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佐伯君
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「文治先生、彩子は原田さんの見合い相手だよ」
カウンター席に座る雪村が、コーヒーを飲みつつ文治に教えた。
「見合い?」
横にいる美那子のほうが反応する。文治はさほど驚かず、「それは原田君らしいなあ」と納得顔だ。
「そうそう、聞いてよ雪村。彩子ったら、もうすぐ原田さんと婚約するんだって。出会って一か月もしないのにねえ」
エリが道すがら聞きだした彩子の最新情報を披露する。
「えっ、もう? 嘘だろ」
「ほほう、そこまで話が進んでいるのかね」
今度は文治も少し驚いたようだ。
勝手に個人情報を漏らすエリに、彩子が文句を言おうとするが……
「ずいぶん簡単に決めたのね」
冷めた声に、皆いっせいに振り向く。
発言したのは美那子だった。
「簡単ってことはないわよ。彩子に限って……ねえ、彩子」
エリがフォローするが、昨日までそのことで悩んでいた彩子は、曖昧に頷くのみ。それに、美那子の態度が急に変わったことに戸惑い、何も言えなかった。
「男なんて、簡単に信用しては駄目よ」
美那子は吐き捨てるように言うと、カウンターを出て、まっすぐ工房に入り、振り向きもせずドアを閉めた。
「何なんですか、彼女」
憤慨するエリに、文治がすまなそうに首を垂れる。
「申し訳ないです。少々、わけありなもので」
雪村は何か考えていたが、彩子と目を合わせると、真面目な声で訊いた。
「もう寝たのか」
エリと文治はぎょっとして雪村を見る。
彩子はしかし、いつか雪村に訊かれるだろうと覚悟していた。顔を左右に振り、俯いてカップにミルクを入れた。
「やっぱりね」
雪村はふっと息をつく。
馬鹿にしたようにも、安堵したようにも取れるため息だった。
文治はあらためて、恥ずかしそうに俯く彩子をしげしげと眺めた。
「そうですか。あなたが原田君の想い人の……なるほど、聞いたとおりだ」
「文治先生は、いつから原田さんと知り合いなの?」
雪村が尋ねると、
「原田君が小学生の頃から知っとる。私にとって、実の息子のような存在だ」
「へえ……じゃあ、美那子も彼を知ってるんだね」
「美那子? ああ、知ってはいるが……」
雪村の問いかけに、文治はなぜか口ごもる。
彩子はそれがなぜなのか気になった。やはり美那子と原田には、何かあるのではと。
「原田君は、あなたのことを可愛くて、純粋な人だと言っておった」
彩子の不安な様子に気付いてか、文治は笑顔になって話を向けた。
「えっ、原田さんが?」
可愛くて、純粋――
(私のことを、そんなふうに?)
ストレートな表現に戸惑い、彩子は赤くなった。だけど、何とも言えない温かなものが心に広がる。
「へえ~、的を射てるじゃない。確かに彩子って、そんな感じだもの。ねえ、雪村」
エリが面白そうに言うと、雪村もにやりとする。
「ああ、原田さんはよく分かってるね。カワイイってのは童顔のことだろ? あと、純粋の純は、単純の純を意味する」
「ひどいなあ」
せっかくの言葉が台無しだ。
楽しそうに笑う二人に彩子は口を尖らせるが、文治は微笑ましく見守っている。
「まあ、とにかくめでたいことです。彩子さん、原田君によろしくお伝えください」
文治は会釈をすると、美那子を追うように工房へと入ってしまった。
「そうか、彩子もついに結婚か」
カップをシンクに片付けながら、雪村が感慨深げにつぶやく。旧友の横顔には、ひとつの別れを迎えたような、静かな表情があった。
「それはそうと、雪村は彼女とは長いの?」
エリが工房のドアに視線を投げる。美那子のことだ。
「二年くらいかな。ここに初めて来たのは、今の会社に慣れた頃だから」
雪村は思い出すように、顎に手をあてる。
「私さ、宝飾資材の会社にいるだろ? 宝石を見る目を養ったり、石の買い付けのノウハウを学んだり、必死で努力してきた。でも、それはあくまで会社員としてだから、何だか物足りなくてさ。この前も香港、インドと回って、飛行機の中で将来のことをいろいろと考えたりして。今日はそのあたりの展望を、美那子と話したわけ」
「展望?」
なぜ美那子さんと? 彩子はきょとんとする。
「将来、独立しようと思う。そして、美那子と一緒にオリジナルのジュエリーブランドを立ち上げようと考えてるんだ」
彩子もエリも驚いた。
雪村は確かにスケールの大きな人ではあるが、まさか起業するとは。
「まだまだ資金も足りないし、いつになるかわかんないけどね」
雪村は肩をすくめて笑う。
普段はクールなのに、笑うと途端に可愛くなる。それは、彩子がよく知る雪村の素顔だ。
「私、雪村を応援する。絶対に実現するよ!」
彩子が前のめりになって言うと、雪村は照れたのか、横を向いてしまった。
しばらく雑談したあと、彩子とエリは店を出た。
雨はいつの間にか上がり、空は晴れ渡っている。気温は低く、風が冷たかった。
「いろんな愛があるんだね」
エリが空を仰ぎ、つくづくと言う。
「うん、雪村ってすごいよ」
いつも傍にいた友達に、もっと別の素顔があったのだ――
