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夏休み早々……。1

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 べっとりと体に服が張り付いている。汗の水分を飛ばすように服でパタパタと仰ぐ。このベンチは、木の影になっていてすこしは涼しいがやっぱり室内には敵わないだろう。

 ……たまには気分を変えて、練習場横の広場でやろうなんて言ったのが良くなかったね。

 夏休みが始まって早一週間、耐えられないほどでは無いが、水分補給をまめにしなければ熱中症になるぐらいの夏本番がやってきていた。

 半袖のワイシャツにスカートだけなのに、これでもじゅうぶん暑い。前世のエアコンが恋しい日々だ。

 私がバテて動けなくなってしまったので、今はヴィンスに学食に飲み物を買いに行ってもらっている。
 夏休み中は、寮食が出ない代わりに学食の方がいつでも開いているので、そちらで私と同じくこの学園に残っている教師達と食事はそこでとっている。

 正直、先生ばかりで気まずいが、私だって本来であれば教師たちと同じ年齢なのだ。そう思えば何も気後れすることなど無い。むしろ食べ方なんかは自分の方が綺麗な気さえするし。

 それに寮食と違って、学食はお金がかかるから、いつ食べてもいいし、ローレンスから多めにお小遣いを貰っている。毎日少し贅沢をしているような気持ちになって夏休みも悪くない。

 ……でも、この暑ささえ無ければもう少し、練習が出来るんだけど……。

 武器の使用申請も取り放題だし、稽古室も、なんなら練習場だって使えるというのに、すぐバテてしまう。しかしそれは私だけだ。ヴィンスはまったく平気なようだった。

「はぁ…………体力が欲しいなぁ」
「そんな風にだらけながら言うこと?」

 私の独り言に、少し苛立ったような声が返ってくる。

 その声にそういえば比較的、久しぶりに彼に会ったような気がした。夏休み開始前にオスカーと喋ったので、その場にいたような気もしたが、彼一人だけの時に、二人で話をすることはなかった。

「…………なんか久しぶりじゃない?」
「別に、そんな事ないと思うけど」

 体を起こして声の方を見れば、案の定ディックがそこにおり、もこもことした彼のトレードマークの茶髪の前髪をピンで止めたような髪型をしていた。

 いい加減、鬱陶しいし熱かったのだろうと思う。

「君の相方はどこにいっちゃってるわけ」
「ちょっと飲み物を買いに」
「……ふぅん」

 私が素直に答えるとディックは、不服そうと言うかなんというか機嫌が悪そうな声で答える。
 
 というか、普通にあまり体調が良くなさそうだ。こんなに暑いのに、顔は少し青ざめているし血色が悪い。

 おぼつかないような足取りでこちらへと歩いてきて、私は彼をすこし警戒していたのだが、そんな私の考えとは裏腹に、彼は力無く隣に座り込む。

 そういえばディックは、学食にも顔を出さない。寮にもいない様子だし、多分、両親のいる教員棟で暮らしているのだと思う。そうなるとさすがに、オスカーがいなくても、ご飯を食べていなかったり、睡眠を取っていなかったりなんてことは無いはずだ。

「……あのさ」
「な、なに?」
「明日、予定空いてる?まぁ、どうせ休みだし、僕ら以外生徒だっていないし、空いてるんだろうけどさ」
「空いてるけど」
「ちょっと付き合って欲しくて」
「うん」

 彼は、たまにやるフラフラする妙な行動をし始めて、顔色も相まって狂人感が強くなる。
 ゆらゆら揺れて、それからニコリともしないで「じゃ、約束ね」とそれだけ言って立ち上がろうとした。すると、一歩、踏み出すように自然に体を前に倒し、そのまま、どさりと倒れた。

「あ、……あー、クレア」
「な、なに」
「力、入んない」
「お、おう」
「…………オスカーなら僕が倒れる前に、止めてくれるのに」

 私に言われてもどうしようも無いことを彼は言って、何とか起き上がろうと、地面に手をつける。

 けれど全身がぷるぷる震えるだけで、呼吸が段々と荒くなっていく。

 ……夏風邪でも引いてるのかな。…………エリアルのことがあって以来、ちょっと距離を置いてたんだけど……仕方ないか。

「はっ……僕を置いて帰ったんだ、あいつ……はぁ、所詮、僕らは学園内だけでの関係だったってことさ、分かるか、クレア」
「その発言けっこう誤解を生むよ?ディック。ほらつかまって、私、今魔法使えないから」

 彼の手を肩に回して、力いっぱい引っ張ると、何とか起き上がる事が出来て、再度ベンチへと座らせる。

「ねぇ、ディック、恨み言はいいから、貴方どうしたの?ご両親は?」
「はっ……僕のこと面倒見てくれるほど、できた親じゃないけど?」
「……じゃあどうして自分がこんな事になってしまってるかわかる?」
「さあね、僕が知るわけないだろ」
「……私、ちょっと貴方を見捨てたくなってきた」

 普段より数倍面倒なディックは、私の言葉にだいたい反発をして、それから、むすくれて黙り込む。

 オスカーはいつもこんな彼の面倒を見ているのだと思うと尊敬してしまう。だいたい私はチーム内では面倒を見てもらう側だし、もう少しサディアスにきちんと感謝の気持ちを伝えようと思う。

「……」

 ディックは長いこと沈黙して、それからばつが悪そうに喋り出す。

「ただ、ちょっと、うるさい人がいないから、色々してたんだ。お腹も減らないし眠くも無かったから、色々やって……そういえば君の固有魔法の話はどうなったかなって」
「……」
「それで久しぶりに、教員棟の部屋の外に出たら、なんか目の前がチカチカしてて、気分がいいから君を探しがてら、うろうろしてたんだ……」
「それで、いま?」
「いま」

 ……うるさい人って……まったく、反抗期の子供じゃあるまいし、彼も面倒を見られる立場としてしっかりと感謝するべきである。

「で、私はオスカーじゃないし。貴方の面倒だって見たくないけれどいい?」
「…………じゃあ、今の僕は誰に、頼れば、いいわけ」
「知らない」

 少しは、痛い目を見た方がいいと思い、彼をじっと見つめる。影から出たので日差しが暑くて、目が回りそうだ。

 ディックは、私の方を少し睨んで、それから瞳に涙を貯めた。

 あ、と思う、そういえば彼は案外、脆い部分があるのだった。

「っ゛、あついし、………おすかーは、いないし、……さいあく」
「……ディック」

 暫く考えてから、悪態をつく彼の手に手を重ねる。子供じゃあるまいしと思っていたのだが、そういえばこの年齢なら、まだ子供だったと思い直す。
 
 色々忘れてしまうけれど、心細いのは私も同じだ。……ディックには聞きたいことも多いし…………このまま距離を置いてはいられない、かな。

「私のお部屋に来る?看病ぐらいならするよ」
「…………見捨てても、別に、いいんだよ」
「はぁ……素直にお願いって言ってくれない」
「…………」

 私が少し呆れて言うと、ディックは長らく逡巡してそれから、私の手を縋るように握った。
 
 それがお願いという意味なのかはよく分からなかったが、一応、彼も折れてくれたということで、魔法玉を引っ張り出して、彼のものと触れ合わせる。

「っ、ねぇ、僕、それは」
「でも、担いで行かないと」
「……、っ、夏休みなんて、くそだ」
「そうだね」

 少し子供っぽいことを言うディックの魔力を取り込むと、彼は顔を歪めて、私の手を強く握った。その仕草が少しだけ年相応で可愛らしかった。



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