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結論 3
しおりを挟むしばらくの沈黙が部屋を重たく包む。でも僕が握ったリシャールの手はちゃんと僕の事を握り返してきていて、心細くは感じない。
とても長い間の沈黙は、ただ静かでバルコニーに降り積もる雪のしんしんという効果音まで聞こえてきそうだった。
……リシャール。
心の中で呼んで、彼の手をきゅっと強く握った。すると、それと同時に、リシャールは顔を上げて僕を見た。
彼は眉間にしわを寄せた酷い顔をしていて、そういえばきちんと灯りの元で彼の顔をちゃんと見たのは随分久しぶりだったように思う。
「っ、そんな、ことないよ。ない。ナオくんは死なない。今日だって、ルシアンが脱獄できたみたいだし、きっと話をつけてくれる。俺だって直接会えるならリヒトに代わってほしいってちゃんと言うよっ」
必死な声。苦しそうな声。
手が小さく震えてた。僕より先に死にそうなのは、彼の方かもしれないと思うほどにリシャールは追い詰められているみたいな顔をしてた。
「大丈夫、だいじょぶだよ。ナオくん、いざとなったら、俺が身代わりになるし、ナオくんが死ぬことないよ。……俺が、守るから」
ぐっと強く手が握られる。耳が下を向いてプルプル震えてた。怯えてる子犬みたいで、すとんと腹にすべての事柄が落ちる。
納得ができる。自分の文脈で全部が理解できた。もう不安も何もない。僕はさっきオレールの手を取らなくてよかった。
「君はただ、何も心配しないで待ってればいいんだよ。ナオくん、誰にも奪わせないから、神様にだって、君を連れて行かせたりしないから」
聞いてて泣きたくなるような言葉だった。必死に言うその声に、枯らした涙がわいてきてすぐに、瞳から零れ落ちた。それでも嬉しくて笑ってしまった。
「っ、……ふふっ」
「? ……なんか俺、変なこと言ったかなぁ」
「いいえ」
顔を青くして聞いてくるリシャールに、僕は笑みをこらえずにそのまま笑って、リシャールの手を自分の頬にもってきて頬擦りした。こんなに簡単なことだったなら、もっとずっと早く聞いておけばよかったと思う。
……何にも嘘じゃなかった。
全部本当なら、怖くないなら、いいですよ。
「リシャール、好きです」
「お、俺も、好きだよ。だからちゃんと守るから、ね。ナオくん心配いらないよ」
すぐにそういい募る彼が、愛おしくて目をつむるようにして笑う。
それから首を振った。
「好きだから、ずっと死ぬまで一緒にいてください。ぼ、僕の、そばにいてください」
「っ、それは、出来ない、まだナオくんの危険を取り除けたわけじゃないし」
「いいですよ。死んでもいいから、リシャールと一緒がいいんです」
きっと、とてもリシャールは今無理をしている。怪我したり朝から晩までいなかったり、だってリシャールは割とお家の中が好きな方のはずだ。
それなのにずっとずっと働きづめでそれに加えて、僕が死にそうになったら身代わりになるなんて全然だめです。
僕の言葉に、リシャールは一瞬唖然として、それからものすごく悲しそうに顔を歪めた。
「……大切にしてくれて、嘘じゃなくて、大事に思ってくれたなら、全部なくなってもいいんです」
……それぐらいしかできることがないですから。
死ぬのは悲しい事で、いやだけれども、それよりもずっと安心させてくれたという事の方が大切で、そして、僕は何も持ってない。
彼の助けになることも思い浮かばないし、出来ることだって家で静かにしていることしかない。
そんな自分は子供だと思う。情けなくて力の足りない子供、だから守ってほしいし、そうでなければ生きられない。
「僕ってまだまだ何にも出来ないし、わからないことが多いお荷物だと思うんです。ひ、否定しないでくださいね、事実ですから」
言いながら、リシャールを見つめた。彼はぐっと奥歯を噛みしめてただ僕を見てる。
「だから力もなくて不安で、誰かに大切にされたいって思ってしまって、そうでないと辛いんです」
……子供は愛されてないとただの無力な生き物なんですよ。何も出来ない。でもだからこそ。
