31 / 82
プロポーズ
1
しおりを挟む
1月10日土曜日――午後2時30分
その時、アクセサリー工房『コレー』の前オーナー甲斐文治は、工房の留守番をしていた。美那子は資材調達のため不在である。
会員にアクセサリー加工のアドバイスをするところに、電話の着信音が割り込んだ。
「おや、誰からだろう?」
エプロンのポケットから取り出したのは、美那子に持たされている端末だ。11桁の電話番号が表示されている。
普段はどこからもかかってこないのに、珍しい。文治は首を傾げながら応答した。
「もしもし、こちら甲斐ですが」
『先生、お久しぶりです。原田です』
文治はハッとして、顔を上げる。
「原田……原田良樹君か!」
思わず椅子を立った。
文治らしくもない興奮した様子に、会員らが不思議そうに注目する。
「おお、何とまあ久しぶりだ。元気だったかね」
『はい、おかげ様で。先生もお元気そうで安心しました』
「ああ、私は相変わらずだよ。いや、本当に久しぶりだなあ」
文治は原田のことを、子どもの頃からよく知っている。すっかり落ち着いた大人の声に感激し、彼が目の前にいるかのように、一人で何度も頷いた。
『先生の年賀状に電話番号が書かれていたのでこちらにかけましたが、今、大丈夫でしょうか』
「もちろん、いいとも。それより電話をくれて嬉しいよ。君もすっかり大人になって」
『とんでもない。まだまだ半人前ですよ』
「ははは……そう思うのは本人だけだ、私にはわかる。いやそれにしても」
文治はそこで一旦言葉を詰まらせる。原田から連絡があったら、まず言わなければと決めていた、それを思い出したのだ。
「あの時は本当に済まなかった、本当に」
『もうよして下さい。俺は何とも思っていません』
「しかし」
『先生』
原田の気性は変っていない。文治を助けてくれた、それは彼らしい男気だ。
「わかった。よし、もう言うまい」
電話の向こうで、ホッとした気配がある。文治もようやく落ち着き、椅子に腰を下ろした。
「それはそうと、どうして私に電話を?」
『はい、実は……すごく急なお願いで申しわけないのですが、アクセサリーをひとつ作っていただきたいのです』
「アクセサリー?」
文治はピンときた。原田が少年だった頃の、はにかんだ表情がまぶたに浮かぶ。
「ほう、そうだったのか。それは素晴らしい。おめでとう、原田君」
文治は心から嬉しかった。あれからずっと、心配していたのだ。
『いや、まだそんな段階では……まあ、いずれお話ししますが」
「そうかそうか。それで、どんなものをご所望かな」
『2月の誕生石で、ペンダントヘッドを作ってもらいたいのです』
「2月というとアメシストだな。いいよ。いつまでに?」
『明日、彼女に渡したいんです』
原田少年はせっかちだった。それを踏まえても、文治は驚いてしまう。
「明日! そりゃまた急な話だな」
『すみません』
「ああ、いやいや大丈夫。ただし、石も台座も雛形のあるシンプルなデザインになるが、いいかね」
『ええ、構いません。甲斐先生の細工なら俺はそれだけで満足です』
「あっはは……高く買ってもらってありがとう」
『よろしくお願いします』
礼儀正しい申し出に微笑みながら、文治はメモを取る用意をした。
「それでは、作品のコンセプトを決めたいんで、ひとつだけ訊いておきたい。どんなイメージの娘さんかな」
『そうですね……年は25で、その、可愛い人です。純粋で、まだ少女みたいなところがある女性で」
「ほう、それじゃあ君と同じだな」
『えっ?』
「君も少年のようなところが残っとる」
『俺が……そうですか? でも今、大人になったって言われたばかりなのに』
「ああ、大人になった。でもこうして話していると、やっぱり君は純粋だ。変わらなくていい、そこが君の素晴らしいところだ」
『は、はい。ありがとうございます』
可愛い・純粋・25歳――
文治はメモ用紙に走り書きして、ポケットにしまった。
『明日の朝、取りに窺います』
「うむ……しかし家に来ると、あいつと鉢合わせるかも知れんぞ」
『もう昔の話です。平気ですよ』
原田の言い方から無理は感じられない。もう大丈夫なのだと信じられる、確かな響きがあった。
「そうか。では、朝の5時には起きとるから、いつでも来なさい」
『良かった。ありがとうございます』
文治は電話を持ち直し、話の向きを変えた。
「空手の方は、がんばっとるかね」
『ええ。実は今、寒稽古の帰りなんです』
「そうか、偉いぞ」
『先生にいただいた空手着も、ちゃんと着てますよ」
「そうかそうか。嬉しいねえ。あ、ご両親はお元気でお過ごしかな」
『ええ、二人ともピンピンしてます。人生を楽しんでるって感じで』
「それは良かった。いや、本当に良かった」
文治は会員らの視線に気付き、老眼鏡を外して瞼を拭った。
「よし、頼まれたものは心をこめて作らせてもらう。明日の朝、君に会えるのを楽しみにしてるよ」
電話を切ると満足そうに微笑み、かつてオーナーだった頃のように気合を入れた。
その時、アクセサリー工房『コレー』の前オーナー甲斐文治は、工房の留守番をしていた。美那子は資材調達のため不在である。
会員にアクセサリー加工のアドバイスをするところに、電話の着信音が割り込んだ。
「おや、誰からだろう?」
エプロンのポケットから取り出したのは、美那子に持たされている端末だ。11桁の電話番号が表示されている。
普段はどこからもかかってこないのに、珍しい。文治は首を傾げながら応答した。
「もしもし、こちら甲斐ですが」
『先生、お久しぶりです。原田です』
文治はハッとして、顔を上げる。
「原田……原田良樹君か!」
思わず椅子を立った。
文治らしくもない興奮した様子に、会員らが不思議そうに注目する。
「おお、何とまあ久しぶりだ。元気だったかね」
『はい、おかげ様で。先生もお元気そうで安心しました』
「ああ、私は相変わらずだよ。いや、本当に久しぶりだなあ」
文治は原田のことを、子どもの頃からよく知っている。すっかり落ち着いた大人の声に感激し、彼が目の前にいるかのように、一人で何度も頷いた。
『先生の年賀状に電話番号が書かれていたのでこちらにかけましたが、今、大丈夫でしょうか』
「もちろん、いいとも。それより電話をくれて嬉しいよ。君もすっかり大人になって」
『とんでもない。まだまだ半人前ですよ』
「ははは……そう思うのは本人だけだ、私にはわかる。いやそれにしても」
文治はそこで一旦言葉を詰まらせる。原田から連絡があったら、まず言わなければと決めていた、それを思い出したのだ。
「あの時は本当に済まなかった、本当に」
『もうよして下さい。俺は何とも思っていません』
「しかし」
『先生』
原田の気性は変っていない。文治を助けてくれた、それは彼らしい男気だ。
「わかった。よし、もう言うまい」
電話の向こうで、ホッとした気配がある。文治もようやく落ち着き、椅子に腰を下ろした。
「それはそうと、どうして私に電話を?」
『はい、実は……すごく急なお願いで申しわけないのですが、アクセサリーをひとつ作っていただきたいのです』
「アクセサリー?」
文治はピンときた。原田が少年だった頃の、はにかんだ表情がまぶたに浮かぶ。
「ほう、そうだったのか。それは素晴らしい。おめでとう、原田君」
文治は心から嬉しかった。あれからずっと、心配していたのだ。
『いや、まだそんな段階では……まあ、いずれお話ししますが」
「そうかそうか。それで、どんなものをご所望かな」
『2月の誕生石で、ペンダントヘッドを作ってもらいたいのです』
「2月というとアメシストだな。いいよ。いつまでに?」
『明日、彼女に渡したいんです』
原田少年はせっかちだった。それを踏まえても、文治は驚いてしまう。
「明日! そりゃまた急な話だな」
『すみません』
「ああ、いやいや大丈夫。ただし、石も台座も雛形のあるシンプルなデザインになるが、いいかね」
『ええ、構いません。甲斐先生の細工なら俺はそれだけで満足です』
「あっはは……高く買ってもらってありがとう」
『よろしくお願いします』
礼儀正しい申し出に微笑みながら、文治はメモを取る用意をした。
「それでは、作品のコンセプトを決めたいんで、ひとつだけ訊いておきたい。どんなイメージの娘さんかな」
『そうですね……年は25で、その、可愛い人です。純粋で、まだ少女みたいなところがある女性で」
「ほう、それじゃあ君と同じだな」
『えっ?』
「君も少年のようなところが残っとる」
『俺が……そうですか? でも今、大人になったって言われたばかりなのに』
「ああ、大人になった。でもこうして話していると、やっぱり君は純粋だ。変わらなくていい、そこが君の素晴らしいところだ」
『は、はい。ありがとうございます』
可愛い・純粋・25歳――
文治はメモ用紙に走り書きして、ポケットにしまった。
『明日の朝、取りに窺います』
「うむ……しかし家に来ると、あいつと鉢合わせるかも知れんぞ」
『もう昔の話です。平気ですよ』
原田の言い方から無理は感じられない。もう大丈夫なのだと信じられる、確かな響きがあった。
「そうか。では、朝の5時には起きとるから、いつでも来なさい」
『良かった。ありがとうございます』
文治は電話を持ち直し、話の向きを変えた。
「空手の方は、がんばっとるかね」
『ええ。実は今、寒稽古の帰りなんです』
「そうか、偉いぞ」
『先生にいただいた空手着も、ちゃんと着てますよ」
「そうかそうか。嬉しいねえ。あ、ご両親はお元気でお過ごしかな」
『ええ、二人ともピンピンしてます。人生を楽しんでるって感じで』
「それは良かった。いや、本当に良かった」
文治は会員らの視線に気付き、老眼鏡を外して瞼を拭った。
「よし、頼まれたものは心をこめて作らせてもらう。明日の朝、君に会えるのを楽しみにしてるよ」
電話を切ると満足そうに微笑み、かつてオーナーだった頃のように気合を入れた。
0
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる