東野君の特別

藤谷 郁

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未来への岐路

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 高鷲たかすインターで高速を降りると一般道をしばらく走り、途中から山道に入った。

「子供の頃、家族でスキーに来たんだ。ホテルの窓から、夏にはキャンプ場になるっていう場所を眺めたのを何となく憶えてた」
 東野君は、山ならではのカーブと勾配が続く道をゆっくり運転しながら、教えてくれた。どことなく嬉しそうな、明るい話し方だった。
「思い出があるんだね」
「そうだな、ウチは店があるから滅多に遠出しないし、それだけに楽しかったよ」

 長い坂を上りきった辻に大きな看板があり、スキー場や駐車場の案内が掲げられていた。ラジオかテレビのコマーシャルで聞いたことのある、有名なスキー場の名前だった。
 長野県もスキー場がたくさんあるが、岐阜も長野との県境にある飛騨山脈はじめ標高の高い山々を有する山岳県だけあって、負けていない。
 故郷に近い雰囲気に、私は何だかホッとする。

「で、今から行くのはそのキャンプ場だけど、とりあえずはキャンセル待ちになってる」
「そうなの」
 東野君は胸ポケットにしまった携帯をぽんぽんと叩きつつ言った。
「連絡が来るはずなんだけど、週末だし、難しいかもしれないな」
 デイキャンプのスペースは予約してあったので、そこでバーベキューのお昼を食べながら、サイトが空くのを待つことにする。

「でも、もし空かなかったら仕方ない。その場合は、適当な場所で今夜は野宿かな」
「の……ええっ」
 あまりにも神妙な顔で言うのでうっかり信じてしまったが、それは全くの冗談だった。彼がすぐに肩を揺らして笑い始めたので分かった。
「もう、真面目に聞いてるのに」
「ごめんごめん、ちょっと反応が見たくて……声が裏返ってたよ」

 ひっくり返った私の声が余程可笑しかったのか、東野君らしくもなくいつまでも受けて笑い続けている。なんだか浮かれているようであり、呆れるよりも戸惑ってしまう。
「あの、東野君?」
「うん、分かった。もう笑わない」

 キャンプ場まであと500Mという立て札の矢印通り右に曲がり、緩い下り坂を下りて行った。東野君は笑みを残した横顔で、実際の話をしてくれた。
「ここがもし駄目だったら、この辺りのキャンプ場をいくつか当たってみるし、次のプランは考えてある。佐奈は心配しなくてもいいよ」
「う、うん」

 結局こういう時は、東野君に甘えて任せることになる。情けないけれど、でも、彼のひと言ひと言が頼もしく、心地良くなってしまう。
 守られている、安堵感だった。

 初めての夜、彼が言ったことを憶えている。そして、優しいだけの人ではないと感じたことも。
『古臭いかもしれないけど、俺は男が女を守るべきだと思ってる』
 あえて口にしたのは、私へのスタンスを伝えたかったから。
 東野君は、男のひとだ。
 私は嬉しかった。
 大袈裟かもしれないけれど、生まれて初めて女としての喜びに包まれた気がした。

 あの夜、自分達は文字通りひとつに結ばれた。でも、今はそれだけじゃなく、すっかり同じになっている。同化して、真の意味でのひとつになったと実感している。
 そんな特別な存在の人に、まるごと守られ、こうして一緒に旅をして、新しい朝に向かおうとしているのだ。
(でも、甘えてばかりじゃ駄目だよね)
 私のなかにも、彼を守ってあげたい気持ちが確かにある。どうすればいいのか、わからないけれど――



 キャンプ場の入り口を潜り、日帰り客専用の駐車場に車を停めた。
 東野君はハンドブレーキを引くとエンジンを切り、こちらを向いてにっこり笑う。ご機嫌な笑顔は、いつもの二倍増しに明るく、爽やかだ。
「なあ、佐奈」
「ん?」
 手の甲で、私の頬をすっと撫でた。
「最高に嬉しい」
 不意打ちみたいにキスをすると、素早く車から降りてしまった。
「え、えっ? 今のは……」

 うきうきと軽快な動作の東野君。あんな彼は初めてで、私は一瞬ぼうっとして、だけど置いて行かれないように、急いでシートベルトを外して車を降りた。



 林間のキャンプ場は涼しく、木陰があるのでタープも張らずに済んだ。
 テーブルに食器をセットする手を止めて山側のオートサイトエリアを見上げると、木々の合間合間にいくつものテントが設置されて、家族連れやグループの楽しそうな声が風に乗り聞こえてくる。
「こういうのって、久ぶり」
 思わず知らず、ウキウキしてしまう。この雰囲気は、長い間忘れていた気がする。

 バーベキューコンロに火をおこしている東野君は、Tシャツ一枚と短パン、タオルを首にかけた恰好で、いつもと変わりないようで少し違っている。
 なんとなく、変な言い方かもしれないけれど、彼氏とか恋人とかではなく、身内のような、家族のような感じ。

(でも、お父さんとか、兄貴とか、じゃなくって)

「よし、いいぞ佐奈」
 汗を拭きながら合図をくれる彼に「はあい」と返事をして、冷たい飲み物を用意してから、串に刺した肉や野菜を網の上に並べていった。
「ふう、腹も減ったし、ちょうどいいタイミングだな」
 キャンプ場には12時に到着している。
 管理棟で手続きを済ませてからデイキャンプスペースに荷物を運んで、バーベキューの準備をして、今は13時過ぎ。
 お米を研いだり野菜を切るなどの下ごしらえは私が担当したのだが、子供の頃に両親を手伝っていらいの作業で、少し手間取ってしまった。

 途中で東野君が覗きに来て、「野外での調理は大胆かつ素早く」と言うやいなや、ささっと、じゃがいもやにんじん、トウモロコシを適度な大きさに切り分けてくれた。早いだけではなく、形が揃っているので驚いてしまう。
「上手だね、東野君」
「そうかな」
 普段から料理に慣れた人の早業だった。

 そんな共同作業にも、今までとは違う東野君との関係を見出している。
(お父さんでもなく、兄貴でもなく……)

「佐奈、乾杯しよう」
「うんっ」
 ノンアルコールの缶ビールを合わせた。

 佐奈
 さな
 サナ

 私の名を呼ぶ甘い響き。それは、その感覚は――

(旦那様?)

 コンロの熱気のせいではなく、私はぽかぽかと、頬を火照らせていた。



 
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