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古木理緒 (カウンタークルー 泊留美佳)

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 富貴恵ふきえが話をつけてくれたことは、松原康太まつばらこうたの様子でわかった。
 松原は全くいつもと変わらなかった。留美佳るみかを無視するでもなく、余計に声をかけるでもなく、ふだん通りに挨拶をし、ふだん通りに叱り、ふだん通りに下らないギャグを口にした。
 お蔭で留美佳はほっとした。
 しかし店の雰囲気はいつになく緊張していた。その原因の一つは本社のトレーナーである柚木璃瀬ゆずきりせが顔を出すようになったからだ。彼女はレジカウンターの様子を厳しく監視していた。何か手違いを起こしたクルーはすぐに彼女に呼ばれ、基本を一から叩き込まれることになった。
 しかし店の緊張が彼女だけのせいでないことは、鈍感な留美佳にもわかった。答えは璃瀬が来ることになった経緯にあるようだった。
「クレームが本社にも来ています。ミスがないよう確実にこなすようにしてください。この際、スピードは二の次です。わかりましたか、古木さん」
 店を開ける前に必ず柚木璃瀬トレーナーの訓示があった。
 名指しされた古木理緒ふるきりおは、血走った目を璃瀬に向けた。彼女は自分を叱責する人間が二人に増えたことで、却って開き直ったようだった。その目は反骨精神に溢れていた。
 自分も注意しよう。留美佳は肝に銘じた。
 アルバイトを始めた当初は、クレームを受けるミスの大半が自分のところにあった。みなに励まされ、徐々にミスが減り、ようやく人並みの働きができるようになった気がする。
 スピードを犠牲にして、確実性を増したことによって、「遅い」というクレームしか受けなくなっていった。江尻マネージャーが、スピードを気にしなくて良いように四番レジに配置してくれたことも効を奏した。
 みなに見守られ、とても充実した日々を送っていると実感できるようになっていった。
 徐々に他人を思いやる余裕が出てくる。更衣室でこっそり泣いている古木理緒を見つけたときも、声をかける勇気が宿っていた。
「あの、大丈夫ですか?」
 理緒ははっとして顔を上げ、涙をぬぐった。
「見たわね、よくも……」と恨めしそうに呟いた。
 いつも突っ張っているように見えるが、今日は何だか可愛いと留美佳は思ったが、年上の子に言うのは失礼かと思い、口から出るのを封じ込めた。
「まさか、とまりに見られるとはね、ああ、情けない」
 別にみんな知っていることですよと、留美佳は心の中で言った。
「私のこと、泣き虫だと思っているでしょう。私が泣いているのはね、悲しいからじゃないの、悔しいからなの。私、ほんとうに、すっごく負けず嫌いなの」
 ひとは感情が高ぶると冗舌になるらしい。彼女の場合もそうだった。ふだん余計なことを喋らない理緒が、今ひとりで喋っている。
「今日は宮本マネージャーと柚木トレーナーの二人から叱られたわ。私のミスが一番多かったって。そりゃ、一番たくさんお客様を相手にしているのだからミスだって増えるわよ。それなのに、トレーナーは、『客をたくさん捌けば良いというものではありません。ミスなく確実に対応することの方が大切です。あなたは競争でもしているつもりですか』だって。しているわよ競争も。今日は高見澤さんと瀧本さんが横一列に並んだのよ。意識するなという方が無理というものよ」
「あの、私も四番レジにいたんですけれど……」
 留美佳がおそるおそる言うと、理緒は即座に遮った。
「泊はいいの、君は年下だし、ゆっくりマイペースでやっていればいいのよ。でもあの二人は同い年だし、負けたくないのよ。特に高見澤さんがちんたらやっているところを見ると、いらいらしてくるわ。清楚なお嬢様ならゆるゆるやっても許されると思っているのかしら」
 意外だった。ほとんど喋ったことがなかったので知らなかったが、古木理緒は同い年の人間に対して猛烈に競争心を感じるタイプのようだった。夏休み開始とともに一斉にスタートした三人だが、それぞれの特徴が生かされて良い結果に繋がっていると留美佳は思っていたのに、理緒はそう思っていなかったようだ。
 確かに高見澤神那たかみさわかんなと瀧本あづさは、それぞれの長所を生かして看板娘のようになっている。外見や接客態度で劣ると感じた理緒がスピードで対抗し、多くの客を捌くことで店に貢献しようと考えたとしても不思議でない。
 しかし理緒は誤解している。彼女は神那やあづさと並んでも引けをとらないくらい美しい。ただタイプが異なるだけなのだ。彼女はそのことに全く気づいていないようだった。
「ああ、いらいらしてくると、お金使っちゃうのよね、せっかくバイトしてもすぐになくなっちゃうから、困るわ」
 言葉とは裏腹に、理緒は喋っているうちに落ち着いていくようだった。
「どういうことに使うんですか?」
 無意識に口が動いた。他人のことに興味が湧くことは珍しい。特に女の子に対してものをきくのは、富貴恵以外では滅多になかった。
「いろいろよ。服を買ったり、やけ食いをしに行ったり、カラオケ、ゲーム……」
「意外ですね、お友達と行くんですか? それとも彼氏?」
「違うわ、いつもひとり。私ね、友達って、いないの。というより作らないようにしているわ」
「何か理由があるんですね?」
「うん、でも言いたくないから、ごめんね……」
「私と、お友達になってもらえません?」
 そんな言葉が口から出るとは自分でも信じられなかった。クラスではいつもいじられ役、まともな友人は富貴恵だけだ。誰かに友達になって欲しいなどと言ったことは今までなかった。
「君も物好きね。私と一緒にいても、あちこち引っ張りまわされるだけで、大変だよ」
「いいんです、それも面白そうだから」
「おかしな子ね」
 言葉は呆れているが、口調は穏やかになっていた。
 留美佳は、このキャラクターに魅力を感じ始めていた。
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