25 / 104
遭遇
7
しおりを挟む
松山さんは日焼けしていた。
おまけにすっきりとした表情になっており、ご機嫌なのがひと目で分かる。
私は受領印を伝票に押すと、後ろのデスクでいつになく静かに仕事する小橋さんを見やり、違和感を持った。どうも様子が変である。
彼女は今朝から元気が無い。どことなくやつれているようにも見える。その顔は、日に焼けるどころか、かえって青白いくらいだ。
吉野さんや他の女性社員がそれとなく訊いても、
「別に……ちょっと遠出して、疲れたのよ」
そう答えるばかりで、誰とどこに行ったなどひと言も話さない。いつもの彼女なら、はしゃいで報告するはずなのに。皆、彼女の様子に首を傾げた。
「荷物を倉庫に入れるので、確認をお願いします」
松山さんは丁寧な言葉遣いで私に言うと、先に階段を下りていく。
「えっ……あの?」
今日は小荷物ひとつなので、倉庫を開ける必要は無い。伝票も1枚で、1個口と書いてある。
どういうことだろう。
よく分からないが、黙々と仕事する小橋さんを横目に、私は事務所を出た。
冷房のきいた事務所とは一転、外は焼け付くような暑さだ。積乱雲が立ち上る夏空。蝉の鳴き声も激しく、盛夏を演出している。
倉庫の前で、松山さんが立ち止まる。私が駆け寄ると
「はい、受け取りお願いします」
おどけたように言い、小さな紙袋を差し出す。
受け取ると、S浜ドライブインと印刷された、土産用の小袋だった。顔を上げる私に、松山さんは嬉しそうに笑う。
「遊んで来たんだ。南の海をドライブして、一日のんびり」
どうやらこれは、私へのお土産らしい。
「楽しかったなー。晴れ晴れとして、気持ちよかったぜ」
本当に気持ち良さそうに伸びをする。どこにも曇りのない、爽やかな笑顔だ。
だけど、どうしてもおかしい。迷ったが、私はとにかく訊いてみることにした。
「誰と行って来たの?」
伸びをした格好のまま、彼は「あ?」と言う。
予期せぬ質問だったのか、へんてこな反応だ。
「誰とって?」
私を見下ろし、じろりと睨む。
お土産を持つ手に、じんわりと汗が滲みてきた。
「誰と行くんだよ」
逆に訊かれ、返事に窮した。誰とって、それは……
「一人旅だよ。気楽な一人旅」
心外な顔つきになる。私ははっとして、取り繕う言葉を探すが、うまく見つからない。
私も吉野さんも状況だけを証拠に、二人が一緒に海に行ったと決め付けたのだ。
しまったと思うが、もう遅い。素人探偵の、的外れな推理だった。
「お前なあ」
松山さんは暑いのか、帽子を取ると、ぱたぱたと首元をあおいだ。私もだらだらと、変な汗をかいている。
「バカだな、まったく。誰と行ったと思うんだ」
「……」
「ちゃんと言えよ。どうしてそんな風に思うんだ」
「だって……」
情けない。俯いて目も合わせられない私は、父親に叱られる子供だと思う。
ふうっと、ため息が聞こえた。何の言い訳も出来ない。許してもらえないかもしれない。
「薫」
優しい声が呼んだ。
「言ってみなよ。怒らないから」
「うん……」
私は観念し、小橋さんのことを言ってしまった。あなたを好きだという人が事務所にいる。その人も海に行くと言ったから疑ったと。
松山さんは「うう~ん」と唸ってから帽子を被り直した。
「ああ、あの人。小橋さんって人か」
事務所の方向へ目をやる。
「なるほどね。へっへへ」
何が可笑しいのと、私は目で訊ねた。松山さんは口の端に笑みを残し、端的に教える。
「この前、迫られたよ。倉庫の中で」
「はい……?」
「すっげえ積極的な人だよな」
「こ、小橋さんが?」
私を見下ろし、さも可笑しそうに笑う。笑える話だろうか。
「私と付き合わない? って、言われた。背中にいきなりおっぱ……いやその、胸を押し付けてきてさ」
「まさか!」
思わず叫んだ。いくらなんでもそんなこと。職場でそんなことをするなんて。
松山さんは私をからかっている。そう思ったけれど、彼は真顔になる。
「考えさせてくれって言っておいたけど、それからは何にもアプローチなし。ちょっと誘ってみただけだろ」
「でも……どうしてそんな」
「いろんな女がいるんだよ」