広い空のもと二人はしばし佇み、驚きと寂しさと、感動を分かち合った。
カウンター席に座る雪村が、コーヒーを飲みつつ文治に教えた。
「見合い?」
横にいる美那子のほうが反応する。文治はさほど驚かず、「それは原田君らしいなあ」と納得顔だ。
「そうそう、聞いてよ雪村。彩子ったら、もうすぐ原田さんと婚約するんだって。出会って一か月もしないのにねえ」
エリが道すがら聞きだした彩子の最新情報を披露する。
「えっ、もう? 嘘だろ」
「ほほう、そこまで話が進んでいるのかね」
今度は文治も少し驚いたようだ。
勝手に個人情報を漏らすエリに、彩子が文句を言おうとするが……
「ずいぶん簡単に決めたのね」
冷めた声に、皆いっせいに振り向く。
発言したのは美那子だった。
「簡単ってことはないわよ。彩子に限って……ねえ、彩子」
エリがフォローするが、昨日までそのことで悩んでいた彩子は、曖昧に頷くのみ。それに、美那子の態度が急に変わったことに戸惑い、何も言えなかった。
「男なんて、簡単に信用しては駄目よ」
美那子は吐き捨てるように言うと、カウンターを出て、まっすぐ工房に入り、振り向きもせずドアを閉めた。
「何なんですか、彼女」
憤慨するエリに、文治がすまなそうに首を垂れる。
「申し訳ないです。少々、わけありなもので」
雪村は何か考えていたが、彩子と目を合わせると、真面目な声で訊いた。
「もう寝たのか」
エリと文治はぎょっとして雪村を見る。
彩子はしかし、いつか雪村に訊かれるだろうと覚悟していた。顔を左右に振り、俯いてカップにミルクを入れた。
「やっぱりね」
雪村はふっと息をつく。
馬鹿にしたようにも、安堵したようにも取れるため息だった。
文治はあらためて、恥ずかしそうに俯く彩子をしげしげと眺めた。
「そうですか。あなたが原田君の想い人の……なるほど、聞いたとおりだ」
「文治先生は、いつから原田さんと知り合いなの?」
雪村が尋ねると、
「原田君が小学生の頃から知っとる。私にとって、実の息子のような存在だ」
「へえ……じゃあ、美那子も彼を知ってるんだね」
「美那子? ああ、知ってはいるが……」
雪村の問いかけに、文治はなぜか口ごもる。
彩子はそれがなぜなのか気になった。やはり美那子と原田には、何かあるのではと。
「原田君は、あなたのことを可愛くて、純粋な人だと言っておった」
彩子の不安な様子に気付いてか、文治は笑顔になって話を向けた。
「えっ、原田さんが?」
可愛くて、純粋――
(私のことを、そんなふうに?)
ストレートな表現に戸惑い、彩子は赤くなった。だけど、何とも言えない温かなものが心に広がる。
「へえ~、的を射てるじゃない。確かに彩子って、そんな感じだもの。ねえ、雪村」
エリが面白そうに言うと、雪村もにやりとする。
「ああ、原田さんはよく分かってるね。カワイイってのは童顔のことだろ? あと、純粋の純は、単純の純を意味する」
「ひどいなあ」
せっかくの言葉が台無しだ。
楽しそうに笑う二人に彩子は口を尖らせるが、文治は微笑ましく見守っている。
「まあ、とにかくめでたいことです。彩子さん、原田君によろしくお伝えください」
文治は会釈をすると、美那子を追うように工房へと入ってしまった。
「そうか、彩子もついに結婚か」
カップをシンクに片付けながら、雪村が感慨深げにつぶやく。旧友の横顔には、ひとつの別れを迎えたような、静かな表情があった。
「それはそうと、雪村は彼女とは長いの?」
エリが工房のドアに視線を投げる。美那子のことだ。
「二年くらいかな。ここに初めて来たのは、今の会社に慣れた頃だから」
雪村は思い出すように、顎に手をあてる。
「私さ、宝飾資材の会社にいるだろ? 宝石を見る目を養ったり、石の買い付けのノウハウを学んだり、必死で努力してきた。でも、それはあくまで会社員としてだから、何だか物足りなくてさ。この前も香港、インドと回って、飛行機の中で将来のことをいろいろと考えたりして。今日はそのあたりの展望を、美那子と話したわけ」
「展望?」
なぜ美那子さんと? 彩子はきょとんとする。
「将来、独立しようと思う。そして、美那子と一緒にオリジナルのジュエリーブランドを立ち上げようと考えてるんだ」
彩子もエリも驚いた。
雪村は確かにスケールの大きな人ではあるが、まさか起業するとは。
「まだまだ資金も足りないし、いつになるかわかんないけどね」
雪村は肩をすくめて笑う。
普段はクールなのに、笑うと途端に可愛くなる。それは、彩子がよく知る雪村の素顔だ。
「私、雪村を応援する。絶対に実現するよ!」
彩子が前のめりになって言うと、雪村は照れたのか、横を向いてしまった。
しばらく雑談したあと、彩子とエリは店を出た。
雨はいつの間にか上がり、空は晴れ渡っている。気温は低く、風が冷たかった。
「いろんな愛があるんだね」
エリが空を仰ぎ、つくづくと言う。
「うん、雪村ってすごいよ」
いつも傍にいた友達に、もっと別の素顔があったのだ――
広い空のもと二人はしばし佇み、驚きと寂しさと、感動を分かち合った。
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