東野君の特別

藤谷 郁

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未来への岐路

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 東海北陸自動車道は車の流れもスムーズで、東野君の運転するセダンはどんどんと距離を稼いだ。
「サービスエリアが混んでたのは、観光バスのお客さんが多かったからかな」
 東野君は、機嫌よく話しかけた。
 私は真里ちゃんのメールが気になって落ち着かないが、とりあえずは笑顔で相槌を打つ。

 彼は、私が誰と電話をしていたのか訊かない。
 取りも直さずそれは、相手が誰であったのか分かっているから。
(あああ、もう、真里ちゃんってば)
 とにかく、今日は予定通り遠出を楽しむのだ。日帰りキャンプとドライブは、東野君と私の二人で決めたことだから、二人らしく過ごせばいい。
(二人らしく、か)

 東野君と夏休みの計画を立てたのは7月の終わり。ついこの間である。
 膝の上で、拳をぎゅっと握りしめる。
 あの頃は、まさかこんなふうに深い関係になっているとは想像もせず、当分は……ううん、ずっとあのまま平穏でゆったりとした恋愛が続くと思っていた。
 東野君の、未知の部分を知りたいという願望を抱いてはいたけれど、それがどんなものか知りもせず、ただのん気に、大人の恋に憧れていた。
(二人らしくって、なんだろう)
 私と東野君は、あの頃のままではない。

 ハンドルを握る横顔を、斜めから見上げる。
 二つ違いなだけなのに、すごく大人に感じてしまう。女の子と付き合うのは彼も初めてだと、ずっと前に聞いている。自分をコントロールできないとも、漏らしていた。
 でも、やっぱり彼は大人なのだ。
 同じ恋愛初心者でも、私よりもずっと先へ進んでいると思う。

 そして、地に足をつけて、未来のことを考えている。

 引き締めた唇と、まっすぐに前を見つめる目には、慎重に行こうとする彼の真面目さがあった。将来についても、私のことも、いい加減に考えていない。
 だからこそ、夢のことだって簡単に教えないのだろう。

 真里ちゃんの言った、あの言葉の最後が胸に迫りくる。
『とことん話して、愛し合って、自信を持たせて』
 自信を持たせて――

 あなたの夢を知りたい。
 あなたのことをもっと知りたい。私のことも知ってほしい。分かってほしい。
 あなたと同じです。
 いい加減な気持ちじゃありません。

「どうした? 眠くなったのか」
「ううん」

 思いやってくれるあなたの心に甘えて、赤ちゃんみたいに抱っこされたままじゃ駄目。私のことを分かってもらいたい。自信を持ってほしい。

 彼の横顔を見詰めるうち、真里ちゃんからのメールは関係なくなっていた。
 短かったり長かったりするいくつものトンネルをくぐり、目的地へと進み、近付いて行く。
 あの頃のままじゃない、でも、二人らしく進んで行きたい。

「あのね」
「うん」
「私、東野君と」
「えっ?」
 車間距離を広く取り、スピードも控えめに運転している。
 さっきだって、そう。
 壊れ物でも扱うみたいに、慎重に携帯電話を閉じていた。
『いいよ、ゆっくり行こう』
 そう言って、いつものように、笑いかけた。不自然なくらい、いつもと同じに。ゆっくりでいいんだよ、と、自分を抑えて。

 私とのことを、大切にしてくれるあなただから、分かってほしい。
「東野君と、もっと近付きたい。一緒になりたい」
 選んだのではなく、ありのままに溢れ出した私の思い。
 お願いです、届いて下さい。

 東野君はハンドルを強く握った。そんな気がした。
 受け取ってくれたのだと、私は直感する。

「佐奈」
「はい」
 どきどきして、緊張して、返事を待った。
 お願い……

 再びトンネルに入り、その間、東野君は黙っていた。やがて長い闇を抜け、晴れ渡った夏空と、こんもりとした山々に目を細めると、口を開いた。

「今、サービスエリアで電話したんだ」
 東野君は一瞬私を見て、そして落ち着けるように息を吐いた。
「香川さんに」
(叔母に?)
 じっと見守ることで聞く姿勢を示す私に、彼は頷いた。

「明日の朝まで、佐奈を預からせてください」
「……え」
 郡上八幡のインターを過ぎた。この先目的地までまだ距離はあるが、降りる予定のインターは遠くない。名古屋を離れ、ここまで来たのだ。
 二人を乗せて、すぐには戻れない場所まで、車は走り続けている。

 上擦りそうになるのを堪え、続きを促した。
「それって、つまり」
「ずっと考えていたことで、迷ってた。でも、君と朝まで過ごすことで、見えてくるものがあるかもしれない。そう思って、駄目もとで賭けてみた」
 掴みどころの無い彼の心。見えてくるものとは何なのか、雲か霞みたいに輪郭をなさないけれど、切実に知りたかった。
「それで……叔母は、なんて?」
「香川さん、さすがに返事に窮してたけど、許してくれた。ただし、条件付きで」
 横顔が和らぎ、不自然ではない笑みが浮かんだ。

 真里ちゃんからのメールを受け取る前に、かけていた電話だ。
 あれは、叔母と話していたのだ。
「条件って、どんな?」
 姪の外泊をどんな条件付きで許したと言うのだろう。私には甘い叔母だが、そこまで緩くはないはずだ。いくら、信頼する東野君が相手でも。

 東野君は運転に集中しながら、ゆっくりと答えた。
「佐奈ちゃんからあなたを求めない限り、預けられない」

 叔母の言葉を反芻し、私はしばらく考えた。
 そして、私のことをよく解ってくれる叔母だからこその条件だと思い、じんわりと温かなものが胸に広がり、涙ぐみそうだった。
「どういうことだろうって、首を傾げたよ。うまく解釈できなくて、今の今まで謎かけの言葉だった。でも、君が言ってくれたことで、ようやく解けた」
 東野君の声に、嬉しさが滲んでいる。自然な笑みは、心から納得できた喜びだったのだ。
「佐奈の俺に対する気持ち。どれだけ、どんな形で俺を求めているのか、自信があるようで実はいつも心配だった……抱いてからも」

(東野君)

 この人は今、大事な告白をしている――
 私は彼の名を胸で呼び、励ました。
「だけど君は、俺が想像する以上に強く想ってくれている。そしてそれが、君の叔母である香川さんが出した、絶対に必要な条件だったんだ」
 私は何も言えず、ただ頷いている。

「俺が誘えば君はいいと言ってくれるだろう。でもそれじゃ駄目なんだ」
 大好きだから、嫌われたくないからついて行く。素直な従順さは、かえってこの人を不安にさせる消極的な行動だった。
「佐奈」
「はいっ」
 東野君は静かに言った。
「夢を、聞いてほしい。君に」



 東野君が心を決めたのは、叔母の謎かけと私の答えからだけではなかった。
 彼女の後押しも大きかったのだと、それを見せてくれた。
 真里ちゃんからのメール。
 びっくりするほど簡潔で、それでいてたくさんの思いが伝わるメッセージだった。


 ――佐奈ちゃんは私と違って女の子なの! 
 ――しっかり愛して愛されて、一緒に夢を叶えてね。
 ――永遠の幼なじみより 



 
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