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第3部 私達でなければならない

花束と戦争

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 その翌日は素晴らしいお日柄であったがジーナは兵舎の薄暗い一室に朝から入り、溜まっていた報告書のまとめの仕事をやっつけていた。

 無心で、何も考えないように、自らをわざと追い込むように。

「隊長どうしました? 報告書はいつでもいいとのこですとお伝えしましたよね」

 背後にノイスが現れた。早いなと思ったがもうお昼前であるのでごく普通だと気づいた。

 気づかなかったのは自分の仕事へののめり込みであり、報告書もほとんど終了していた。

 お隣失礼しますねとノイスが座り彼も作業を始めた。筆音が部屋に響き、この部屋には二人しかないことを強調しているようであった。

 筆音に混じって声が聞こえてくる。幻聴の類ではなくノイスの小声、独り言。

 そういえば彼は集中している時は独り言をいうタイプだと思い出していると妙な言葉がジーナの耳に入ってくる。

「隊長はそろそろ龍の休憩所に行かないといけない気がするんだけどなぁ」

 明らかに独り言に見せかけた注意が来た。

 さり気なく促しているのだろうが、今日はそうではない、そうじゃないと、腹にまた昨日と同じ奇妙な痛みと熱が湧いたので声が荒くなった。

「今日は行かない。ハイネさんがいないからな」

 そう言うが返事が無く、それに反発する何かがあったのかハイネの顔を思い浮かべながら言った。

「デートだとさ」
「ほぉ……」

 もうこれ以上話したくない、とジーナはわざとノイス側に書類と本を積み上げ壁を作った。もう話しかけるな、と。

 せっかく忘れていたのにと意味不明な苛立ちのなか、思う。何に対して苛立っているのか?

 だが分かっているのは、それを分かりたくないのでこうやって仕事をしているのだと。

 強く思えば無思考へ、雑音は無く筆音と紙をめくる音だけの世界へと没入して行けば、なにも憂いなどないのだ。

「別に付き合っていませんよ、それ」
「急に何だ?」

 時の流れも忘れているために唐突に聞こえかつ心を無にしているので言葉が飛び出した。

「独り言です」
「あっああ、うん、そうか」

 随分とはっきりとピンポイントな独り言だなと納得できないが構っていられないためにまた無我の境地へ行こうとすると、呼びかけられた。

「試されているのですよ」
「だからなんだ!」
「独り言ですってば」
「なぁノイス。私の心を乱さないでくれ!」
「自分から乱れに行っているのによくもまぁ……人のせいにしないでいただきたい!」

 既に立ち上がっているジーナの前にノイスが立った。ここまで怒るノイスもあまり見覚えが無い。

「ちなみにですよ隊長。俺はずっと独り言を言い続けていますからね。でも隊長が反応するのはハイネさんとのことについてだけです。他の独り言には無反応なのにそこだけ激しく反応するとは……情けない。つまりあなたはそれだけ気になって集中できていないということ、いけないことですよ」

 なんということだ、他のはまるで聞こえなかったのに……ジーナは恥ずかしさのあまり椅子にへたり込んだ。

「確かにいけないことだな。そこまで集中力の乱降下があるなんて」

 そうですよとノイスもまた椅子に座りなおし、柔らかな声で言った。

「ここは一つその話を終わらせましょう。仕事という使命にとって邪魔ですから。片付けてから仕事に戻る、これです」

「その通りだけど、片付けるとはどうやって? ゴミ箱に捨てるとか?」

「違う違うつまりシュミレーションするということです。想定してこれからの方針を立てる。もやもやで苛立つのは発生している事態に対しと将来の見通しと方策を決定していないからです。自分の中で確たる方針さえ立ててしまえば、憂うることはございません」

「なんだか戦争のような話になってきたな。前も同じような話をしたような」

「まあいつものことですから、またそういう感じで行きましょう。まず隊長のもやもやで苛立ちの原因かもしれない例の件ですが、この場合はハイネさんは隊長にデートすると告げる必要はありません。よってこれは陽動作戦と見做して方針を立てるべきです」

「えっなに? やっぱりこれもまた戦術の話なのか?」

「もちろん戦いの話です」

「狙っている敵本隊がちゃんとあるということか」

「そうです本隊もとい本命はきちんといます。その本命を揺さぶるための作戦なのですよこれは。隊長は本命の護りがガチガチに固い場合は正面から攻撃し続けますか? しませんよね。ちょっと違うところを攻めて本命を動揺させて守りを緩ませる、これが戦術です。その攻撃の場合は可能であるのならそこを攻撃しますよ、と本命に告げた方が良いですよね? 狙いがそちらだと見せかけるため。そうすればより動揺を引き出せそうですし。これを逆から見ると、もしもそっちの方が本命で本気で倒そうとする場合は、告げる必要性は0。つまりはそういうことです」

 なるほど非の打ち所のない戦術の論理展開であるもののジーナは強い違和感を抱く。

「それはそうだが……あの、こんな話をしていたんだっけ?」

「とりあえずそこは置いておきましょう。それはそうと向うは何か欲しがっていませんでした? 向うというのは敵軍であるハイネさんです。そう敵軍はいったいなにを目的でこの作戦を開始したのか、国土が欲しいとか城や金が欲しいとか、要求しませんでした?」

 ハイネが敵軍と言われるとジーナはしっくりきたのかジーナは素直に頷いた。たしかにあれは敵だ。

「敵の要求は城や金はでなかったな……そういえば仲直りの花束がどうのこうのとか。無いのかと詰られて」

「なんと! 渡しましたか、いやいいです渡しているはずありませんよね。そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。では明日渡しますよね、ああ駄目だ渡すはずがない。そんなことは優曇華の花。あなたはきっと渡さない。残念です。はい敗戦講和そして解体へ」

「また一人でブツブツ言って話を進めるな。ノイスの言っている通りだけど、決めないでくれ。まだ明日になっていないのだからな。とりあえず花をあげればいいのか」

「極端に単純化するとそうですね」

「……なんであげるんだ?」

「相手が欲しがっているからです」

「うっうーん……」

 いやだなぁとジーナは首をひねると、隊長と言いながらノイスは軽やかに悩むジーナの背後に立ち耳元で囁いた。とても良い声で。

「難しいことは考えなくて良いのですよ。俺の言うことを聞いていれば何もかもすっきり解決ですって。敵がいたら倒すと同じぐらい、ごく自然なことですよこれは」

「ハイネは敵か」

「敵ですよね」

 ジーナの問いにノイスは天からのお告げのように答えた。

「そうだよな。敵と言えば敵だ。攻撃をしてくるし」

「それを黙らせるのもまた戦いです」

 ノイスの話はとても分かりやすい、だがやはりどこか論理的ではないとジーナには感じられた。

「それにしても現実的に花を持っていくと攻撃は止むのか? 敵の弱点は花なのか?」

「いまの場合は花です。止むかあるいは大きく減ることが見込まれます。とりあえず花です。後々もっと違うものを、本命を求めてきますが、今は花でいいのです。とにかく花束です」

「違うものを求めて来るって……ハイネは私にいったい何をして欲しいのだろう」

 呟くと中腰だったノイスが背を伸ばし立ち上がった。

 ジーナが振り返り眼で追うが、ノイスは目を逸らした

「そこは二人の話なので俺の口からは何も言えません」

「うん? まぁ分かった。とりあえず明日花束を持っていく」

 そう告げるともやもやが晴れたのかジーナは集中しだし、もうノイスの独り言が気にならず仕事を終わりまで仕上げることができた。

 さて明日は戦いにいくか。
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