先生

藤谷 郁

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素描

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夜、真琴に電話をした。

考えてみると、お酒を飲む店は彼女のほうがよく知っている。場所を相談しようと思ったのだ。


『へえ、すごい人がいるものね。肉食系女子?』


小橋さんのことをかいつまんで話し、松山さんと一緒に飲んでるのを見られたら大変な誤解をされそうだから、なるべく遠くの店を希望することを伝えた。

しかし真琴は、「それは逆にマズイと思うな」と反対した。


「そ、そうかな」

『うん。だって、会いたくない人にはどこまで行っても何故か会ってしまうものでしょ。そんな遠くの店でこっそり飲んでるのを、もしその小橋さんに見つかったら、逆に本当の逢瀬と思われるよ』

「あ……」


こっそりではないと思うが、よく考えると、やっぱりこっそりだ。浅はかな考えを持ち出した自分が恥ずかしくなる。


『堂々とすればいいのよ。実際のところ、松山さんとは何でもないんでしょ?』

「もちろん。ただの……えっと、友達というか」

『友達だよ。薫の話を聞いてる限り、ただの友達』

「う……ん」


恩人と友達は違うと思うが、この関係を説明するのは難しい。


『でもさ、かなり良い友達だよね』


その意見には、深く頷く。


「そう、すごく良い人だよ」

『失恋した薫を慰めてくれたんだよね。これはお礼の飲み会でもあるわ』


先生に告白して駄目だったことを、真琴に話した。

失恋した時、松山さんが側にいてくれたことも話したので、彼に好感を持ってくれたようだ。先生については、今も教室に通う私に呆れつつ、「本当に好きなんだね~」と、妙に感心していた。


『まあ何にせよ、楽しく飲めそうね』

「うん」


私は先生に失恋。真琴は恋人に失恋。そして松山さんは婚約者に失恋。

憂さ晴らしの飲み会になりそうだが、楽しく飲めればそれでいい。

真琴もそうだが、松山さんもかなりの酒豪に思える。細かいことを気にしていたら、せっかくの美味しいお酒が台無しになってしまう。堂々とすればいい。


『それじゃ、あそこにしよっか。駅前通りにナンバーエイトっていうお店があるんだ。和洋折衷の創作ダイニングだから、いろんなメニューが揃ってるよ。それに、松山さんにピッタリでしょ』