「でもだから、愛してくれたら全部、あげます。大切にしてくれてるって思えたらそれでいいんです。死んじゃうことになったって、大切にしてくれてる人を嫌いになったりしません」
「……、」
「どんなに好きでいてくれても、どうしようもない事ってあるでしょ? それぐらい理解できますよ」
リシャールは泣きそうな顔をしていて、可哀想だったから横から抱きしめた。男の人だから泣き顔なんて見られたくないんだろうと思ったから。
「身代わりになるなんて、い、言わないでください。リシャールが僕の事、大好きなの、分かりました」
「な、おくん」
「僕、貴方に会えてこっちに来られて良かったです。ちゃんと自分から言うことの大切さが分かった気がしますよ」
きゅっとその頭を抱きしめて、大好きだって体でも伝える。こんなことしかできない自分だけど、好きになってくれて嬉しかった。だから精一杯、僕に返せる形の答えを返す。
「死んでも、す、好きですよ。だからもう、無理しないでください。リシャール、一緒に雪だるまでも作って、また、獣になって雪の森でも走りましょ」
「なおくん、やめ、て、俺、君がいて、欲しい、未来も、ずっと」
「僕もです。それぐらい大好きです」
「ち、違うよ。そうじゃない、比喩じゃなくて」
涙声なのを知らないふりをして、短い間でもどんな風に側にいてほしいか話をした。リシャールは、僕の事を抱きしめ返して、苦しそうに息を詰まらせた。
「そう言ってもらえて、う、嬉しいです。それに、大丈夫です。死ぬの怖くないですよ」
自分でいうのは少しだけ辛かったけど、夢でも現実でもいっぱい泣いたから大丈夫だった。
「リシャールが僕を一番に大事にしてくれたからダイジョブです、一番幸せな時に大切に思われながら死ぬ僕は贅沢ですね」
「っ、……、なおくん」
「しょうがない事は忘れて、いつかその時が来るまで、ただ僕の事を大事にしてください。どんなに破滅的だって、分かりやすくそばにいて、ずっと愛してくれるのが何よりも幸せです」
子供のころは、父も母も仕事に行かないで僕とずっと一緒にいてくれればいいと思ってた。
それは出来なくて子供の幼稚な願いだったと思う。でもきっと僕がこの季節が終わるころに死ぬのだったら、そうしてくれたと思う。
だからそういう風に、愛してほしい。終わりを受け入れて後先なんて考えずにそばにいてほしい。
それが未来のことを考えていない行動でも、苦しい事なんて忘れていい。
……それにこれは、僕からしか言えない事でしょ。
僕の事を大切にしているから、彼からは言えないことだ、だから僕が言う。
息を詰まらせて、肩を震わせるリシャールに、こんな思いをさせてしまって、可哀想なことをしてしまったと思う。リシャールだって優しい人だ。大切にしていた人がいなくなるのは辛いだろう。
だから、それが苦しくないように、のんきな声で続きを言った。
「それにね。夢で会ったですけど、れ、レジスさま、そんなに悪い人じゃなかったです。迎えに来るって言ってたので、多分、生贄になってもまたどこか遠くで、レジスさまと暮らすことになるだけだと思うんです」
「……、……っ」
「リシャールとは離れちゃいますけど、か、……神様と暮らすなんて夢があるじゃないですか?」
声をあげずに泣く彼に、くだらない事のように、まったく重たくないように抱きしめながら、言う。
「だからね、ぼ、僕、大丈夫ですよ。怖くないんです」
悔しさから泣くリシャールだけが、事の残酷さと、死という物の恐ろしさを知っていて。
僕も少しだけ怖かったけれど、そんな感情はしらないつもりで、慰めるように僕自身は、まったくそれらをちゃんと見ないで彼に声をかけ続けた。
そうするといつの間にか、強く抱き返されて、膝の上に乗せられて、僕はびっくりしたけど、まだたくさん泣いているみたいだったから、分からないふりをしてリシャールの肩に顎を乗せて、のんきな言葉をかけ続けた。
言っていれば自分も心の底からそう思えるような気がして、肩を涙で濡らされながら、リシャールの涙が枯れるまで、そうしてずっと彼を慰めていた。
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