3 / 15
3
しおりを挟む本来なら治してもらってお礼を言う所だが、喉が詰まって言葉が出てこない。
「でもよかった。君が魔法でクリフ様を攻撃しなくて……そうされたら俺は対処のしようがないし、けが人が出てたと思う」
温かい水がルーシャの腕を包んでフワフワと揺れる。それは心地のいい感覚だったが落ち込んだ気分はもどらない。
「堪えてくれてありがとう。ルーシャ」
目を合わせて眼鏡の奥の瞳がにっこりと笑う。
ユリシーズは相変わらず血の気の引いた顔をしていて、なんだかいつも不憫だ。しかし、彼の言葉が少しルーシャの気持ちを間違えてとらえていて訂正の為に口を開く。
「……違います。ユリシーズ、堪えていません。初めからその選択肢はありませんでした」
「そうなの?」
「はい」
「じゃあ、どうして?」
彼は、不思議そうに黒い瞳をまん丸にして聞いてくる。それにルーシャは当たり前のように答えた。
「私の魔法は人間に向けて使うと簡単に引きちぎってしまうから、使うときは殺すときです」
「……あ、ああ、うん」
口にすると彼は血の気のない顔をさらに青くさせて、目を細めて笑みを浮かべる。
ルーシャが持っているのは風の魔術だ。それもあまりコントロールの良くない風の魔法。
ルーシャは自分に使うことは簡単にできるが、他人に向けると簡単に体の一部が取れてしまう。
無機物にはそうではないのだが一度動物に使った時に、可哀想なことをしてしまったことがある。
魔法は心に強く影響を受けて体現化する。だからこそ魔術を持っている貴族は、教師から教えられてコントロールを学ぶ。それがなかったルーシャの魔法は魔力の制御もできずに他人に向けると暴走する。
だから、殺したい時以外は使うべきではない。殺すつもりはないのだ。クリフには、ただルーシャが与えられた苦しみを背負ってほしいだけだ。
「うん……っ、うん。ごめん。本当にごめん」
また腹が立ってきてルーシャがイライラしながらユリシーズを見れば、彼は綺麗に治ったルーシャの腕の魔法をといて、眉間にしわを寄せて背中を丸める。それから自分の腹をぐっと押さえた。
「……また胃痛ですか」
「うん、ま、まぁ」
「水の魔法では治らないんでしたよね」
「そ、う。なんだ、これが結構めんどくさくて……」
そのまま青い顔をして苦しげにルーシャの言葉に応える。
ストレスを感じやすく胃が弱いのは知っているが、今までの出来事はよっぽど彼に負荷がかかっていたらしい。
しかし、彼はクリフの腹心で完全にあちら側で、今日の出来事でストレスを感じるのはルーシャのであるべきなのだが、それについては触れずにルーシャはひとつ息をついてから、いつもの調子を取り戻してユリシーズに言う。
「座りましょう。ユリシーズ、落ち着くまで休んだ方がいいです」
「……本当にごめん。今日は散歩の日なのに」
「いいんです。また今度連れ出してください」
今度はルーシャが彼の手を取った。それからソファーに座らせてそれでも前かがみになって腹を押さえている姿が辛そうだったので、座面に横になるように肩を押して促した。
「はぁ、ごめん。情けなくて」
「いえ。眼鏡外しますね」
横になった彼の眼鏡にそっと触れて外す。折りたたんでテーブルに置くとこちらを見ている彼は顔をしかめていて、よく見えていないのだと気がつきそばに寄った。
「ありがとう……庭園のバラがそろそろ咲いただろうから見に行きたいって手紙で言っていたのに、連れて行ってあげられなくてごめん」
仰向きに横になってそう言う彼を背もたれに手を置いてのぞき込む。
……覚えていてくれたんですね。
ユリシーズの言葉にそう思う。それから少し間をおいてから嬉しいと思う。
本来なら彼にそんな感情すら向けてはいけないが、どうやらそんな努力はもういらないらしいのでルーシャの自由だ。
……それにしても、たしかに、彼が連れ出してくれる散歩の日は、面会の後のご褒美のようなものだから、すごく楽しみにしていたんですけど……こんなことになっては、それも今はどうでもいい気がします。
だって婚約破棄してこの離宮から出て行けと言われているんですもんね。もう私は自由に出歩いてもいいのでしょうか。
ふと疑問に思った。ルーシャは誰かに監視されていなければ外にも出られない、誰かといってももっぱらクリフの腹心のユリシーズなのだが、今までそんな生活がずっと続いていたので今更、強烈に外に出たいとは思わない。
ただ、そうしてよくなった大元の出来事を思い出して腹が立つ。
「いいですよ。だってもう、出て行けと言われてますし。婚約破棄には応じませんけど、出ていこうと思えば出ていけると思いますし……貴方の主のおかげで」
「う……本当にごめん」
「急なことで驚きました。それに……絶対に許しません、アンジェリカもクリフも」
