21 / 82
美しいひと
2
しおりを挟む
「大丈夫ですよ、是非どうぞ。こちらの用紙に記入していただいて……」
手続きをしていると、窓際の席でうたた寝していた男性が席を立ち、近付いてきた。
「では、私がご案内しましょう」
「あ、私の父です。この工房一番の職人なんですよ」
彩子はエリと顔を見合わせる。
その男性は、白髪頭を照れたように掻くと、
「お客さんがいるのにウトウトしてしまったよ。いや、申しわけない。甲斐かい文治ぶんじと申します」
「お父様、ですか?」
「一番の職人さん?」
彩子達が口々に尋ねると、文治は穏やかな笑みを浮かべた。言われてみれば、整った目鼻立ちが彼女によく似ている。
「はい、我々は親子です。いや、私なんぞよりデザインのセンスは、娘がずっと上ですけどね、ははは……」
彩子は驚いた。
彼女はカフェの店員というだけでなく、工房の職人でもあったのだ。
「私、オーナーの甲斐かい美那子みなこと申します。よろしくお願いいたします」
彼女は自己紹介し、深々と頭を下げた。
彩子とエリは文治に案内されて工房に入った。カフェの2倍ほどの床面積だが、棚や機械があちこちに配置され、意外に狭く感じる。
工房では二人の女性がバーナーや鎚などを使い、アクセサリー作りに取り組んでいた。
「あの方達は?」
エリが訊くと、文治は「お二人とも会員さんです」と答えた。
文治は彩子達を、木槌を使う女性の側に連れてきた。
「この作業は、シルバーリングの整形ですね。あと一息で出来上がりです」
リングに芯金という棒を通し、サイズ調整と整形をしていると説明された。
「おや、これは」
文治が覗き込むと、女性は気まずそうな顔になる。
「リングの両端を合わせるのは難しいですからね。大丈夫です。慣れることです」
女性が作りかけのリングは、輪のつなぎ目がほんの少し盛り上がっていた。
「ここは会員制なんですか?」
唐突にエリが質問した。
彩子はハッとして、唇を引き結ぶ。エリがいよいよ、探ろうとしているのだ。
(いけない。集中しなくちゃ……)
ここに来た目的を彩子は思い出す。実はさっきから、まったく違うことを考えていた。
――それは、『コレー』と読みます。オーナーは……僕の知っている人です。
原田の言葉と、その表情が脳裏に蘇る。
この綺麗な女性がオーナーで、原田さんの知人。
彼はただ『知っている』と言っただけなのに、彩子はなぜか胸騒ぎを覚えた。
「ええ、会員制です。もちろん、体験はその限りではありませんが」
「やはり女性の方が多いのですか?」
エリがテーブルのチラシを手に取り、文治に尋ねる。
「うちは娘……オーナーの方針で、女性会員限定なんですよ。男性は私だけです」
「へっ?」
エリが変な声を上げたので、作業中の女性二人が何事かと振り返った。
「あっ、いやその、失礼しました。しかし、それはまたどうして」
「さあ、どうしてでしょうか……ああ、こちらには天然石アクセサリーの材料がありますよ」
文治はなぜか曖昧に答えを濁し、話を変えてしまった。
そして、何段もある棚の中から50センチ四方の木箱を選び、引き出して見せる。木箱は板で格子状に区切られ、そこにさまざまな色や形の石が収められていた。
文治の不自然な態度は気になるが、とりあえず二人は木箱を覗く。
「鉱物の標本みたいですね」
エリの感想を聞き、彩子は「あっ」と声を漏らす。
(鉱物。原田さんが趣味だという……)
「お父さん、代わるわ」
気がつくと美那子が側に来ていた。
「ははは、石はオーナーのほうが詳しいからな」
文治は二人に「ごゆっくり」と会釈をし、カフェに戻っていった。
「綺麗ですね」
彩子が石に目を戻して言うと、美那子は嬉しそうに微笑む。
「ええ、まだ何の加工もされていない状態ですが、とても美しい。自然そのものの魅力ですよね」
まさに、その通り。
これらには人の手に磨かれる前の、ありのままの美しさがある。
「あの~、会員は女性限定と言うのは本当ですか?」
エリが彩子と美那子の間に入り、質問した。またしても肘鉄され、彩子は慌てて石から顔を上げる。
「はい、そうです。だからお店の名前も『Kore』なんですよ」
「ギリシア神話の『コレー』ですか?」
彩子が反射的に訊くと、美那子は目を見張った。
「そうです。よくご存知ですね」
「コレーの意味は、『娘』あるいは『乙女』だと、記憶しています」
彩子の言葉に、美那子は深く頷く。
「そうです。ここは、女性のための創造の空間です」
(女性のための……)
彩子はあれっと思い、エリと目を合わせる。彼女も納得できない様子だ。
