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真実の記憶 9

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 同じ座面に座っているのに少し見上げる程度には大きい、まあしかし、フィーネに害は及ぼさない。武骨で、難しい顔をしていると男性だって怯んでしまうような人なのに、フィーネには優しく見せようと目を細めて笑ってくれる。

 それが嬉しいのと同時にズキズキと心が痛んだ。ロジーネにはどうやら力がかかっていないようだったけれど、この様子だと彼にはかかっているのだろう。

 けれどもそれを深く考えてはだめだ。読まれて気が付かれてしまったら、フィーネには行く当てがない。

 ……忘れなければ。

「なにを忘れるんだ?」

 当たり前のように聞かれて、フィーネは押し黙りそれから視線を逸らした。言いたくないということは伝わったようでアルノーは「詮索が過ぎたな。本題に入ろう」と話題を逸らした。

「君に話しておかなければならない事というのは、他でもない、俺の過去の疾患についてだ」
「……確かにお聞きしたことは無かったけれど、無理に話す必要はないと、思うけれど」

 言いづらそうに彼が言うのでフィーネは、いつかは知りたいと思っていたけれども、今ではなければいけないとは思えなかった。それに、その疾患というのは、覚えていないがフィーネの力で治ったはずだろう。

 その時に魅了の力をかけてしまったはずだ。けれどもこうして話をするということは、それ以外にも何か治療が必要な病気を持っていたのだろうか。

 ……そうだとするのなら完治しておらず、なにかしら今でも投薬や治療が必要だという話かしら。

「いや、聞いておいてほしいんだ。疾患といっても身体的な特徴のあるものではなく、一般的に転変の予兆とされる精霊の過干渉が起こっていてな」
「……」

 人間が自然に転変を起こす前には、必ず兆しがあるのが一般的だ。それは、大まかに、二種類あり、一つは身体への異常。変色した皮膚が現れたり、動物の角のようなものが生えたりする場合と、精神的な精霊と近すぎることによっておこる異常の二つがある。

 ……それを治すことができるのは、私の力だけ。

「定期的に、なんと言ったらいいのか発作が起こっていてな。家族にも屋敷の使用人たちにも多くの迷惑をかけた」
「大変だったのね……」
「それなりにはな。しかし、転変することもなく、俺は今こうして魔法の力を使った仕事につけている」

 言いながらアルノーはふと窓の外に視線を移した。そのとたんに風が吹いて樹々をざわざわと揺らし、美しい魔法の光が飛び交う。

「疾患があったからこそなのかはわからないが、魔法の扱いについてはフォルクよりも、得意だ。今ではそのことで少しだけ、こう生まれついたことも感謝している」

 フィーネにはそれがどの程度すごい事なのか分からなかったし、そう思えば彼が戦っているところを見たことがなかったのだ。大概は、花をもって穏やかに笑っていたり、もしくはフィーネと楽しそうにおしゃべりしているだけなのだ。

 彼がどんな風に魔法を使うのか、興味はあったが、そう焦ることもないだろう、いつか見る機会があったら、怖がらずに称賛できるように心の準備をしておこうと考えつつ、話を聞く。

「それに何より、あの日に……君の婚約パーティーに行ったときに君に会えたから、俺はこうであったことを嬉しくすら思ってるんだ」

 手を取られて彼の感触を感じた。皮膚が固くて剣を握る人の手。

「君は覚えているか?俺を救ってくれたあの日の事」

 真剣に瞳を覗き込まれて言われてフィーネは、その目を逸らしたくなった。

 ……覚えていない。それに、その思いは全部。

「あれ以来、俺はずっと君の事を想っていた。もし君から連絡が来たらすぐにでも会いに行こうとずっと考えていた。もしこの手に触れることができたなら、必ず守り通して幸せにして見せると、まだまだ、小さい君を見てそう思ったんだ」

 嬉しいはずなのに苦しくて、思い出せない。それが幼かったからなのか、それとも別の理由があるのかはわからない。けれども、言われて嬉しいはずの言葉に、悲しくて仕方なくなる理由はわかる。

「君が覚えていなくても構わない。けれど、それを俺はずっと覚えていてフィーネを愛しているんだという事を……分かっていてほしいと……」

 彼が言い淀んで、心配そうにこちらを見ている。そのわけはフィーネの瞳が潤んでいるからだ。

 ただ単にその事実を言われるぐらいだったら、なんてことは無かったのかもしれない。しかし、そんな風に愛の言葉を言い募られると、どうしても、苦しくなる気持ちが抑えきれないのだ。

 昔、彼を救った。それは、きっと事実なのかもしれない。フィーネは幼少期の記憶を思い出せない事が多いのだ。あり得る話だ。それに記憶をたどって思い出そうとは思えないのも、いつもの事。

 けれども、今この時のアルノーの言葉は、フィーネの心をザクザク切り裂くみたいで聞いてられないのだ。

「何故、泣いている?なにか、思い出したのか?……フィーネ」
「っ、い、いいえ」
「では、どうしたんだ、辛そうに見える」

 手をぎゅっと握られ、安心させるようにアルノーはフィーネの手の甲を摩る。涙を引っ込めようと、ぐっと我慢するのにアルノーが心配に満ちた表情を向けてくるので、それもまたフィーネの心に深々と刺さる。

「……そう堪えなくてもいい。泣いてもいい。驚きはするが、君が感情を堪える必要はない、そうだろう?」
「わ、私は、泣くしかくが、ないの」
「そんなもの誰が決めたんだ。そんな資格なくたって泣いてもいいだろ」

 理由を問い詰めるでもなく、アルノーは我慢するのはやめてもいいとフィーネに言う。その優しい言葉がうれしくて、本当の物ではないのが悲しすぎるなんて理由で、泣き出してしまいそうな、欲しがりで意地汚いフィーネをアルノーは許してくれる。

 ……そんなこと、きっと知られたら、呆れられてしまうのに。

 それでも優しくされると涙が零れ落ちてしまって、鼻の奥がつんとした。

 どうしても、堪えられなくなったというように、苦しそうに涙を流すフィーネを見て、どうしてこんなに追い詰められたような泣き方をするのだろうとアルノーは可哀想になった。

 彼女が安心して感情を吐露できる相手がいれば託すべきだと思うのだが、孤独な身の上から、それも叶わない。

 嗚咽も漏らすことなく、ただ止める為だけに涙を流すフィーネの背中を摩ってやることすらアルノーには出来ない。

 いや、やってもいいのだと思う。しかし、こんな時に距離を詰めてしまうのは、彼女の負担になるような気がして、動くことができない。

 大粒の涙をぱたぱたと落として、震える吐息を履き、なんとか呼吸を整えたフィーネは、やっとの思いでアルノーを見た。





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