身の顔が陰気に華やいだ。

「おっようやく口を利いてくれたか。心配であったぞ。妾はずっと独り言をし続けなければならないのかと思ってな。よしこれで会話が成立したな。まぁすまなかったな本当はここにおるのがもう一人の方でそのことに胸をときめかせて足取り軽くここに来たのに残念であったな。でも、もう会えないかもしれぬぞ。何故なら……」

 左襟に手が伸び掴もうとするも、ジーナはまた手に掛けられずに止まった。触れてはならない。

「また半端にしおって。ほれ胸倉を掴んで何か言っても良いぞ許可してやる。怒りと共に、妾を傷つけるがよい」

「お前には触れたくもない」

 ジーナは手を引き睨み付ける。

「会話どころか同じ空間にもいたくはない。これ以上付き合いきれない」

「これまでずっと一緒におったではないか。仲良くお話だってしてきたというのに」

「それはお前ではない」

「違いが分かるというのか?」

 問いにジーナは間を置かなかった。

「私には分かる」

「本当にそこまで自身を持って言えるのか? あれとこれは別だと」

「私が間違えるわけがない。毒龍とヘイムを、混同するわけがない」

「だが同じになるのだぞ」

 龍身は笑いジーナは言葉に詰まった。

「もう一つになりだしている。そのことはお前だって認めるであろうに。こちらとあちらの血はきちんと混じり合っていき一つとなる。血もそうだが記憶も感情も、その全てがこちらのものとなるのだ。つまりはだ、妾がそなたにとってのヘイムというものとなってだな……ハハッ手も出せずに突っ立っていることは哀れであるな」

 ジーナは最早手を動かすことも睨むこともしなくなっていた。

 ただ今の言葉を言葉を反芻する、混じり合い一つとなる、すべては龍のものとなる、それに対して手も出せずに……

「お前の行動から考えて妾はひとつの確信を得ている」

 虚ろとなった意識の中でジーナの頭の中は龍身の言葉が否応が無く入り込んでくる。

「以前から薄々と感じておったが、今回のではっきりとしたな。龍を討つものよ。お前はこの地における龍祖の血に対して攻撃することはできぬな。やはりあの際に斬ったのはブリアンであろう」

 確認していたのか、とジーナは暗い笑みを浮かべる龍身の顔を見て寒気が走った。

 今までの挑発は全てそのことを知るために、その身を、ヘイムの身体を使って。

「読みはご存じのように完璧であったぞ。少しぐらい血は流れるだろうなとは思っておったが、それすら杞憂であった。しかもお前の意識は明確に妾に対して殺意を抱き剣を抜いた。そうだというのに手が直前で止まり、こちらから動いたら慌てて避ける。あまりにも体と心が分離しきっている」

「違う。私は自分の意志で攻撃をしなかった」

「嘘だとは言わないでやる。だがそれはお前はそう思いたいだけのことだ。心と身体一致していれば妾の首は、この胴から離れておるわ」

 龍身は左手刀で以って首を刎ねようとするも首筋で止まり笑い声が上がった。

「ずっとおかしいと思っておったわ。ソグの時に首をとっておれば全て終わりであったのに」

「そこで斬ったらお前がその身体から出て違う人のところに行くからだろう!」

 ジーナは怒鳴るも龍身はなおも動じず左手刀を前に出しその首を叩いた。

 反射的にジーナはその左手を取ると笑った。勝利を誇るような不気味な声を出した。

「ハハッどうだ! とったぞ! お前の言っていることは全部デタラメだ。このようにやろうと思えば私はお前の手を取れる! やらないだけなんだ! 私はお前が龍になるまで斬らないということは一貫している! これは私の意思によるものだ」

 咆えるも、だが龍身の顔色は一切変わらず、それどころか声の調子も上がっていた。

「ほぉなるほど。反撃には対応できるようだな。そういう仕組みであるのか……何故そうなっているのかは分からぬが、どうでもいいことだな」

「おい聞いているのか。そういう自動的な動きじゃなくてこれは私の意思で」

「すると妾の手を離しているのはお前の意思か?」

 ジーナは自分の右手が空を握っているのに気付き、愕然としその眼のまえに左手が振られた。

「身体が勝手に動いてる。その印に刻まれたお前の身体は、そういうことだ。よぉわかったであろう。いいか何度でも言ってやる。お前では妾は討てん。この身での状態で何も出来ぬお前が完全な融合体となった龍を討てるとは到底思えんが、どうだ?」

 問いにジーナは言葉が出ない。再度声を出そうとすると制せられた。

「間が、答えだ。もうこれ以上は無駄だ。妾だって説得しようとしてこんな話をしたのではない。実感をしてもらいたかっただけだ。その身を復讐の窯の中にくべ業の炎を身に纏うお前に妾がいくら何を言っても聞かぬし信じぬだろう。このあとお前は妾の言葉の全てを否定し忘れようとする。そんなことは分かっている。そうしろ。だがな、だが身体はよーく覚えておるぞ。いまの行動の全てをそれに対しては嘘は、つけん」

 自分自身に対する不可解さのため身体が竦んで動けなくなったジーナを指差しながら龍身は言う。

「儀式後に龍となった妾のもとへお前は剣を引っ提げてくるだろう。妾を討つためにな。しかしお前は身体が竦み身動きが取れず攻撃をするも斬れず当たらずに……」

 龍身は左掌を広げ爪を立てながら空を薙いだ。

「妾の爪の餌食となって、あえなき最後を遂げるのだ。今お前はそうなるものかと思っておるだろうが、そうなるに決まっておる。なんたっていまがそうなのだからな」

「お前は……」

 息も絶え絶えになりながらもジーナは尋ねる。

「お前はいったい私に対して何をしたいというのだ。こんな話をしてどうしろというのだ? 私を怒らせたいだけなのか?」

「だから警告だ。いいか?お前は察しが悪いからな。そこまで言うのならもっと直接的に言ってやる。西の故郷に帰れ。そうすれば、妾はとやかくは言わん。面倒だから反論はするな。黙って聞いていろ。お前は厄介なのだ第二隊隊長のジーナくん。そこそこの有名人でこの度の戦争の英雄。上の受けもよく部下の信望も厚い。そんなのがな龍の儀式で騒動を起こすと迷惑だ。その前にお前を始末したら面倒な騒動が発生してこれもまた面倒だ。しかもその行動は意味不明な無抵抗テロになるだとか馬鹿馬鹿しくて極めて困る」

「お前を討たずに帰れるとでも思っているのか。私はその為に西からここへ」

「思っているのはお前だけだろうに。だいたいな……なぁお前」

 龍身の笑みはより暗い陰影を顔に宿しながらも幽かな明かりを放ちながら、小声で言った。

「お前は龍を討つものではないはずだ」
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