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遭遇
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ビール カクテル ウィスキー オンザロックにストレート
何をどれだけ飲んだのやら――
三人で飲んでいたところへ、別のテーブルから松山さんのラグビー仲間がいつの間にか合流し、宴会のように賑やかな飲み会へと発展した。
松山さんも、その仲間達も、そして真琴も、いずれ劣らぬうわばみである。
私はとてもついて行けず、途中でテーブルを抜け出し、カウンターの端でマスターがすすめてくれたノンアルコール飲料を飲んだ。
ナンバーエイトを出たのは午後11時。
『酔っ払いを担いで帰るなんて嫌だ』などと私に注意した松山さんが、すっかりご機嫌な山オヤジだ。
「いや~、美味かった。最高だったぜ、薫」
私を呼び捨てにして、体をもたせ掛けてくる。楽しんでもらえたのはいいが、ちょっと飲みすぎだ。私は彼の体重を支えるため、足を踏ん張った。
「松山! コラ、べたべたすんな。嫁入り前だぞ、薫は」
真琴も彼を呼び捨てにして、全くの無礼講だ。尤も、自分達に上下関係など、始めからありはしないのだが。
酔い覚ましを兼ねて、遠回りして歩く。
この状態の二人と一緒に電車に乗るのは大変な冒険のように思えて、私が提案したのだ。
だが、もともと酒に強い二人のこと。10分もぶらぶらすると、かなり落ち着いてくる。半分は、わざとはしゃいでいたのかもしれない。
そんな気がした。
「な、薫。コーヒーでも飲まないか。駅前にスタンドがあるだろ。俺が奢ってやるよ」
松山さんが顔を近付ける。これまでにない距離感だ。
「ねね、私にも奢ってよお」
真琴がねだると「わかったわかった」と、楽しげに笑う。まだ酔っ払いの二人だが、足取りはしっかりしてきた。
ただ、松山さんがずっと私の肩を抱いている。その腕の重さは、飲み会での一場面を思い出させる。松山さんに言われたことが、胸に残っていた。
飲み会も終盤に差し掛かった頃。
松山さんの仲間の一人が、盛り上がるテーブルを離れ、カウンターに一人で座る私のそばにやってきた。
大学でラグビーをやっていたというその男性は、松山さんと同じ26歳。ラグビーというスポーツはポジションによって体型がまちまちのようで、彼は他のメンバーに比べるとスマートな体型だ。顔立ちもソフトで、お洒落な外見をしている。
「君、松山の友達だってね」
彼はスツールに腰掛け、頬杖をついた格好で話しかけてくる。
「はい。仕事の関係ですが、そうですね……お友達です」
「そうか。お友達ね」
彼は、氷と酒が入ったグラスを私の前に出して「ハイボールだよ。飲みなよ」と、すすめた。
マスターはカウンターにいないし、私はどうすればいいのか迷った。ハイボールがアルコールとして強いのか弱いのか分からない。
「彼氏いるの?」
唐突に訊かれた。軽い口調の割りに真面目な眼差しだ。
私はハイボールの問題も片付いていない頭で、真面目に答えなきゃと判断した。
「いえ、いません」
「そう! だったら、俺なんかどう……」
笑顔になり身を乗り出したその肩を、熊が掴んだ。いや、熊に見えた。その時の松山さんは、顔も体も普段の二倍増しに迫力があったから、本物の熊に見えたのだ。
「この子は駄目だ」
唸るような声。
「でも松山、彼氏はいないって……」
「駄目なものは駄目だ」
松山さんは、突き飛ばすように男性の肩を離した。男性は不満そうに唇を歪ませるが、渋々引き揚げていく。
私をじろりと睨む松山さん。どうして睨まれるのか分からないが、その怒った目の色に私は何も言えず、首をすくめた。
「お前は先生に決めてるんだろ。ああいう時は、『います』って答えとけよ」
私の手からハイボールを取り上げ、一気に呷った。氷が残っただけのグラスをカウンターに置き、テーブルへと戻る。
「あれっ、何かあったのかい」
入れ違いで来たマスターに訊かれ、私はぶるぶると首を振る。
情けなくて、答えられなかった。
私はまったく世間知らずのお子様だと、つくづく思い知らされたから。
「お前、今夜は女みたいだからナンパされるんだ」
コーヒースタンドで私と向き合うと、松山さんが指摘した。
「失礼にもほどがあるわよ。いつもはどうだっていうのよ。ねえ、薫」
真琴が間に入り攻撃をかわすが、彼は手を緩めない。
「隙があるんだよ。そんなチャラチャラした格好で飲み会に来るんじゃない。先生とデートする時にでも着ればいいんだ」
そのデートが出来そうに無いから着てきたのだ。
けれど、口答えはやめておく。本当に怒り出す気がしたから。
「先生かあ~。ああ、そう言えば初めて見たわ。例の島先生」
真琴は、飲み会の前に島先生と遭遇したのを思い出したようで、目を輝かせた。
「あの人、本当に40歳なの? どう見ても30代前半って感じ」
「独身者は若く見えるんだよ」
松山さんが口を出す。
真琴は頷き、先生に対する印象を話し続けた。
「それに、あんなに良い男とは思わなかった。恋人がいないなんて信じられない」
私もそう思う。でも、恋人がいないのは本当らしいのだ。
「とにかく、他の男に目移りするな。隙を見せるな」
松山さんは話を戻し、私に念を押した。まるで父親の小言である。
「はい、分かりました」
そう答えるしかない。真琴も呆れた目を向けるだけで、口を出さなかった。
「じゃ、帰るか」
私達はコーヒースタンドを出て、駅に向かった。真琴だけが反対方向なので、彼女を見送った後、私と松山さんは各駅停車の車両に乗り込み、一緒に帰る。
「薫はふたつ手前の駅だったよな」
酔いがさめても呼び捨てだ。もう、そのままにしておこう。
「家まで送ってくよ」
予測した言葉だった。私は一応遠慮するが、彼はきれいに無視した。仕方ないので、これもそのままにしておく。松山さんはけっこう頑固者なのだ。
車窓を流れる街の明かり。規則的なリズムに揺られ、何だか眠くなってきた。
初めて会った人達と一緒に飲んだり食べたりして、気を張っていたのかもしれない。
「もたれていいぞ」
松山さんは、ぶっきら棒に肩を揺すった。
「ありがとう」
気持ちだけ受け取ることにする。そこまで甘えてはいけない。
駅に着くと、彼は当然のように一緒に降りて、私の家までのルートを並んで歩く。駅前は明るく、どこにも危険は無いと思う。
でも、彼は付かず離れず寄り添っている。まるでボディガードのように。
どこか緊張した面持ちの彼を、そっと見上げる。どうしてこんなに心配するのだろう。
住宅街に入り、もうすぐ自宅に着く頃、彼は突然立ち止まった。
「どうしたの?」
「いや……」
暫くその場に佇む。どこかで蝉がジッと鳴いて、飛び回る音が聞こえた。
夜の中、不自然に気を使うでもなく、近くに存在している。彼の言葉を、何時間でも待つことが出来そうだった。黙っていても気づまりではない。
それどころか、こうして二人でいることに、心地よさすら感じる。
どうしてだろう――自分でも、分からない。
「今夜はありがとう。俺、嬉しかった」
前を向いたままぽつりと言い、彼は再び歩き出す。速足なので、私は慌ててついていく。
「俺の婚約者さ」
「えっ」
私は聞き逃さないよう、彼に近付いた。
「浮気したんだ。いっつもそう。付き合うのはそんな女ばかり。最後はいつもこうなる」
「……」
「笑っちゃうだろ」
家の前まで来た。まだ何か話したそうなのに……
「松山さん」
「……聞いてくれるのか」
松山さんはひとつ息をつくと、私の家の、明かりの漏れる窓に目を当てたまま話を続けた。
「俺の母親、男作って出て行っちまった。俺がガキの頃。俺はオヤジに育てられて。でも、そのオヤジも俺が中学の時に女が出来て、俺と住んでるアパートには、滅多に帰って来なくなった」
月に雲がかかり、彼の表情が暗く翳った。私はその翳りを、ものも言えず、ただ見守る。
「結局、お袋みたいな女と付き合っちまう。それで、いつも棄てられる。分かってるのに。婚約して、今度はいくらなんでも大丈夫だろうと、思っていたのに」
彼の代わりに、私は悔しい顔をしていたのかもしれない。
松山さんは私を見下ろし、寂しそうに笑った。
「でも、俺はお前に救われた。嬉しかった」
「松山さ……」
「ご飯食べに行こうって言ってくれた時、本当に、嬉しかったんだ」
(そんなこと、全然知らなかったよ。そんなこと……)
「浮気するなよ」
急に背中を向けると、彼は元来た道を駆け出した。
もう三度目。家の前で彼を見送るのは。
(救われたのは、私だよ!)
