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クルーたち (店長 江尻克巳)

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 翌日江尻は、休憩中の蒲田美香かまたみかをキッズルームへ呼んだ。アルバイトに対する面接はたまにしているので、堂々と声をかけても何の不思議もないだろうと思ってのことだった。しかし内容は昨日の続きである。
 本来なら、常勤の宮本遥みやもとはるかに事情を話して備えるのが筋なのかもしれないが、江尻は遥をそれほど評価していなかった。第一、遥は江尻が集めたクルーを気に入っていない。そういう人物に神那が打ち明けたことを包み隠さず話しても逆効果のように思われたのだ。そこで江尻が白羽の矢を立てたのが蒲田美香だった。
 神那自身も美香に相談したといっていたではないか。神那の話の真偽を問うには美香と話をするのが最善の策のように思えた。
「昨日高見澤の方から相談があったのだが」と江尻は切り出した。「お客様やクルーの視線が気になるという話に始まって、キッチンクルーの特定の人物の名前を挙げて、その彼の視線が怖いと言い出したんだが、どうなんだろう? 本当なんだろうか?」
「はあ」と美香は当惑の表情を隠さず答えた。「私も彼女からそのような話を聞きました。言われて見ればそうなのかもしれません。彼女あの通り可愛いですし、彼女目当てで来られるお客様もいらっしゃいますから、注目を浴びているのは事実です。店のクルーについては、そうですね、やはり彼女と話がしたいとか、その姿を見ていたいとか考えているかもしれない人がいるかもしれませんね。しかし、彼女が思っているほど、それは深刻なことでもないような気もします」
「それは、ちょっと彼女の方も過敏に反応しているということかな?」
「私がその場に居合わせたわけでもないので、わからないんです。ただ他のクルー、とくに森沢富貴恵もりさわふきえちゃんあたりの話だと、特定の人物が彼女の顔を見に頻繁にやって来るというのですね。富貴恵ちゃんにも話を聞くとわかるかもしれません。ただ富貴恵ちゃんもちょっと早とちりなところがありますから、勘違いってことも考慮した方がいいですね」
 意外に美香の見方は冷静だった。それだけに却ってわかりにくい。神那の妄想という可能性も出て来たのだ。
 江尻は西と田丸に直接話を聞いてみたい衝動に駆られた。しかし神那がそれはやめて欲しいと言っていたし、もし仮に直接問い質したとして、彼らが本当のことをいう保証もなく、江尻は打つ手が見つからず頭を悩ませた。
「あまりひどいようなら、辞めたいとまで彼女は言うんだよな」
 江尻は困惑の表情を浮かべ、美香の様子を窺った。
「そうですよねー。神那ちゃん、今までよくやって来たと思います。でも最近は少々思いつめたところもあって、ミスも若干増えているようです。宮本さんも神那ちゃんの様子がおかしいことに気づいていて、どうしてなのかと訝っていますよ。宮本さんにはまだ相談していませんからね。それに、今度柚木さんが来られた時に、神那ちゃんがどうなるかちょっと心配ですね」
 神那が本社の柚木璃瀬に相談する可能性はゼロではない。できればそのような事態をさけるよう手を打っておきたいところだった。
「やはり僕が目を光らせておくしかないようだな」
 江尻は溜息混じりにいったが、それを聞いて美香は逆に初めて頼もしそうに江尻を見た。

 江尻は美香を持ち場に帰すと、その足でキッチンに入った。中に件の西章則にしあきのり田丸誠たまるまことが二人揃って勤務に入っている。西がサンド担当、田丸がフライ担当だったので、二人は互いに離れたところにいた。もちろん仕事中なので私語は聞かれない。彼らが暇な時間帯に言葉を交し合う仲なのかどうかも江尻は把握していなかった。
