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夏休み早々……。4

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 ディックはそれからしばらく、ヴィンスの部屋で過ごす事となり、夜は私とヴィンスと一緒に眠った。
 とにかくディックはオスカーに聞いていた通り、相当に面倒な人種だった。彼はご飯は食べない、睡眠時間も曖昧、休息も取らないで、そりゃもう元気にならなかった。

 そんなに熱中して、何をやっているのかという事は頑なに教えてくれなかった。魔法関係だと言うことは分かるが、何をというのは分からない。

 これ程、秘密にする事って何だろうかと、私の知っている知識で考えてみると、ありえそうなのはウィングの作成、研究ぐらいだった。ララも何時間も自分の部屋にこもって、ウィングを簡易魔法玉に取り付けていたり改良していたりした。ディックはエリアルとも携わっているようだったので、彼と関係のあるディックがそれに熱中していてもおかしくはない。

 それに、ディックは入学当初、既に、固有魔法を使いこなしていた。自分で好きなウィングを作って、使っていたのかもしれない。

 私達は、研究に取り憑かれたような彼を眠らせるのに、暴れる彼を押さえつけて眠らせて、ご飯を口元まで運んで食べさせた。

 その甲斐あって、顔色は良くなったのだが、ディックは日増しに元気が無くなっていった。

 ……なんて言うか、野生動物を無理やり飼い殺してるような……気分。

 オスカーは、どうやってあんなにディックを懐かせてなおかつ、面倒を見ていたのだろう。まったく謎であり、早く帰ってきて欲しいと願いつつ、今日もまた、ヴィンスの部屋の扉を開くと、そこには珍しく、何も作業をせずに静かにヴィンスの本を勝手に読んでいるディックの姿があった。

 私はヴィンスと顔を見合わせて、ぱちぱちと瞬きをする。

 彼はふっと顔をあげて、不服そうにこちらを見た。

「ひと段落したし、今日にしよ」

 ……今日……?って、なんの……。

 そこまで考えてやっと合点がいく、そういえば彼が倒れた日に、話をする約束をしていたのだった。
 
 しかし、忘れていたのだって私の記憶力が悪いからではない。なんせディックのお世話が壮絶だったからである。まったく本当に、こちとら、夏休みに入ってから毎日有意義に鍛錬の日々を過ごしていたというのにディックが来てからというもの、目の離せない幼児を預けられた中学生のような気分だったのだ。

「いいけど……いいけどね、ディック。貴方体調が治ったでしょ、何か言うことないの」

 ボコンと爆発してしまいそうな感情を抑えつつ、笑顔を浮かべてそういうと、彼は、しおっと萎れて小さくなって気弱そうに、眉尻をさげた。

「……あり、がと」
「!……う、うん。それほどでも、ね。ね!ヴィンス」
「えぇ、有意義な数日間でした」

 ヴィンスに話を振ると、どういう意味かまったく分からない返事が返ってくる。突っ込んで聞くことは無いが首を傾げた。

 一応、ディックの事情についてはヴィンスにも共有しているので、こうして彼も話を一緒に聞けるのは何よりなのだが、ディックの素直すぎる反応が少し気になる。

 ……やっぱり弱っていってる?このまま衰弱していったり……し、しないよね?

 なんだか可哀想な気分になるが、そういえばと思い出す。入学して初めて出会った彼は、こんな感じに気が弱そうじゃなかっただろうか。

 ……じゃあこっちが、素?

「じゃあ、僕についてきて」
「うん」

 言われて、三人で部屋を出る。
 寮から出る直前に、何故かベラに呼び止められ、故郷に帰る重要性というものを十分程度話をされて、三人して首を傾げながらその力説を聞き、それからディックのあとについて、歩いていった。


 彼の向かった場所は、グラウンドのそばにある森のその先であった。

 森は広く、樹木が生い茂っており、どこまで広がっているのか分からないほど広大に思えたが最短のルートで抜けることが出来たらしく三十分程度歩いただけ開けた場所へとでた。

「……こんな場所があったのね……ヴィンスは知ってた?」
「はい、存在は知っていましたが……実際に来るのは初めてです」

 ディックは迷うことなく歩みを進め、広場の端っこの腰の位置までしか無い古びた柵に手をつけた。

 少しヒヤリとする。なんせ、金色の膜がすぐそこなのだ。という事はユグドラシルの木の淵つまりその柵の向こう側は絶壁だろう。
 息を飲んで、私も彼の方へと歩みを進める。

 近づいてみれば、ここは半円状の展望広場のようになっているようで、床には綺麗にタイルを敷き詰められて、柵は古ぼけているが学園側がきちんと整備していることが伺える。

 崩れ落ちたりはしないはずだが少し怖く思いながらもディックの隣まで移動すると、そこには大きな真っ黒な渓谷とそれぞれ、左右に二つの大地が見えた。

 きっとこの先のどこかに、私たちが幽閉されていた場所がある。あの暗くて寂しい場所はもうごめんだ。思い出したくもない。

「……クラリス様……いいえ、クラリスと呼ばせて欲しい」
「……うん」

 名前を否定することはしない。体はクラリスなのだ、間違ってはいない。

 ディックは黒く、底が見えない渓谷のその先を見据えながら、言葉を紡ぐ。
 
 この場所は、遮るものが何も無いからか、風が強く少し肌寒いぐらいだった。

「僕は、この場所で育った。……だから、学園以外を僕は知らない」

 ディックは、少し緊張しているような声で言って、私を振り返る。瞳には決意が伺える。

「でもだからこそ、この場所の大切さを僕はいちばん知っている。クラリス、何故こんなことを僕が君に言うのか、わかる?」

 頭を振ると、わかったというようにディックは話を続ける。

「ここは、この場所は、居場所のない人間の受け皿。ユグドラシルに守られた安息の場所なんだ……教師陣、学園の運営者、清掃員や料理人に至るまで、彼らが皆、学園のお休みの時にもここにいる理由それは、彼らが皆、帰る場所が無いからなんだ」

 帰る場所が無い……。確かに、少し不思議には思っていた。どこの誰にだって出身地というものがある。生徒が私達しかいないのに、ベラはきちんと毎日寮にいるし、先生だって常にいる。

 それについては、私がまだこの学園のことをよく知らないからで、これから先、学園が完全に閉鎖されるお休みでもあるかもと思っていたからだ。

「アウガスとメルキシスタ、この二つの国をわかつ大渓谷のちょうど中心にあるこの場所には、多くの人が逃げ込んでいる。僕の親だって同じようなものだし、僕ら学園側の人間は、ここにしか居場所がない」

 風が吹き荒れて、彼の髪をなびかせた。彼は続けて言葉を紡ぐ。

「そして、この場所は、同時に、二つの国の均衡も保っている。片方の国に魔法使いが偏らないように、発展しすぎた魔法が使われないように。そして……戦争が起こらないように」
「ここが無いと戦争が起きてしまうの?」
「……そう遠く無いうちに。二つの国は案外、仲が悪いんだ」
「そう」

 キュッと口角をあげて彼は少しだけ笑った。戦争だなんて、冗談みたいな話だが、ありえない事では無いと思う。そして、この魔法がある世界での戦争は、とても悲惨な事になるのでは無いかという想像もたやすかった。




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