そう叫びたくて、一歩前に踏み出す。
だけど、彼の姿は夜の向こう。月が隠れた闇の中、もう見えなかった。
何をどれだけ飲んだのやら――
三人で飲んでいたところへ、別のテーブルから松山さんのラグビー仲間がいつの間にか合流し、宴会のように賑やかな飲み会へと発展した。
松山さんも、その仲間達も、そして真琴も、いずれ劣らぬうわばみである。
私はとてもついて行けず、途中でテーブルを抜け出し、カウンターの端でマスターがすすめてくれたノンアルコール飲料を飲んだ。
ナンバーエイトを出たのは午後11時。
『酔っ払いを担いで帰るなんて嫌だ』などと私に注意した松山さんが、すっかりご機嫌な山オヤジだ。
「いや~、美味かった。最高だったぜ、薫」
私を呼び捨てにして、体をもたせ掛けてくる。楽しんでもらえたのはいいが、ちょっと飲みすぎだ。私は彼の体重を支えるため、足を踏ん張った。
「松山! コラ、べたべたすんな。嫁入り前だぞ、薫は」
真琴も彼を呼び捨てにして、全くの無礼講だ。尤も、自分達に上下関係など、始めからありはしないのだが。
酔い覚ましを兼ねて、遠回りして歩く。
この状態の二人と一緒に電車に乗るのは大変な冒険のように思えて、私が提案したのだ。
だが、もともと酒に強い二人のこと。10分もぶらぶらすると、かなり落ち着いてくる。半分は、わざとはしゃいでいたのかもしれない。
そんな気がした。
「な、薫。コーヒーでも飲まないか。駅前にスタンドがあるだろ。俺が奢ってやるよ」
松山さんが顔を近付ける。これまでにない距離感だ。
「ねね、私にも奢ってよお」
真琴がねだると「わかったわかった」と、楽しげに笑う。まだ酔っ払いの二人だが、足取りはしっかりしてきた。
ただ、松山さんがずっと私の肩を抱いている。その腕の重さは、飲み会での一場面を思い出させる。松山さんに言われたことが、胸に残っていた。
飲み会も終盤に差し掛かった頃。
松山さんの仲間の一人が、盛り上がるテーブルを離れ、カウンターに一人で座る私のそばにやってきた。
大学でラグビーをやっていたというその男性は、松山さんと同じ26歳。ラグビーというスポーツはポジションによって体型がまちまちのようで、彼は他のメンバーに比べるとスマートな体型だ。顔立ちもソフトで、お洒落な外見をしている。
「君、松山の友達だってね」
彼はスツールに腰掛け、頬杖をついた格好で話しかけてくる。
「はい。仕事の関係ですが、そうですね……お友達です」
「そうか。お友達ね」
彼は、氷と酒が入ったグラスを私の前に出して「ハイボールだよ。飲みなよ」と、すすめた。
マスターはカウンターにいないし、私はどうすればいいのか迷った。ハイボールがアルコールとして強いのか弱いのか分からない。
「彼氏いるの?」
唐突に訊かれた。軽い口調の割りに真面目な眼差しだ。
私はハイボールの問題も片付いていない頭で、真面目に答えなきゃと判断した。
「いえ、いません」
「そう! だったら、俺なんかどう……」
笑顔になり身を乗り出したその肩を、熊が掴んだ。いや、熊に見えた。その時の松山さんは、顔も体も普段の二倍増しに迫力があったから、本物の熊に見えたのだ。
「この子は駄目だ」
唸るような声。
「でも松山、彼氏はいないって……」
「駄目なものは駄目だ」
松山さんは、突き飛ばすように男性の肩を離した。男性は不満そうに唇を歪ませるが、渋々引き揚げていく。
私をじろりと睨む松山さん。どうして睨まれるのか分からないが、その怒った目の色に私は何も言えず、首をすくめた。
「お前は先生に決めてるんだろ。ああいう時は、『います』って答えとけよ」
私の手からハイボールを取り上げ、一気に呷った。氷が残っただけのグラスをカウンターに置き、テーブルへと戻る。
「あれっ、何かあったのかい」
入れ違いで来たマスターに訊かれ、私はぶるぶると首を振る。
情けなくて、答えられなかった。
私はまったく世間知らずのお子様だと、つくづく思い知らされたから。
「お前、今夜は女みたいだからナンパされるんだ」
コーヒースタンドで私と向き合うと、松山さんが指摘した。
「失礼にもほどがあるわよ。いつもはどうだっていうのよ。ねえ、薫」
真琴が間に入り攻撃をかわすが、彼は手を緩めない。
「隙があるんだよ。そんなチャラチャラした格好で飲み会に来るんじゃない。先生とデートする時にでも着ればいいんだ」