背中を向け、トラックのほうへと歩き始める。
私は慌てて追いかけ、とにかく疑ったことを謝ろうとした。だがその時、男性社員が通りかかったので足を止める。社員は松山さんに気が付くと「おっ」と声を上げた。
「よお、松山君、ごくろうさん!」
昨日、彼の婚約解消の話を聞いて、嬉しそうにした社員の一人だ。
「お世話になります」
松山さんは帽子を取って挨拶した。
「秋田君に聞いたよ。落ち込むなよ! 女は他にいくらでもいる」
社員は晴れやかな顔で言うと、手を振って階段を上がっていった。
私は恥ずかしさのあまり縮こまる。なんという無礼な……同じ会社の人間として情けなかった。あんな大声で、無神経すぎる。
だけど松山さんは、そんな私を見て明るく笑う。
卑屈なところが微塵もない、太陽みたいに明るい笑顔だ。
「まったくだ。女は他にもいるよな!」
颯爽とトラックに乗り込み、クラクションをひとつ鳴らしてから、猛暑の街へと走り出した。
「松山さん……」
広い広い海に旅して、彼は吹っ切ったのだ。
手の中にある、小さな袋をそっと開けた。
突き抜けるような真夏の青空、どこまでも続く青い海。それを映しこんだように煌く、宝石みたいなストラップに、私は嬉しくて頬を寄せた。
おまけにすっきりとした表情になっており、ご機嫌なのがひと目で分かる。
私は受領印を伝票に押すと、後ろのデスクでいつになく静かに仕事する小橋さんを見やり、違和感を持った。どうも様子が変である。
彼女は今朝から元気が無い。どことなくやつれているようにも見える。その顔は、日に焼けるどころか、かえって青白いくらいだ。
吉野さんや他の女性社員がそれとなく訊いても、
「別に……ちょっと遠出して、疲れたのよ」
そう答えるばかりで、誰とどこに行ったなどひと言も話さない。いつもの彼女なら、はしゃいで報告するはずなのに。皆、彼女の様子に首を傾げた。
「荷物を倉庫に入れるので、確認をお願いします」
松山さんは丁寧な言葉遣いで私に言うと、先に階段を下りていく。
「えっ……あの?」
今日は小荷物ひとつなので、倉庫を開ける必要は無い。伝票も1枚で、1個口と書いてある。
どういうことだろう。
よく分からないが、黙々と仕事する小橋さんを横目に、私は事務所を出た。
冷房のきいた事務所とは一転、外は焼け付くような暑さだ。積乱雲が立ち上る夏空。蝉の鳴き声も激しく、盛夏を演出している。
倉庫の前で、松山さんが立ち止まる。私が駆け寄ると
「はい、受け取りお願いします」
おどけたように言い、小さな紙袋を差し出す。
受け取ると、S浜ドライブインと印刷された、土産用の小袋だった。顔を上げる私に、松山さんは嬉しそうに笑う。
「遊んで来たんだ。南の海をドライブして、一日のんびり」
どうやらこれは、私へのお土産らしい。
「楽しかったなー。晴れ晴れとして、気持ちよかったぜ」
本当に気持ち良さそうに伸びをする。どこにも曇りのない、爽やかな笑顔だ。
だけど、どうしてもおかしい。迷ったが、私はとにかく訊いてみることにした。
「誰と行って来たの?」
伸びをした格好のまま、彼は「あ?」と言う。
予期せぬ質問だったのか、へんてこな反応だ。
「誰とって?」
私を見下ろし、じろりと睨む。
お土産を持つ手に、じんわりと汗が滲みてきた。
「誰と行くんだよ」
逆に訊かれ、返事に窮した。誰とって、それは……
「一人旅だよ。気楽な一人旅」
心外な顔つきになる。私ははっとして、取り繕う言葉を探すが、うまく見つからない。
私も吉野さんも状況だけを証拠に、二人が一緒に海に行ったと決め付けたのだ。
しまったと思うが、もう遅い。素人探偵の、的外れな推理だった。
「お前なあ」
松山さんは暑いのか、帽子を取ると、ぱたぱたと首元をあおいだ。私もだらだらと、変な汗をかいている。
「バカだな、まったく。誰と行ったと思うんだ」
「……」
「ちゃんと言えよ。どうしてそんな風に思うんだ」
「だって……」
情けない。俯いて目も合わせられない私は、父親に叱られる子供だと思う。
ふうっと、ため息が聞こえた。何の言い訳も出来ない。許してもらえないかもしれない。
「薫」
優しい声が呼んだ。
