フローライト

藤谷 郁

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恋のきざし

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信号が青に変わり、原田は再びアクセルを踏む。

彼の横顔を、あらためて彩子は見つめた。今日初めて、原田の姿をはっきりと瞳に映した気がする。

そして、ひとつ気付くことがあった。初めて会った夜には感じなかったことだ。


(昼間だから? それとも服装のせい?)


「あの……なにか付いてますか? 僕の顔」


彩子があまり見つめるので、原田もさすがに戸惑ったようだ。


「ご、ごめんなさい。無遠慮でした」

「いえ、いいですよ。ちょっと照れますが」


彩子は正直なところを伝えてみた。


「この前と、印象が違うと思って」


原田は「ん?」という反応をするが、やがて納得したように頷く。


「ああ、この前はスーツだったから」

「やはり、そうでしょうか」

「ええ。あのスーツを着ると、かなり細身に見えますからね」


そういえば、原田のスーツはシングルの三つ釦で、胸の辺りが少し窮屈そうだった。彩子はあの時、目を合わせるのが恥ずかしくて彼の胸元ばかり見ていた。

だから、よく覚えている。


(確かに、タイトな印象だった。でも、今日は何というか……)


細く見える、太く見えるということではない。

考えてみれば、お見合い当日は、見合い写真から受けた印象が強く残っていたのだ。失礼だが、運動神経はよくないかも……と彩子は思い込んだ。

しかし、今日あらためて眺めると、ずいぶんと印象が違う。


(そうだ!)


彩子は心の中で手を叩く。

今日の原田からは、『敏捷』な印象を受けるのだ。


車はいつの間にか市街地に入っていた。

原田が操るブルーのステーションワゴンは古い型のようだが、とても乗り心地がいい。大事に乗り、きちんと整備してあるのだろう。

窓の外を見ると、そこはN駅前の交差点である。

いつも利用するコーヒースタンドが見えてきた。このあたりは交通量が多く、神経がとても疲れるので、彩子は車できたことがない。

原田を見れば、慎重ではあるがリラックスして車を走らせている。周囲の状況に対する反応もよく、スムーズな運転だ。

もしかしたらこの人は、実は運動神経がいいのかもしれない。

彩子は直接、確かめてみることにする。


「原田さん、スポーツはお好きですか」

「スポーツ……ああ、体を動かすのは好きですよ」


やっぱり――と彩子は頷き、さらに質問する。


「例えば、どんな?」

「そうですねぇ。空手をやっています」

「空手!」


意外な答えに驚いた。

空手のイメージと言うと、ごつい筋肉質の男性が「押忍!」と叫んで瓦を割ったりバットを折ったりするような、あるいは鼻血を出しながらどつき合うようなものだからだ。

目の前の、この穏やかな男性がそんな世界にいるとは考えられない。

しかし、彼は真面目である。


「そうなんですか。もう長いんですか」

「10年目かな……大学の空手部に誘われたのがきっかけだから。今は月に1、2回ですが、近所の道場に通っています」

「10年っ! すごいですね」


彩子は思わず声を上げる。社会人になっても続けるのがすごいと思った。


「いえ、大したもんじゃありません」


原田は彩子の反応が、気恥ずかしそうだった。

車は湾岸道路に入った。

助手席側に青い海が現れ、晴れ晴れとした景色が広がる。


「いい天気で良かった」


原田は前を向いたまま、眩しげに目を細めた。


「さっきの話なんですけど、あの、空手のほかには何か……あっ球技なんてどうですか?」


スポーツの話になると、彩子の目はキラキラと輝き、口も滑らかになる。


「球技は、会社の野球チームに入っています」

「野球っ。いいですね!」


彩子はとても嬉しくなった。

原田は他にも、毎晩筋トレをし、時間があれば会社の周りを走るのだと教えた。あと、時々山に出かけるので登山も少々かじっていると付け加えた。


「わあ、すごすぎます!」

「ただし、広く浅くですよ。仕事が忙しくて、どれも中途半端になっています」


それでも彩子は心から感心する。彼に比べたら自分などとんだ怠け者だ。

原田は想像以上の運動家だった。


「でも、原田さん。釣書には、スポーツのことは何も書かれてなかったですよ?」


スポーツが好きなのに、なぜひとつも書き込まなかったのか不思議に感じる。


「体を動かす事はメシやフロと同じ習慣ですから、特に書きませんでした」

「そうなんですか~。なるほど」


そんな考え方もあるのかと、何度も頷く。とても新鮮な感覚だった。

前方に大きな観覧車が見えてきた。この先の海沿いに遊園地を中心としたレジャー施設があるのだ。

太陽の光を反射して、白く眩しく輝いている。


(原田さん……面白い人だな)


彩子は彼という人を、もっと知りたくて堪らない気持ちだった。

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