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16.旅行の誘い
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外は相変わらずの強風で、車に乗り込むまでが大変だった。
真崎は運転席に座ると、乱れた髪を手ぐしで整え、「ふうっ」と息をついた。
「大丈夫でしょうか、吉川博士」
春花はいささか心配になって、建物の方へと目を向ける。しかし真崎は、
「大丈夫ですよ。あの人は、そんなヤワじゃありません」
明るい表情で、きっぱりと言いきった。
わだかまりのない口調に春花は安心するが、今度は別のもやもやが胸に湧いてくる。岬をわたる風の音を聞くうちに、あの疑問を思い出していた。
「あの、先生……」
こんなことを尋ねていいのかどうか、春花は迷う。でも、どうしても気になるし、思いきって確かめることにした。
午前中に見つけた。真崎と吉川の写真はどういうことなのか。
「えっ、そんなものがありましたか」
春花の質問に、真崎は明らかに狼狽している。よく考えるとぶしつけな質問だった。あの写真は真崎のプライベートなのに。
想像以上に困惑する彼を、逆に春花が気遣うことになった。
「すみません、見るつもりじゃなかったんですが。というか、吉川博士があまりにも女性的だったので、てっきり、真崎先生のこ……恋人か何かだと……」
真崎は目を瞬かせた。
「そんな風に見えましたか?」
「え、ええ」
真崎は額に手をあて、悩ましげにうめいた。非常に気まずそうな様子である。
「まあ、何と言うか。あたらずといえども遠からずと言うか……」
「ええっ?」
驚く春花に、彼は慌てて釈明した。
「いやいや、違います。あれはアメリカで、彼と同じ大学にいたころの写真です。確か、どこかの公園で撮ったものだと記憶していますが。彼は、あの頃からゲイ……っていいますか……どうも、弱りましたねえ」
「はあ……」
真崎の額に汗が浮かんでいる。普段飄々としている彼が、これほど困っている姿は珍しい。
じっと見つめていると、真崎はあきらめたように、言葉を続けた。
「一度でいいから、恋人みたいに写真を撮ってほしいと言われまして。実は、その頃の私は大変貧乏な状態でしたので、夕飯にステーキをご馳走すると持ちかけられて、つい承諾してしまったのです」
「はあ……」
春花は「はあ」としか言いようがなかった。
そして、だんだんおかしさがこみ上げてきて、笑い出してしまった。
「そ、そんな理由があったんですか。吉川博士に頼まれて……ご飯と引き換えに……あは、あははは」
「参りましたねえ」
真崎はぽりぽり頭を掻くと、海のほうへ顔を向けてしまった。
なるほどと春花は納得した。吉川が真崎に対して弱腰なのは、惚れた弱みからきている。学生時代から、変わらぬ想いを抱いているのだ。
「言っておきますが、私と吉川君はただの友人ですので、誤解の無いように」
「ふふっ、分かっていますよ。でも」
「でも?」
真崎はこちらに顔を戻し、春花の意見を待つ。
「写真を残してあるということは、先生にとっても、青春時代の大切な思い出ということですね。何より、今でも吉川博士と縁を結んでいるのだから」
真崎は瞬きすると、少し考えてから頷いた。
「そうですね。吉川君は今でも大切な友人です。何だかんだ言っても、付き合いを続ける理由はそれでしょう」
懐かしそうな眼差しで建物を見やった。少年の面差しが残る、あの写真の真崎と同じ顔をしている。
「さて、行きますか」
真崎は視線を前に据えると、エンジンをかけて車を出した。
岬の道を戻りながら、彼は春花に話し始める。それは本来、最も気にかけるべき事柄だった。
「2日後……つまり7日目に、あなたが女性に戻るかどうかですが」
春花は、はっとする。そうだった。それが今一番の問題である。
固唾を呑んで、真崎の横顔を見つめた。
「ま、考えても仕方がないですから」
「えっ?」
拍子抜けするほど気楽な口調で、彼は意外なことを提案した。
「二人で、旅行にでも出かけましょうか」
旅行――?