「言ってみなよ。怒らないから」
「うん……」
私は観念し、小橋さんのことを言ってしまった。あなたを好きだという人が事務所にいる。その人も海に行くと言ったから疑ったと。
松山さんは「うう~ん」と唸ってから帽子を被り直した。
「ああ、あの人。小橋さんって人か」
事務所の方向へ目をやる。
「なるほどね。へっへへ」
何が可笑しいのと、私は目で訊ねた。松山さんは口の端に笑みを残し、端的に教える。
「この前、迫られたよ。倉庫の中で」
「はい……?」
「すっげえ積極的な人だよな」
「こ、小橋さんが?」
私を見下ろし、さも可笑しそうに笑う。笑える話だろうか。
「私と付き合わない? って、言われた。背中にいきなりおっぱ……いやその、胸を押し付けてきてさ」
「まさか!」
思わず叫んだ。いくらなんでもそんなこと。職場でそんなことをするなんて。
松山さんは私をからかっている。そう思ったけれど、彼は真顔になる。
「考えさせてくれって言っておいたけど、それからは何にもアプローチなし。ちょっと誘ってみただけだろ」
「でも……どうしてそんな」
「いろんな女がいるんだよ」
背中を向け、トラックのほうへと歩き始める。
私は慌てて追いかけ、とにかく疑ったことを謝ろうとした。だがその時、男性社員が通りかかったので足を止める。社員は松山さんに気が付くと「おっ」と声を上げた。
「よお、松山君、ごくろうさん!」
昨日、彼の婚約解消の話を聞いて、嬉しそうにした社員の一人だ。
「お世話になります」
松山さんは帽子を取って挨拶した。
「秋田君に聞いたよ。落ち込むなよ! 女は他にいくらでもいる」
社員は晴れやかな顔で言うと、手を振って階段を上がっていった。
私は恥ずかしさのあまり縮こまる。なんという無礼な……同じ会社の人間として情けなかった。あんな大声で、無神経すぎる。
だけど松山さんは、そんな私を見て明るく笑う。
卑屈なところが微塵もない、太陽みたいに明るい笑顔だ。
「まったくだ。女は他にもいるよな!」
颯爽とトラックに乗り込み、クラクションをひとつ鳴らしてから、猛暑の街へと走り出した。
「松山さん……」
広い広い海に旅して、彼は吹っ切ったのだ。
手の中にある、小さな袋をそっと開けた。
突き抜けるような真夏の青空、どこまでも続く青い海。それを映しこんだように煌く、宝石みたいなストラップに、私は嬉しくて頬を寄せた。
0
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
イケメン御曹司、地味子へのストーカー始めました 〜マイナス余命1日〜
和泉杏咲
恋愛
表紙イラストは「帳カオル」様に描いていただきました……!眼福です(´ω`)
https://twitter.com/tobari_kaoru
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は間も無く死ぬ。だから、彼に別れを告げたいのだ。それなのに……
なぜ、私だけがこんな目に遭うのか。
なぜ、私だけにこんなに執着するのか。
私は間も無く死んでしまう。
どうか、私のことは忘れて……。
だから私は、あえて言うの。
バイバイって。
死を覚悟した少女と、彼女を一途(?)に追いかけた少年の追いかけっこの終わりの始まりのお話。
<登場人物>
矢部雪穂:ガリ勉してエリート中学校に入学した努力少女。小説家志望
悠木 清:雪穂のクラスメイト。金持ち&ギフテッドと呼ばれるほどの天才奇人イケメン御曹司
山田:清に仕えるスーパー執事
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
社長室の蜜月
ゆる
恋愛
内容紹介:
若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。
一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。
仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる