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スーパーガール
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「棚橋さん、結果はどうでしたか。先生は何て?」
診察を終えて外来の待合室に戻った棚橋さんに、私は駆け寄った。
彼はにこりと微笑み、
「もうお昼ですし、お店に入りましょう。手首の状態については、落ち着いてから話します」
右手で窓の外を指差した。通りの向こうに、病院の帰りにいつも立ち寄る喫茶店がある。
「わ、わかりました。すみません、つい焦ってしまって」
「いえいえ、心配してくれてありがとう」
棚橋さんが骨折してから一か月が経つ。
今日は通院の日。
最初の診断で完治までにかかるとされた5週間目に当たる。患部をレントゲン撮影し、経過が良好なら、ギプスが近いうちに外される予定だ。
私達は連れ立って病院を出た。
9月の街は真夏のように明るく、気温も高い。だけど、どこか秋の気配がある。季節は、確実に過ぎていくのだ。
喫茶店に入ると、冷風が心地良かった。奥の席に座り、棚橋さんと向き合う。
「末次さんは、いつものオムライスですか」
「はい。棚橋さんも、いつものナポリタンにしますか」
「そうですねえ。今日はきみと同じものを頼もうかな」
店員を呼び、オムライスを二つ注文する。棚橋さんは椅子の背にもたれると、ふうっと息をついた。
なぜため息を?
診察の結果が思わしくなかったのでは……私は不安になるが、彼はすぐに微笑んでみせた。
「経過は良好、癒合も正常でした。明後日、ギプスが外れます。その後は作業療法士によるリハビリ指導を受けて、動作の感覚を戻していくという段取りになりました」
「そうなんですか。良かった!」
ようやくギプスから解放されるのだ。暑い時期に、腕をがっちり固められた姿は、見ていて辛かった。
何より、完治することが嬉しい。私は単純に喜び、笑顔になるが……
「あの……棚橋さん?」
なぜか、彼は浮かない様子だ。怪我が早く治るのを願っていたのに。
「どうかされましたか。何か、気になることでも?」
患部に違和感があるとか。まさか、実はまだかなり痛いとか?
心配になり、彼の表情と、ギプスを撫でる仕草を交互に眺めた。
「いえ、そうではありません。ただ、ちょっと……」
「?」
棚橋さんは、私を見つめた。
気が付きませんか?
とでも言いたげな、強く訴えるような眼差しで。
「お待たせしました。オムライス、お二つです~」
店員が来て、棚橋さんは目を逸らした。顔が赤らんで見える。
「手首の具合が悪いですか? 炎症があるとか」
「ああ、いえ、何でもありません。やっとギプスが外れると思うと感無量で、はは……オムライスも美味しそうですね」
不自然な態度は、棚橋さんらしくない。
私はオムライスを食べながら、注意深く彼を観察した。骨折は後遺症に悩まされる場合があり、油断は大敵なのだ。
しかしそれからの棚橋さんは、いつもどおりの落ち着いた様子に戻った。食欲もあるようなので、ひとまず安心する。
(ああ……それにしても、もう終わりなんだな)
覚悟はしていた。
棚橋さんとの半同居生活が、骨折の完治とともに終わりを告げるのを。
幸せいっぱいの日々と、いよいよサヨナラなのだ。
(ううん、違う。治ったことを素直に喜ばなくちゃ。私のせいで、骨折したのだから)
この一か月、棚橋さんの生活をサポートしてきた。行き届かない部分があったと思う。
でも彼は、私が手伝うたびに「ありがとう」と言ってくれた。
責任感だけでなく、下心有り有りの私なのに、純粋に感謝してくれた。
彼にとって私は、ただのバイト学生。わかっているけど、時々私は、純粋な感謝を愛情と勘違いしそうになった。
それは、どこかで期待しているから――
「末次さん、大丈夫ですか?」
「えっ?」
ふいに声をかけられ、ビクッとする。気が付くと私は、すごい勢いでオムライスを頬張っていた。
「すみませんっ。お腹が空いてしまって、つい……」
「慌てると消化に悪いですよ。仕事に戻るのは2時の予定ですから、ゆっくり食べましょう」
「は、はい。ありがとうございます」
思いやりに満ちた、穏やかな口調。
棚橋さんの優しさに触れて、目の奥がじんとする。
「こんな時間を持てるのも、あと少しですね。寂しい、秋の訪れです」
「え……」
どういう意味だろう。
文学的表現を理解することができず、私は戸惑う。でも、「寂しい」という言葉の響きに、感じるものがあった。
(もしかして、棚橋さんも?)
二人で過ごす時間を、もっと持ちたいと思ってくれるの?
