上 下
3 / 91

本社からの視察  (店長 江尻克巳)

しおりを挟む
 間が悪いことに、そういう時に限って、本社の人間がふいに視察に来るものだ。
 江尻は店の窓の向こうに、こちらへ向かって歩いてくる本社の人間の姿を見つけた。本社地域開拓部門営業部の吉田部長と、たびたびクルー教育のためにやってくるトレーナーの柚木璃瀬ゆずきりせだった。
 抜き打ち視察の形となるが、このタイミングを狙ったのは柚木璃瀬だと江尻は唇を噛んだ。彼女はシフト勤務表をみて今日の状態を知っていたはずだ。それでわざわざ部長を連れてきたのは、自分を陥れるために違いないと江尻は思った。
(そんなに俺が気に入らないのか)
 江尻は思った。
 五月頃、柚木璃瀬がスタッフクルーのトレーニングを行うためにこの店にやって来た。彼女はあちこちの店舗に順に顔を出している本社のスタッフだった。どう見ても二十代半ばの娘で、江尻はおろか松原、宮本遥にとっても年下の人間である。しかし店長をはじめ現場のスタッフは本社の人間に頭が上がらない。可愛いと感じた美貌も、たちまち鬼軍曹の様相を呈して行った。特にクルーは厳しい指導を受けるからなおさらだった。嫌だと感じた者はやめていき、現場には叱咤されても何もいえない従順な人間だけが残る。江尻は店長としてクルーが辞めていかないよう細やかな配慮をする必要があった。
 ある夜、反省会と称して江尻は松原や宮本遥とともに柚木璃瀬を囲んで夕食をとった。璃瀬の意見に耳を傾けつつ味を感じることのできない夕食をとり、一時間ほどで松原と宮本は店に戻った。璃瀬がまだ話したりない様子だと感じた江尻は、近くの居酒屋でその続きを承ることにした。そこでもてなす事に気を遣いすぎた江尻は少々璃瀬に飲ませすぎた。彼女は少し足元がふらつくようになった。鬼軍曹が、か弱い美少女の足取りになっているように江尻の目に映った。このまま一人で帰すのも忍びない。タクシーを呼ぼうか。しかし彼女の自宅がどこなのかわからない。あまり遠くだとタクシーは無理だろう。などと考えているうちに、ふとラブホテルのネオンが目に入った。
「少し休んで行かれますか?」と何気に彼女の肩に手をかけた瞬間、彼女は豹変した。
「私の体に触らないでください」と、璃瀬は江尻を睨みつけ、その背後のラブホテルを見遣ってから、「私を誘ったことは本社には言いませんが、今度同じことをしたら間違いなくあなたを告発します」
 江尻は呆気にとられて動けなかった。
 彼女が立ち去ってからようやく我に返り、なんと自意識過剰な女なのだろうと思うことで自分が受けた衝撃を和らげようとしたのだった。
 その日以来、璃瀬の自分を見る目が明らかに変わったと江尻は痛感している。何事もなかったように淡々と業務をこなしているが、江尻は彼女から敵意を浴び続けた。
 その仕打ちの一環として、今日の抜き打ち視察が計画されたのだ。
 江尻はさっと宮本遥を呼び寄せ、吉田部長の姿を見せ、現場にスクランブルを発令した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

少年になりたい僕は-大人になりたい君と子どもでいたい僕の青春ストーリー-

詩月
現代文学
高校生1年生である的羽暁人は、少年の頃都会で出会った少女を絵に描きたいと思っていた。その少女の言葉は幼く、芯をついているとは到底言えない。だが彼女の言葉には無知だからこそ私たちに共感を得られるものがあったのかもしれない。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ツイン・ボーカル

hakusuya
現代文学
 芸能事務所の雇われ社長を務める八波龍介は、かつての仲間から伝説のボーカル、レイの再来というべき逸材を見つけたと報告を受ける。しかしその逸材との顔合わせが実現することなく、その仲間は急逝した。ほんとうに伝説の声の持ち主はいたのか。仲間が残したノートパソコンの中にそれらしき音源を見つけた八波は、その声を求めてオーディション番組を利用することを思い立つ。  これは奇蹟の声を追い求める者たちの物語。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

再び始まる家族との時間

紅夜チャンプル
現代文学
家族の絆をテーマとした奇跡的なストーリー 優(ゆう)が自身の病気を克服した後、夫の新(あらた)に異変が。小学生の娘の梨沙(りさ)もいる中、どのように乗り越えて行くのか。 辛い現実と向き合いながらも、奇跡を信じたい。そう思っていた筆者が書いたストーリーです。

学級戦争

インディにぃあん
現代文学
学級(クラス)で行われている戦争....... 皆さんは御存知ですか。 そんな、裏の戦争を、僕の目線から描く日常物語。 どんな波乱が!?

処理中です...