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故郷 佐原編

編入試験

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「それにしても、遠すぎる……」
 火花ほのかは既に疲れていた。朝五時に起床した。九時半までに現地に到着しなければならない。佐原にある家から東京の西の外れは遠すぎる。おまけに佐原の電車は本数が少なく、火花は高速バスで東京駅まで向かうことになった。そして東京駅からは在来線を乗り継ぐ。毎日通うなど無理だ。
 祖父から御堂藤学園への編入試験を受けろと言われたのは昨日だった。その前日に叔父から話を聞いていなければこうして受験することもかなわなかっただろう。
 学園の最寄り駅はそれほど大きなものではなかった。佐原に比べれば都会には違いないが、駅から少し歩くと閑静な住宅街といったところか。
 徒歩十分から十五分もしないところに学園はあった。
 私立御堂藤学園。それが編入試験を受ける高校だった。
 その日は試験日で通常授業はないようだった。
 静かな校内に生徒の姿は数えるほどしか見かけなかった。元女子校だった名残なのか、ちらほら見かける生徒の大半が女子生徒だった。
 校内地図をもとに控え室を訪れると、同じように編入試験を受けに来たらしい様々な制服姿の受験生を見たが、男子は火花一人のようだった。年度の変わり目に編入してくる生徒は意外と多いようだ。
 女子生徒たちは互いに話をすることもなく、距離をとって静かに着席し、参考書に目を通したり、瞑想に耽ったりしていた。
 この雰囲気は苦手だと火花は思う。祖父から試験は形だけだと聞いている。英語と数学の試験を午前中に行い、昼休みを挟んで午後から面接という段取りになっていた。中等部の生徒もいたようで、十人ほど受験生はいたが学年はばらついていると火花は思った。
 しかし、形だけだと聞いていた試験問題は簡単ではなかった。
 できねえ。火花は冷や汗をかいた。
 ふだんから真剣に試験問題に取り組んだことはない。適当に赤点にならない程度に手を抜いて受けてきたが、それでも通用するくらい勉強はできたのだ。しかし今回のは真面目にやっても半分もできないレベルだ。話が違うだろ、それとも赤点でも合格するのか?
 どうにか英語も数学も五割得点できるかも、という程度に答案用紙を埋めて試験は終了した。受験勉強をしていない割にはよくできた方だと火花は思う。
 再び、控え室になっている教室へと移動する。
 昼休みを挟んで午後から面接だった。他の受験生が手持ちの弁当箱を広げる中、火花はコンビニで買ったおにぎりを頬張っていた。
 教室は私語ひとつなく静まり返っている。場違いなところにいると火花は思いながら、こっそりと周囲を観察した。
 自分以外女子生徒。それぞれ異なる学校の制服姿だったが、なかなかの美少女揃いだった。
 中でも、ショートボブの子が特に目立っていた。
 この制服は確か聖麗女学館だと火花は思った。有名なミッション系御嬢様学校だ。
 その聖麗女学館から編入するとはどういう事情があるのだろう。聖麗女学館は全国に多数校舎があるし、寮もあったから親の転勤にともなう転校のケースは皆無ではないのか、と火花は余計な詮索をした。
 するとその少女が不意に顔を火花に向けた。目が合ってしまった。
 色白の整った顔立ち。表情がなく、クールビューティーといった感じだ。
 火花は少し間をおいてから目を反らし、俯いて眼鏡を押さえた。
 この眼鏡も鬱陶しい。少しでも真面目な生徒に見えるようにかけた伊達眼鏡だった。
 詰め襟の制服のボタンを全て留めたのも初めてだ。窮屈この上ない。
 これから午後の面接で優等生を演じなければいけないと思うと火花は緊張してきた。
 豪放磊落な祖父と叔父、いとこたちと火花は自由に育った。良い意味で「悪ガキ」だったと火花は思う。それが突然裕福な父方の家族と暮らす話が出たのだ。ひと月ももたずにもとの家に帰ってしまう予感すらあった。
 午後の面接時間になった。
 面接は一人ずつ個別に行われるので呼ばれるまで控え室で待機していることになる。そしてわかったのが、火花が編入する新年度の高校二年生は火花と聖麗女学館の制服を来ていた彼女の二人だけだった。三年生の編入はないようだったので、この二人がここでは最も年長組だったことになる。
 この子と同級生になるのか、それも悪くないかな。火花はそう思った。
 やがて火花が面接に呼ばれた。おもむろに立ち上がり、彼女のそばを通りかかった時、不意に彼女が火花の方に体を向け、片手を口許にかざして囁くように言った。
「あんた、その髪、自分で染めたの? 金髪の染め残しがあるんだけど」