ユリシーズを見下ろしているせいでおちてきた藍色の髪を耳にかけて、彼を見つめる。するとやっぱり眉間にしわを寄せて、また胃をキリキリと痛めている様子だった。
「それにしても不思議ですね。どうしてそんなにストレスがかかってるんですか? 私が貴方たちに責められて胃を痛めるなら正当ですけれど、ユリシーズは責めている立場の人間ですよね」
本当に不思議で、そんな風にルーシャは言ってから彼の額に手を伸ばした。軽く黒髪を払って熱を測る。平熱だと思いつつも困ったように笑う彼は言う。
「ルーシャが本気で怒ってるからかな」
「それは……どういう意味ですか?」
聞きながら手を離す。
それにユリシーズはルーシャよりも年上だ。成人だってしていて身長も高いし大人びている。それなのにルーシャが怒っていて胃を痛めるなんて、そんな情けない話があるだろうか。
「……あのさ、ルーシャ、俺はクリフ様みたいなこと思ってないよ。ルーシャの力は本物だし、アンジェリカ様もクリフ様もちょっとやそっとの怪我で済むかどうか……」
「……」
「それをどう守ろうかと考えると胃が痛いし、今だって俺、ルーシャにどうにかされないかなって……少し考えてる」
「どうにかとは?」
「例えば魔法でいたぶられたり? 相当怒ってるよね?」
「……ユリシーズをいたぶってどうするんですか」
そのルーシャの質問にユリシーズは苦笑で返して会話は終わる。
彼は答えてくれなかったけれど、クリフ側についている彼をいたぶれば少しでもイラつきが収まると彼が思っているからそんな風な心配をしているのだろう。
しかし、その必要はない。天罰はきっと下る。カッとなって手を出したが、それだけは確信めいた自信があった。
「そんなことしません。意味ありませんから」
「そう、だね。……天罰があるならそれで十分……だと思うけど、ああ、怖いな」
辛そうに言う彼に、ルーシャは色々な感情を巡らせた。
……そんな風に、きちんと私の正当性をわかってくれているのに、私の味方はしてくれないんですね。そうですよね、ユリシーズはクリフの腹心ですから。
だからクリフを守ることしか考えていない。そんなのは当たり前のことで、今更考えるまでもないのだが、割とルーシャにはユリシーズは優しい、それなのにと思ってしまう。
「死なない程度にしてくれると嬉しいんだけど……」
「そんな器用なことできるかわかりません」
「そうだよね」
彼のクリフをかばうようなセリフがどうしても嫌で、ルーシャはそんな風に答えた。ルーシャの答えにユリシーズは笑みを見せてゆっくりと起き上がった。
「俺は、ルーシャに復讐はやめろなんて言わないけど、満足出来るなら俺を殺してもいいよ。俺はクリフ様の盾だから、そういう風に使っていい」
さっきまであんなに怖がっていたのに、ユリシーズは笑みを浮かべたまま言う。
そういう所が彼の心と体にストレスを与えているのだと思うけれど、指摘するつもりはない。
「それに、そうされるだけの事をしている人に雇われているからね。覚悟はできてる」
「……そんな覚悟はやめて普通に生きたらいいではないですか」
絶対に彼に合っていない仕事だと思う。
魔法を持っていない彼はあまり強いとは言えない。体をいくら鍛えても限界がある。もっと事務官だったり領地運営だったり出来ることがあるだろう。
そう思っての言葉だったが、眼鏡をかけ直して彼は首を傾けてルーシャに答えた。
「代々続くお役目なんだ。俺が逃げると他の誰かがこの役目を継ぐことになる」
「……籠の鳥なのは、ユリシーズも同じですね」
味方にはなってくれない、それを悲しく思っていたけれど、今の話を聞いたらそんな言葉が出来た。
ここに入れられてからの長い付き合いだったが、生い立ちすら話をしたことがなかった。
今までのルーシャはずっとクリフを愛することに一生懸命すぎて彼という人物ときちんと向き合ったのは初めてのことかもしれない。
しかし、ルーシャの言葉にユリシーズは不思議そうな顔をして聞いてくる。
「それはルーシャと同じという意味?」
こくんと頷く。すると彼は少し考えてからルーシャに手を伸ばしてきたきっと頬に触れようとしたのだと思う。
昔、まだ幼く愛情も何も分からないときに、ルーシャは彼にスキンシップを求めていた事があった。そのときと同じような手の動きをしていたからそうだと気がついた。
その手は途中で止まってルーシャの手を取った。それから言い聞かせるように言う。
「君の鳥かごの鍵は開いていると思うよ」
……鍵、ですか。
「ルーシャ」
名前を呼んで彼は静かに笑った。意味はよく分からなかったけれど、なんとなく頷いた。
33
お気に入りに追加
1,553
あなたにおすすめの小説
【完結】身勝手な旦那様と離縁したら、異国で我が子と幸せになれました
綾雅(りょうが)電子書籍発売中!