 正直なところキッチンはチーフをしている松原に完全に委ねていた。たまたま今の時間帯、松原が勤務に入っていなかったから、こうして江尻が顔を出しているわけだが、こういう機会においても江尻の注目はいかにミスなくスムーズにハンバーガーが作られるかにあった。クルー同士の関係など眼中になかったのだ。ただ個人的にひとりひとり面接をおこなうことがたまにあったので、彼らのパーソナリティについて江尻なりの解釈はある。
 西章則はひとことで言うと、陽気な男だ。顔が丸く少しずんぐりとした体格なので、爽やかなイケメンという訳にはいかないが、小さなこどもの扱いなどに慣れているように見える。彼の履歴書に、かつてボーイスカウトをしていたという記載があったのを思い出し、妙に納得した。きちんと相手の目を見て挨拶し、間が持たない事態を避けるべく世間話をすることができる。それが西の特長だ。
 彼のプライバシーに踏み込んだことがないのでわからないが、交際相手はいるのだろうか。格好がよくなくても、あのくらい喋ることができればそれなりに女性の相手はできるはずだと江尻は思っている。世の中にはお笑い芸人が好きな女性がたくさんいるのだから、西がもててもおかしくはない。しかし彼が持ち出す話題が、時に現場にそぐわないと感じることも事実だった。
 そして唐突に出現するひとり笑い。何かギャグを言ったのかもしれないが、周りの無反応も気にせずにひとりで受けている。しらーっとした空気が流れても気がつかないようなのだ。
 今まで何気なく見ていた光景を思い出し、頭の中で何度か再生して、その中から法則のごときものを見い出してみると、西の言ったことに対して素直に笑いを返してあげるような女子クルーは、蒲田美香と森沢富貴恵くらいだった。
 あとのメンバーは、西のセンスが理解できないとでもいいたげな無反応を示し、その空気を察しない西をさらに珍獣を見るような顔を向けることで貶めていた。
 こうしてよくよく彼を観察してみると、何とも哀れな道化師の姿が浮かび上がってくるのだった。
 その彼が神那をいやらしい目つきで舐めるように見る。そういう光景は実際に目にして見なければピンと来ないものがある。西も男のひとりだ。女性の体に興味を覚えても不思議でないだろう。陽気で話し好きという姿が、薄っぺらい仮面によるものなのか確かめたいという気持ちと、仮面の下に隠された醜い姿を見たくないという気持ちが交互に訪れて、江尻は不快なめまいに襲われそうになった。
 ちょうど西が休憩をとる時間になったので、スタッフルームへ西とともに入った。中には泊留美佳とまりるみかがいたが、ふたりの姿を見ると、軽く会釈して出て行った。女子クルーは更衣室で休憩をとることも多く、やはり男子スタッフと顔をあわせることに抵抗を覚えているようだった。
 その部屋で江尻は西とふたりになった。
「毎日ご苦労さん」と江尻は話のきっかけを掴むかのように西に声をかけた。
「こちらこそお世話になっています」と如才ない返事が返ってきた。
「君は大学のサークルとか入ってないんだっけ?」
「ええ、ブラバンをちょこっと覗いたことがありましたが、あわないのでやめました」
 彼が通う大学は、どこにあるのかさえ知らない名もない大学だった。自分も二流大学の出身だが、彼の大学はそれ以下かもしれない。このところどこの大学も経営が苦しいと聞いていたから、廃校になったりしないかと余計な心配までしてしまう。だがそれは口にしなかった。
「バイトの金は何に使うの?」
 余計な質問だと思ったが、西なら気にしないだろうと思った。
「このところ景気が悪くて、親も『自分』の生活費を出すのが負担になってきたようで、家に帰ってきて自宅から通えと言うようになったんですね。せっかく一人暮らしを始められて羽を伸ばしていたのに、また自宅から遠くまで通うのも何ですから、バイトで生活費を捻出すると言っちゃったんです。今アパート代だけ出してもらってます」
「それは見上げたものだな」
「ええ、ですから夏休みが終わったあとも、通える時間にひきつづきお世話になりたいんですけど」
 それは君次第だと言いたかったがどうにか堪えた。もし女子クルーに対して何か問題を起こすような存在であるなら、もちろん契約は夏休み限りとなる。しかし努めて内心を隠し、江尻は答えた。
