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第二章 なぜ私ではないのか

あなたからお礼をいただく筋合いなんてありません

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 奥底へと踏み込む一撃をヘイムは軽く受け止める。

「よいぞ」

「事務仕事に加えて中断してしまっているあの件を再開させるということも含まれていると考えてもよいのでしょうか? つまりはヘイム様の婿選定ということを」

 鳥の囀りが高く部屋中に響き渡る。その美しい鳴声は壁や机に反響しながら二人の皮膚をその下の肉に刻み込んでくるほどで。

「だからシオンがいなくなってから話すのか?」

「はいそうです。シオン様はヘイム様の前ではその手の話をしたがりませんし。だから私がその話を任せられているわけで」

「そうだな。あいつは妾が他の男にとられるのが惜しいのだろうよ。そこは昔から独占欲が強くてわがままだからな」

「姉様はお気に入りが自分から離れるのを凄く嫌がりますものね」

「当の本人は本命を確実に手にしているのにな。あれがもしも男だったらかなりの危険な男になっただろうな」

「ここだけの話ですが悪い男になったでしょうね。一人で何人もの女も悪気なく本気で愛しちゃうタイプに」

「違いないな。額に禁欲の刻印でもしてやりたいぐらいだ」

「酷いですがやむを得ませんね」

 二人は同じタイミングで咳払いのような笑い声をあげるも、視線を合わせずに会話は続けられていく。

「このことはあまりシオン様とは相談はせずにヘイム様と直接お話ししながら進めたいと思います」

「それでよいぞ。龍の婿選定を進めなけばならないからな」

「はい。ヘイム様の婿選定は是非ともこの私めにお任せください」

 すると途端に鳥の囀りが消え一切の音が消え室内に無が舞い降りた。怯むハイネは恐怖から息を潜め無意識に呼吸音すら殺した。

 返事を待つも何も無く視線をあげることすらできずにハイネはそのまま止まっていた。 無のなか止まらざるをえない。

 一線を超えたか?  もしくは踏み抜いたか? 

 何ひとつ音がせず聞こえないなかでハイネは目だけはつぶらないよう耐えた。

 ここで闇を自ら招きだしその中に入っていくとしたら……この無の場に死が訪れてしまうのでは?

 だがハイネの身体は硬直し耳鳴りすらなく緊張は瞼に集中しもはや閉じるのを待つのみとなっているようであった。

 瞼が重くなり徐々に下がっていくのを止めることができずに眼前に闇が迫って来る。激しい瞬きによって闇と光が点滅し意識も散らし、 抵抗むなしく ますます闇を欲するように瞼は半分以上も閉じて行き意識が遠ざかるなか、完全なる闇に覆われ覚悟を決めるその直前に言葉が鳴った。

「申し訳ありません、か。どうも怪しいなこれは」

 それから光が現れハイネの瞼は開きヘイムの方へ顔を向けた。だがヘイムは想像通りの姿勢であの手紙に目をやっているばかりであった。

「どうなんだ? 家庭教師ハイネよ。うん?」

 また再び耳に生なる音のごとき名も知らぬ鳥の囀りが聴こえ世界に音が戻る感覚の中で呆然としながらハイネは違うことを口にした。

「あのさっきの件のことですが」

「さっきの? ああ婿選定か。それがどうした」

「いえそのご許可の返事を待っていたというか」

「……したけれど聞こえなかったのか?」

 なぜ聞こえなかった? いやそうではない。言っていないという可能性だってある。だがそれは……音の戻った世界でハイネはヘイムを見つめるもその顔は俯いたまま全く上げない。手紙を、見ている。執拗に見返している。

 こんなに自分が見ているのに何故顔を上げないかと怒りに似た衝動によってハイネは懐から手紙を取り出すとヘイムは分かっていたように顔を上げ、眼を合わせてきた。知っていたぞと言いたげなその目の色にハイネは声が大きくなる。

「ご明察のように手紙はもう一通ございます。これがそうです、どうぞ」

 差し出すとヘイムは慌てずにゆっくりと手に取った。その動きもまたハイネの癇に障り頭が鋭くより冷静となる。

 婿をこれからきちんと選ぶという言質を得てからこれを出したかったのに。そうしなければならなかったのに。それはもう遅い、が反対はしていないと判断し進めるしかないと思いハイネは堪えた。

