東野君の特別

藤谷 郁

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夜明けの香り

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 小倉トーストとオリジナルブレンド、ゆで卵とミニサラダ、フルーツゼリー。東野珈琲店のモーニングをいただきながら、叔母と真里ちゃん、私、そして東野君も交えてお喋りした。
 15分くらいならお相手が出来るよと、東野君はにこにこと嬉しそうにして隣に座った。
 真里ちゃんの、だけど。

「そうそう、渉君って木登りが得意だったのよね。でも、ある日枝がぽっきり折れちゃって」
 真里ちゃんが身振り手振りで説明を始めると、東野君が待ったを入れた。
「だから、あれは柿の木だから危ないって断ったのに、どうしても実を食べたいって君が言うから仕方なく……」
「そんなに食い意地張ってないわよ、失礼ねえ」
 彼の肩をぱしっと叩いて反撃した。

 突然の接触に、私のほうがびくっとする。
 それは一見乱暴なようで、子供の頃からの親密さを感じさせる触れ方だった。

「本当のことだろ。ねえ、香川さん」
「真里は柿の実が好きだからね、あり得る話だわ」
「お母さんまで、ひっどーい」
 むくれる真里ちゃんを囲み、みんな可笑しそうに笑った。
 私も合わせて笑っている。ちょっぴり複雑だったけれど、こんなところでやきもちを焼いても仕方が無い。幼馴染みに敵うわけがないのだ。

「佐奈、こぼれてるぞ」
「え? あっ」
 二人の様子に注目するあまり手元を留守にして、カップを傾けていた。
「ほら、これで拭いて」
「ごめんなさい」
 東野君は立ち上がって私の席にまわるとその場に屈み、膝に零れたコーヒーをぽんぽんと布巾で吸い取ってくれた。

「あ、東野君。自分でやるから」
「どうしたんだ、ぼーっとして」
 ウッと言葉に詰まった。真里ちゃんと香川さんが聞いている。
 こればかりは正直に言えやしない。
「ううん、なんでもない」
「なら、いいけど」
 私に布巾を握らせると、彼は元通り真里ちゃんの隣に座った。
 お洒落な格好をしてこなくて正解だった。こんなことでは、あちこちに染みを作ってしまうだろう。

「ところで渉君、子供の頃の夢なんだけど、大きくなった今はどう? 具体的に進めたりしてる」
「夢?」
 東野君はぽかんとするが、すぐに思い至ったようだ。
「ああ、あれね。うん、考えてはいるよ」
 私は意外な目を向けた。

(東野君の夢?)

「そっかあ、そうだよねー。子供の頃からずっと決めてることだものね」
 真里ちゃんは納得している。叔母もなんとなく分かっているようで、二人の謎めいた会話に微笑んでいる。
「忘れてなかったんだあ……夜明けの香り」
 まさに夢見るように、真里ちゃんが呟いた。

 夜明けの香り――

 私は正面に座る東野君をもう一度見た。まっすぐに視線が合ったが、なぜか彼はすっくと立ち上がり、さっさとエプロンを身に着け始めた。
「さってと、そろそろ混む時間帯だから俺は奥に戻らなきゃ。香川さんも真里さんも、ゆっくりして行って」
「ありがとうね、渉君」
「お盆までこっちにいるから、また会いに来るわねえ」
 名残惜しそうな二人に会釈をすると、カウンターへと入って行った。私のことはまるでいないかのように、視界に入れず。
 どういうことなのか分からなかった。

「うふ、相変わらずかわいい顔してるよね、渉君」
「そうだねえ、いつの間にかどんどん成長して、背も高くなって、大人になっちゃたけどねえ」
「この前私と会ったのはいつだったっけ? 高校の卒業式の帰りに寄って、それ以来になるのかな」
「ええと、確か……」
 それからは何も聞こえず、私はぽつんと独りで居た。皆にそんなつもりは毛頭ないだろうけれど、疎外感を抱いてしまった。

 東野君は子供の頃から活発で、意地悪をする年上の子とは時々取っ組み合いのケンカをするような、やんちゃ坊主だったと教えてもらった。
 真里ちゃんとは本当に仲良しで、いつもじゃれ合って遊んでいたとも。
「一緒にお風呂に入ったりしたのよねー」
 なんて、からかい半分だろうが真里ちゃんが言って、東野君は照れくさそうにとぼけていた。叔母が私に気を遣いたしなめていたが、あの二人のやり取りは面白いものではなかった。

 でも、やっぱり仕方ないよ、幼馴染みなんだから。
 私は自分に言い聞かせ、沈んでいく気分を浮上させるのに努力した。
 誰にも悪気は無いのだ。妬いたって、始まらない。

(でも、夢ってなんだろう)
 それだけは気になって、彼の昔を知る親子をそれとなく窺ったが、どうしても訊けなかった。東野君の、さっきの態度が影響している。
(私は知らなかったよ、夢があったなんて)
 しかも、東野君は考えてはいるよと言った。
 その、夢について?
 どんなことか全く見当がつかず、情けないような寂しいような、どうして分からないのか、自分が恨めしかった。


 それからとりとめのないお喋りを一時間ばかりして、叔母と真里ちゃんは先に帰った。
 私は残って、東野君が仕事に切りをつけるのを待ち、9時を過ぎた辺りで一緒に駐車場へと向かった。この前の、マスターの車がとめてあったパーキングだ。今日もマスターの車を借りて出かけることになっている。


「よーし、荷物はこれでオッケーだな。佐奈もいいね」
 大きな道具は既に積み込んであり、リュックを預けた私がうんと頷くと、東野君はトランクの中を再度確かめるように見回した。
「転がりそうだな」
 トランクの隅にある紺色の布に包まれた荷物を、周りの道具で挟んで固定させた。大事そうに扱うところを見ると、壊れ物かもしれない。
「それじゃ、出発しよう」
 トランクを閉めると、いつも通りの明るい笑顔を私に向けた。
 私の、東野君の笑顔だった。

 昔は昔、今は今。せっかくのデートなのに、変に拘ったらつまんない。助手席に乗り込むと、振り切るように強くドアを閉めた。
 そして、機嫌よく車を操作する彼の隣にいる今、この時、実際に幸せなんだと思った。
 思ったけれど……
 あの言葉が頭にこびりつき、どうしても離れなかった。

 夜明けの香り――

(やっぱり、後で訊いてみよう)
 謎めいた言葉と彼の夢に、いつまでも拘っていた。


 
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