 ギョッとして目を見開いて火花は彼女を見た。
 フッと馬鹿にしたような笑みを浮かべて、彼女は素知らぬ振りをするかのように前を向いて姿勢を正した。
 頭が真っ白になってしまい火花は面接で何を話したか覚えていない。気がつくと面接は終了し、火花は面接室から出ていたのだった。
 この編入試験の話は一昨日知った。慌てて叔父の毛染めを貸してもらい、金髪を黒く染めたのだ。自分では完璧のつもりだったがそうでもなかったということだ。
 試験の出来も今一つだったし、これで不合格なら仕方ないだろう。やるだけやってダメだったのだから祖父も何も言うまい、と火花は他人事のように思った。
 面接が終了した者は順次帰って良いことになっていた。だから火花は帰り支度をして控え室を出た。
 不合格なら縁がなかった学校ということになる。東京の学校に通ってみるのも良いと思い始めていただけに寂しさのような感情が湧いてきて複雑だった。
 校舎を出たところで制服姿の女子生徒に声をかけられた。「新聞部の者です、ちょっとお話うかがっても良いですか?」
 大きな黒フレームの眼鏡をかけた三つ編みの女子生徒だった。編入試験を受けに来た生徒にインタビューをしているらしい。
「お見かけしたところ​、公立に通ってらっしゃる生徒さんですね」と彼女は火花の詰め襟を指して訊いてきた。「どちらから?」
「千葉の香取市佐原からです」
 最後まで純朴な男子生徒を演じきることにした。それが祖父の顔を立てることにつながる気がしたからだ。
「佐原からですか……​」彼女は何か思わせ振りに相槌を打った。「試験は如何でした?」
「できなかったです」素直に手応えを答えた。
「そんなことはないでしょう。一緒に勉強できる日を楽しみにしています」彼女は笑った。
 その笑顔に社交辞令は感じられなかった。
「同じクラスになると良いですね」
 新年度の二年生のようだ。なぜわかったのだろう。
「高等部の編入は二年生しかないですよ」彼女は火花の内心を読んだかのように言った。
「ではまた」ぴょこりと可愛く会釈して、彼女は立ち去った。次の対象者を求めて。
 都内観光をしてから帰ろうかとも思ったが、火花はすっかり疲れていた。遠いし、まっすぐに帰るかな、と思って駅のホームに立っていると、一緒に編入試験を受けた聖麗女学館の彼女と出くわした。
 彼女は火花を見て一瞬目を丸くして驚いたようだったが、すぐにクールな顔になった。
「面接は散々だったよ」火花は伊達眼鏡を外してぼやくように言った。「何を答えたのか全然覚えていない」
 何気なく彼女の顔をうかがうと、じっと見つめる彼女の目と合った。
「あんた、そんな顔だったんだ……」
「ん? 伊達眼鏡、似合ってなかったか?」
「その制服からしてわざとらしかったわね」
「やっぱり? 慣れないことするもんじゃないな」火花は思い出したようにボタンを外し、首元を弛めた。
「ヤンキー上がりね」
「そうでもない、ってか、お前、口の利き方悪いな、聖麗女学館だろ。御嬢様学校じゃないのかよ」
「相手に合わせてるだけ」
「なんで御堂藤の編入試験なんか受けてるんだ? まさか素行不良で退学……」
「か、家庭の事情よ! あんたこそヤンキーが髪染め直してなんで受けてんのよ」
「家庭の事情だ」火花は笑った。
 電車が来たので同じ扉から乗った。
 微妙な距離をおいていたが話はできた。離れることをしなかったのは、互いに、逃げたと思われたくなかったのかもしれない。
「遠いわ……」彼女は文京区にある寮まで帰るようだ。
「俺の方が遠いな」意味もない張り合いを続けた。
「転校が決まったら寮を出ることになる」
「自宅通いになるのか?」
「まあそんなところね」
 いちいち思わせ振りな言い方だと火花は思った。
「寮の方が良かったのか?」
 その問いに彼女は答えなかった。今さら家族と同居など考えられない、といったところか。
 火花も自分に当てはめて考えた。両親とも死に別れ、祖父や叔父の家族と共に育った。彼らは優しく、自分を本当の家族として扱ってくれた。今さら父方祖父の一族と暮らすなど考えられない。
「まあ、俺は編入できないだろうがな」火花は独り言のように言った。
「せっかく髪染めたのに?」彼女は可笑しそうな顔をした。「その努力が報われると良いね」
「本気で思ってないだろ!」
 何だか漫才のやりとりをしているようだった。それを楽しんでいたのは自分だけかもしれないと火花は思っていたが。
 代々木上原で彼女は乗り換えのために降りていった。もう会うこともないだろうと思いながら、火花は軽く手を振り彼女を見送った。そして東京駅で土産物を買い、佐原の家まで帰った。
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