どういうことか分からず、春花は反応できない。
真崎は下り坂のカーブでハンドルを回しつつ、概要を教えた。
「実を言うと、これからS県に行くのです。その土地の高等学校で出張講義を行うことになりまして。それで、学校の近くに宿をとったのですが、なかなかいい温泉だそうですよ。景色もいいですし、あなたの気晴らしになるのではと思いまして」
「あ、そうだったんですか」
仕事のついでだったのか――
春花はほっとしたような、しないような、複雑な気持ちになる。
そして、なぜか知らないが、妙に緊張してきた。
どちらにせよ、二人で旅行するというシチュエーションは変わらないのだ。
「どうです、付き合いませんか」
「え、ええ。でも、旅行の準備とか……」
「着替えは持って来ましたよ。服なんかは、私と共同で着ることができますし」
「ああ……そう言えばそうですね。すみません」
とりあえず納得するが、あらかじめ用意されていたことに、春花はドキッとする。
(というか、着替えの準備はともかく、心の準備が追いつかないんだけど)
「では、このままS県に参ります」
高速道路インターのゲートを潜り本線に近付くと、真崎は加速した。強引な力が加わり、春花の鼓動はさらに速くなる。はっきり返事したわけではないが、彼はOKと解釈したようだ。
春花は落ち着かず、胸を押さえながら、旅行について質問した。
「何泊するのですか?」
「今日、明日と滞在して、明後日戻りますよ」
「2泊3日……あ、ちょうど7日目に戻るのですね」
「はい」
高速道路は空いている。車は速いスピードで、春花を遠くへと運んでいく。
家族ではない男性と、二人きりで旅行――
状況を言葉にすると、本格的に緊張してきた。だけど、今の自分は男性体であり、何も起きようはずがない。第一、毎日一つ屋根の下で寝起きしているのに、今さら何を慌てることがある?
そこに思い至ると、なぜか落胆する自分もいて、春花は激しく動揺した。
真崎を横目で窺うと、ご機嫌な様子で車を走らせている。
(うう……参ったなあ)
彼にとっては男同士の誘いでも、春花にはもう、違う意味を持つ旅なのだ。
鼻歌など歌う彼の隣で、春花は赤くなったり青くなったりした。
真崎は運転席に座ると、乱れた髪を手ぐしで整え、「ふうっ」と息をついた。
「大丈夫でしょうか、吉川博士」
春花はいささか心配になって、建物の方へと目を向ける。しかし真崎は、
「大丈夫ですよ。あの人は、そんなヤワじゃありません」
明るい表情で、きっぱりと言いきった。
わだかまりのない口調に春花は安心するが、今度は別のもやもやが胸に湧いてくる。岬をわたる風の音を聞くうちに、あの疑問を思い出していた。
「あの、先生……」
こんなことを尋ねていいのかどうか、春花は迷う。でも、どうしても気になるし、思いきって確かめることにした。
午前中に見つけた。真崎と吉川の写真はどういうことなのか。
「えっ、そんなものがありましたか」
春花の質問に、真崎は明らかに狼狽している。よく考えるとぶしつけな質問だった。あの写真は真崎のプライベートなのに。
想像以上に困惑する彼を、逆に春花が気遣うことになった。
「すみません、見るつもりじゃなかったんですが。というか、吉川博士があまりにも女性的だったので、てっきり、真崎先生のこ……恋人か何かだと……」
真崎は目を瞬かせた。
「そんな風に見えましたか?」
「え、ええ」
真崎は額に手をあて、悩ましげにうめいた。非常に気まずそうな様子である。
「まあ、何と言うか。あたらずといえども遠からずと言うか……」
「ええっ?」
驚く春花に、彼は慌てて釈明した。
「いやいや、違います。あれはアメリカで、彼と同じ大学にいたころの写真です。確か、どこかの公園で撮ったものだと記憶していますが。彼は、あの頃からゲイ……っていいますか……どうも、弱りましたねえ」
「はあ……」
真崎の額に汗が浮かんでいる。普段飄々としている彼が、これほど困っている姿は珍しい。
じっと見つめていると、真崎はあきらめたように、言葉を続けた。
「一度でいいから、恋人みたいに写真を撮ってほしいと言われまして。実は、その頃の私は大変貧乏な状態でしたので、夕飯にステーキをご馳走すると持ちかけられて、つい承諾してしまったのです」