そのデートが出来そうに無いから着てきたのだ。
けれど、口答えはやめておく。本当に怒り出す気がしたから。
「先生かあ~。ああ、そう言えば初めて見たわ。例の島先生」
真琴は、飲み会の前に島先生と遭遇したのを思い出したようで、目を輝かせた。
「あの人、本当に40歳なの? どう見ても30代前半って感じ」
「独身者は若く見えるんだよ」
松山さんが口を出す。
真琴は頷き、先生に対する印象を話し続けた。
「それに、あんなに良い男とは思わなかった。恋人がいないなんて信じられない」
私もそう思う。でも、恋人がいないのは本当らしいのだ。
「とにかく、他の男に目移りするな。隙を見せるな」
松山さんは話を戻し、私に念を押した。まるで父親の小言である。
「はい、分かりました」
そう答えるしかない。真琴も呆れた目を向けるだけで、口を出さなかった。
「じゃ、帰るか」
私達はコーヒースタンドを出て、駅に向かった。真琴だけが反対方向なので、彼女を見送った後、私と松山さんは各駅停車の車両に乗り込み、一緒に帰る。
「薫はふたつ手前の駅だったよな」
酔いがさめても呼び捨てだ。もう、そのままにしておこう。
「家まで送ってくよ」
予測した言葉だった。私は一応遠慮するが、彼はきれいに無視した。仕方ないので、これもそのままにしておく。松山さんはけっこう頑固者なのだ。
車窓を流れる街の明かり。規則的なリズムに揺られ、何だか眠くなってきた。
初めて会った人達と一緒に飲んだり食べたりして、気を張っていたのかもしれない。
「もたれていいぞ」
松山さんは、ぶっきら棒に肩を揺すった。
「ありがとう」
気持ちだけ受け取ることにする。そこまで甘えてはいけない。
駅に着くと、彼は当然のように一緒に降りて、私の家までのルートを並んで歩く。駅前は明るく、どこにも危険は無いと思う。
でも、彼は付かず離れず寄り添っている。まるでボディガードのように。
どこか緊張した面持ちの彼を、そっと見上げる。どうしてこんなに心配するのだろう。
住宅街に入り、もうすぐ自宅に着く頃、彼は突然立ち止まった。
「どうしたの?」
「いや……」
暫くその場に佇む。どこかで蝉がジッと鳴いて、飛び回る音が聞こえた。
夜の中、不自然に気を使うでもなく、近くに存在している。彼の言葉を、何時間でも待つことが出来そうだった。黙っていても気づまりではない。
それどころか、こうして二人でいることに、心地よさすら感じる。
どうしてだろう――自分でも、分からない。
「今夜はありがとう。俺、嬉しかった」
前を向いたままぽつりと言い、彼は再び歩き出す。速足なので、私は慌ててついていく。
「俺の婚約者さ」
「えっ」
私は聞き逃さないよう、彼に近付いた。
「浮気したんだ。いっつもそう。付き合うのはそんな女ばかり。最後はいつもこうなる」
「……」
「笑っちゃうだろ」
家の前まで来た。まだ何か話したそうなのに……
「松山さん」
「……聞いてくれるのか」
松山さんはひとつ息をつくと、私の家の、明かりの漏れる窓に目を当てたまま話を続けた。
「俺の母親、男作って出て行っちまった。俺がガキの頃。俺はオヤジに育てられて。でも、そのオヤジも俺が中学の時に女が出来て、俺と住んでるアパートには、滅多に帰って来なくなった」
月に雲がかかり、彼の表情が暗く翳った。私はその翳りを、ものも言えず、ただ見守る。
「結局、お袋みたいな女と付き合っちまう。それで、いつも棄てられる。分かってるのに。婚約して、今度はいくらなんでも大丈夫だろうと、思っていたのに」
彼の代わりに、私は悔しい顔をしていたのかもしれない。
松山さんは私を見下ろし、寂しそうに笑った。
「でも、俺はお前に救われた。嬉しかった」
「松山さ……」
「ご飯食べに行こうって言ってくれた時、本当に、嬉しかったんだ」
(そんなこと、全然知らなかったよ。そんなこと……)
「浮気するなよ」
急に背中を向けると、彼は元来た道を駆け出した。
もう三度目。家の前で彼を見送るのは。
(救われたのは、私だよ!)
そう叫びたくて、一歩前に踏み出す。
だけど、彼の姿は夜の向こう。月が隠れた闇の中、もう見えなかった。
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