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夕食会で語られたこと① プレセア暦三〇四六年 コーネル辺境伯邸
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ジェシカに促されてロアルドが先日の紙芝居の話を二人の来訪者に聞かせた。
紙芝居の内容は「聖王千夜物語」と思われるものから三つの話を選んでいた。それが終わったころに聖王が何者かに殺されて国は戦乱に巻き込まれた。その聖王を殺めたのが「プレセア」だと紙芝居の女は言ったのだ。その場にいた神官たちがたちまち紙芝居の男女を追いつめ、大立ち回りとなったのだった。
ただ、その過程で紙芝居の男がサブリミナル効果の魔法を使って観衆に口渇を自覚させ、水飴や飲み物を買いに行かせていたことは触れなかった。それを言うとロアルドのスナッチについて説明しなくてはならないからだ。
「なるほど」と最初に反応したのは童話研究をしているリチャード・エヴァンズだった。「その三つの話は確かに『聖王千夜物語』からとったものだと思われます。しかし最後の、聖王が寝首を掻かれたという部分は違いますね。明らかに意図的に加えられています」
その場にいた誰も「聖王千夜物語」を最後まで読んだことがなかった。というより全話を載せた本が存在しないからだ。誰もが誰かによって語られた話を耳にして覚えているのだった。
「そもそも『聖王千夜物語』は書物として完全版というものがありません。私は童話を書籍化する活動をする一環で『聖王千夜物語』についても順次本にしていますが、それでも現在三巻までです」
「エヴァンズ先生が本にされたのですか?」ロアルドは思わず訊いていた。
「私だけではないのですよ。少なくとも四人の研究家が書籍化を試みています。最も有名なのがマートン版でして、これは十巻まで出ています。ただ、なかなか手に入らないので王都学院の図書館で見られるのが良いでしょう」
「グレースお姉さまは覚えていらっしゃらないの?」
「私はエヴァンズ先生の三巻だけね。他に記憶しなければいけないものが多くて」
「恐れ入ります」エヴァンズは恐縮したように言った。
グレースの言い方だと、童話の記憶は優先順位からかなり外れているように聞こえるが、エヴァンズは気にしていなかった。むしろ他の研究家の本よりも自分の本を記憶してもらっていることに恐縮しているようだった。
「実は『聖王千夜物語』は完結しておりません。各地で語り継がれている話はおよそ百。『千夜』と謳っているため千の物語があるように聞こえますが、私が知る限り百程度の話です。他にもあるのかもしれませんが、まだ見つかっていないというべきでしょう。というわけで、千もの話を聞いてようやく眠りについた聖王の寝首を掻くといった部分に関しては聞いたことがありません」
「紙芝居の創作なのかな?」エドワードが口を挟んだ。
「その紙芝居屋はこれが『聖王千夜物語』だとは一言も言っていなかったのでしょう?」エヴァンズはロアルドに訊いた。
「そうですね」
「たぶん、最後の部分がいちばん言いたかったことで、三つの話は何でも良かったのではないでしょうか。たまたま『聖王千夜物語』からとったというだけです」
「プレセアが王を殺めるといったところが言いたかったことか」
「その紙芝居の男女はカリゲル人だったのでしょう?」
「髪の色が淡かったのでそう思っただけです。実際どうなのかわかりません」
「カリゲル人なら、そうした創作をしてもおかしくはないかと」エヴァンズはエイカー教授の方を向いた。
「まあ、確かに……」ローゼンタール王都学院アカデミーのウイリアム・エイカー教授が口を開いた。「カリゲル教とプレセア教の対立構造は根強いです。プレセア正教会によって追われ、国を失ったカリゲル人はプレセア教に対して敵意を持っているでしょう」
エイカー教授は神学科で全世界の宗教史を研究しているようだった。神学科の教授だからといってプレセア正教会に所属しているわけではない。むしろどの宗教にも肩入れせず客観視する立場をとっているという印象をロアルドは持った。
「プレセア教にもカリゲル教にもそれぞれの神に関する逸話があります。文献的証拠が残っていないので、すべては語り継がれたものに過ぎません。そういう意味で童話と大差はないと私は思います。両者にはいくつもの類似点があります。創始者が相手の宗教のまわしものによって命を奪われたとか、十二使徒がいた点とか、似ている点が多すぎて、両者はもともと同じ宗教だったのではないかとさえ私は思います」
その場にいた全員が目を瞠った。
「いや、これはここだけの話にしてもらいたいですな」
「わかっているよ、ウイリアム」エドワードが旧友に言った。
「『聖王千夜物語』についてはエヴァンズ先生の方が専門ですから私が言うのもなんですが、あそこに出てくる聖王は実はカリゲル教の創始者といわれています。カリゲル教信者にとってはいわゆる『神』ですね。私が知る限り名前はついていません。『聖王』と呼ばれているだけです。しかしプレセア教信者たちはカリゲル教の神を『マグナワルダ』と呼びます」
