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寒稽古
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「原田さんが、『これから一人ずつ順番に三本やる。その内、俺から一本取るまで稽古をやめない』って言うんです」
「3回のうち、1回勝てってことです」
木村が注釈を入れた。
「俺、『一本でいいんですか』って訊いちゃいました。生意気ですよね。でも、原田さんは怒りもせず、『いいよ』って、笑ってるんです。もちろん三本全部取ってやるつもりで、ガーって突っ込みました。そしたら、全部かわされちまう」
平田が口を尖らせ、木村は身振り手振りで説明する。
「突きも蹴りも見事にね、その上絶妙のタイミングで押っつけてくる。こっちの動きが一瞬止まった隙だらけのところにバシバシ極きめられて……」
彩子は空手の組手を知らないので何ともいえないが、それはかなり高度なテクニックを要するのではと想像した。
「一発一発が骨身にしみるんです。特にあの下段……なあ」
木村は平田を肘で突いて同意を求める。
「そうそう、足があっという間にガタガタになったよ。それで俺達とうとう一本も取れないまま床にのびちゃった。最後に、汲んであったバケツの水を思いっきりぶっかけられて……」
「二人とも、立ち上がることすらできない。そしたら原田さんが『これで終わり!』って、振り向きもせず、さっさと出て行ってしまった」
平田はありありと思い出したようで、悔しそうに拳を握り締める。
「そうだったんですか。それは……」
「ええ、すごいショックでしたよ。舐め切ってた先輩に徹底的にやられて、のびちまったんだから……だから俺達、原田さんにあんなことされて……あんなことされてっ」
それはさぞ悔しかっただろうと、彩子は思ったが……
「惚れちゃいました! 原田先輩に」
二人はニコニコ顔だ。
彩子は目をぱちくりとさせる。
不可解すぎる心理――だけど、二人の嬉しそうな笑顔を見ていると、男の世界ってそういうものなんだと、納得できる気もするのだった。
二人の話を聞いてしばらくすると、原田が戻ってきた。
「お待たせしました。会社に電話したら、トラブってたみたいで……」
三人が一斉に注目するので、原田は妙に感じたのか、
「何です。どうかしたんですか」
「お二人が原田さんに惚れてるという話をしていました」
彩子はいたずらっぽく笑った。
「はあ? 何だ、お前ら何の話をしたんだ」
「いい話ですよ、先輩」
「そうです。感動的な、いい話です」
木村と平田も調子を合わせる。
原田はわけがわからんといった顔で彩子と目を合わせた。そんな彼がちょっぴりかわいく思えて、彩子は照れ笑いした。
「ごちそうさんでしたあ!」
駐車場で平田達に大声で礼を言われ、彩子は恐縮した。
「いえ、もともと貰った食事券ですから。そんな、気にしないで下さい。誘ったのは私ですし」
「ご馳走様でした、彩子さん」
原田まで大げさに頭を下げるので、いたたまれない。
「あの、もう帰りましょう」
そそくさと車に乗り込んだ。
「まず平田達を最寄り駅まで送る。その後で、彩子さんを家まで送ります」
原田は帰りの順路を伝えてから国道に出た。
「おお、ようやく彩子さんと二人きりに!」
「やっぱり俺達、邪魔なんですね」
平田達が軽口をきくと、原田も「そうだ」と軽く返す。今度は彩子も予測した答えだった。
男同士のやり取りに少し慣れたけれど、やっぱりドキドキしてしまう。
駅前に着くと、木村が彩子に「山田さんによろしく」と遠慮がちに伝言を頼み、手を振った。平田もぶっきら棒にだが、「どうも、彩子さん。また会いましょう」とお辞儀をする。
彩子も窓から二人に手を振り返し、さよならの合図を送った。
「気のいい連中でしょう」
原田はロータリーをまわり、再び国道へ出るため来た道を戻る。
「はい。二人とも楽しくて……私、好きです」
「へえ、好きですか! 彩子さんもなかなか剛の者ですね」
原田は感心したように言う。
そして、しばし間を置いてから、前を向いたまま何気ない感じで彩子に尋ねた。
「では、俺はどうです。好きですか」
彩子は一瞬、軽口かと思った。だけど、軽々しく返せることではない。原田のことが、ちょっぴり憎らしくなる。
「原田さんはどうです。私のこと、好きですか」
「うっ……」
原田は絶句した。思わぬ返し技をくらったというふうに、前髪をかき上げる。
「参ったな。一本取られた」
「私の勝ちですね」
彩子は平田達の話を思い出し、うふふと笑う。
原田は肩をすくめるが、まんざらでもない笑みを浮かべた。
「ところで、さっきは会社の他に、親にも電話したんです。明日の日曜日、俺の実家に君を連れて行きたいと思って」
「えっ、原田さんのお家にですか」
「うん、彩子さんの都合さえよければ……ですが」
彩子はびっくりした。しかし驚くことではない。そもそも原田と彩子の付き合いは、両家の親公認だからだ。
「親父もお袋も、彩子さんに是非会わせてくれと言ってる。会ってもらえますか」
「は、はい。もちろん。えっと、明日ですね。大丈夫です」
