24 / 24
私の妻(番外編)
しおりを挟む
真崎春花様
23歳の誕生日を迎えたあなたに、心からのお祝いと、感謝の気持ちを贈ります
「あなたの愛する夫、真崎陽平より……と」
カードにお祝いと少々自惚れた言葉を記すと、私が生まれて初めて購入した薔薇の花束に添えた。値が張る割りに何の変哲もない、真紅の花である。
最初は大学の農園で栽培中の、私が品種改良した薔薇を持って行こうとしたのだが、研究室の女子学生に叱られた。奥様の誕生日なのに、ケチらないで下さい――と。
まったく心外な言い草です。可愛い奥さんへの贈り物をケチるだなんて、とんでもない。私はただ、少し変わったものが好きなのです。もちろん、それはヒトにも当てはまります。
確かに農園の薔薇は無料ですが、私が工夫して育てた、不思議な色と香りが楽しめる世界でただ一つの品種です。こういうのが、特別な人の記念日には良いのです。
そんなわけで、一輪だけこっそりと、真紅の束に挿しておきました。
「夕子君なら賛成してくれたのにねえ」
妻の友人であり、私の弟子でもあった夕子君は、大学を卒業するとすぐ製薬企業の研究所に就職してしまった。てっきり博士になるまで大学に居座ると思っていたのに、是非にと乞われて行ってしまいました。
一流企業なら実験設備も最先端だし、湯水のように研究資金を使えるなどと不気味に笑っていましたが、どうなんでしょう。一体何の研究をするつもりやら。
「おっと、時間がありません。急がなければ」
花束を抱えると、レストランで待ち合わせている彼女のもとへ急いだ。廊下ですれ違う学生や職員が、目を丸くして私の気障なスーツ姿に振り返る。
いつもと違ってお洒落していますからねえ。無理もないでしょう。
大学の駐車場から週末の街へと、愛車を走らせる。8月の熱気が、すっかり暮れた夜の中にも、濃い空気となり残っているようです。
「今日も暑かったですから。だけど、今宵はもっともっと熱くなりますよ~」
独り言が出てしまい、私は年甲斐もなく照れてしまった。
新妻は、今年の春に大学を卒業して間もなく、私のもとにお嫁にきてくれた。
現在は大学教授として多忙な生活を送る私を、家庭という基盤からサポートしてくれている。彼女は妻であり、優秀なアドバイザーでもあります。彼女のものの見方や発想は面白く、楽しく会話するうちに研究のヒントをもらうのです。
もっとも彼女にすれば、ごく普通のことを言っているらしいのですが。
これは、相性というものでしょうか?
ともあれ今日は彼女の誕生日。日頃の感謝をこめて、めいっぱいのサービスをしようと張りきっています。ええ、サービスさせていただきますよ。
思わず知らず、笑みがこぼれる。サービスというのは響きが少々卑猥ですが、そこはそれ、私達は新婚ですから、自然な生理現象の一端でしょう。
今夜はまた特別に。
彼女のためか、自分のためか……だらしなく緩んだ頬を引きしめ、私はしっかりとハンドルを握り直した。
車を降りると、襟を直して深呼吸。
待ち合わせの相手は毎日一緒に暮らしている妻だというのに、この緊張感はどうしたことか。まるで初デートのようではありませんか。
レストランはホテルの最上階にあり、夜景が美しいとのこと。
その夜景も、自宅の高層マンションから毎晩眺めておりますが、これもまた普段とは別物というわけです。高鳴る胸のときめきが、それを証明している。
彼女の誕生日に、都心のホテルでディナーを。
変化球を得意とする私にしては、らしくもないストレートなチョイスですが、たまにはこんな演出も良いでしょう。外で待ち合わせというのも、独身時代を彷彿とさせます。
「だからこんなにも、どきどきするのでしょうか」
エレベーターに乗り、上階のロビーへと移動しながら、彼女との思い出を振り返る。
夕子君がいつも噂をしている、春花という他大学の女子学生に関心を得たのはいつの頃か。ボーイッシュで、体格がよく、性格も男の子みたいで、とても単純。
好奇心を抑え切れず、自ら彼女のアルバイト先まで赴いたものです。
ひと目で、好きになりました。
こんなことがあるのかと、科学では説明できない現象に、理性のバランスが崩れそうでした。
そして、まさかあんなことになるとは思わず、彼女に謎のビタミン剤を渡してしまった。