「はあ……」
春花は「はあ」としか言いようがなかった。
そして、だんだんおかしさがこみ上げてきて、笑い出してしまった。
「そ、そんな理由があったんですか。吉川博士に頼まれて……ご飯と引き換えに……あは、あははは」
「参りましたねえ」
真崎はぽりぽり頭を掻くと、海のほうへ顔を向けてしまった。
なるほどと春花は納得した。吉川が真崎に対して弱腰なのは、惚れた弱みからきている。学生時代から、変わらぬ想いを抱いているのだ。
「言っておきますが、私と吉川君はただの友人ですので、誤解の無いように」
「ふふっ、分かっていますよ。でも」
「でも?」
真崎はこちらに顔を戻し、春花の意見を待つ。
「写真を残してあるということは、先生にとっても、青春時代の大切な思い出ということですね。何より、今でも吉川博士と縁を結んでいるのだから」
真崎は瞬きすると、少し考えてから頷いた。
「そうですね。吉川君は今でも大切な友人です。何だかんだ言っても、付き合いを続ける理由はそれでしょう」
懐かしそうな眼差しで建物を見やった。少年の面差しが残る、あの写真の真崎と同じ顔をしている。
「さて、行きますか」
真崎は視線を前に据えると、エンジンをかけて車を出した。
岬の道を戻りながら、彼は春花に話し始める。それは本来、最も気にかけるべき事柄だった。
「2日後……つまり7日目に、あなたが女性に戻るかどうかですが」
春花は、はっとする。そうだった。それが今一番の問題である。
固唾を呑んで、真崎の横顔を見つめた。
「ま、考えても仕方がないですから」
「えっ?」
拍子抜けするほど気楽な口調で、彼は意外なことを提案した。
「二人で、旅行にでも出かけましょうか」
旅行――?
どういうことか分からず、春花は反応できない。
真崎は下り坂のカーブでハンドルを回しつつ、概要を教えた。
「実を言うと、これからS県に行くのです。その土地の高等学校で出張講義を行うことになりまして。それで、学校の近くに宿をとったのですが、なかなかいい温泉だそうですよ。景色もいいですし、あなたの気晴らしになるのではと思いまして」
「あ、そうだったんですか」
仕事のついでだったのか――
春花はほっとしたような、しないような、複雑な気持ちになる。
そして、なぜか知らないが、妙に緊張してきた。
どちらにせよ、二人で旅行するというシチュエーションは変わらないのだ。
「どうです、付き合いませんか」
「え、ええ。でも、旅行の準備とか……」
「着替えは持って来ましたよ。服なんかは、私と共同で着ることができますし」
「ああ……そう言えばそうですね。すみません」
とりあえず納得するが、あらかじめ用意されていたことに、春花はドキッとする。
(というか、着替えの準備はともかく、心の準備が追いつかないんだけど)
「では、このままS県に参ります」
高速道路インターのゲートを潜り本線に近付くと、真崎は加速した。強引な力が加わり、春花の鼓動はさらに速くなる。はっきり返事したわけではないが、彼はOKと解釈したようだ。
春花は落ち着かず、胸を押さえながら、旅行について質問した。
「何泊するのですか?」
「今日、明日と滞在して、明後日戻りますよ」
「2泊3日……あ、ちょうど7日目に戻るのですね」
「はい」
高速道路は空いている。車は速いスピードで、春花を遠くへと運んでいく。
家族ではない男性と、二人きりで旅行――
状況を言葉にすると、本格的に緊張してきた。だけど、今の自分は男性体であり、何も起きようはずがない。第一、毎日一つ屋根の下で寝起きしているのに、今さら何を慌てることがある?
そこに思い至ると、なぜか落胆する自分もいて、春花は激しく動揺した。
真崎を横目で窺うと、ご機嫌な様子で車を走らせている。
(うう……参ったなあ)
彼にとっては男同士の誘いでも、春花にはもう、違う意味を持つ旅なのだ。
鼻歌など歌う彼の隣で、春花は赤くなったり青くなったりした。
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