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藤谷 郁

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恋のきざし

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海が一望できるレストランで昼食をとった。窓の外に、夏は海水浴場になるという砂浜が広がっている。

オフシーズンにもかかわらず、店内は大勢の家族連れやカップルでにぎやかだ。そういえば、近くに有名な神社があるので、初詣帰りの客が集まってきたのかもしれない。

彩子は食事をしながら、それとなく原田を観察した。

一見落ち着いて見えるが、『コレー』の話をする前と微妙に違っている。それも、気を付けていないとわからない程の微妙さだ。


「外は寒いですね。でも、少し歩きますか」


食事が終わると、原田は伝票を持って立ち上がった。彩子は慌てて後を追い、原田が支払いを済ませるのを店の外で待った。

冬の浜辺はひんやりするが、風がないので、さほど寒さは感じない。

それに、今日はスカートではなくパンツを穿いてきた。海沿いのドライブコースなので、浜辺に下りる予想を、無意識に立てたのかもしれない。


「これ、おまけだそうですよ」


店から出てくると、原田は彩子にオレンジ色のキャンディを手渡した。ウサギの形をした棒付きキャンディは、明らかに子どもへのサービスである。


「嘘でしょ」

「君は僕の子どもに見えたようですね……うっ」


堪えきれないように原田が笑い、彩子も思わず噴き出した。キャンディの意味するところは不明だが、原田の楽しそうな表情に心が和んでいく。


「ん? でもまてよ。ってことは、僕がおじさんに見えたってことか」

「あっ、そうですよ。 きっとそう!」


思わぬハプニングに、彩子は"微妙な違い"を忘れて原田と笑い合う。あれは思い過ごしだったのだと、彼の朗らかさに違和感は消えていった。


二人は浜辺をのんびりと歩いた。

晴れた空、穏やかな冬の陽射し。きらきらと光る遠くの水平線に、彩子はただ見とれた。

10分ほど歩いたところで、彩子はハッと思い出して原田に伝えた。


「あ、あの。ご馳走様でした」


棒付きキャンディの登場で曖昧になり、食事代のお礼を言うのを忘れていた。

伯母の木綿子から、『食事や何かでお世話になったら短めにお礼を言えばいいから。くどくしないで、ただし忘れないで』と、言われている。

だけど、本当にそれだけでいいのかなと迷ってしまう。

今日は高速道路の料金も、食事代も、休憩で飲んだカフェモカまで、何もかも支払ってもらっている。

原田は立ち止まると、砂に埋もれた小石を拾い、


「どういたしましてっ!」


と、海に向かってそれを投げる。彩子が思わず目で追うと、かなり遠くまで飛んでいった。

原田の広い背中に目を戻し、お礼はくどくしないでおこうと決めた。


「私も……」


彩子も手ごろな大きさの小石を拾い、思いっきり投げてみた。原田には及ばないが結構飛んだので、彼は「おっ」と反応する。


「やりますね」


ニヤリと笑い、セーターの袖をまくった。

そしてまた小石を拾うと、今度は15メートルほど先に立つ杭をめがけて投げる。1投目ははずしたが、2投目3投目は命中させた。


「よおし!」


彩子も同じように挑戦する。

原田のほうが距離が遠いが、命中率は五分五分だった。二人とも思わず知らずむきになっていたらしく、気が付くと30分も過ぎていた。


「暑い!」


原田は途中で脱ぎ捨てたセーターの砂を払って肩に引っ掛け、額の汗を拭った。


「面白かったです」

「ああ、君は好敵手だな。楽しかった」


原田は笑い、彩子が被るニットの帽子をポンポンと払う。砂が付いていたようだ。


(え……)


「それじゃ、そろそろ行きましょう」

「は、はいっ」


胸がドキドキしている。

原田の手の平は大きく、頼もしく感じられる重さがあった。だけど軽くはらう仕草は優しく、力を加減していた。こんな経験は、かつてない。

突然の触れ合いに、彩子は激しく動揺するのだった。



帰りの車の中で、彩子はウトウトした。

気がつくと、いつの間にかN駅前の交差点まできている。車も人も黄昏の中、賑やかに行き交っている。


「ご、ごめんなさい、眠ってしまって」


彩子は失敗したと思うが、原田はどうということもない調子で返事する。


「そこまで寛いでもらえたら、運転手冥利に尽きますよ」

「え……あっ?」


口もとによだれがたれている。彩子は恥ずかしさで赤くなるが、原田はクスクス笑っている。


「すみませんっ」

「リラックスしてるね。いい傾向ですよ」

「は、はい」


彼の傍にいて、彼の運転する車に揺られて、心地よくて眠ってしまったのだ。

この人には敵わない。彩子はハンカチで口もとを押さえつつ、なかなか冷めない頬の熱を持て余した。


車は間もなく山辺家に着こうとしている。

彩子はここへきて、焦燥感が募ってきた。考えてみれば、これからのことを何も話していない。

二人はこれから、どうなるのか――

車が運動公園の前を通り過ぎようとする時、彩子は「止めてください」と頼んだ。何も考えず、口からこぼれていた。

原田は驚いた様子で、スピードを緩める。


「どうかしましたか?」

「もう少しでいいんです。あの……少し、話しませんか」


原田は不思議そうにするが、運動場の駐車場に車を入れると彩子に向き直り、


「どうしたんです」


彼はもう一度訊いた。

彩子は驚いてしまう。自分から言おうとしていることに。

そして、そんな自分に戸惑いながらも、それを正確に伝えるための言葉を懸命に探した。


「あの、ですね」

「うん?」


原田は穏やかな眼差しを彩子に向ける。彼はいつもと変わらぬ落ち着いた態度だ。

芝生広場で、一組の親子がキャッチボールを楽しむのが見える。

彩子はフロントガラスに目を向けたまま、思いきってそれを伝えた。


「私、原田さんと、ずっとお付き合いしたいです。いいでしょうか」


静かなエンジン音。そして、微かな息遣いが聞こえる。

彩子のものなのか原田のものなのか判然としない。

リズムは一つだった。


「俺もです」


彩子は弾かれたように原田を見る。


「先に言われてしまいました。君は本当に面白い!」


穏やかだが、まっすぐで、熱を感じさせる眼差しが彩子を包んでいる。原田は右手を差し出すと、迷いのない返事をくれた。


「これからも、ずっとよろしく」


彩子はおずおずと握り返し、その男らしい手の平に感動を覚える。厚い皮膚の感触と、力強さと、温かさ。

原田の手の温もりは、そのまま彩子の体温となり、体中を熱くさせた。



山辺家に着くと、原田は彩子の両親にあらためて挨拶した。

二人が交際を続ける意思を告げると、母は相好を崩して喜び、父はひたすら頷く。スキーから帰っていた真二も同席し、


「親父も気に入ったみたいだな。良かったな、お姉」


彩子を肘でつつき、一緒に喜んでくれた。



原田は来週から仕事が始まる。次は10日の土曜日に会いましょうと彼が提案し、彩子はもちろん承諾した。

今日一日で、原田をますます好きになっている。

彼のような人が世の中にいたのだ。

いてくれてありがとう。


夜、彩子は風呂に浸かりながら、楽しかったデートを思い返す。原田と過ごした時間、原田との約束。楽しくて幸せな気分にのぼせそうになる。

ただひとつ気になることがあるが、それはもう、どうでもいいように感じた。

早く早く、また会いたい。

ひたすら願うばかりで、頭も心もいっぱいだった。

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