七日目のはるか

藤谷 郁

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私の妻(番外編)

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 真崎春花様
 23歳の誕生日を迎えたあなたに、心からのお祝いと、感謝の気持ちを贈ります

「あなたの愛する夫、真崎陽平より……と」
 カードにお祝いと少々自惚れた言葉を記すと、私が生まれて初めて購入した薔薇の花束に添えた。値が張る割りに何の変哲もない、真紅の花である。
 最初は大学の農園で栽培中の、私が品種改良した薔薇を持って行こうとしたのだが、研究室の女子学生に叱られた。奥様の誕生日なのに、ケチらないで下さい――と。

 まったく心外な言い草です。可愛い奥さんへの贈り物をケチるだなんて、とんでもない。私はただ、少し変わったものが好きなのです。もちろん、それはヒトにも当てはまります。
 確かに農園の薔薇は無料ですが、私が工夫して育てた、不思議な色と香りが楽しめる世界でただ一つの品種です。こういうのが、特別な人の記念日には良いのです。

 そんなわけで、一輪だけこっそりと、真紅の束に挿しておきました。
「夕子君なら賛成してくれたのにねえ」
 妻の友人であり、私の弟子でもあった夕子君は、大学を卒業するとすぐ製薬企業の研究所に就職してしまった。てっきり博士になるまで大学に居座ると思っていたのに、是非にと乞われて行ってしまいました。
 一流企業なら実験設備も最先端だし、湯水のように研究資金を使えるなどと不気味に笑っていましたが、どうなんでしょう。一体何の研究をするつもりやら。

「おっと、時間がありません。急がなければ」
 花束を抱えると、レストランで待ち合わせている彼女のもとへ急いだ。廊下ですれ違う学生や職員が、目を丸くして私の気障なスーツ姿に振り返る。
 いつもと違ってお洒落していますからねえ。無理もないでしょう。


 大学の駐車場から週末の街へと、愛車を走らせる。8月の熱気が、すっかり暮れた夜の中にも、濃い空気となり残っているようです。
「今日も暑かったですから。だけど、今宵はもっともっと熱くなりますよ~」
 独り言が出てしまい、私は年甲斐もなく照れてしまった。

 新妻は、今年の春に大学を卒業して間もなく、私のもとにお嫁にきてくれた。
 現在は大学教授として多忙な生活を送る私を、家庭という基盤からサポートしてくれている。彼女は妻であり、優秀なアドバイザーでもあります。彼女のものの見方や発想は面白く、楽しく会話するうちに研究のヒントをもらうのです。

 もっとも彼女にすれば、ごく普通のことを言っているらしいのですが。
 これは、相性というものでしょうか?

 ともあれ今日は彼女の誕生日。日頃の感謝をこめて、めいっぱいのサービスをしようと張りきっています。ええ、サービスさせていただきますよ。
 思わず知らず、笑みがこぼれる。サービスというのは響きが少々卑猥ですが、そこはそれ、私達は新婚ですから、自然な生理現象の一端でしょう。
 今夜はまた特別に。
 彼女のためか、自分のためか……だらしなく緩んだ頬を引きしめ、私はしっかりとハンドルを握り直した。



 車を降りると、襟を直して深呼吸。
 待ち合わせの相手は毎日一緒に暮らしている妻だというのに、この緊張感はどうしたことか。まるで初デートのようではありませんか。
 レストランはホテルの最上階にあり、夜景が美しいとのこと。
 その夜景も、自宅の高層マンションから毎晩眺めておりますが、これもまた普段とは別物というわけです。高鳴る胸のときめきが、それを証明している。

 彼女の誕生日に、都心のホテルでディナーを。
 変化球を得意とする私にしては、らしくもないストレートなチョイスですが、たまにはこんな演出も良いでしょう。外で待ち合わせというのも、独身時代を彷彿とさせます。
「だからこんなにも、どきどきするのでしょうか」
 エレベーターに乗り、上階のロビーへと移動しながら、彼女との思い出を振り返る。

 夕子君がいつも噂をしている、春花という他大学の女子学生に関心を得たのはいつの頃か。ボーイッシュで、体格がよく、性格も男の子みたいで、とても単純。
 好奇心を抑え切れず、自ら彼女のアルバイト先まで赴いたものです。

 ひと目で、好きになりました。
 こんなことがあるのかと、科学では説明できない現象に、理性のバランスが崩れそうでした。

 そして、まさかあんなことになるとは思わず、彼女に謎のビタミン剤を渡してしまった。
 あのような怪しげな錠剤を、あっけなく飲んでしまうとは……
 だけどあれが、彼女との馴れ初めだった。

 エレベーターの鏡張りに映る私は、自分では若いつもりでもやはり四十男です。二十近く年下の、若い彼女と本当に結婚できるとは、今でも信じられません。
 だけど、彼女が男の身体になってしまったおかげで、寝食をともにし、お互いを人間同士として見、知ることとなった。
 事態は楽観できませんでしたが、私は思ったものです。たとえ、彼女が男性のままでも、私は愛することができると。

 ――先生は、男でもいいんですか……私が
 ――どちらでも。あなたはあなたです

 今でもそれは変わりません。
 妻は、私の最愛の人。


 エレベーターが最上階に到達すると、私は颯爽とフロアへ降り立つ。
 あの頃の想いが蘇り、最高潮にどきどきしている。
 困ったものですね。
 私は妻に、恋をしている。
 この気持ちは未来へと続く。ずっといつまでも。

「春花さん!」
 ロビーで待つ彼女を見つけた。
 大らかに微笑み、近付いて行く私に手を振っている。素朴で、可愛い、私の妻。

 彼女に寄り添うと、私は真紅の薔薇を差し出し、その腕に持たせた。
「すごい花束……豪華ですね」
「でしょう」
 私は頷きながらも、その花束から特別な一輪を抜くと、妻の胸もとに飾った。
「あっ」
 彼女は目をみはり、色も香りも個性的な花に注目する。

「どうです? 私が丹精込めた、世界で一つだけの薔薇ですよ」
 私の薔薇は少し不思議で、少し変わってる。だけど、あなたには分かるはず。
「素敵……ありがとう、陽平さん!」
 たちまち輝く彼女の瞳。
 愛しさがこみあげてきて、思わず肩を抱き寄せる。

 お誕生日、おめでとう。

 これから先も、少し不思議で、とても素敵な、私の妻でいてください。


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