あのような怪しげな錠剤を、あっけなく飲んでしまうとは……
だけどあれが、彼女との馴れ初めだった。
エレベーターの鏡張りに映る私は、自分では若いつもりでもやはり四十男です。二十近く年下の、若い彼女と本当に結婚できるとは、今でも信じられません。
だけど、彼女が男の身体になってしまったおかげで、寝食をともにし、お互いを人間同士として見、知ることとなった。
事態は楽観できませんでしたが、私は思ったものです。たとえ、彼女が男性のままでも、私は愛することができると。
――先生は、男でもいいんですか……私が
――どちらでも。あなたはあなたです
今でもそれは変わりません。
妻は、私の最愛の人。
エレベーターが最上階に到達すると、私は颯爽とフロアへ降り立つ。
あの頃の想いが蘇り、最高潮にどきどきしている。
困ったものですね。
私は妻に、恋をしている。
この気持ちは未来へと続く。ずっといつまでも。
「春花さん!」
ロビーで待つ彼女を見つけた。
大らかに微笑み、近付いて行く私に手を振っている。素朴で、可愛い、私の妻。
彼女に寄り添うと、私は真紅の薔薇を差し出し、その腕に持たせた。
「すごい花束……豪華ですね」
「でしょう」
私は頷きながらも、その花束から特別な一輪を抜くと、妻の胸もとに飾った。
「あっ」
彼女は目をみはり、色も香りも個性的な花に注目する。
「どうです? 私が丹精込めた、世界で一つだけの薔薇ですよ」
私の薔薇は少し不思議で、少し変わってる。だけど、あなたには分かるはず。
「素敵……ありがとう、陽平さん!」
たちまち輝く彼女の瞳。
愛しさがこみあげてきて、思わず肩を抱き寄せる。
お誕生日、おめでとう。
これから先も、少し不思議で、とても素敵な、私の妻でいてください。
23歳の誕生日を迎えたあなたに、心からのお祝いと、感謝の気持ちを贈ります
「あなたの愛する夫、真崎陽平より……と」
カードにお祝いと少々自惚れた言葉を記すと、私が生まれて初めて購入した薔薇の花束に添えた。値が張る割りに何の変哲もない、真紅の花である。
最初は大学の農園で栽培中の、私が品種改良した薔薇を持って行こうとしたのだが、研究室の女子学生に叱られた。奥様の誕生日なのに、ケチらないで下さい――と。
まったく心外な言い草です。可愛い奥さんへの贈り物をケチるだなんて、とんでもない。私はただ、少し変わったものが好きなのです。もちろん、それはヒトにも当てはまります。
確かに農園の薔薇は無料ですが、私が工夫して育てた、不思議な色と香りが楽しめる世界でただ一つの品種です。こういうのが、特別な人の記念日には良いのです。
そんなわけで、一輪だけこっそりと、真紅の束に挿しておきました。
「夕子君なら賛成してくれたのにねえ」
妻の友人であり、私の弟子でもあった夕子君は、大学を卒業するとすぐ製薬企業の研究所に就職してしまった。てっきり博士になるまで大学に居座ると思っていたのに、是非にと乞われて行ってしまいました。
一流企業なら実験設備も最先端だし、湯水のように研究資金を使えるなどと不気味に笑っていましたが、どうなんでしょう。一体何の研究をするつもりやら。
「おっと、時間がありません。急がなければ」
花束を抱えると、レストランで待ち合わせている彼女のもとへ急いだ。廊下ですれ違う学生や職員が、目を丸くして私の気障なスーツ姿に振り返る。
いつもと違ってお洒落していますからねえ。無理もないでしょう。
大学の駐車場から週末の街へと、愛車を走らせる。8月の熱気が、すっかり暮れた夜の中にも、濃い空気となり残っているようです。
「今日も暑かったですから。だけど、今宵はもっともっと熱くなりますよ~」
独り言が出てしまい、私は年甲斐もなく照れてしまった。
新妻は、今年の春に大学を卒業して間もなく、私のもとにお嫁にきてくれた。
現在は大学教授として多忙な生活を送る私を、家庭という基盤からサポートしてくれている。彼女は妻であり、優秀なアドバイザーでもあります。彼女のものの見方や発想は面白く、楽しく会話するうちに研究のヒントをもらうのです。
もっとも彼女にすれば、ごく普通のことを言っているらしいのですが。
これは、相性というものでしょうか?