それはおかしい。
雪村の相手を探しに来たのだが、それでは、男性は甲斐文治さんしかいなくなってしまう。
「文治さんの他に男性はいないってことですか」
「ええ、そうですが……」
念を押すエリに、美那子は怪訝な表情になる。その反応は素直なもので、嘘をついているように見えない。
彩子はエリに促され、美那子達に礼を言ってから工房を出た。
「参ったわねえ」
エリは車に乗り込むと、すぐに発進させた。
イライラした態度で、運転も荒い。彩子は大人しくしながらも、『コレー』での偵察結果を口にする。
「結局、いなかったね」
雪村の相手らしき男性はいなかった。彩子は普通に考えて言ったのだが、エリは違っていた。
「常識でモノ考えちゃ駄目よ彩子。雪村のやつ、よりによってあんな爺さんと!」
ハンドルを叩くエリに、彩子はぎょっとする。
「なっ何を言うの」
エリは公園の反対側に回ると、車をとめてエンジンを切った。そして彩子の方を体ごと向き、彼女が得た答えを聞かせる。
「男はあの爺さんしかいないって、あんたも聞いたでしょう」
「それは、そうだけど……」
「店の人間はオーナーと爺さんの二人だけ。男は爺さん一人で、しかも相当な技量の持ち主と見たわ」
彩子は息を呑む。まさか、そんなことって……
「もう少し相手選びなさいよね!」
エリは雪村を目の前にするように叫び、嘆いた。
状況を眺めれば、確かにその結論に至る。
だけど、彩子は信じられない。
どうも妙な気がする。
手続きをしていると、窓際の席でうたた寝していた男性が席を立ち、近付いてきた。
「では、私がご案内しましょう」
「あ、私の父です。この工房一番の職人なんですよ」
彩子はエリと顔を見合わせる。
その男性は、白髪頭を照れたように掻くと、
「お客さんがいるのにウトウトしてしまったよ。いや、申しわけない。甲斐かい文治ぶんじと申します」
「お父様、ですか?」
「一番の職人さん?」
彩子達が口々に尋ねると、文治は穏やかな笑みを浮かべた。言われてみれば、整った目鼻立ちが彼女によく似ている。
「はい、我々は親子です。いや、私なんぞよりデザインのセンスは、娘がずっと上ですけどね、ははは……」
彩子は驚いた。
彼女はカフェの店員というだけでなく、工房の職人でもあったのだ。
「私、オーナーの甲斐かい美那子みなこと申します。よろしくお願いいたします」
彼女は自己紹介し、深々と頭を下げた。
彩子とエリは文治に案内されて工房に入った。カフェの2倍ほどの床面積だが、棚や機械があちこちに配置され、意外に狭く感じる。
工房では二人の女性がバーナーや鎚などを使い、アクセサリー作りに取り組んでいた。
「あの方達は?」
エリが訊くと、文治は「お二人とも会員さんです」と答えた。
文治は彩子達を、木槌を使う女性の側に連れてきた。
「この作業は、シルバーリングの整形ですね。あと一息で出来上がりです」
リングに芯金という棒を通し、サイズ調整と整形をしていると説明された。
「おや、これは」
文治が覗き込むと、女性は気まずそうな顔になる。
「リングの両端を合わせるのは難しいですからね。大丈夫です。慣れることです」
女性が作りかけのリングは、輪のつなぎ目がほんの少し盛り上がっていた。
「ここは会員制なんですか?」
唐突にエリが質問した。
彩子はハッとして、唇を引き結ぶ。エリがいよいよ、探ろうとしているのだ。
(いけない。集中しなくちゃ……)
ここに来た目的を彩子は思い出す。実はさっきから、まったく違うことを考えていた。
――それは、『コレー』と読みます。オーナーは……僕の知っている人です。
原田の言葉と、その表情が脳裏に蘇る。
この綺麗な女性がオーナーで、原田さんの知人。
彼はただ『知っている』と言っただけなのに、彩子はなぜか胸騒ぎを覚えた。
「ええ、会員制です。もちろん、体験はその限りではありませんが」
「やはり女性の方が多いのですか?」
エリがテーブルのチラシを手に取り、文治に尋ねる。
「うちは娘……オーナーの方針で、女性会員限定なんですよ。男性は私だけです」
「へっ?」
エリが変な声を上げたので、作業中の女性二人が何事かと振り返った。
「あっ、いやその、失礼しました。しかし、それはまたどうして」
「さあ、どうしてでしょうか……ああ、こちらには天然石アクセサリーの材料がありますよ」
文治はなぜか曖昧に答えを濁し、話を変えてしまった。
そして、何段もある棚の中から50センチ四方の木箱を選び、引き出して見せる。木箱は板で格子状に区切られ、そこにさまざまな色や形の石が収められていた。