恋愛
腹を痛めて産んだ子を蔑ろにする身勝手な旦那様、離縁してくださいませ!
完璧な人生だと思っていた。優しい夫、大切にしてくれる義父母……待望の跡取り息子を産んだ私は、彼らの仕打ちに打ちのめされた。腹を痛めて産んだ我が子を取り戻すため、バレンティナは離縁を選ぶ。復讐する気のなかった彼女だが、新しく出会った隣国貴族に一目惚れで口説かれる。身勝手な元婚家は、嘘がバレて自業自得で没落していった。
崩壊する幸せ⇒異国での出会い⇒ハッピーエンド
元婚家の自業自得ざまぁ有りです。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2022/10/07……アルファポリス、女性向けHOT4位
2022/10/05……カクヨム、恋愛週間13位
2022/10/04……小説家になろう、恋愛日間63位
2022/09/30……エブリスタ、トレンド恋愛19位
2022/09/28……連載開始
離婚って、こちらからも出来るって知ってました?
美杉。節約令嬢、書籍化進行中
恋愛
元商人であった父が、お金で貴族の身分を手に入れた。
私というコマを、貴族と結婚させることによって。
でもそれは酷い結婚生活の始まりでしかなかった。
悪態をつく姑。
私を妻と扱わない夫。
夫には離れに囲った愛人がおり、その愛人を溺愛していたため、私たちは白い結婚だった。
それでも私は三年我慢した。
この復讐のため、だけに。
私をコマとしか見ない父も、私を愛さない夫も、ただ嫌がらせするだけの姑も全部いりません。
姑の介護?
そんなの愛人さんにやってもらって、下さい?
あなたの魂胆など、初めから知ってましたからーー
婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた
cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。
お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。
婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。
過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。
ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。
婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。
明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。
「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。
そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。
茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。
幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。
「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?!
★↑例の如く恐ろしく省略してます。
★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません
「君の作った料理は愛情がこもってない」と言われたのでもう何も作りません
今川幸乃
恋愛
貧乏貴族の娘、エレンは幼いころから自分で家事をして育ったため、料理が得意だった。
そのため婚約者のウィルにも手づから料理を作るのだが、彼は「おいしいけど心が籠ってない」と言い、挙句妹のシエラが作った料理を「おいしい」と好んで食べている。
それでも我慢してウィルの好みの料理を作ろうとするエレンだったがある日「料理どころか君からも愛情を感じない」と言われてしまい、もう彼の気を惹こうとするのをやめることを決意する。
ウィルはそれでもシエラがいるからと気にしなかったが、やがてシエラの料理作りをもエレンが手伝っていたからこそうまくいっていたということが分かってしまう。
兄がいるので悪役令嬢にはなりません〜苦労人外交官は鉄壁シスコンガードを突破したい〜
藤也いらいち
恋愛
無能王子の婚約者のラクシフォリア伯爵家令嬢、シャーロット。王子は典型的な無能ムーブの果てにシャーロットにあるはずのない罪を並べ立て婚約破棄を迫る。
__婚約破棄、大歓迎だ。
そこへ、視線で人手も殺せそうな眼をしながらも満面の笑顔のシャーロットの兄が王子を迎え撃った!
勝負は一瞬!王子は場外へ!
シスコン兄と無自覚ブラコン妹。
そして、シャーロットに思いを寄せつつ兄に邪魔をされ続ける外交官。妹が好きすぎる侯爵令嬢や商家の才女。
周りを巻き込み、巻き込まれ、果たして、彼らは恋愛と家族愛の違いを理解することができるのか!?
短編 兄がいるので悪役令嬢にはなりません を大幅加筆と修正して連載しています
カクヨム、小説家になろうにも掲載しています。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。
彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。
それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。
そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。
公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。
そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。
「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」
こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。
彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。
同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。
不本意ながらも引力強めのモブ令嬢
カギカッコ「」
恋愛
私、主人公メイプル・シュガーは、ゲームでデッドエンド脇役な結末を変えるために、婚約者レオンハルトを遠ざけようと、まずは食べます!次に没落します!その次には辺鄙な田舎に暮らします!…なのに、遠ざけてもやってくるからどうしようねえな話。
他サイト様の短編コンテスト用の話なので、切りのいい途中まで。まだあまり恋愛恋愛していませんのであしからず。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる