恋物語

藤谷 郁

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フルーツケーキ

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篠塚しのづか雅子まさこさんの婚約を知ったのは、ゴールデンウィークのさ中。同期の連中と温泉旅行に出かけて、その夜の飲み会で女性陣が噂するのを、ぼんやりと聞いていた。


地方都市に本社を構えるアパレルメーカーに就職して3年。俺は今年、25歳になる。営業部員としての苦労は多々あるが、何とか頑張っている。

その頑張りを後ろから支えてくれているのが、営業事務の雅子さんだ。

事務員は他に二人いるが、俺の担当は雅子さん。彼女は最年長という事もあり、落ち着いた仕事ぶりと穏やかな性格が評判だ。俺も他の担当営業マンも、彼女に全幅の信頼を寄せている。

雅子さんは29歳。

奥二重の目に小さめの鼻、きれいな口元。

化粧は薄く、髪も後ろで結ぶだけのシンプルなスタイルを貫いている。少々地味ではあるが、よく見れば可愛い系の女性だ。

年上の女性に対して失礼かもしれないが、可愛いと感じるのだから仕方ない。

仕事以外では口数が少なく、男性社員からは反応がいまひとつに思われているようだが、俺にはむしろ好ましい。

つまり、俺は彼女が好きなのだ。


同期会の旅行は一泊二日だったが、もうどうでもよくなり、すぐにでも帰りたい気分になった。宴会場のすみでひとり沈んでいると、隣に沢口さわぐちが座り、俺の顔を覗きこんだ。


「どうしたの? 元気ないね」

「ああ」


沢口は特に美人でも不美人でもない。

しかし、性格が明るくて愛嬌があり、一般受けするタイプの女の子だ。時々こうして、気さくに声をかけてくる。

去年のバレンタインデイに、俺にチョコレートをくれた。本命だとほのめかされたが、俺にはそれに応える気持ちがなかったので、義理のお返しをするに留めた。ただの同期仲間という間柄だ。


「ショックを受けてるのね」

「はっ?」


女特有の鋭い眼差しに刺され、ぎくりとする。


「わかりやすいんだもの、木島きじまくんって」

「……向こうで飲んでこいよ」


ぶっきらぼうに突き放した。悪い子じゃないけれど、こういったところが苦手だ。


「篠塚さん、お見合いなんだって」


沢口はめげずに俺の横に居座り、話を続ける。


「お見合い?」

「お父さんの経営している会社関係の人で、養子にくるそうよ。ナントか言う会社の次男坊だとか。篠塚さんは跡取り娘さんなのね」

「そう……」


見合いというのは考えられないでもなかった。あの女性ひとらしいとすら思える。

昼休みにはいつも静かに本を読んでいる雅子さん。睫を伏せた彼女のきれいな横顔。遠くから眺めるだけで何も言えず、俺は愛しさを隠し、苦しい気持ちを持て余していた。


親の会社関係ということは、もしかしたら断れなかったのではないか――


どこの誰だか知らないが、その見合い相手の婿養子に、俺は激しく嫉妬した。

どうせ親の金で遊び歩いているようなボンボンに違いない……などと、根拠のない文句を並べ立てる。

胸がふさがって仕方がない。もう、どうしようもなかった。


「俺、家に帰るわ」

「えっ、どうやって。車で来てるのに!?」


沢口が驚いた声を上げる。


「そうか……酒を飲んでいるな」


大して飲んだわけでもないのに、頭がぼんやりする。


「じゃ、もう寝る」


俺は立ち上がるが、足元がふらついた。沢口がさりげなく支えるけれど、同期の連中が注目しているのに気付き、俺は彼女から体を離した。


「木島くん、もう眠いんだって」


まだまだ盛り上がっている同期連中に、沢口が肩を竦めてみせる。


「部屋まで送ってあげなさいよ」

「襲うなよ、沢口」


幹事から部屋の合鍵をもらうと、皆に冷やかされながら、沢口と一緒に外に出た。



宴会場の襖を閉めると、静けさが耳に迫った。何かのモーターの音だけが、どこかで低く唸っている。夜の温泉ホテルには、独特の空気が漂う。


「一人で行けるよ」

「駄目よ、ふらついてる」


沢口が前に回り込み、体を支えようとした。浴衣の胸元がやけに白く見える。石鹸の香りが鼻先をくすぐった。


「いいよ、もう」


俺は乱暴に彼女を引き離し、おぼつかない足取りで歩き出す。

危ない所だった。

女の匂いを遠くに追いやり、とにかく俺は前に進んだ。自棄になるのを恐れ、酒の底にわずかに残る理性をかき集めて、誘惑を払いのける。

ところが、部屋の前にようやく辿り着き、ドアの鍵を解いたその時。後ろをつけて来た沢口が背中にしがみついた。


「おい!」

「木島君っ」

「やばいだろう、よせ」

「好きなの」

「……」


沢口の柔らかさを背中に感じながら、俺は雅子さんを思った。

彼女とはこんな状況には絶対ならないだろう。というより、逆に俺がアプローチする。

もう少し大人だったら。自信が持てたなら……

俺は失恋した事実を痛烈に感じ、堪らなく一人になりたかった。

後ろを向いて沢口を強く押し返すと、部屋に入り、ドアに鍵をかけた。


さまざまな危機から脱したような、慰みの機会を逃したような、複雑怪奇な思いで頭も心も混乱している。

大部屋に敷かれた布団に倒れこむと、嵐のような感情の中であれこれ考えていたが、いつの間にか眠ってしまった。

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