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第二章 なぜ私ではないのか

悪いことをしているのは、あなたたちの方でしょ?

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「冬だというのに前線では快晴が続いております。これも龍のお導きの賜物かと思う次第でございます……」

 とハイネは筆を紙上に上手く滑らせる心地良さを感じながら報告書を書いていた。

 実際にハイネの心の模様はこの空のように澄み切った透明さであった。

 それがたとえ絶えず緊張感の中にいても、膨大な仕事量を抱えても、洗濯やらが不自由であっても、その心は龍の館で高等女官・龍の最側近という特別な役目に就いていた頃と比べても心の満足度は高く維持されていた。

「ハイネ、これを」

 執務室にジーナはいつもの時間に差し入れと前線からの報告書を携えてやってきた。

 これだ、とハイネは素っ気ない返事をしながら噛みしめる。これがあるからこそ耐えられる。

 ここはソグ山の麓を降りたその先にあるシアフィル草原の入り口付近にある砦の中。通称草原の砦。

 ソグ山砦の攻略戦のあとにも関わらず草原の砦の警戒態勢は脆弱であり制圧戦はまたもや短期戦にて達成した。だがハイネとジーナの間でそのことで揉める一幕もあった。

「どうやら今回も一番手だったみたいですね」

「偶然そうなっただけでなりたかったわけではない」

 そこでまた口論となり結局ジーナは己の非を認めなかったが、毎日こうしてある意味でお詫びの印であるなにかを持ってくる。

 そう、その態度こそが望んでいたものとハイネは喜びを表には出さずにつまらなそうに籠をとり中身をあらためる。

 ジーナは相変わらずチェックが厳しいなと苦々しい気持ちでその様子を眺めているが、ハイネはその果実やら焼き菓子やらを見て心を満たしていく。

 珍しいものがあったときにはその苦労を想像し胸をときめかす。それを食べるときよりもずっと胸をいっぱいにする。

 それだけでもういい。満たされきる。

「こんなにいただいてありがとうございます。ではお茶を入れて報告がてらに一緒にいただきましょう」

 いつもの要請を受けいつものようにジーナは動きいつもと同じことを考える。いただくと言ってもハイネはそんなに食べないよな。

 そうなるとこれっていわば自分で調達し買って自分で食べるというごく普通の行動であり、お詫びにも何にもなっていないのでは? と疑問に思うも、絵にかいたような愚直なジーナはそれに手を抜くという発想は湧いては来なかった。だから助かった。

「それにしても前線には仕事ばかりがあるだけですねぇ」

 ハイネが茶を淹れながら呟く。

「娯楽なんかどこにもありませんし中々に辛い環境ですよね。あーあ後方勤務に戻りたし、といったところですよ」

 嘘である。ハイネにとってここは、草原の砦は娯楽でしかなかった。

 しかもその娯楽とは、龍の名代としてのここにおいては文官最上位の務めをしていることでもなく、一室をあてがわれる自由を享受しているのでもなく、夕食会における将軍や僧たちとの交流や権限などではなく、いまここにおけるこのひとときが、何にも代えがたい娯楽そのものであった。

「ハイネはそう感じるかもしれないが、私はこうして仕事の合間に茶を飲むのが唯一の娯楽だという文化に中にいたから、その退屈さは分からないな」

「フフッそうでしょうね。いかにも素朴で、とてもあなたらしいですよ」

 その言葉に大いに共感したハイネは茶を飲み籠をジーナの方に薦めた。

「どうぞ。私はもう十分いただいて胸が一杯なので大丈夫ですよ」

 一つ食べただけなのに十分とは、やはり気に入らないのかな? とジーナは勘違いしたまま食べ始めた。

「娯楽というのならソグ砦に後退してもいいかもしれないな。最近あちらも修復工事が完了して人の移動もはじまったみたいだし」

「いいえ、その必要はございません。私は役目通りに前線にいますよ。さっきのはほんの冗談ですよ、なにも私は遊ぶためにここにいるわけではないのですから」

 またいつもの嘘である。隙あらば自分は使命のためにここに来たことをアピールし、あのことを強調するのである。忘れさせないために、その胸の内にあるであろう、魂に刻み付けるために。爪先で彫ればより確実であろうに。

「ジーナが私を前線に来て欲しいと望んだのも、私のこの腕を見込んでのことですよね?」

「……まぁそうなるかな」

 ほんとうはそうではない、とハイネはその自信なさげな返事を聞くたびにその思いを深める、そうでないのなら別の思惑が、違う心がある。

 そしてそれは! と推理を繋げて深めるとハイネの心は温かいなにかで満たされていく。自分の心の形がどんなものであり、またどれほど渇いていたことを知る。

「誘ったのは私ですけどここは前線ですからやはり危険ですって。いつ敵が来るか分からないし」

「危険を承知ですよ。けどここにはジーナがいますからむしろ安全ではないでしょうか?」

「私を過信し過ぎですって」

「それならあなたは心配し過ぎですってフフッ」

 そう、そうやって私のことを心配し考えればいい。その為にも私はここにいるのですから。

 こうして毎日のように顔を見せ話をして観察をするにジーナは以前ほどには悩み苦しむことはなくなっているように見える。

 それもそうですこんな前線に来て顔も見ず声も聞かない相手をのことを思い悩むなんて愚の骨頂。無駄にも程がある。

 忙しさの中で感傷に浸る時間も少なくなるし、その隙間の時間には私がこうして入って収まるわけである。

 たまに恐ろしく残酷になるけれど、基本的に優しいのだからジーナはこんな最前線にいる私に対してなにかと気を配り構ってくれる。

 そうであるからここに私がいるわけで、ジーナは心配すればするほど私が後方に退くと考えているのは勘違いも甚だしく愉快だ。あなたの望みや願いの逆を行ってあげますからね。

 だいたい私に前線に来てと言ったのはあなただし、だから私はここにいるし、よって気を配るのは当然のことという三段論法によってハイネは元々あまりない心理的な呵責からも逃れることができた。

 このままいけば何もかもが解決する。するはずであると。誰だってそうだし、この私だってそうだし、男だってそのはず。

 そうであるのならジーナの心の痛みを消え去るのはやはりこの方法が一番だと。人は時間と環境で心が変わると。遠い人とは疎遠になる、この単純かつ絶対的な真実、誰も勝てません。

 良い調子です、とハイネはジーナの前線の話を聞きながら幸福感に浸る。とても良い調子です。この調子で、行きましょう。

「ジーナ」

 思わず声が出て呼び掛ける。

「なにか?」

「いえっなんでもありません」

 一人で笑い出すとジーナは首を傾けている。こんなに浮かれてしまって何ですかね私は、とハイネは顔を背けて窓からその青空を見る。

 順調そのものといったこと示すかのようなこの天の青の流れ。このままずっとこれが続けばいいのに、とハイネは死んでしまいたいような気持にさえなったが、すぐに生き返る。

「あっシオンからの手紙を届いていたのか。けどこれはハイネ宛だ、しかも私信?」

 はじめに来たのはなにか嫌な感じ。ねっとりとしたなにか。それから頭に暗雲が立ち込める。漂うは不吉な予感そのもの。

 バレた? いいえそんなことはない。そもそも私は悪い事なんてしていない。しているはずがない。これは正しいことだ。

 不正は一切なにもしていない、むしろしているのは、そっちでしょうが。あなたが悪いのですよあなたが。人のせいにしないでください。私は正しているのですからね。

 ハイネは動揺する心を抑えるために言葉を尽して自らを奮い立たせた。私は間違っていないと。

「どうしたハイネ?いきなり立ち上がって構えて。なにか悪い事でもしたのか」

 心臓を叩かれたような衝撃が来て反射的にハイネは逆上しジーナを攻撃する。

「何を言うのです? 悪いことをしているのは、ジーナたちの方でしょ?」

「……そうだな」

 ジーナの表情に暗いものがかかるとハイネは自分の咄嗟の言葉に後悔を覚えた。

 なんでこんな言葉を? よりによってこのタイミングで?

「違う! あなたは悪くない」

 支離滅裂な言葉の投げ合いをしながら怒りを込めてハイネは手紙の封を切った。

 糾弾であろうか? 召還であろうか? どちらにせよ応じないつもりでいた。自分に関してもジーナに関しても。

 私達はそちらには戻らない。もしもそれを望むのであれば、とハイネはひとつの決心をもって手紙を読みはじめる。

 挑むような顔つきは次第に弱々しい困惑へと変わっていき口は堅く閉ざされていった。

「何が書いてあるんだ?」

 ジーナが尋ねるも唸り曖昧な声と言葉しか出さなかった。何かを考えている、その何かとは?

「その手紙を私にも見せてくれないか」

「いっ嫌です」

 拒絶と共にハイネは手紙を自らの胸へと押し付けるとジーナは椅子から立ち上がり迫る。

 ハイネを見おろすジーナの眼は、あの日以来久々に見るあの憂いに満ちた目であった。

「ヘイム様と関係があるんだな」
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