あらぬ期待を抱きそうになり、急いで打ち消す。そんなの、あり得ない。夏の終わりには誰だって感傷的になる。深い意味などない。
オムライスの残りを食べ終えた私は、水を飲んだ。
二人の時間が、一秒でも長く続くように。
こみ上げてくる寂しさと、涙と一緒に、ゆっくりと……
診察を終えて外来の待合室に戻った棚橋さんに、私は駆け寄った。
彼はにこりと微笑み、
「もうお昼ですし、お店に入りましょう。手首の状態については、落ち着いてから話します」
右手で窓の外を指差した。通りの向こうに、病院の帰りにいつも立ち寄る喫茶店がある。
「わ、わかりました。すみません、つい焦ってしまって」
「いえいえ、心配してくれてありがとう」
棚橋さんが骨折してから一か月が経つ。
今日は通院の日。
最初の診断で完治までにかかるとされた5週間目に当たる。患部をレントゲン撮影し、経過が良好なら、ギプスが近いうちに外される予定だ。
私達は連れ立って病院を出た。
9月の街は真夏のように明るく、気温も高い。だけど、どこか秋の気配がある。季節は、確実に過ぎていくのだ。
喫茶店に入ると、冷風が心地良かった。奥の席に座り、棚橋さんと向き合う。
「末次さんは、いつものオムライスですか」
「はい。棚橋さんも、いつものナポリタンにしますか」
「そうですねえ。今日はきみと同じものを頼もうかな」
店員を呼び、オムライスを二つ注文する。棚橋さんは椅子の背にもたれると、ふうっと息をついた。
なぜため息を?
診察の結果が思わしくなかったのでは……私は不安になるが、彼はすぐに微笑んでみせた。
「経過は良好、癒合も正常でした。明後日、ギプスが外れます。その後は作業療法士によるリハビリ指導を受けて、動作の感覚を戻していくという段取りになりました」
「そうなんですか。良かった!」
ようやくギプスから解放されるのだ。暑い時期に、腕をがっちり固められた姿は、見ていて辛かった。
何より、完治することが嬉しい。私は単純に喜び、笑顔になるが……
「あの……棚橋さん?」
なぜか、彼は浮かない様子だ。怪我が早く治るのを願っていたのに。
「どうかされましたか。何か、気になることでも?」
患部に違和感があるとか。まさか、実はまだかなり痛いとか?
心配になり、彼の表情と、ギプスを撫でる仕草を交互に眺めた。
「いえ、そうではありません。ただ、ちょっと……」
「?」
棚橋さんは、私を見つめた。
気が付きませんか?
とでも言いたげな、強く訴えるような眼差しで。
「お待たせしました。オムライス、お二つです~」
店員が来て、棚橋さんは目を逸らした。顔が赤らんで見える。
「手首の具合が悪いですか? 炎症があるとか」
「ああ、いえ、何でもありません。やっとギプスが外れると思うと感無量で、はは……オムライスも美味しそうですね」
不自然な態度は、棚橋さんらしくない。
私はオムライスを食べながら、注意深く彼を観察した。骨折は後遺症に悩まされる場合があり、油断は大敵なのだ。
しかしそれからの棚橋さんは、いつもどおりの落ち着いた様子に戻った。食欲もあるようなので、ひとまず安心する。
(ああ……それにしても、もう終わりなんだな)
覚悟はしていた。
棚橋さんとの半同居生活が、骨折の完治とともに終わりを告げるのを。
幸せいっぱいの日々と、いよいよサヨナラなのだ。
(ううん、違う。治ったことを素直に喜ばなくちゃ。私のせいで、骨折したのだから)
この一か月、棚橋さんの生活をサポートしてきた。行き届かない部分があったと思う。
でも彼は、私が手伝うたびに「ありがとう」と言ってくれた。
責任感だけでなく、下心有り有りの私なのに、純粋に感謝してくれた。
彼にとって私は、ただのバイト学生。わかっているけど、時々私は、純粋な感謝を愛情と勘違いしそうになった。
それは、どこかで期待しているから――
「末次さん、大丈夫ですか?」
「えっ?」
ふいに声をかけられ、ビクッとする。気が付くと私は、すごい勢いでオムライスを頬張っていた。
「すみませんっ。お腹が空いてしまって、つい……」
「慌てると消化に悪いですよ。仕事に戻るのは2時の予定ですから、ゆっくり食べましょう」
「は、はい。ありがとうございます」
思いやりに満ちた、穏やかな口調。
棚橋さんの優しさに触れて、目の奥がじんとする。
「こんな時間を持てるのも、あと少しですね。寂しい、秋の訪れです」
「え……」
どういう意味だろう。
文学的表現を理解することができず、私は戸惑う。でも、「寂しい」という言葉の響きに、感じるものがあった。
(もしかして、棚橋さんも?)
二人で過ごす時間を、もっと持ちたいと思ってくれるの?
あらぬ期待を抱きそうになり、急いで打ち消す。そんなの、あり得ない。夏の終わりには誰だって感傷的になる。深い意味などない。
オムライスの残りを食べ終えた私は、水を飲んだ。
二人の時間が、一秒でも長く続くように。
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