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愛情の形 8

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 慣れ親しんだ本邸のダイニングでフィーネたちタールベルク伯爵家は四人で食卓を囲んでいた。フィーネの専属の側仕えであるロミーは、いつもより早く食事を進めるフィーネに、他の食卓についている当主やベティーナよりも先にデザートを出し、今日の夕方の便で届いた手紙を早く開けたいのだろうと気を使った。

 意図をくんでくれたロミーに、料理をサーブしてくれた時にお礼を言ってフィーネは可愛らしいデセールにフォークを運んだ。

「エドガー様、明日はまた王都に発たれるの?私、暗い噂ばかりで不安だわ」

 そんな媚びるような声が聞こえてきてフィーネは、耳だけ傾けて、食べ進める。今日のデザートは発酵バターのよく効いたパウンドケーキだった。

「そうよ!父さま。私たちが魔物に襲われてもいいっていうの?」
「あら、ベティーナ、そんな言い方をしてはエドガー様に失礼よ」
「でも、怖いじゃない、あちこちで魔物に被害が増えていて」
「……そうね。なんとか、ならない?」

 タールベルク伯爵家当主であるエドガー・タールベルクに、気が弱い女性のように母子そろって縋るような声を出した。

「何度も言わせないでくれ、仕事の用事が入ってしまったんだ」
「確かにそうだけれど、こんな時期でなくてもいいじゃない」
「そうよ!それにこの間、私に新しいドレスを十着買ってくれるっていう約束もまだじゃない!」

 行かないで行かないでと、声を上げる二人にエドガーは大きくため息をついて、カトラリーをいて頭を抱えた。それから「仕事なんだ。私だって行きたくて行くんじゃない、勘弁してくれ」とイラつきを孕んだ声で言い、食卓の雰囲気は一層悪くなる。

 ……仕方ないことなんてないわ。エドガーお父さまは国王陛下と懇意になさっているから、大方あの道楽王と言われている方と遊びに興じるのね。

 そんなことを考えつつ、領地運営をしている貴族には、もっと大切にしなければならない事がたくさんあるのにとフィーネは冷静に考えた。周辺貴族との交流はもちろん、魔物に困っている領民への補填、考えることは沢山ある。

 それに守らなければならない者も沢山いるはずだ。けれども、それを知らないほど、ベティーナもビアンカも馬鹿ではない。きっと、正論で詰めてしまえば決まった切り替えしをされると分かっているから強く出ることができずに、可哀想な母子を装って置いていくことが悪であるかのようにこんな言い方をするのだった。

 その決まった切り替えしとは、いつもの、お前ら庶民がえらそうなことを言うなという決まり文句だ。

 それを言われた日のビアンカとベティーナはひどく荒れる。そのケアをするのは大変なので、今日はその方向に話が進まない事にフィーネは少しホッとしていたのだった。

「ベティーナには王都の有名店でドレスをあつらえてきてやる、君にも、それで勘弁してくれ」
「……本当に?エドガー様……私、欲しいと思っていたエメラルドの髪飾りがあって」
「なんでも買ってやる、だから、そう食事の場でくだらないことを話さないでくれ」
「母さまずるい!私も!私も!父さま」
「わかったわかった、ベティーナは本当に欲しがりだな」
「あら、駄目?」
「いいや、私の可愛い娘だからな」

 父親らしく微笑むその姿は、悪くない家族関係を構築しているように一見しただけでは見えるかもしれないが、どう考えても文句を言わない事を金で買っているだけであり、それをどこか冷めた気持ちでフィーネは見ていた。

 家族仲は悪くない、そう思うのだが、正常ではないとも思う。それとも、家族とはこうあるべきという本や常識的な知識としてフィーネが知っているのはフィクションであって本来の家族というのはこういう利害関係が一致した関係性を言うのかは謎であった。

 しかし、対等で仲の良い夫婦関係なんてものは、幻想だろうなとそちらだけは断定できていた。

 結婚は政略、家と家をつなぐためだけの行為であり恋愛結婚なんてごくわずかだ。その稀有な結婚をしたとしてもそれですら、長く睦まじくあるのはとても難しい。

「あら、では姉さまは?」

 当てつけとばかりにベティーナは、一人でもくもくと食事をしているフィーネのことをわざわざ話題に出して視線を送った。そうすると、ひくっと頬を引きつらせてフィーネの父でもあるはずのその男は「不愉快な事を言わないでくれ」と声に軽蔑を滲ませてはっきりと言った。

「そうよ、ベティ。フィーネは王家へ輿入れが決まっているのだから、エドガー様とは何の関係もないのよ」
「それもそうね、ごめんなさい、父さま」
「家族の食事の場にも顔を出さなくてよいと再三言っているのに、本当に図太い所だけは母親似だな」
「そうね、体の方は母親には似つかなかったようですけれど」

 はじめは美味しいと感じていたパウンドケーキも次第に味がなくなってゆく。フィーネは母親に似ているとなじられても、それを悪いことだとはとらえていなかった。

 むしろ、父親の方に似てしまっていたら、この状況を耐えることが困難だったかもしれないし、鏡を見ればいつだって亡き母の思い出を辿ることができる。

 味のしないパウンドケーキを嚥下して、カトラリーを丁寧に置く。それから、静かに立ち上がった。

「それよりも聞いてよ。母さま!今日の魔法の練習で中難易度の魔法がやっと使えるようになったのよ!」
「あら、素晴らしいわベティ、そうよねエドガー様」
「ああ、誇らしくおもうよ、ベティ」

 楽しそうに話す家族にフィーネは一呼吸おいてから、ふっと息をすって、少し笑みを浮かべながら、口を開いた。

「……お先に部屋に戻らせていただきます。おやすみなさい、お父さま、ビアンカお母さま、ベティーナ」

 丁寧にそう言うが、家族は誰一人としてフィーネの方へと視線を向けない。

「今度は上級の魔法にも挑戦したいのだけど、まだ早いかしら?」
「それほど、頑張らなくとも君は女の子なんだからたしなむ程度でいいんだよ、ベティ」
「無理なんかしてないわ、それこそエレガントじゃないでしょう?うふふ」

 会話は続いていく、そこにフィーネの居場所は、ほんの少しだって存在しなかった。



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