文治の不自然な態度は気になるが、とりあえず二人は木箱を覗く。
「鉱物の標本みたいですね」
エリの感想を聞き、彩子は「あっ」と声を漏らす。
(鉱物。原田さんが趣味だという……)
「お父さん、代わるわ」
気がつくと美那子が側に来ていた。
「ははは、石はオーナーのほうが詳しいからな」
文治は二人に「ごゆっくり」と会釈をし、カフェに戻っていった。
「綺麗ですね」
彩子が石に目を戻して言うと、美那子は嬉しそうに微笑む。
「ええ、まだ何の加工もされていない状態ですが、とても美しい。自然そのものの魅力ですよね」
まさに、その通り。
これらには人の手に磨かれる前の、ありのままの美しさがある。
「あの~、会員は女性限定と言うのは本当ですか?」
エリが彩子と美那子の間に入り、質問した。またしても肘鉄され、彩子は慌てて石から顔を上げる。
「はい、そうです。だからお店の名前も『Kore』なんですよ」
「ギリシア神話の『コレー』ですか?」
彩子が反射的に訊くと、美那子は目を見張った。
「そうです。よくご存知ですね」
「コレーの意味は、『娘』あるいは『乙女』だと、記憶しています」
彩子の言葉に、美那子は深く頷く。
「そうです。ここは、女性のための創造の空間です」
(女性のための……)
彩子はあれっと思い、エリと目を合わせる。彼女も納得できない様子だ。
それはおかしい。
雪村の相手を探しに来たのだが、それでは、男性は甲斐文治さんしかいなくなってしまう。
「文治さんの他に男性はいないってことですか」
「ええ、そうですが……」
念を押すエリに、美那子は怪訝な表情になる。その反応は素直なもので、嘘をついているように見えない。
彩子はエリに促され、美那子達に礼を言ってから工房を出た。
「参ったわねえ」
エリは車に乗り込むと、すぐに発進させた。
イライラした態度で、運転も荒い。彩子は大人しくしながらも、『コレー』での偵察結果を口にする。
「結局、いなかったね」
雪村の相手らしき男性はいなかった。彩子は普通に考えて言ったのだが、エリは違っていた。
「常識でモノ考えちゃ駄目よ彩子。雪村のやつ、よりによってあんな爺さんと!」
ハンドルを叩くエリに、彩子はぎょっとする。
「なっ何を言うの」
エリは公園の反対側に回ると、車をとめてエンジンを切った。そして彩子の方を体ごと向き、彼女が得た答えを聞かせる。
「男はあの爺さんしかいないって、あんたも聞いたでしょう」
「それは、そうだけど……」
「店の人間はオーナーと爺さんの二人だけ。男は爺さん一人で、しかも相当な技量の持ち主と見たわ」
彩子は息を呑む。まさか、そんなことって……
「もう少し相手選びなさいよね!」
エリは雪村を目の前にするように叫び、嘆いた。
状況を眺めれば、確かにその結論に至る。
だけど、彩子は信じられない。
どうも妙な気がする。
0
お気に入りに追加
105
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
【完】愛していますよ。だから幸せになってくださいね!
さこの
恋愛
「僕の事愛してる?」
「はい、愛しています」
「ごめん。僕は……婚約が決まりそうなんだ、何度も何度も説得しようと試みたけれど、本当にごめん」
「はい。その件はお聞きしました。どうかお幸せになってください」
「え……?」
「さようなら、どうかお元気で」
愛しているから身を引きます。
*全22話【執筆済み】です( .ˬ.)"
ホットランキング入りありがとうございます
2021/09/12
※頂いた感想欄にはネタバレが含まれていますので、ご覧の際にはお気をつけください!
2021/09/20
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
【完結】【R18】淫らになるというウワサの御神酒をおとなしい彼女に飲ませたら、淫乱MAXになりました。
船橋ひろみ
恋愛
幼馴染みから、恋人となって数ヶ月の智彦とさゆり。
お互い好きな想いは募るものの、シャイなさゆりのガードが固く、セックスまでには至らなかった。
年始2日目、年始のデートはさゆりの発案で、山奥にある神社に行くことに。実はその神社の御神酒は「淫ら御神酒」という、都市伝説があり……。初々しいカップルの痴態を書いた、書き下ろし作品です。
※「小説家になろう」サイトでも掲載しています。題名は違いますが、内容はほとんど同じで、こちらが最新版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる