東野君の特別

藤谷 郁

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小倉トーストの出会い

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 二月初旬。
 大学受験のために名古屋の叔母宅に泊まっていた私は、一昨日、ようやく試験の全日程を終えて、今は帰り支度をしている。

 思えば長い冬だった。でも、ようやく一段落。結果については今考えても仕方がない。とにかくほっとする一時がほしいと思う。

 母の妹である叔母はひとり暮らしをしている。
 叔父は単身赴任で東京で暮らしており、彼らの娘である、つまり私の従姉の真里まりちゃんは大学三年生で、父親と同じ東京に住んでいる。
 そんなわけで叔母は今ひとり暮らし……いや、5年前、仔猫の時にもらわれて来た三毛猫の“城太郎じょうたろう”と一緒に「お気楽」な毎日を送っている。と、本人は語っている。


 築20年になるという木造平屋建ての縁側廊下をまわり、落ち葉がきれいに掃かれている庭先を目にしつつ、居間に向かった。
 今日は春のように暖かな休日であり、城太郎も気持ちよさそうに廊下で寝そべっている。
「城太郎、今日は散歩に行かないの」
 私が訊くのに、耳の先をぴくりとさせただけ。のん気な子である。

 叔母は居間のテレビで、録画の映画を見ていた。私の受験が終わるまではと、好きなテレビも映画も我慢して、願掛けをしてくれたのだ。
「でも録画はするよ。あとで見るんだもんね」
 照れ隠しにか、そんな事を言い笑っていたが、受験を前に緊張していた私には彼女の気持ちがありがたく、素直に嬉しかった。

「十日間、お世話になりました」
 リモコンで映画を一時停止した叔母に、あらたまって挨拶をした。
「お疲れ様。頑張ったね」
 叔母もあらたまり、厳しく長い冬を過ごした私を労ってくれた。

 昔ながらの石油ストーブも、今日は消してある。
 居間で夜食を食べていた時、上に乗っている薬缶から湯気とともに出るシューシューという音が懐かしく、ほんわりと心が安らいだ。
 長野の実家でも、昔は同じような石油ストーブを使っていたからだろう。

佐奈さなちゃん、しなの号は昼からでしょ。これから送りがてら、いいところに連れて行ってあげる」
「いいところ?」
 叔母は、首を傾げる私に頷くと
「美味しいモーニングのある喫茶店。うふふ」
「えっ、ホントに」

 モーニングというのは、この地方にあるほとんどの喫茶店で行われているサービスのことで、コーヒー一杯にトーストやサラダ、ゆで卵などが付いてくる。
 叔母が言うには、茶碗蒸しやおにぎりまで出るお店もあるらしい。
 北信に生まれ育った私にはちょっと想像がつかず、それだけに一度経験したいと思っていた、夢のサービスである。

「嬉しい。行きたい行きたい!」
 子供みたいにはしゃいでいる私に支度をするから待っててと叔母は言い置き、居間を出た。私は戸締りを担当し、帰るための荷物を持つと玄関へと急ぎ、素早くスタンバイした。




 着替えや勉強道具などが入った荷物は途中で寄ったコンビニから宅配便で実家へ送り、布製のハンドバッグのみを手にし、身軽な恰好でのびのびと歩いた。
 叔母はそんな私をじっと見詰めて、つくづくと言った。
「佐奈ちゃんは変わらないねえ」
「そうかな」
 相変わらず子供のようだという意味だろうか。多分そうだろう。それは言えている。
「髪型も小学生の頃と同じで……まあ、似合ってるから良いんだけど」
「髪型……」

 私は耳に半分かかっているのを指先でつまみ、ああ、と納得した。小さな頃から、母親の行きつけと同じ美容院で通している。
「似合ってる?」
「ああ。よ~く似合ってる」
 歩道をサッカー少年達が走り抜けて行った。冬だというのに半袖のユニフォームを着た子もいる。元気いっぱいだ。
 叔母が見送りながら、私の肩を叩く。
「同じ同じ」
 あの子達と同じ髪型、そしてあんな風だったよと、嬉しそうにしている。

 私は小学生の頃、二つ年上の兄と一緒に、地元の少年サッカークラブに入っていた。
 中学に入ると同時に卒業したが、今でもあんなふうに走り回りたい衝動に駆られる時がある。運動は好きだし、特にサッカーは楽しいから。
「いいよねえ。変わらなくていいんだよ、佐奈ちゃんは」
「うふ」
 何だか照れてしまう。いつも母親には、もう少しおしとやかになったらと注意されているから。

「さてと、ほらここだよ。近いでしょ」
 通りに面した場所に、その喫茶店はあった。叔母の家から徒歩10分ほど。こぢんまりとして、落ち着いた感じの外観である。駐輪場はあるが、駐車場は無いようだ。駅を利用する人や、ご近所さんが主なお客さんなのかもしれない。

「東野珈琲店」

 ひがしの と読んだ私に、叔母は首を振り
「あずまのコーヒー店っていうのよ。ご主人の苗字が東野あずまので、そのまま屋号にしてるわけ」
「そうなんだ」
「オリジナルのコーヒーが美味しいのよ~。さあ、どうぞどうぞ」
 自分の家に招き入れるような調子の叔母に背中を押され、こげ茶色のしっかりとしたドアを開いて中に入ると、そこにはコーヒーの良い香り、そして、寛ぎの雰囲気に満たされていた。

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