「君は仕事熱心だから、それは構わないよ。しかしそんなにバイトばかりしていては遊びにいく時間がなくなるだろう。彼女とかいないの?」
「そっちの方は、まるっきりだめですね」
「そうなのか? 誰とでも気軽に話ができるタイプだから、ガールフレンドの一人や二人いてもよさそうなものなんだがなあ」
 まるでオヤジの台詞だ。三十の独身男の言うことではない。現在交際相手がいなくてこれといった励みのない江尻自身が言われてもおかしくないことだった。
 しかし西のことを知るには必要な会話だと江尻は自分に言い聞かせた。
「君の大学には女子学生は少ないのか?」
「そうですね、四割くらいは女子学生でしょうか」
「なら、よりどりみどりじゃないか。ブラスバンドでなくて何か女性のたくさんいそうなサークルに入ったりしたら、ガールフレンドもそこそこできるんじゃないだろうか」
「かもしれません」と西は、いつになく歯切れが悪かった。何となく迷惑しているような雰囲気だった。
「君はどういうタイプの女性がいいんだろうな。たとえば、ここの女子クルーで言うと誰がそれに近いんだろう?」
「はあ、そういうことを言うのはいかがなものかと……」
 やはり西は答える気がなさそうだ。少なくとも江尻に対して自分をさらけ出すつもりはないらしい。もっと端的に言うなら、彼は女性に関する話題を好まないのではないかと江尻は思った。
「いやあ、たとえが悪かったな。すまない。まあ、店長としては、お客さまや店のクルーを好きになられても困るからな。店の外でやってくれとふだん言っておいて、それと矛盾したことを聞いて悪かったよ」
 江尻は、はははと笑いで誤魔化して部屋を出た。
 少しは釘になったかなと思うが、西がどう思うかだった。
 次は田丸誠だった。同じように彼が休憩をとるときにスタッフルームに入った。
 彼は最年少の高校一年生だったから、ときどき面接をするような形で声をかけているから、彼の方も江尻と二人きりになっても何も不自然を感じないだろう。しかし口数の少ない田丸誠は、西より話を引き出すのに苦労した。
「どうだい? ひと月近くもしていると少しは慣れてくるだろう? また冬休みや、春休みなどもバイトに来る気になったかな?」
 前にも聞いたことだが、同じ話で始める。とにかく取っ掛かりが重要だった。
「はい、ぜひ」と誠は最小限の返答だ。
「松原チーフは厳しいか?」
「いえ、あのくらいでちょうど良いです」
 履歴書の情報とこれまでの面接で、彼が体育会系の部活に属したことがないことはわかっていた。体育会系の部活に入っていれば、少々厳しい指導も苦にならないと思うが、彼の場合はどうなのだろうと思う。
 松原は冗談ばかり言っている軽い男だったが、こと仕事になるとシビアになる。必然的に指導はきっちりしている。もし誠がいつまでも成長しない男だったら、格好の叱責の的となっただろう。
「君はクルーの中で一番年下になるわけだけれども、まわりの連中とはうまくやっているか? いじめるような奴はいないのか?」
 江尻はふだんからこの手の質問をアルバイトクルーにしていたので、特に違和感のある声かけにはあたらないだろうと目論んだ。
「大丈夫です」
「キッチンの森沢や泊と同じ高校の同じ学年になるけれど、彼女らとよく遊んだりもするのか?」
「いいえ、クラスも違いますし、ここへ来るまで話したこともありませんでした」
「じゃあ、ここで一緒になってから話をすることもあるんだ」
「森沢さんが一方的に話をしてくるだけです」
「はあ、なるほど、彼女は変わっているからなあ」
 森沢富貴恵なら誰に対しても、気軽に話しかけるし、おどけた調子で場の空気を明るくするから、誠に話しかけるのは当然ともいえる。
 その後江尻は誠にとりとめもないことをいくつか訊いたが、彼はのらりくらりとかわすだけに終わった。
 彼が思いつめる人間かどうかはわからない。しかし何か思い切ったことをする芽を秘めていると江尻は感じた。
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