東野君の特別

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
41 / 80
ジレンマ

しおりを挟む
「俺は、自分を持て余してる」
「もて……あます?」
「そうだ」
 どういう意味なのか、考えようとした。
 でも、あまりにも強い眼力が、その余裕を持たせなかった。鼓動は速くなるばかりで、何かが起きそうな予感ばかりが大きく膨らんで、今にも破裂しそうで。

「最初からそうだった。佐奈と初めて出会ったあの日から、何て言ったらいいか……」
 視線はそのまま、私を捕まえたまま瞬きも忘れてしまったように動かずにいるのに、言葉を探して言いよどむ。
「自分のことなのに、上手く言えない」
 大事なことだと伝わってくる。握られた手に、彼の懸命さが熱となり伝わってくる。こんな東野君は、やはり初めてだった。

「上手く言えないけど、聞いてほしい。その……佐奈が、俺のことを」
「うん」
 私は頷いた。
 何を言われようとも受け容れられる、この人のための容量が私の中にある。全部許せる自信を持って、目を逸らさないで、彼の言葉を聞ける。

 私が、東野君のことを――

「信じ過ぎないように」
「……」
 信じ過ぎないように?
 信じるな、と、いうこと?
 どういうことなのか分からず反応できずにいると、彼は一呼吸置いて続けた。

「俺は、求めてる。突っ走ってしまいそうなくらいに、性急に、君を求めてる。でも、大事にして、絶対に守ってあげたいのも俺なんだ」
「あ……」
 眼差しの強さは、本気の表れだった。奥底の、本当の気持ちを、彼は今口にした。私に対して、彼がどう考えているのか、普段は仕舞ってある彼自身を見せてくれたのだ。
 私が、東野君のことを信じ過ぎないように。

 覚悟していたはずなのに、あまりにも率直でダイレクトで、衝撃が強くて、熱が出そうになる。

「分かるか?」
「う、うん」
 分かりすぎるくらいに、分かってしまいました。

 葛藤する心。
 この人が持て余しているのは、それだった。
 私の、東野君の未知の部分を垣間見たいとか、そんな好奇心めいたものではなく、もっと真剣に、切実に、この人は葛藤している。
「ごめん、こんなこと聞かされても、困るよな」
 私なんかよりずっと大人で、追いつけないところにいると、勝手にそう思い込んでいた。全然余裕な東野君に、いじけてた。

 睫を伏せ、彼のほうが困った顔になる。手は握りしめたまま。私に、逃げないでくれと懇願するみたいに、ぎゅっと力をこめて。
 それならば、私だって本当の私を見せなくては、彼の思いを無にしてしまう。あなたに分かってほしいのに、言えずにいること。
 私は、清純なんかじゃない――

「東野君」
「……うん」
「私、どっちも嬉しい」
「えっ?」
 意外そうに目を丸くして、私を見る。
 至近距離で、鼻先が触れそうになるくらいに、私は近付いていた。
「さ、佐奈」

 うろたえている。
 でも彼は引かなかった。近くで見詰めあったまま、私の答えを待っているのだ。
「求められても、守られても、東野君だから嬉しい」
「さ……」
「全部、受け容れられるの。特別だから」
「?」
 あの日、あなたが言ってくれたことを忘れていない。ずっと、憶えています。

 ――君を好きになった
 ――今日から、俺の特別になってほしい

「私は、東野君の特別です」
「佐奈」
 優しい瞳で、彼は笑う。
 私が大好きな、ひと目で好きになった、春そのものの微笑みだった。

 指を絡めて、深く繋がる。
 こんな風に、私はあなたにすべてを許すことができると、伝えたかった。
「参ったな」
 肩にもたれる私に、降参の声。耳に心地良く、どきどきする、男の人の声だった。
「朝も」
「え?」
 東野君は絡めた指を持ち上げると、熱っぽく告白した。
「こんな風に手を触れて、君はすっかり俺に身を委ねて、安心したように寄り添っていた」
(身を委ねて……)
 往きの電車での話だと、思い出した。早乙女さんと彼女が別れたという話をして、何となく不安で頼りない気持ちになって、東野君に甘えたのだ。

「う、ん。そうだったね」
 またしても甘えている自分に呆れ、少し恥ずかしかった。
 だけど東野君は指を解かず、私を引き寄せるようにして近づけ、彼の膝の上に乗せた。
「焦ったんだぞ」
 もう一度、鼻先が触れるくらいの距離になる。
 近付けたのは彼。
 男の人の、強く、それでいて揺らめく眼差しが目の先にきて、呑まれてしまいそう。
「欲しい。でも、守りたい。ジレンマに苦しんで、大変だった」

 私はもう何も言えず、ただ、ひとつだけ理解していた。
 東野君の愛情は、親が子に与えるものとは違う。
 彼にとっての私は子供ではなく、どうしようもなく女なのだと、ずっと訊きたかった答えを、囁きのなかに見つけていた。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

あなたが望んだ、ただそれだけ

cyaru
恋愛
いつものように王城に妃教育に行ったカーメリアは王太子が侯爵令嬢と茶会をしているのを目にする。日に日に大きくなる次の教育が始まらない事に対する焦り。 国王夫妻に呼ばれ両親と共に登城すると婚約の解消を言い渡される。 カーメリアの両親はそれまでの所業が腹に据えかねていた事もあり、領地も売り払い夫人の実家のある隣国へ移住を決めた。 王太子イデオットの悪意なき本音はカーメリアの心を粉々に打ち砕いてしまった。 失意から寝込みがちになったカーメリアに追い打ちをかけるように見舞いに来た王太子イデオットとエンヴィー侯爵令嬢は更に悪意のない本音をカーメリアに浴びせた。 公爵はイデオットの態度に激昂し、処刑を覚悟で2人を叩きだしてしまった。 逃げるように移り住んだリアーノ国で静かに静養をしていたが、そこに1人の男性が現れた。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※胸糞展開ありますが、クールダウンお願いします。  心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。イラっとしたら現実に戻ってください。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

【完結】つぎの色をさがして

蒼村 咲
恋愛
【あらすじ】 主人公・黒田友里は上司兼恋人の谷元亮介から、浮気相手の妊娠を理由に突然別れを告げられる。そしてその浮気相手はなんと同じ職場の後輩社員だった。だが友里の受難はこれでは終わらなかった──…

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

処理中です...