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ジレンマ
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18時1分発の名古屋行き特急で帰ることにした。名古屋に着くのは19時43分だから、それほど遅い時間ではない。
東野君は安心した顔でチケットを私に手渡した。
「お腹空いてない?」
改札に入る前に東野君が訊いた。そういえば、そろそろ夕飯の時間帯である。
「ううん、さっきパフェを食べたから」
「そうだよな、昼が遅かったから俺もあまり空いてないな。今日は車内販売もあるみたいだし、その時に考えればいいか。とりあえず乗ろう」
特急列車の座席に収まると、私も東野君もほっと息を吐いた。
朝から動き詰めだったので、さすがに疲れている。私達はお互いを見て、どちらからともなく笑った。
「いっぱい遊んだな」
「うん、海を満喫した」
日に焼けて火照った肌を擦りながら、今日一日を振り返る。
東野君と電車に乗り、遠くの海に出かけて、たくさん泳いで遊んで、私が作ったお握りを一緒に食べて、砂浜を散策して、それから――
熱い眼差しを、思い出す。
私の肩に手を置いた。太陽を掴んだように燃えていた、彼の手の平。
初めての東野君だった。
あの時、何かを言いかけて、何かが起こりそうだった。
「どうした?」
大人しくなった私に、東野君が優しく訊いた。いつもの彼、いつもの雰囲気である。
「う、ううん」
恋の海原は想像するよりもはるかに広くて、果てしない。私達は今、どの辺りにいるのだろう。海図があるのなら、確かめたいと思う。
でも、怖いような気もする。
未知の世界を知りたい願望がありながら、これ以上遠くに漕ぎ出すのが怖い。
すぐ横にいる彼に心の奥まで覗かれそうで、別のことを答えた。
「あの、でもびっくりしたね、まさか早乙女さんと会うなんて」
「ん? ああ、そうだな」
「それに、早乙女さんの友達とバレーボールとか、面白かったね」
「ああ」
東野君は座席の背にもたれると、もう一度息を吐いた。なんとなく、拍子抜けした感じの反応だった。
(東野君は、楽しくなかったのかな)
でも、そんなはずはない。皆と馴染んで、楽しそうに遊んでいた。
「どうかしたの?」
「いや」
列車のドアが閉まり、電車が動き始めた。
東野君は車両の揺れに体を預けると、心地がいいのか、そのまま瞼を閉じてしまった。
(眠くなった?)
ようやく落ち着いたのだから、もっといろいろ話したかったのだけれど、無理にはできないので私は黙った。
車窓に目をやり、暮れ行く景色を見送った。
ずっと楽しみにしていたデートも、これでお終い。まだまだ夏休みは続くけれど、そこはかとない寂しさが漂う。
「寂しい……か」
小さく口にして、どうしてなのか考えてみた。確かに楽しかったけれど、何か物足りない思いもある。それは多分、東野君と二人きりの海で、胸をもやもやとさせていた私の望み。
東野君の裸の胸に、どきどきした。真昼の太陽に濡れて光る髪も、素肌も、彼のすべてが私をときめかせた。
それなのに……
ちらりと、隣で眠ってしまった彼を見る。
この人は、そんな私を分かった上で、落ち着いたもの。全然普通で、いつもと同じで、余裕の態度で見守っていた。
でも、あの時だけは違っていたのだ。
再び蘇る、熱い眼差しと燃える手の平。近付いた裸の胸。何かが起こりそうだった。もしかしたらそれは、私が怖がりながらも垣間見たいと思っている、その未知の何かだったのかもしれない。
あの時だけは、いつもの彼ではなくなっていた。
が、突然ビーチボールが二人の間に転がってきたのだ。
「はあっ」
思わずため息が漏れてしまう。
さっきの東野君のような、拍子抜けのため息だった。
「どうしてだろう」
早乙女さんや皆と遊んだり、お茶を飲んだり、それは確かに楽しかったし、嬉しかった。東野君とのデートはいつでもできるからと、あの時は全然構わないと思っていた。
「寂しい」
この気持ちはなんなのだろう。
物足りなく、胸にぽっかりと穴が開いたような、変な気持ちは……
「!」
びっくりして、大きな声を出すところだった。突然の接触に、身体中に電気が走ったような衝撃、なんて言ったら大袈裟だけれど、実際にそんな感覚だった。
「あ、東野君?」
私の右手を、彼の左手が包み込んでいる。何の前触れもなく、さり気なく、突然に掴まれた。
「佐奈」
「……は、い」
手の平は燃えている。
その熱に、真昼の砂浜での二人が、ここに再現されたのだと分かった。ほぼ満席の車両なのに、私達は今、二人きりになっている。
東野君はゆっくりと体を起こすと、私を見つめた。手は握られたまま、絶対に離さないみたいに、しっかりと彼の中にある。
どきどきしながら、答えを噛みしめる。
もう、明らかだった。
寂しいと感じたのは、これで夏はお終いだとがっかりしたから。期待していた何かがひとつも起こらないまま通り過ぎてしまう夏を、惜しんだから。
「佐奈、やっぱり言うよ」
「う、うん」
彼の瞳には私がいる。ずっと待っていた私が、彼に応えようとして身構えている。
「俺は……」
二人きりの夏は、まだ続いている。
東野君は安心した顔でチケットを私に手渡した。
「お腹空いてない?」
改札に入る前に東野君が訊いた。そういえば、そろそろ夕飯の時間帯である。
「ううん、さっきパフェを食べたから」
「そうだよな、昼が遅かったから俺もあまり空いてないな。今日は車内販売もあるみたいだし、その時に考えればいいか。とりあえず乗ろう」
特急列車の座席に収まると、私も東野君もほっと息を吐いた。
朝から動き詰めだったので、さすがに疲れている。私達はお互いを見て、どちらからともなく笑った。
「いっぱい遊んだな」
「うん、海を満喫した」
日に焼けて火照った肌を擦りながら、今日一日を振り返る。
東野君と電車に乗り、遠くの海に出かけて、たくさん泳いで遊んで、私が作ったお握りを一緒に食べて、砂浜を散策して、それから――
熱い眼差しを、思い出す。
私の肩に手を置いた。太陽を掴んだように燃えていた、彼の手の平。
初めての東野君だった。
あの時、何かを言いかけて、何かが起こりそうだった。
「どうした?」
大人しくなった私に、東野君が優しく訊いた。いつもの彼、いつもの雰囲気である。
「う、ううん」
恋の海原は想像するよりもはるかに広くて、果てしない。私達は今、どの辺りにいるのだろう。海図があるのなら、確かめたいと思う。
でも、怖いような気もする。
未知の世界を知りたい願望がありながら、これ以上遠くに漕ぎ出すのが怖い。
すぐ横にいる彼に心の奥まで覗かれそうで、別のことを答えた。
「あの、でもびっくりしたね、まさか早乙女さんと会うなんて」
「ん? ああ、そうだな」
「それに、早乙女さんの友達とバレーボールとか、面白かったね」
「ああ」
東野君は座席の背にもたれると、もう一度息を吐いた。なんとなく、拍子抜けした感じの反応だった。
(東野君は、楽しくなかったのかな)
でも、そんなはずはない。皆と馴染んで、楽しそうに遊んでいた。
「どうかしたの?」
「いや」
列車のドアが閉まり、電車が動き始めた。
東野君は車両の揺れに体を預けると、心地がいいのか、そのまま瞼を閉じてしまった。
(眠くなった?)
ようやく落ち着いたのだから、もっといろいろ話したかったのだけれど、無理にはできないので私は黙った。
車窓に目をやり、暮れ行く景色を見送った。
ずっと楽しみにしていたデートも、これでお終い。まだまだ夏休みは続くけれど、そこはかとない寂しさが漂う。
「寂しい……か」
小さく口にして、どうしてなのか考えてみた。確かに楽しかったけれど、何か物足りない思いもある。それは多分、東野君と二人きりの海で、胸をもやもやとさせていた私の望み。
東野君の裸の胸に、どきどきした。真昼の太陽に濡れて光る髪も、素肌も、彼のすべてが私をときめかせた。
それなのに……
ちらりと、隣で眠ってしまった彼を見る。
この人は、そんな私を分かった上で、落ち着いたもの。全然普通で、いつもと同じで、余裕の態度で見守っていた。
でも、あの時だけは違っていたのだ。
再び蘇る、熱い眼差しと燃える手の平。近付いた裸の胸。何かが起こりそうだった。もしかしたらそれは、私が怖がりながらも垣間見たいと思っている、その未知の何かだったのかもしれない。
あの時だけは、いつもの彼ではなくなっていた。
が、突然ビーチボールが二人の間に転がってきたのだ。
「はあっ」
思わずため息が漏れてしまう。
さっきの東野君のような、拍子抜けのため息だった。
「どうしてだろう」
早乙女さんや皆と遊んだり、お茶を飲んだり、それは確かに楽しかったし、嬉しかった。東野君とのデートはいつでもできるからと、あの時は全然構わないと思っていた。
「寂しい」
この気持ちはなんなのだろう。
物足りなく、胸にぽっかりと穴が開いたような、変な気持ちは……
「!」
びっくりして、大きな声を出すところだった。突然の接触に、身体中に電気が走ったような衝撃、なんて言ったら大袈裟だけれど、実際にそんな感覚だった。
「あ、東野君?」
私の右手を、彼の左手が包み込んでいる。何の前触れもなく、さり気なく、突然に掴まれた。
「佐奈」
「……は、い」
手の平は燃えている。
その熱に、真昼の砂浜での二人が、ここに再現されたのだと分かった。ほぼ満席の車両なのに、私達は今、二人きりになっている。
東野君はゆっくりと体を起こすと、私を見つめた。手は握られたまま、絶対に離さないみたいに、しっかりと彼の中にある。
どきどきしながら、答えを噛みしめる。
もう、明らかだった。
寂しいと感じたのは、これで夏はお終いだとがっかりしたから。期待していた何かがひとつも起こらないまま通り過ぎてしまう夏を、惜しんだから。
「佐奈、やっぱり言うよ」
「う、うん」
彼の瞳には私がいる。ずっと待っていた私が、彼に応えようとして身構えている。
「俺は……」
二人きりの夏は、まだ続いている。
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