「大魔王マグナワルダ、だな」エドワードが頷いて目を閉じた。
紙芝居の内容は「聖王千夜物語」と思われるものから三つの話を選んでいた。それが終わったころに聖王が何者かに殺されて国は戦乱に巻き込まれた。その聖王を殺めたのが「プレセア」だと紙芝居の女は言ったのだ。その場にいた神官たちがたちまち紙芝居の男女を追いつめ、大立ち回りとなったのだった。
ただ、その過程で紙芝居の男がサブリミナル効果の魔法を使って観衆に口渇を自覚させ、水飴や飲み物を買いに行かせていたことは触れなかった。それを言うとロアルドのスナッチについて説明しなくてはならないからだ。
「なるほど」と最初に反応したのは童話研究をしているリチャード・エヴァンズだった。「その三つの話は確かに『聖王千夜物語』からとったものだと思われます。しかし最後の、聖王が寝首を掻かれたという部分は違いますね。明らかに意図的に加えられています」
その場にいた誰も「聖王千夜物語」を最後まで読んだことがなかった。というより全話を載せた本が存在しないからだ。誰もが誰かによって語られた話を耳にして覚えているのだった。
「そもそも『聖王千夜物語』は書物として完全版というものがありません。私は童話を書籍化する活動をする一環で『聖王千夜物語』についても順次本にしていますが、それでも現在三巻までです」
「エヴァンズ先生が本にされたのですか?」ロアルドは思わず訊いていた。
「私だけではないのですよ。少なくとも四人の研究家が書籍化を試みています。最も有名なのがマートン版でして、これは十巻まで出ています。ただ、なかなか手に入らないので王都学院の図書館で見られるのが良いでしょう」
「グレースお姉さまは覚えていらっしゃらないの?」
「私はエヴァンズ先生の三巻だけね。他に記憶しなければいけないものが多くて」
「恐れ入ります」エヴァンズは恐縮したように言った。
グレースの言い方だと、童話の記憶は優先順位からかなり外れているように聞こえるが、エヴァンズは気にしていなかった。むしろ他の研究家の本よりも自分の本を記憶してもらっていることに恐縮しているようだった。
「実は『聖王千夜物語』は完結しておりません。各地で語り継がれている話はおよそ百。『千夜』と謳っているため千の物語があるように聞こえますが、私が知る限り百程度の話です。他にもあるのかもしれませんが、まだ見つかっていないというべきでしょう。というわけで、千もの話を聞いてようやく眠りについた聖王の寝首を掻くといった部分に関しては聞いたことがありません」
「紙芝居の創作なのかな?」エドワードが口を挟んだ。
「その紙芝居屋はこれが『聖王千夜物語』だとは一言も言っていなかったのでしょう?」エヴァンズはロアルドに訊いた。
「そうですね」
「たぶん、最後の部分がいちばん言いたかったことで、三つの話は何でも良かったのではないでしょうか。たまたま『聖王千夜物語』からとったというだけです」
「プレセアが王を殺めるといったところが言いたかったことか」
「その紙芝居の男女はカリゲル人だったのでしょう?」
「髪の色が淡かったのでそう思っただけです。実際どうなのかわかりません」
「カリゲル人なら、そうした創作をしてもおかしくはないかと」エヴァンズはエイカー教授の方を向いた。
「まあ、確かに……」ローゼンタール王都学院アカデミーのウイリアム・エイカー教授が口を開いた。「カリゲル教とプレセア教の対立構造は根強いです。プレセア正教会によって追われ、国を失ったカリゲル人はプレセア教に対して敵意を持っているでしょう」
エイカー教授は神学科で全世界の宗教史を研究しているようだった。神学科の教授だからといってプレセア正教会に所属しているわけではない。むしろどの宗教にも肩入れせず客観視する立場をとっているという印象をロアルドは持った。
「プレセア教にもカリゲル教にもそれぞれの神に関する逸話があります。文献的証拠が残っていないので、すべては語り継がれたものに過ぎません。そういう意味で童話と大差はないと私は思います。両者にはいくつもの類似点があります。創始者が相手の宗教のまわしものによって命を奪われたとか、十二使徒がいた点とか、似ている点が多すぎて、両者はもともと同じ宗教だったのではないかとさえ私は思います」
その場にいた全員が目を瞠った。
「いや、これはここだけの話にしてもらいたいですな」
「わかっているよ、ウイリアム」エドワードが旧友に言った。
「『聖王千夜物語』についてはエヴァンズ先生の方が専門ですから私が言うのもなんですが、あそこに出てくる聖王は実はカリゲル教の創始者といわれています。カリゲル教信者にとってはいわゆる『神』ですね。私が知る限り名前はついていません。『聖王』と呼ばれているだけです。しかしプレセア教信者たちはカリゲル教の神を『マグナワルダ』と呼びます」
「大魔王マグナワルダ、だな」エドワードが頷いて目を閉じた。
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