「そうなの?」

『だって、ナンバーエイトだから。彼、ラグビーやってたんでしょ』

「うん。そうだけど??」


ナンバーエイトという屋号が、ラグビーと関係あるのだろうか。運動音痴でスポーツに関心の薄い私には、ピンとこなかった。


『ラグビーのフォワードで、3列目の選手のことよ』

「あ、ポジションの名前なんだ」

『そうそう。店長が元ラガーマンだから、屋号だけじゃなくて店員の制服がラグビーのジャージだったりね、面白いわよ』


真琴は本当にいろいろなお店を知っている。その引き出しの多さに、私はいつも感心してしまう。


「時間は夕方6時くらいでいいかな」

『そうね、それくらいがちょうど良さそうね。松山さんにも確認して、OKなら私が予約しておくわ』


フットワークが軽く、きびきびと段取りする。頼もしい友人だ。


「ありがとう。助かるよ真琴」

『どういたしまして。これぐらい朝飯前よ。久々の気軽な飲み会だし』

「えっ」

『ああ、いや何でもない。じゃ、また連絡してね』


通話を切った後、そういえば彼女の婚活話を聞いていない。自分のことばかり話していたと気付く。


「明日ゆっくり会えるから、今度は私が話を聞かなくちゃ」


独りごちると、私は再び電話を構えて、松山さんの番号を押した。

午後10時。彼は今、どこにいるのだろう。

窓のカーテンを開けて、配送センターのある方向を見つめる。もしかしたら、まだ職場にいるのかもしれない。


『はい』


無愛想な声が聞こえて、ドキッとした。


「もしもし、星野です」

『ああ。そろそろかかってくると思ってた』


いつもの松山さんだ。声だけ聞くと無愛想に感じてしまうのだ。


「話してもいい? 今、会社にいるの?」

『いや、アパートの部屋。さっき帰って、風呂に入ったとこだ』

「そっか」


彼の風呂上りの姿をなんとなく想像した私は、慌てて頭を振る。


「えっと、明日なんだけど、大丈夫かな」

『うん、空けてあるよ』

「えっとね……時間は夕方の6時にしようと思うんだけど、それでいい?」

『いいよ。どうせ、明日はずっと暇だから』

「そうなんだ」


私と一緒である。少し、嬉しくなった。


「それで、真琴が駅前通りのナンバーエイトっていうお店を推薦するんだけど……」

『ナンバーエイト?』


大きな声で、驚いたように言う。


「知ってるの?」


私が訊くと、彼はいきなり笑い出した。


「も、もしもし」

『ああ、ごめん。その店のマスター、ラグビー部のOBなんだよ』

「えっ、そうなの」


そういえば、松山さんは地元の高校を出ているのだ。このあたりに知り合いがいても不思議じゃない。ラグビーに関係ある場所ならなおさらだ。


『俺ら仲間が時々集まる店だよ。驚いたなあ』


何だか楽しそうだ。こんな松山さんは初めてのような気がする。


「じゃあ、場所は決まりでいいかな」

『いいよ。しかしその真琴って人、よく知ってたな。そんなに洒落た店でもないけど』

「どうかな……でも、面白いって言ってたよ。お店の人がラグビーのジャージを着ているとか」

『はは……店中ラグビー一色だからな。確かに面白いよ』

「へえ」


私も興味が湧いてきて、是非覗いてみたくなった。


「それじゃ、店の前に集合でいい?」

『いいよ。あの辺りの路線なら駅が近くて便利だし。いいところに決めてくれた』


遠くの店にしなくて良かったと、私は胸を撫で下ろす。小心な私を諌めてくれた真琴に感謝した。


「では明日の夕方6時、ナンバーエイトの前に集合っと。楽しみにしてるね」

『うん、俺もだ。ところで』

「ん?」

『星野さん、飲めるの?』


どうせ飲めないだろうというニュアンスに、私はちょっとムッとする。


「もちろん飲めるよ。まるでザルみたい。いくらでも飲めちゃうよ」

『マジで!?』


本気でびっくりしている。松山さんの驚く顔が目に浮かび、可笑しくなった。


「嘘です。本当はお付き合い程度」

『……お前なあ』


気の抜けた声が聞こえた。でも彼はこんなことで怒らない。と思いきや、反応が違っていた。


『今のは許せねえ。明日は罰ゲームだな』

「ええっ?」

『俺の言うことを何でも聞いてもらう』


急に怒った声になり、私は戸惑う。少しからかっただけなのに、罰ゲームだなんて。冗談なのか本気なのか分からず、返事に困った。

どうすればいいのか分からず何も言えずにいると、


『嘘だよ』


不意に、柔らかい調子になる。


「え、あの……」

『お返しだよ。俺をからかうなんて十年早いぜ』


クックと笑っている。


「も、もう」


怒っていないとわかりホッとするけれど、気分は複雑だった。私のほうが二つも年上なのに、松山さんにかかっては、まるでこちらが子供になったようで、いつも立つ瀬が無い。


『冗談はともかく、あまり無理しないでくれよ。酔っ払いを担いで帰るなんて嫌だからな』

「わかった。心しておきます」

『よし。それじゃ、おやすみ』

「おやすみなさい」


そっと通話を切った。

無愛想なのに優しく響く彼の声が、いつまでも耳に残る。不思議なような、くすぐったいような……

私は気分を切り替え、真琴への連絡のために電話機を構えた。
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