原田本人と会うのとはまた別の緊張感が生じる。
それにしても急な話である。原田はやはり強引なところがあると、彩子は戸惑いながら感じていた。
「3回のうち、1回勝てってことです」
木村が注釈を入れた。
「俺、『一本でいいんですか』って訊いちゃいました。生意気ですよね。でも、原田さんは怒りもせず、『いいよ』って、笑ってるんです。もちろん三本全部取ってやるつもりで、ガーって突っ込みました。そしたら、全部かわされちまう」
平田が口を尖らせ、木村は身振り手振りで説明する。
「突きも蹴りも見事にね、その上絶妙のタイミングで押っつけてくる。こっちの動きが一瞬止まった隙だらけのところにバシバシ極きめられて……」
彩子は空手の組手を知らないので何ともいえないが、それはかなり高度なテクニックを要するのではと想像した。
「一発一発が骨身にしみるんです。特にあの下段……なあ」
木村は平田を肘で突いて同意を求める。
「そうそう、足があっという間にガタガタになったよ。それで俺達とうとう一本も取れないまま床にのびちゃった。最後に、汲んであったバケツの水を思いっきりぶっかけられて……」
「二人とも、立ち上がることすらできない。そしたら原田さんが『これで終わり!』って、振り向きもせず、さっさと出て行ってしまった」
平田はありありと思い出したようで、悔しそうに拳を握り締める。
「そうだったんですか。それは……」
「ええ、すごいショックでしたよ。舐め切ってた先輩に徹底的にやられて、のびちまったんだから……だから俺達、原田さんにあんなことされて……あんなことされてっ」
それはさぞ悔しかっただろうと、彩子は思ったが……
「惚れちゃいました! 原田先輩に」
二人はニコニコ顔だ。
彩子は目をぱちくりとさせる。
不可解すぎる心理――だけど、二人の嬉しそうな笑顔を見ていると、男の世界ってそういうものなんだと、納得できる気もするのだった。
二人の話を聞いてしばらくすると、原田が戻ってきた。
「お待たせしました。会社に電話したら、トラブってたみたいで……」
三人が一斉に注目するので、原田は妙に感じたのか、
「何です。どうかしたんですか」
「お二人が原田さんに惚れてるという話をしていました」
彩子はいたずらっぽく笑った。
「はあ? 何だ、お前ら何の話をしたんだ」
「いい話ですよ、先輩」
「そうです。感動的な、いい話です」
木村と平田も調子を合わせる。
原田はわけがわからんといった顔で彩子と目を合わせた。そんな彼がちょっぴりかわいく思えて、彩子は照れ笑いした。
「ごちそうさんでしたあ!」
駐車場で平田達に大声で礼を言われ、彩子は恐縮した。
「いえ、もともと貰った食事券ですから。そんな、気にしないで下さい。誘ったのは私ですし」
「ご馳走様でした、彩子さん」
原田まで大げさに頭を下げるので、いたたまれない。
「あの、もう帰りましょう」
そそくさと車に乗り込んだ。
「まず平田達を最寄り駅まで送る。その後で、彩子さんを家まで送ります」
原田は帰りの順路を伝えてから国道に出た。
「おお、ようやく彩子さんと二人きりに!」
「やっぱり俺達、邪魔なんですね」
平田達が軽口をきくと、原田も「そうだ」と軽く返す。今度は彩子も予測した答えだった。
男同士のやり取りに少し慣れたけれど、やっぱりドキドキしてしまう。
駅前に着くと、木村が彩子に「山田さんによろしく」と遠慮がちに伝言を頼み、手を振った。平田もぶっきら棒にだが、「どうも、彩子さん。また会いましょう」とお辞儀をする。
彩子も窓から二人に手を振り返し、さよならの合図を送った。
「気のいい連中でしょう」
原田はロータリーをまわり、再び国道へ出るため来た道を戻る。
「はい。二人とも楽しくて……私、好きです」
「へえ、好きですか! 彩子さんもなかなか剛の者ですね」
原田は感心したように言う。
そして、しばし間を置いてから、前を向いたまま何気ない感じで彩子に尋ねた。
「では、俺はどうです。好きですか」
彩子は一瞬、軽口かと思った。だけど、軽々しく返せることではない。原田のことが、ちょっぴり憎らしくなる。
「原田さんはどうです。私のこと、好きですか」
「うっ……」
原田は絶句した。思わぬ返し技をくらったというふうに、前髪をかき上げる。
「参ったな。一本取られた」
「私の勝ちですね」
彩子は平田達の話を思い出し、うふふと笑う。
原田は肩をすくめるが、まんざらでもない笑みを浮かべた。
「ところで、さっきは会社の他に、親にも電話したんです。明日の日曜日、俺の実家に君を連れて行きたいと思って」
「えっ、原田さんのお家にですか」
「うん、彩子さんの都合さえよければ……ですが」
彩子はびっくりした。しかし驚くことではない。そもそも原田と彩子の付き合いは、両家の親公認だからだ。
「親父もお袋も、彩子さんに是非会わせてくれと言ってる。会ってもらえますか」
「は、はい。もちろん。えっと、明日ですね。大丈夫です」
原田本人と会うのとはまた別の緊張感が生じる。
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