 あなたはそう言ったと言い張り信じればいい。もっともこの人はそんなことは言ってはいないなどそういうことは言わないだろうし自分もそこまで意地を張ることは無いだろうが、心の中は別だ。

 だから言葉を欲し心に軛を打ち込みたかったというのに。

「シオンには見せられない内容であるのか?」

「それは私自身にも分かりません」

 我ながら不思議な言い方だとハイネは思うもそれは真実であった。言葉を選んだのは自分であるが、それは彼の心をそのまま示したものであり、正反対であると同時に同類語でもあるかもしれない二つの単語の矛盾かもしれない組み合わせ。

 それが正しいのであるか間違いであるのかもハイネには未だに判別はできなかった。自分では答え合わせなど、できない。

「私自身だけではなく彼自身も分かりません」

 平衡であったヘイムの眉が崩れたのを見たハイネの胸は幾分かすっきりとした。そうだ動揺してくださいよ。私は揺らしているのですから、ちゃんと揺れろ。

「それがどちらであるのかはヘイム様の御判断のもとでお願いいたします」

「ほぉそうかそうか、あいわかった」

 こちらの深刻さなど気にもしないように……努めて、きっと見栄を張ってそういう風にしているとハイネは見なし、その一挙手一投足を見逃さずに、見た。

 その過程でハイネは思ったこれほどまでに自分がこの人を見たことは今まで一度として、無かったと。

 いつもの動きで封を開け中から手紙を取り出し広げる。そんなごく当たり前の動きをハイネは瞬きすら抑え見つめるも、そこには不自然さがどこにも無いことが驚きでもあり不快でもあった。

 とんでもないことが書かれているはずなのに。どうしてそれを面に出さない? その取り澄まし顔の下にはどんな表情があるのですか?

 あなたは私にそれを見せたくが無いがために、お得意の自制をしてそこまで頑張っているのですよね?

 粘り気のある湿った暗い熱気を内部から感じているハイネはヘイムが手紙をすぐに畳んだことに目を見張った。

 もういいのですか? 心の声に反するようにヘイムは手紙を封に戻し無造作に机の傍らに置いた。あんな内容の手紙を隠さないなんて。

 それどころかあんなにつまらない一文しか書いていなかった先に渡した手紙は凝視していたというのに、もう一つのはそんなに簡単に……演技ですか? そうですよ演技ですよね。

 この私を驚かせてあっと言わせたいがための芝居だと私には分かりますよ、とハイネは手紙を見つめながら気持ちを落ち着けていたが、筆が走る音が、聞こえた。

 視線を手紙から離すとヘイムが何かを書いていた。流れるように紙面に文字が描かれ時間から一筆書きである一文が紙面の上に描かれているのが見えるも、乾かすための時間をちょっとおいてからヘイムがすぐに折り畳んでしまった。なんて書いてあったんだ? とすぐに思い出そうとしても知らない文字であるために印象がぼやけて消えた。

 おそらくはあれは中央の文字ではなく、西の文字だ。ずいぶんと達者な筆になったものだ。いやそれよりもだ、それよりも。随分と簡単に書いたけれども、どうして?

 それはそんなに安易に出せる返事なのか?   
 あなたは何も感じてはいないのか?
 それとも……このことに関するほとんどは、私自身の勘違いなのでは? 

 ヘイムはこれも同様に静かに手紙を封筒に入れそのまま差し出すもハイネは混乱のために固まった。

 何故あの人宛の手紙を私に差し出すのか? 
 よりによって他の誰でもないこの私に?

「うん? どうしたのだハイネ。返事を持っていって欲しいのだが嫌なのか? 嫌なら他のものにするが」

 夢から醒めたようにハイネは不必要に力を入れて手紙を受け取った。

「嫌では決してありません。この私にどうかお任せを」

 そうだ当たり前だ。私以外にいないのだ。これは私がしないといけないのだ。他の誰でもなくこの私が。

 封筒をまじまじと見つめると差し出し口が開いたままであるのが分かり、あまりの隙に思考が停止すると言葉が鷹の爪のように頭を掴みに来た。

「気になるのか? 読んでも良いぞ」

 耳に入ったその声には挑発の色はなくごく普通のいつもの声であるとハイネの頭は理解をしていた。これには何の含みもない。そう作っている。

 ここでもし自分が態度を強張らせたり声を荒げたりしたらそれは滑稽なことであろう、とハイネは自分自身を客観的に見ていた。

 だからとるべき自分の態度はこの人と同じくいつもの態度で普通の声を出せば、良い。

 簡単だ。いつもやっていることだ。私はできる。いとも容易に呼吸をするように外面の良いハイネらしさを出せば、終わりなんだ……だけどそういうのはいまこの人にやりたくはない、とどうしてか思いハイネは自らの仮面をかなぐり捨てた。

「そういうわけにはいきません」

 威圧的な低い声が出た。恐らくというよりかは確実にこの人に対して出したことのない声だろうし態度だろう。

 ある種の覚悟をハイネは決めていると固まっていたヘイムの口元が微かに溶けて歪んだ。

 笑った? と分からないもののハイネはなんともいえない満足感が身体に湧いてきた。

「フフッ真面目だなハイネ。分かっておる。そなたは断るだろうとな封をしそこねただけだ返してくれ、すぐにやる」

 手紙を戻るとヘイムは軽めに封をしすぐに返した。それは故意であったのか ?とハイネは疑惑を抱くもやめた。これ以上考えすぎて本音を出すのは賢明ではないと。

「これよりジーナのもとへ持っていきます」

 早くここから出たい、いや、あの塔へと行きたい。

「別に急がなくてもいいのだがな。では頼んだぞ。それとな、ひとつ言いたいことがある」

 ハイネは動きだそうと……走り出したい足にいきなり杭を打ち込まれたように仰け反るような姿勢となってしまった。どうしていま止めるのだろうか。

「あの先程のは」

「違う違うそなたのことではない。ジーナとのことだ」

 なお悪いと思うもののハイネはヘイムを見つめた。見てはいけないのに、ほら目が笑ったとハイネの胸に疼いた。

「手紙が届くたびに字と文章の上達が如実に分かるぞ。特に今回の最初の手紙の一文は内容よりも字の上手さに感心をした。これも全てそなたの指導の賜物であろうな。奴に代わって礼を言っておく」

「どうしてヘイム様が私にお礼を言われるのですか?」

 間髪おかず無意識に声に出てハイネの身体と心は宙に浮いた。ヘイムもまた予想外なためか言葉を失っている。

 立つ瀬を無くしたハイネの意識は落下していく感覚の中にいた。掴まらなくてはどこに、どこへ、なにに……だからハイネはヘイムの服に手に取った。

 落下の感覚は、消え失せた。息をしなくてはならない。それは言葉を続けれなくてはならないという意味であるとハイネは了解した。

「その必要はありませんよ」

「そうはいくまい。あれは妾とやつとの手紙のやり取りだ。それを支障なく可能にしたのはそなたのおかげ以外のなにものでもない。礼は必要だ。ジーナの代わりというのはあやつは礼など言わぬ男であろうに?」

「いいえヘイム様。そのことでしたら既に彼からお礼は頂いております」

 だからこそ私はあなたからそんなお礼など貰いたくはない。

 ほぉ、とヘイムは感心したような声を出し息が吐いているのをハイネは見る。どうしてかそれに癒されているとハイネは不思議な気持ちに気付いた。癒されたくないというのに。

「上手くいっているようだなそなたらは」

 手に力が入るのを察せられないようにハイネは勢いよく手を離した。危なかったとハイネは震える。その言葉は、危険であると。

「そっそこそこに、です」

 無様にも舌がもつれながら言うもヘイムは気にもせずに言った。

「あれからきちんとそんな言葉を引き出せるとはな予想はせんかった。じゃあ妾からの礼にしとくか」

「もったいないお言葉です。こちらこそありがとうございます」

 身体中を縛っていた鎖が外れたようにハイネはいつもの声が自然と出て普段の心にもどっていた。

「改めて手紙は頼んだぞ。これでこの件はおしまいだ。まぁこんな簡単なことでも清々とするな」

 そうは言うものの左手にもつ手紙が重さは増していくのをハイネは感じていた。簡単か。

 これは、渡すべきなのかどうなのか……ハイネは頭をなかでジーナを思い描き、すぐに現れる。

 いつもの彼があの手紙を見る姿に雰囲気を……何も言わずにただ何度も読み返す手紙を……私にも見せて読ませてくれるこの手紙を……けれどもこれをあの人は私に見せてくれるのだろうか?

 私に見せるのだろうか?
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