夫のつとめ

藤谷 郁

文字の大きさ
上 下
140 / 179
あり得ない条件

2

しおりを挟む
「あなた、無理なさらないでくださいね」

 声をかける麗子に、利希が微笑む。

「何も心配することはない。だが壮二、念のため希美のことを支えておいてくれ」

 不思議な命令だが、壮二は素直に「はい」と返事して希美に寄り添った。

(私に関係あることなの? というか、家族だけで話したいって……)

どういうことかわからず不安になるが、父の言葉を神妙に待った。

「お母さんも壮二も、グラットンのことは聞いているな? 南村社長が、ノルテフーズを助けるため子会社にするという話を持ちかけてきた。そのための条件が、手紙に書かれていたのだ」

 壮二と麗子、そして希美を見回してから、彼は手紙の内容を口にした。

「その条件とは、北城希美とグラットン社長との婚姻。つまり、政略結婚の申し入れだ」

 病室がシンとなる。
 今、とんでもないことを彼は言った。

「え……なんですって……希美との婚姻? あの、南村社長とですか?」

 麗子が、意味がわからないというように利希に質問する。
 希美もまったく、理解できなかった。

 希美に寄り添う壮二も微動だにしない。彼もまた、呆然としていた。

(えっと、ちょっと待って。南村社長と私の、婚姻……? 南村社長と…………)

 スキンヘッドに、口ひげを生やしたコワモテの顔。
 ボッタルガのパスタを、飲みもののように食べていた。希美も驚くほどの大食漢は、顔も体格もごつくて、壮二とは正反対のタイプだった。
 南村壮太の声が耳に響いてくる。

 ――俺は独り者だからね
 ――希美さんのような美しいお嬢さんと結婚したいと思ってるんだが、なかなかご縁がなくてねえ
 ――いやあ、お相手の男性が羨ましいなあ

「いや、でもあの人、お父様と同じくらいの年でしょ? なんでそんな、私と婚姻って……第一、私に婚約者がいると知ってるはずよ」

 それなのに、なぜそんな条件をつけるのだ。あまりにもばかげている。
 だから利希は卒倒したのだ。

「思うにあの男、パーティーでお前に一目惚れしたんじゃないか。だから業務提携したいとか何とか、上手いこと言って、父親の俺に近づいたんだ。そして、ノルテフーズと取引する機会を窺っていた」

 一代であれほどの大企業を築いた男である。目をつけた女に婚約者がいようが、構わず奪ってしまうのかもしれない。
 会社を買収するように。

「異物混入の不祥事が、またとないチャンスだ。我々が直面する経営危機という弱みにつけ込み、彼は政略的に希美を手に入れようと……」
「やめてよ! 冗談じゃないわ」

 希美は耳を塞いだ。

(政略結婚ですって? ふざけんじゃないわよ、あのハゲ親父)

 食の趣味が合う素晴らしい社長と思いきや、とんでもない。
 希美はがっかりし、そのぶん怒りが倍増した。頭に血が上り、足もとがふらつく。

「希美さん」

 倒れかけたところを、壮二が支えてくれた。頼もしい腕につかまり、希美は肝心なことを思い出す。
 そうだ、私には壮二というかけがえのない男性ひとがいる。こんなにも愛してくれる彼から、私を奪うなんて誰にもできっこない。

(あなたは、どんな時も私を守ってくれる。ね、壮二)

 一途な眼差しを期待して、彼を見上げた。

「……壮二?」
 
 どうしてか、視線を逸らされた。
 いつもなら懸命に励まし、大丈夫ですよと言ってくれるのに。
 彼の瞳は、感情を失っている。
 
「まあ、何てことでしょう。あの入道みたいな社長が希美と政略結婚!?」

 麗子が取り乱し、利希にすがりついた。

「あなた、絶対にお断りしてください。会社のために娘を犠牲にするなんて、耐えられません」
「わかってる。グラットンなんぞに頼らずとも何とかなる。誠意ある仕事と地道な努力で信頼回復し、会社を立て直すんだ」

 利希の言葉を聞いて、希美はとりあえず安堵する。
 だが、別の不安が生まれていた。
 なぜ壮二は何も言ってくれないのか。一番聞かせてほしい言葉をくれないのか。

 僕があなたを守ります――と。

 希美は不安なまま、彼の腕につかまっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご
恋愛
 ――俺には、将来を誓った相手がいるんです。  お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。  ――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。  ほげええっ!?  ちょっ、ちょっと待ってください、課長!  あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?  課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。  ――俺のところに来い。  オオカミ課長に、強引に同居させられた。  ――この方が、恋人らしいだろ。  うん。そうなんだけど。そうなんですけど。  気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。  イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。  (仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???  すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

Home, Sweet Home

茜色
恋愛
OL生活7年目の庄野鞠子(しょうのまりこ)は、5つ年上の上司、藤堂達矢(とうどうたつや)に密かにあこがれている。あるアクシデントのせいで自宅マンションに戻れなくなった藤堂のために、鞠子は自分が暮らす一軒家に藤堂を泊まらせ、そのまま期間限定で同居することを提案する。 亡き祖母から受け継いだ古い家での共同生活は、かつて封印したはずの恋心を密かに蘇らせることになり・・・。 ☆ 全19話です。オフィスラブと謳っていますが、オフィスのシーンは少なめです 。「ムーンライトノベルズ」様に投稿済のものを一部改稿しております。

社長室の蜜月

ゆる
恋愛
内容紹介: 若き社長・西園寺蓮の秘書に抜擢された相沢結衣は、突然の異動に戸惑いながらも、彼の完璧主義に応えるため懸命に働く日々を送る。冷徹で近寄りがたい蓮のもとで奮闘する中、結衣は彼の意外な一面や、秘められた孤独を知り、次第に特別な絆を築いていく。 一方で、同期の嫉妬や社内の噂、さらには会社を揺るがす陰謀に巻き込まれる結衣。それでも、蓮との信頼関係を深めながら、二人は困難を乗り越えようとする。 仕事のパートナーから始まる二人の関係は、やがて揺るぎない愛情へと発展していく――。オフィスラブならではの緊張感と温かさ、そして心揺さぶるロマンティックな展開が詰まった、大人の純愛ストーリー。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

処理中です...