フローライト

藤谷 郁

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美しいひと

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「大丈夫ですよ、是非どうぞ。こちらの用紙に記入していただいて……」


手続きをしていると、窓際の席でうたた寝していた男性が席を立ち、近付いてきた。


「では、私がご案内しましょう」

「あ、私の父です。この工房一番の職人なんですよ」


彩子はエリと顔を見合わせる。

その男性は、白髪頭を照れたように掻くと、


「お客さんがいるのにウトウトしてしまったよ。いや、申しわけない。甲斐かい文治ぶんじと申します」

「お父様、ですか?」

「一番の職人さん?」


彩子達が口々に尋ねると、文治は穏やかな笑みを浮かべた。言われてみれば、整った目鼻立ちが彼女によく似ている。


「はい、我々は親子です。いや、私なんぞよりデザインのセンスは、娘がずっと上ですけどね、ははは……」


彩子は驚いた。

彼女はカフェの店員というだけでなく、工房の職人でもあったのだ。


「私、オーナーの甲斐かい美那子みなこと申します。よろしくお願いいたします」


彼女は自己紹介し、深々と頭を下げた。


彩子とエリは文治に案内されて工房に入った。カフェの2倍ほどの床面積だが、棚や機械があちこちに配置され、意外に狭く感じる。

工房では二人の女性がバーナーや鎚などを使い、アクセサリー作りに取り組んでいた。


「あの方達は?」


エリが訊くと、文治は「お二人とも会員さんです」と答えた。

文治は彩子達を、木槌を使う女性の側に連れてきた。


「この作業は、シルバーリングの整形ですね。あと一息で出来上がりです」


リングに芯金という棒を通し、サイズ調整と整形をしていると説明された。


「おや、これは」


文治が覗き込むと、女性は気まずそうな顔になる。


「リングの両端を合わせるのは難しいですからね。大丈夫です。慣れることです」


女性が作りかけのリングは、輪のつなぎ目がほんの少し盛り上がっていた。


「ここは会員制なんですか?」


唐突にエリが質問した。

彩子はハッとして、唇を引き結ぶ。エリがいよいよ、探ろうとしているのだ。


(いけない。集中しなくちゃ……)


ここに来た目的を彩子は思い出す。実はさっきから、まったく違うことを考えていた。


――それは、『コレー』と読みます。オーナーは……僕の知っている人です。


原田の言葉と、その表情が脳裏に蘇る。

この綺麗な女性がオーナーで、原田さんの知人。

彼はただ『知っている』と言っただけなのに、彩子はなぜか胸騒ぎを覚えた。


「ええ、会員制です。もちろん、体験はその限りではありませんが」

「やはり女性の方が多いのですか?」


エリがテーブルのチラシを手に取り、文治に尋ねる。


「うちは娘……オーナーの方針で、女性会員限定なんですよ。男性は私だけです」

「へっ?」


エリが変な声を上げたので、作業中の女性二人が何事かと振り返った。


「あっ、いやその、失礼しました。しかし、それはまたどうして」

「さあ、どうしてでしょうか……ああ、こちらには天然石アクセサリーの材料がありますよ」


文治はなぜか曖昧に答えを濁し、話を変えてしまった。

そして、何段もある棚の中から50センチ四方の木箱を選び、引き出して見せる。木箱は板で格子状に区切られ、そこにさまざまな色や形の石が収められていた。

文治の不自然な態度は気になるが、とりあえず二人は木箱を覗く。


「鉱物の標本みたいですね」


エリの感想を聞き、彩子は「あっ」と声を漏らす。


(鉱物。原田さんが趣味だという……)


「お父さん、代わるわ」


気がつくと美那子が側に来ていた。


「ははは、石はオーナーのほうが詳しいからな」


文治は二人に「ごゆっくり」と会釈をし、カフェに戻っていった。



「綺麗ですね」


彩子が石に目を戻して言うと、美那子は嬉しそうに微笑む。


「ええ、まだ何の加工もされていない状態ですが、とても美しい。自然そのものの魅力ですよね」


まさに、その通り。

これらには人の手に磨かれる前の、ありのままの美しさがある。


「あの~、会員は女性限定と言うのは本当ですか?」


エリが彩子と美那子の間に入り、質問した。またしても肘鉄され、彩子は慌てて石から顔を上げる。


「はい、そうです。だからお店の名前も『Kore』なんですよ」

「ギリシア神話の『コレー』ですか?」


彩子が反射的に訊くと、美那子は目を見張った。


「そうです。よくご存知ですね」

「コレーの意味は、『娘』あるいは『乙女』だと、記憶しています」


彩子の言葉に、美那子は深く頷く。


「そうです。ここは、女性のための創造の空間です」


(女性のための……)


彩子はあれっと思い、エリと目を合わせる。彼女も納得できない様子だ。

それはおかしい。

雪村の相手を探しに来たのだが、それでは、男性は甲斐文治さんしかいなくなってしまう。


「文治さんの他に男性はいないってことですか」

「ええ、そうですが……」


念を押すエリに、美那子は怪訝な表情になる。その反応は素直なもので、嘘をついているように見えない。

彩子はエリに促され、美那子達に礼を言ってから工房を出た。



「参ったわねえ」


エリは車に乗り込むと、すぐに発進させた。

イライラした態度で、運転も荒い。彩子は大人しくしながらも、『コレー』での偵察結果を口にする。


「結局、いなかったね」


雪村の相手らしき男性はいなかった。彩子は普通に考えて言ったのだが、エリは違っていた。


「常識でモノ考えちゃ駄目よ彩子。雪村のやつ、よりによってあんな爺さんと!」


ハンドルを叩くエリに、彩子はぎょっとする。


「なっ何を言うの」


エリは公園の反対側に回ると、車をとめてエンジンを切った。そして彩子の方を体ごと向き、彼女が得た答えを聞かせる。


「男はあの爺さんしかいないって、あんたも聞いたでしょう」

「それは、そうだけど……」

「店の人間はオーナーと爺さんの二人だけ。男は爺さん一人で、しかも相当な技量の持ち主と見たわ」


彩子は息を呑む。まさか、そんなことって……


「もう少し相手選びなさいよね!」


エリは雪村を目の前にするように叫び、嘆いた。

状況を眺めれば、確かにその結論に至る。

だけど、彩子は信じられない。

どうも妙な気がする。
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