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二人目の求婚者
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「ところで、食事は済んだのか。軽いもので良ければ、こちらで用意するが」
海藤さんが時計を確かめつつ、嶺倉さんに訊く。
「さっき食べてきたよ。何だ、ずいぶん気を遣うな」
「お前一人なら追い返すところだが、今日は特別だ」
海藤さんはこちらを向き、にこりと微笑む。私という客に対する礼儀だろうが、先ほどのやり取りがあるので、別の意図を感じてしまう。
(なんて、気のせいよね。考えてみれば、私を褒めたのもきっと社交辞令だわ)
「どちらにしろ、少し休んで行くといい。俺も付き合うから、喫茶室でコーヒーでもどうだ」
「仕事はいいのか」
「大丈夫だ、ピークは過ぎた。ほら、行くぞ」
嶺倉さんは私と目を合わせ、首を傾げる。海藤さんの態度がいつもと違うと言いたげだ。
「何だか知らないけど、お言葉に甘えるか」
海藤さんのあとについて、エレベーターへと歩いた。
3階には宴会場や広間があり、その奥が喫茶室になっている。
海藤さんは眺めがいいからと、テラス席に私達を案内した。ロビーと同じく古い喫茶室だが、海を一望するロケーションは素晴らしい。特注品の豆を使っているというコーヒーも良い香りがする。
昼間は日帰り客にも開放するので、賑わうらしい。
夜は利用客が少ないようで、テーブルはがら空きだった。
「ほう、北見さんはウイステリアにお務めですか。業界大手の会社ですね」
海藤さんは私の名刺を受け取り、感心の声を上げた。
「財務部経理課主任……責任ある立場だ。なるほど、京史が選んだ女性だけある。優秀で、仕事もおできになるのでしょう」
「いえ、そんなことは。経理の仕事は奥が深くて、毎日が勉強です」
私の隣で、嶺倉さんは黙ってコーヒーを飲んでいる。
さっきから、海藤さんは私の話ばかり聞きたがり、嶺倉さんのことは放置の状態だ。
嶺倉さんを窺うと、あまり面白くなさそうな様子。
「ところで、蓮」
嶺倉さんは空になったカップを置き、海藤さんの視線を自分のほうへ向ける。
「例の話、考えてくれたのか」
「……今日は北見さんを紹介するために来たんだろ。そんな無粋な話、答える気はない」
「ぐっ、お前なあ」
何の話か不明だが、海藤さんの返事は冷たかった。
「そうかよ。うるさくて悪かったな」
「ああ、それにしつこい。正直、うんざりしてる」
取り付く島もない友人に、嶺倉さんはむっとする。
二人の間で、私はどうすればいいのか分からず戸惑ってしまう。
同級生の親しさゆえだろうか。彼らのやり取りは、遠慮がなさすぎると思った。
「ったく、わざわざ会いに来たのに。瑤子さん、そろそろ帰ろうぜ」
「えっ?」
急に席を立った彼を、驚いて見上げる。
「でも、まだコーヒーを飲みかけです」
「……」
美味しいコーヒーは味わって飲みたい。それに、今帰っては、まるでけんか別れになってしまう。
海藤さんは勝手にしろと言わんばかりに、横を向いている。
「先にロビーに行ってる」
嶺倉さんは怒ったように言うと、大股で喫茶室を出て行ってしまった。
残された私は、気まずい思いで海藤さんと向き合う。
「海藤さん、あの、何ていうか、その……すみません」
「あなたが謝ることじゃない。それに、あいつのことはよく分かっています」
彼は私の名刺をあらためて見つめてから、丁寧に懐に仕舞った。
「それより瑤子さん、お会いしたばかりでこんなことを言うのは不躾ですが」
「は、はい」
私はなぜか緊張し、ぎこちない動きでカップを置いた。
海藤さんの視線は強く、そして真剣である。
「私は、あなたを気に入りました。一目惚れかもしれません」
「……え?」
ぽかんとして、彼を見返す。
今のは、冗談だろうか。
それとも、社交辞令?
「えっと、どういうことでしょうか」
「言葉のとおりです。瑤子さん、私と結婚してくれませんか」
「な……」
唐突すぎて、すぐに反応できない。
この人は、大真面目に何を言いだすのか。
違和感なんてものではない。
「仰っている意味が分かりません。私は嶺倉さんと、結婚を前提にお付き合いしています。冗談にしても、非常識すぎやしませんか」
私が睨むと、彼は心外そうに眉根を寄せた。
「冗談でこんなことは言いません。それに、あなたと京史は、まだ正式に婚約していない。それなら、考える余地はあるはずだ」
「はあ?」
私は呆れてしまった。親友が付き合っている女性にプロポーズなんて、どう考えてもおかしい。それなのに、まったく悪びれず、それどころか、私が間違っているような言い方をする。
「あのですねえ……」
「まあ、聞いてください」
海藤さんは、むきになる私を片手で制す。
発言は非常識だが、彼の態度は真面目であり、ふざけた様子ではない。
私は仕方なく、椅子に座り直した。
「瑤子さん。ご覧のとおり、我がホテルは時代の波に乗り遅れ、集客がいまひとつの状況です。私は後継ぎとして経営を立て直し、ホテルを再建する使命を帯びている」
海藤さんは、夜空に伸びるホテルの上階を見上げた。黒ずんだ外壁が、わびしさを感じさせる。
「だから、あなたのような女性に、パートナーになってほしいのです。私の傍にいて、力を貸してくれませんか」
「ええっ?」
経営を立て直すために、パートナーになってほしい?
まさか、私が財務部で働いているから気に入ったと――経営のアドバイスをしてほしいとか、そういうことだろうか。
「いや、そんなの無理です。私の仕事は経理であって、経営ではありません。ていうか、そんなことで結婚なんて、どうかしています」
海藤さんは私に目を戻し、さらに前のめりになる。目力が強く、圧倒されてしまう。
「誤解しないでください、経営の知識などなくてもいいんです。私はあなたの持つ、聡明な美しさに惹かれたのです。この女性がいつも傍にいてくれるなら、私の人生はどんなに充実するだろう。瑤子さんを一目見て、それだけの魅力を感じたんだ」
「そ、そんな……」
「私は本気ですよ」
海藤さんは、怖いくらい真剣だ。
でも、根本的なところが欠けている。
美形男子の情熱に圧倒されながらも、私は冷静さを忘れなかった。
「わ、私はでも、嶺倉さんのことが……好きです。正式な婚約はまだでも、私の心はあの人のもの。婚約したも同然の関係だと、断言できます」
私は今、自分の心を認めている。
嶺倉さんには、まだ言っていないけれど――
「京史のことが好き……本当に?」
海藤さんは、怪訝そうに私を見る。それはあからさまな、疑いの眼差しだった。
「瑤子さん。あなたはついこの間、京史と見合いしたばかりだ。あいつのことを、ほとんど何も知らない」
思わぬことを言われた。だが、そのとおりなので否定できない。
「それは、そうですけど」
「私……俺は、あいつを子どもの頃から知っている。どんな性分なのか、どんな思考なのか、そして過去の女性関係も……」
ドキッとした。
心の隙を衝かれたような、痛みを覚える。
「京史はかけがえのない友人であり、男として信頼している。だが、女性にあいつはお薦めしません。一緒になれば、後悔するのはあなたですよ」
海藤さんが時計を確かめつつ、嶺倉さんに訊く。
「さっき食べてきたよ。何だ、ずいぶん気を遣うな」
「お前一人なら追い返すところだが、今日は特別だ」
海藤さんはこちらを向き、にこりと微笑む。私という客に対する礼儀だろうが、先ほどのやり取りがあるので、別の意図を感じてしまう。
(なんて、気のせいよね。考えてみれば、私を褒めたのもきっと社交辞令だわ)
「どちらにしろ、少し休んで行くといい。俺も付き合うから、喫茶室でコーヒーでもどうだ」
「仕事はいいのか」
「大丈夫だ、ピークは過ぎた。ほら、行くぞ」
嶺倉さんは私と目を合わせ、首を傾げる。海藤さんの態度がいつもと違うと言いたげだ。
「何だか知らないけど、お言葉に甘えるか」
海藤さんのあとについて、エレベーターへと歩いた。
3階には宴会場や広間があり、その奥が喫茶室になっている。
海藤さんは眺めがいいからと、テラス席に私達を案内した。ロビーと同じく古い喫茶室だが、海を一望するロケーションは素晴らしい。特注品の豆を使っているというコーヒーも良い香りがする。
昼間は日帰り客にも開放するので、賑わうらしい。
夜は利用客が少ないようで、テーブルはがら空きだった。
「ほう、北見さんはウイステリアにお務めですか。業界大手の会社ですね」
海藤さんは私の名刺を受け取り、感心の声を上げた。
「財務部経理課主任……責任ある立場だ。なるほど、京史が選んだ女性だけある。優秀で、仕事もおできになるのでしょう」
「いえ、そんなことは。経理の仕事は奥が深くて、毎日が勉強です」
私の隣で、嶺倉さんは黙ってコーヒーを飲んでいる。
さっきから、海藤さんは私の話ばかり聞きたがり、嶺倉さんのことは放置の状態だ。
嶺倉さんを窺うと、あまり面白くなさそうな様子。
「ところで、蓮」
嶺倉さんは空になったカップを置き、海藤さんの視線を自分のほうへ向ける。
「例の話、考えてくれたのか」
「……今日は北見さんを紹介するために来たんだろ。そんな無粋な話、答える気はない」
「ぐっ、お前なあ」
何の話か不明だが、海藤さんの返事は冷たかった。
「そうかよ。うるさくて悪かったな」
「ああ、それにしつこい。正直、うんざりしてる」
取り付く島もない友人に、嶺倉さんはむっとする。
二人の間で、私はどうすればいいのか分からず戸惑ってしまう。
同級生の親しさゆえだろうか。彼らのやり取りは、遠慮がなさすぎると思った。
「ったく、わざわざ会いに来たのに。瑤子さん、そろそろ帰ろうぜ」
「えっ?」
急に席を立った彼を、驚いて見上げる。
「でも、まだコーヒーを飲みかけです」
「……」
美味しいコーヒーは味わって飲みたい。それに、今帰っては、まるでけんか別れになってしまう。
海藤さんは勝手にしろと言わんばかりに、横を向いている。
「先にロビーに行ってる」
嶺倉さんは怒ったように言うと、大股で喫茶室を出て行ってしまった。
残された私は、気まずい思いで海藤さんと向き合う。
「海藤さん、あの、何ていうか、その……すみません」
「あなたが謝ることじゃない。それに、あいつのことはよく分かっています」
彼は私の名刺をあらためて見つめてから、丁寧に懐に仕舞った。
「それより瑤子さん、お会いしたばかりでこんなことを言うのは不躾ですが」
「は、はい」
私はなぜか緊張し、ぎこちない動きでカップを置いた。
海藤さんの視線は強く、そして真剣である。
「私は、あなたを気に入りました。一目惚れかもしれません」
「……え?」
ぽかんとして、彼を見返す。
今のは、冗談だろうか。
それとも、社交辞令?
「えっと、どういうことでしょうか」
「言葉のとおりです。瑤子さん、私と結婚してくれませんか」
「な……」
唐突すぎて、すぐに反応できない。
この人は、大真面目に何を言いだすのか。
違和感なんてものではない。
「仰っている意味が分かりません。私は嶺倉さんと、結婚を前提にお付き合いしています。冗談にしても、非常識すぎやしませんか」
私が睨むと、彼は心外そうに眉根を寄せた。
「冗談でこんなことは言いません。それに、あなたと京史は、まだ正式に婚約していない。それなら、考える余地はあるはずだ」
「はあ?」
私は呆れてしまった。親友が付き合っている女性にプロポーズなんて、どう考えてもおかしい。それなのに、まったく悪びれず、それどころか、私が間違っているような言い方をする。
「あのですねえ……」
「まあ、聞いてください」
海藤さんは、むきになる私を片手で制す。
発言は非常識だが、彼の態度は真面目であり、ふざけた様子ではない。
私は仕方なく、椅子に座り直した。
「瑤子さん。ご覧のとおり、我がホテルは時代の波に乗り遅れ、集客がいまひとつの状況です。私は後継ぎとして経営を立て直し、ホテルを再建する使命を帯びている」
海藤さんは、夜空に伸びるホテルの上階を見上げた。黒ずんだ外壁が、わびしさを感じさせる。
「だから、あなたのような女性に、パートナーになってほしいのです。私の傍にいて、力を貸してくれませんか」
「ええっ?」
経営を立て直すために、パートナーになってほしい?
まさか、私が財務部で働いているから気に入ったと――経営のアドバイスをしてほしいとか、そういうことだろうか。
「いや、そんなの無理です。私の仕事は経理であって、経営ではありません。ていうか、そんなことで結婚なんて、どうかしています」
海藤さんは私に目を戻し、さらに前のめりになる。目力が強く、圧倒されてしまう。
「誤解しないでください、経営の知識などなくてもいいんです。私はあなたの持つ、聡明な美しさに惹かれたのです。この女性がいつも傍にいてくれるなら、私の人生はどんなに充実するだろう。瑤子さんを一目見て、それだけの魅力を感じたんだ」
「そ、そんな……」
「私は本気ですよ」
海藤さんは、怖いくらい真剣だ。
でも、根本的なところが欠けている。
美形男子の情熱に圧倒されながらも、私は冷静さを忘れなかった。
「わ、私はでも、嶺倉さんのことが……好きです。正式な婚約はまだでも、私の心はあの人のもの。婚約したも同然の関係だと、断言できます」
私は今、自分の心を認めている。
嶺倉さんには、まだ言っていないけれど――
「京史のことが好き……本当に?」
海藤さんは、怪訝そうに私を見る。それはあからさまな、疑いの眼差しだった。
「瑤子さん。あなたはついこの間、京史と見合いしたばかりだ。あいつのことを、ほとんど何も知らない」
思わぬことを言われた。だが、そのとおりなので否定できない。
「それは、そうですけど」
「私……俺は、あいつを子どもの頃から知っている。どんな性分なのか、どんな思考なのか、そして過去の女性関係も……」
ドキッとした。
心の隙を衝かれたような、痛みを覚える。
「京史はかけがえのない友人であり、男として信頼している。だが、女性にあいつはお薦めしません。一緒になれば、後悔するのはあなたですよ」
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