ともあれ今日は彼女の誕生日。日頃の感謝をこめて、めいっぱいのサービスをしようと張りきっています。ええ、サービスさせていただきますよ。
思わず知らず、笑みがこぼれる。サービスというのは響きが少々卑猥ですが、そこはそれ、私達は新婚ですから、自然な生理現象の一端でしょう。
今夜はまた特別に。
彼女のためか、自分のためか……だらしなく緩んだ頬を引きしめ、私はしっかりとハンドルを握り直した。
車を降りると、襟を直して深呼吸。
待ち合わせの相手は毎日一緒に暮らしている妻だというのに、この緊張感はどうしたことか。まるで初デートのようではありませんか。
レストランはホテルの最上階にあり、夜景が美しいとのこと。
その夜景も、自宅の高層マンションから毎晩眺めておりますが、これもまた普段とは別物というわけです。高鳴る胸のときめきが、それを証明している。
彼女の誕生日に、都心のホテルでディナーを。
変化球を得意とする私にしては、らしくもないストレートなチョイスですが、たまにはこんな演出も良いでしょう。外で待ち合わせというのも、独身時代を彷彿とさせます。
「だからこんなにも、どきどきするのでしょうか」
エレベーターに乗り、上階のロビーへと移動しながら、彼女との思い出を振り返る。
夕子君がいつも噂をしている、春花という他大学の女子学生に関心を得たのはいつの頃か。ボーイッシュで、体格がよく、性格も男の子みたいで、とても単純。
好奇心を抑え切れず、自ら彼女のアルバイト先まで赴いたものです。
ひと目で、好きになりました。
こんなことがあるのかと、科学では説明できない現象に、理性のバランスが崩れそうでした。
そして、まさかあんなことになるとは思わず、彼女に謎のビタミン剤を渡してしまった。
あのような怪しげな錠剤を、あっけなく飲んでしまうとは……
だけどあれが、彼女との馴れ初めだった。
エレベーターの鏡張りに映る私は、自分では若いつもりでもやはり四十男です。二十近く年下の、若い彼女と本当に結婚できるとは、今でも信じられません。
だけど、彼女が男の身体になってしまったおかげで、寝食をともにし、お互いを人間同士として見、知ることとなった。
事態は楽観できませんでしたが、私は思ったものです。たとえ、彼女が男性のままでも、私は愛することができると。
――先生は、男でもいいんですか……私が
――どちらでも。あなたはあなたです
今でもそれは変わりません。
妻は、私の最愛の人。
エレベーターが最上階に到達すると、私は颯爽とフロアへ降り立つ。
あの頃の想いが蘇り、最高潮にどきどきしている。
困ったものですね。
私は妻に、恋をしている。
この気持ちは未来へと続く。ずっといつまでも。
「春花さん!」
ロビーで待つ彼女を見つけた。
大らかに微笑み、近付いて行く私に手を振っている。素朴で、可愛い、私の妻。
彼女に寄り添うと、私は真紅の薔薇を差し出し、その腕に持たせた。
「すごい花束……豪華ですね」
「でしょう」
私は頷きながらも、その花束から特別な一輪を抜くと、妻の胸もとに飾った。
「あっ」
彼女は目をみはり、色も香りも個性的な花に注目する。
「どうです? 私が丹精込めた、世界で一つだけの薔薇ですよ」
私の薔薇は少し不思議で、少し変わってる。だけど、あなたには分かるはず。
「素敵……ありがとう、陽平さん!」
たちまち輝く彼女の瞳。
愛しさがこみあげてきて、思わず肩を抱き寄せる。
お誕生日、おめでとう。
これから先も、少し不思議で、とても素敵な、私の妻でいてください。
0
お気に入りに追加
61
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
男子中学生から女子校生になった僕
葵
大衆娯楽
僕はある日突然、母と姉に強制的に女の子として育てられる事になった。
普通に男の子として過ごしていた主人公がJKで過ごした高校3年間のお話し。
強制女装、女性と性行為、男性と性行為、羞恥、屈辱などが好きな方は是非読んでみてください!
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
ずっと女の子になりたかった 男の娘の私
ムーワ
BL
幼少期からどことなく男の服装をして学校に通っているのに違和感を感じていた主人公のヒデキ。
ヒデキは同級生の女の子が履いているスカートが自分でも履きたくて仕方がなかったが、母親はいつもズボンばかりでスカートは買ってくれなかった。
そんなヒデキの幼少期から大人になるまでの成長を描いたLGBT(ジェンダーレス作品)です。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる